Neetel Inside ニートノベル
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ワールドエンド・スーパーハゲ
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 看取の時はふいに訪れた。つむじを中心にして渦を巻く毛髪の合い間から覗く地肌、地肌、地肌。後頭部からゲンコツ大の頭皮が姿を現している。

 これは何だ?俺は何を見せられてる?向けられた三面鏡のヴィジョンに剥き出しで光る陽。

 ほら、美容室でカットが終わると鏡使って後ろ髪見せてくるじゃないですか。それです。それ。

 寿命と貯金を切り崩しながら生きる日常の中で突きつけられた残酷な現実。鈍器でぶたれたように揺らぐ視界。脳が数秒前から理解を拒絶し始めている。

「こちらでよろしいですか?」

 自閉空想から現世へと意識を呼び戻さんとする福音。痩せた大地と化した頭の上から棚引く細いカット担当の女声。驚愕の真実に放心しまま宙を彷徨っていた視線を寄り戻し「はい」と頷く。

……何がよろしいものか。後頭部が禿げているのだ、私は。ゆっくりと起き上がり、洗髪台に移される際にも抗議の声を挙げたくなる。

 髪を切り出す際に「あ、Jリーグ創設25周年なんでアル○ンドカットにしてください」などと突飛なオーダーを頼んだ憶えは無い。この仕打ちは何なのだ?

 身体に長いビニールの髪除けを巻かれたまま、胸の前で手の平を合わせてみる。「宣教師やんけ」やかましいわ。


――今までにも友人間でハゲいじりをされる事はあった。

 同い年でスキンヘッドの友人は言う。「お前はハゲている」場を盛り上げるにはあまりにも乱暴で、ユーモアの欠片もない場当たり的な粗暴な発言。

 ギャング映画でロシア人の怪力役を演じていそうなその友人は事有る毎に私に告げる。「お前はハゲている」と。その度に私は何度も彼に対して呆れ笑いと反論を浮かべるしかなかった。

 だってボクはハゲていないのだから。何時だって頭のてっぺんには黒々とした髪の毛がそよいでいるのだから。



 整髪が終わり、しかるべく金を払って見送りを無視して店を出る。禿げているので社交辞令は受け付けない。また来て下さいねと微笑む金髪の男性店員を振り返って会員カードを裂いてやる。

 今までより頭皮が剥き出しになり、知らずしてパンクロックの精神が宿ったに違いない。駅前の二郎で大盛りを食った後のように駆け足で自宅を目指す。

 便所には行かず、洗面所で鏡を背にしてスマホをインカメラへ。長押しで連写されたその全ての画像に後頭部が薄くなった冴えないアラサー男性の無表情が写っている。

 身を持って予感が確信に変わった瞬間。衝撃という名の稲妻に撃たれ、スマホを落とした指関節が石の様に硬直し、絶望が友の様に隣に擦り寄ってくる。

――やはり、禿げていたのだ。あの日告げられた意味を僕はまだ知らなかった。友人の言葉は、戯言ゆめだけど、ゆめじゃなかった!


 部屋に篭もりノートパソコンを開きネットの海を思いのままに泳ぎまわる。この空間であれば誰も私の後頭部を指差して「お前はハゲている」などと粗暴な言葉をぶつけては来れない。

 動画サイトを開いてみる。ジェイソン・ステイサムの演技は恐怖を感じるほど力強く、スティーブ・ジョブズの発明は常に正しかった。

 ウェイン・ルーニーの大舞台でのゴールにはいつも驚かされたし、松山千春の歌声には逆境に挫けぬ勇気を貰った。

 好奇心が目くるめく時代を彩ったスターの映像を紡ぎ出す。彼らの生き様は美しく、総じて彼らは禿げていた。そんな事はどうでもいい。

 そう、彼らの頭髪が薄かろうが禿げていようが彼らの功績を曇らせる要因はなにも無い。彼らがその事で悩んでいようが私には何の関係もない。

 しかし、疑念が頭の上を吹き抜ける。

 自分が禿げていたらどうする?彼らとは別に未だ何も手にしていない身だとしたら?印象的に「ハゲている」という事実は不利に働く事は間違いない。

 安全地帯にて自らに魔法をかけて塞ぎ込むならば、イデアの水槽にてヒレを揺らぎ泳ぐ熱帯魚に他ならない。

 家賃5万5千円(管理費込み)の六畳間で魚は私に問い掛ける。


 世界を変えなければならない。


 薄暗い部屋の隅で立ち上がった頭にカット店員の声が思い起こされる。

「こちらでよろしいですか?」

 あの問いの真意は何だ?


     

 後頭部に髪の毛が生えていないという事象に気付いて一週間が経った。

 美容室で後ろ髪を見て初めて知った残酷な真実。布団に潜れば寝耳に水、窓を開けば青天の霹靂。正確な症状は診察していないので自分では分からない。

 なぜ自分がこのようにハゲてしまったのか。渡り鳥が雨空の下、落雷に撃たれたような突発的ショックで私は塞ぎがちになってしまった。

 何をするにも憂鬱でチアノーゼ気味の四肢は愚鈍たる重力を背負った肉体にぶらり繋がれている。それでも、深く息をついて座布団の上から立ち上がる。生きていかなければならない。毎日二十時四十分きっかりに駅前のスーパーで惣菜が半額になるから外出して食料を買出しに行かなければならない。

 時刻も遅く大儀ではあるが仕様が無い。毛根を、そして命を繋ぎとめるため。もちろん外出時にニットキャップを深く被る事を忘れない。思い起こせば今まで帽子を被る習慣なんてなかった。

 ああ、早く髪が伸びてこの荒れ野原と化した後頭部をそっと優しく覆い隠してくれやしないかしら。いや、その願いは無意味だな。なぜならその箇所は丸く地肌が露出しているからそこだけ髪が生えてこないから。さあ見てみろよ。今より惨めなパーフェクト・アル○ンドの完成だ。


 一月の夜空の下、風邪拾い除けのマスク越しに白い息を吐き出しながら会社帰りのサラリーマン達とすれ違う。

――人の頭を眺める機会が多くなった。

 ゲームセンターのコインコーナー、駅の改札、スーパーの店内。其処に居る彼らに向ける視線の先は自分が毛根を損傷している後頭部。ある人はつむじが真剣に渦を巻くのを諦めたのか、頭頂部が薄い。またある人は誰かと話していてこっちを振り返ると指四本分、生え際が高い。

 嗚呼、こうなって初めて気付いた。世の中には老いも若きも禿げている人は結構多い。禿げてしまった自分とこれから禿げていく若者と既に己の禿と共に人生を歩み始めている中高年。彼らとの比較で自分のハゲはあまりにも凡庸でありふれたハゲ方に感じられる事もある。

 そして彼らの輪に居ると私の心は平穏を取り戻す。こんなにも多くの禿げた人間に囲まれているとまるで大雨の平日を図書室で本を読んで過ごしているように我が身を肯定されている気持ちにも陥るのだ。


 しかるべき食材を手に入れて会計を済ませ、スーパーを出る。冬空の下をひとりで歩きながら窓に映るハゲ頭を発見し、慌てて脱いでいた帽子を被る。卑屈な性格は生まれつきであるが、どうしてこんなにも日常が下降弧線を描いてドラスティックに変貌してしまったのだろう。

 あの日、地肌がほとんど剥き出しになった自分の後頭部を見て私の世界は変わってしまった。侵食は緩やかに。音も無く静かに背後へと忍び寄っていた。

 幾度と無い友人の忠告に耳を貸さず『自分はハゲていない』という根拠の無い自信はあっけなく事実に覆され、意識は攪拌された。

『私は禿げている』。どこまでも逃げ延びようと画策した走者に肩を掴まれて貫き通した思いはとうとう跪き、わずかにそよいでいた一片の誇りは澱んだ地に捻じ伏せられた。

『I'm bald』。あの日からは私は自分自身をそう認識せざるを得なくなってしまった。


 夕食を終えて日課となっているネットの海への現実逃避。とある掲示板では毎日毎夜、薄毛煽りに余念が無い。

 気晴らしにつけたTVではときの人となった某議員の暴言が繰り返し取り上げられ、変えた先のチャンネルではハゲの芸人がネタを披露しているが、ハゲているので笑えない。

 私は深く溜息を吐き出して汚れた六畳間の中央に寝込んだ。現世空想天上天下、何処にも逃げ場なんて無いのさ、と説いたのは仏陀だったか。

 だとしたらこの世はなんと無情な箱の中であることか。思い違いである事を願おう。

 思わず手に取った携帯の広告ですら世の中に薄毛治療を促している。ここまで来ると社会的権力を持つどこかの組織が私を追い詰めて迫害しようとしているのではないかという重度の被害妄想に陥ってくる。

 それならば。私は舌なめずりをして自前のノートパソコンに向き直る。

 もはや失うものは何も無い。信じてやろうじゃないか。その最新技術とやらを。

 気がつくと私はその携帯画面にサムネイルが浮かび上がった企業のホームページを開き、診察予約のメールを発信していた。

 崖っぷちに追い込まれたと来たら最期の瞬間まで抗ってやる。

 胸の奥で燃えている炎の色は何色だ?

 まだまだ私は自分が薄毛になったという事実を嚥下するなんて出来ない。

 思い出してみろ。

 夕食は、

 夕食は、、

 半額になったカキフライ定食とオクラ入りの海草サラダ。

 そうだ、まだ、

 何も始まっちゃいやしない。


       

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