Salut d’amour

 意識は旋律に溶け指先が鍵盤を踊る。そういう時は決まって視界にホットミルクを飲む男が映っている。私にとっては紛れもない日常だけれども、冷静に考えると妙なのはここがバーであると言うこと。ここ二年間、一営業日として休むことなく通い続けている彼はホットミルク以外の物を飲まない。
 いや、正確に言えば一度だけ、スコッチをロックで飲んでいた事もある。
 それは二年前に彼が一番最初にこの店に来た日のことで、同時にこのバーのピアノ奏者に――彼曰く『一目惚れ』をして――初めて告白した日でもある。
 結果は惨敗、必死に食い下がる彼に面倒臭くなった女が理由として口にした、『酒臭い男が嫌い』なんてのを本気にとったかは知らないが、それ以降彼がホットミルク以外の物を飲んでいるのを見た事は無い。
 一時間のステージは気が付けば終了。お客さんから拍手を貰って軽くお辞儀を。
 立ち上がりピアノから離れようとする私に、彼は今日もやってくる。常連しか来ない店、中には逐一彼の告白と私の返答をメモする人間までいて、最早一つのショーと言って良いかも知れない。ギャラ、交渉してみようかしら。
「薬指のサイズ、教えて?」
「ん……雨降ってないから駄目」
遡れば、同じようなやりとりを何百としているはずだ。

 店仕舞いの最中にマスターが明日で丁度五百回目だと言った。
「数えてたの?」
 二年前からまさか逐一数えているとは思わなかった、素っ頓狂な声も出るというものだ。
「毎日ホットミルクはインパクト強かったしね、気が付けば習慣になってたよ」
 からかいを隠さない満面の笑みで言うと、マスターはバックに引っ込んだ。何を飲むと聞かれたのでジントニックを頼み、その間にもテーブルを一つ一つ拭いて周る。
 一通りの作業を終え、カウンターに腰を掛けた所で丁度マスターも戻って来た。
 渡されたのはカップだった。
「ホットミルクだったよね?」
 苦笑しながら、けれどもカップは受け取る。口を付けると温かかった。
「傍から見てると恋人にしか見えないんだけどなあ。今日だって、仕事しないでアイツの周りで遊んでて。客は喜んでるけど、お前一応ウチの店員だぞ?」
「アイドルだから、みんなに愛されてるの。良かったじゃない、こんな子雇えて」
「タイミング逃すと後悔するよ?」
「それは、ヤだな」
「やっぱ好きなんじゃん」
 サラっとマスターは言うけれど、五百回も続けてしまうと尚更で、好きだなんてとても言えない。返答代わりに小さく肩を竦めてみせてからカップに口を付ける。ほんのり香る甘臭さは口に入れると柔らかくて、とても幸せな味だと思う。
「それな……アイツのカップ洗ってないヤツ。間接キスがそんなに幸せ?」
 突然そんな事を言われて、ホットミルクが口から吹き出た。
「小学生じゃないんだからさあ。それに衛生的に問題あるでしょ、店として」
「いや、幸せそうな顔してたから、つい。どう見ても恋する乙女って感じ」
 言われた瞬間、急激に頬が火照った。二十も半ばで未だに子供だ、情けない。
「間接よりも直接の方が、もっと幸せなんじゃない?」
 なおも続けるマスターに、もう笑うしかなくて。そう、その時に、何となく、本当に何となく、素直になろうと思った。
「ねえマスター。明日のホットミルク、特別甘くできるかな?」
「良いけどどうして?」
「甘くないよりも甘い方が、もっと幸せでしょう?」
「メープルシロップ、入れとくよ」
 有難うと言った私に、明日は全品無料にしようかなんてマスターは言った。



 ふと、視界に虹がかかって、それは窓から降ってきた夕陽のせいだ。
 我に返り、壁掛け時計に目をやると、随分と経っていた。気を入れ直して鏡に向かう。
 いつもはファンデーションも塗らない癖に、今日はグロスまで引いている。昔のコンクールで着たドレスなんて引っ張り出して、挙げ句サテンの白地だから、頭のどこかでウエディングドレスみたいだ、なんて考えている。調子乗りすぎの自分をほんの少し腹立たしくも感じつつ、けれどもやはりどうしようもなく嬉しい。最後に一つ、鏡に向けて微笑んで、自分の可愛さに胸キュン一つ。ボロアパートに鍵を掛け、向かうは職場のピアノバー。
 マスターは私の格好を見てまず笑い、今日の全品無料を本当に決めたらしい。
 開店時間が近付くと、ややフライング気味に顔を出した一人から情報は広まって、来る客みんなが片手に花束、小さな店は良いものだ。
 馴染みのみんなで酒を片手に彼を待つ、柔らかくてあったかな祝福の空気の中で、私は一人ピアノに向かう。今日の曲はアレで行こうかなんて考えて、頭の中で譜をなぞる。
 アンダンティーノ、緩やかなシンコペーションに始まる。メゾフォルテからデクレッシェンド、甘く、柔らかに、ドルチェ――愛する人に贈るにはこの上ない曲だろう。そんな事を思った、正にその時、扉が開いた。
 入り口に立ったままの彼と視線が交わる。突如沸いた歓声と共に、皆が彼を指定席へと押してくる。
「今日、何かあるの?」
 バーに溢れる盛大な笑い声に包まれながら、私は返す。
「今日も告白を?」
 対する彼は、その戸惑いを隠さない。
「駄目かな?」
 その言葉を聞いて、やっとだ、私はやっと胸をなで下ろす。
「今日のミルクは甘いから」
 マスターにちらと視線を向けてから、心得たと言わんばかりのウインク横目に彼の手を引きステージへ。
「いつも通りに、座って聞いて。終わったら、いつも通りに告白を」
 彼をソファに押しつけて、ドレスをふわりとさせながら、私はピアノへ舞い戻る。華麗な動作のマスターに特別製のミルクカップを渡されて、ほんのり呆けたような彼を眺めていると、微笑みが一つ溢れて咲いた。

 瞳を向ければ、そこに貴方が。ばれないように、深呼吸。
 ――Salut d’amour
 特別製のメープルミルクなんかより、ずっとずっと、甘い甘いこの曲を、アナタの為に奏でてあげる。音楽なんて殆ど知らないでしょうからこの曲のことも知らないだろうけど、本当はとっても意味があることなのよ?
 けれども私は許してあげる。五百回も好きだと言ってくれたから、お礼の代わりに聞かせてあげる。その代わり、いつもよりも甘いミルクをきちんと飲んで、それからいつものように告白してね。

 曲が終わって、もう私は立ち上がる。一曲弾ければ十分過ぎる、それに何より待ちきれない。ソファになんて座ってないで、ほら、立って。
「良い曲でしょう?」
 私は瞳を閉じるから。だからほら、ダーリン・ダーリンお返しを、何より甘いその唇で――触れた瞬間ミルク味。

                   了
短編なら読者増えそう(こなみ)という発想でとにかくお米が欲しくてはじめた短編集

https://www.youtube.com/watch?v=ayb6mC5FoDU

十二、三年前だと思うのですがVIPにBNSKスレというお題小説スレがありまして、その当時の文章です。
そのまんま再掲ではなく手は入れてあります、リメイクだから新都社的にもセフセフ(必死)
どっちみちもうあのスレ多分終わってるから時効やろ。

書いた当時は女性一人称で文体実験してみようみたいなことを考えながら書いていたはず。
今回短編やってみよっかなって思って掘り起こしました。
リズム重視で書いているのでそこ見て貰えると幸いです。

話の内容はクソオブクソ、当時のワイ割とマジでお薬飲んでたからね、仕方ないね。
良くこんなん書けたなあ(恥ずかしくないの?)っておっさんのワイは思いました、まる

基本ここでは過去の文章をリメイクして供養するみたいな使い方をする予定
反応なければ何事も無かったかのように流しますので忘れてあげてください。
使い方としてまずければ消すから許してクレメンス。

それより名人読んで!!!お米をください!!!!
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=7613
sage