Neetel Inside ニートノベル
表紙

あなたは炎、切札は不燃
理由

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 説得されるのは嫌な気分だったし、どうしてわかってくれないのかと悲しくなった。
 もっとこうした方がいいとか、どうしてそんなに屈折しているのかとか、そんなことを言われてもリザナの方が聞きたかった。
 どうして?
 そんな疑問に答えがあるのなら、自分は何も考えず、苦しまず、自由に心を解き放ったまま踊り続ける処刑人形でいられたはずだ。
 どれほど多くの瞬間を、そんなマリオネットでいたいと願ったことだろう。
 すべてを赦し、すべてを癒し、あらゆる傷を抹消してなんの破れもない純正の心臓を取り戻せるのなら、きっとリザナは神様に魂さえも売り払うだろう。
 もしそれが叶うなら、ただの一度も迷いはしない。誰でもいいから変身したい、もっと正しく、もっとふさわしく、そうできるならそうありたい。
 だが駄目だ。
 そんな魔法はどこにもない。かかりたくてもかかれない。
 真嶋慶は、容赦なく攻勢を貫いてくる。
 ドローに次ぐドロー、なにせ1ゲームに1ドローできるほどカウントを稼いでいるのだから、怒涛のごとく引いてくる。
 リザナにとっては後悔ばかりの失点が積み重なり、決意も信念も敗北という濁流を防ぐ防波堤の欠片にすらなってくれない。ベルトコンベアで運ばれていく殺菌処理された肉の缶詰を眺めるような心地になって、ただゲームが消化されていくのを黙って見過ごしていた。
 返す刀は、いつだろうと、彼女にだけは切れ味鋭く――

 とうとう真嶋慶は初手五枚破りから、さらに引いた五枚を破り、それまで積み重ねたドローカウントのすべてを蒸発させて、『五連続ドロー』というおそらくこのボディポーカー史上もっとも愚かで、もっとも輝かしい暴発に打って出た。欲しい手札にならなかったからといって、そこまでやるか――
 消費ドローカウント、30点。
 全13戦のうち、第12戦目まで到達してはいたものの、考えはしても普通ならやりはしない。
 だが、気持ちはわかる。
 リザナの手は左腕のファイブカードであり、勝つためにはそれ以上のファイブカードかレイズデッドが必要だった。
 そして慶にはファイブカードが必要だった。
 だから破いた。
 それから引いた。
 五枚連続、…………


 まるで猫が害虫の死骸を同居人に見せびらかせるように、
 テーブルの上に、真嶋慶が狩り尽くした髑髏が五つ、転がった。






 なぜ、望んだ札を引けるのか。
 それが真嶋慶の強さなのか。
 すべての賽の出目を決めている、無限の彼方にいる誰かはきっと、真嶋慶を愛しているのではなく。
 この、リザイングルナを愛していない。
 そう感じた。そう心から思えるような、一撃だった。
 卓上、電貨を見る。
 ラスト、20000点。もはや大勢は決したどころの話ではなく。
 あとはもう、どう終わるかという飾りの戦いでしかなかった。

 それでも、彼女はカードをくれる。
 祈るように丁寧にシャッフルして。
 リザナはエンプティの横顔を見上げた。
 視線が合う。その瞳の奥の歯車は綺麗な回転をし続けていて、リザナはそんな彼女が羨ましい。きっと自分は、そんな綺麗な目をしていないだろうから。
 負けるなら負けるでもいい。
 真嶋慶に与えられた命をその場で紙くずのように破り捨てる。
 彼が今まで、自分に贈られてきた数多の選択肢(カード)にそうしてきたように。自殺する覚悟も理由もある、だけど、
 だけど――……






「だいじょーぶですよ」

 エンプティは本当に何も考えていないのだとわかる笑い方をする。
 バカで、無邪気で、世界はきっと最後には自分のために回転してくれると信じている子供の笑い方。
 リザナはずっと、その笑顔が嫌いだった。
 だからことさら彼女に冷たく当たってきたし、傷つけるような言葉もかけた。そうして嫌ってくれれば、好きになる努力をしなくて済んだ。永遠に自分だけの凝り固まった夢物語の中に浸っていられた。
 賭博蒸気船に君臨する女王、バラストグールの天敵。
 そんな、与えられた役割に没していれば、本当の気持ちを踏み躙り続けるのは簡単だった。
 自分の真実に気づくなんて、英雄がやればいい。私は嫌だ。やりたくない。
 だから言ってやった。彼女を傷つけたくて。傷つければ傷つけるほど充実できた。この悲しみの切れ端だけでも、伝わるような気がして。

「知っていますか」



 勝負が始まる、前。
 真嶋慶が待つ賭場へと続く扉の前で、把手を握りながら、リザナはそれが凍りついているかのように微動だにせず、背後に控えるスレイブドールに声をかけた。

「私たち処刑官が、この蒸気船に反旗を翻し、自分自身を蘇生させてしまうことができない理由を」
「え……」
「真嶋慶のようなバラストグールたちは、死後なお未だ己自身として存在している。でも、私たち処刑官はもう、生前の自分自身ではない。改変され再編され手直しを加えられた、別の存在なのです。もし、そのまま生き返ろうとすれば、魂を定着させるための器が必要になります」

 そう――あのザルザロスのように。
 従僕・シャムレイのボディを乗っ取ってでも、存在し続けることを選択したあの賭博師。
 彼のごとく強靭な精神力が無ければ、たとえ人形のものといえども自分のものではない器を奪うことなどできはしない。他人を自分と錯誤するのは、それほど重い熱を要求する。

「真嶋慶は、最初から、私を蘇生させるためにこの蒸気船に乗り込んだ。その彼が、最初に欲したもの――それはなんだったのでしょうね」

 言葉のナイフを心で踊らせ、何度もリハーサルを繰り返しながら、
 その切れ味を楽しもう。

「死んだ恋人を生き返らせるための器――それはきっと、」

 リザナは振り返り、エンプティと視線を繋げる。
 二人はどこか、姉妹のように似通っていて――

「エンプティ。あなたはどうします? もし、所有者である彼が、あなたをただ利用しているだけだとしたら――もしそうだとしたら、あなたは変わらず、あなたでいられ――」

 痙攣し続けるリザナの唇を、エンプティの人差し指が塞いだ。目を丸くするリザナに、エンプティは微笑む。迷子になって母を呼ぶ子を安心させるように。
 一言、














「知ってます」










 カードが配られる。
 めくって見て、ため息を吐き、気を取り直して、チェンジする。
 同じカードを引き直し、プレゼントされたのは、捨てた札。
 そのどうにもならない手札の角を撫でながら、リザナは思う。
 エンプティ、あなたは嘘つきです。
 死ぬ覚悟ができている、そんなのはデマカセだって、こんなに弱い私でもわかります。
 あなたはもう、この蒸気船の向こうにある夢に気づいてる。
 それなのに、運命だからと、その身も心も、私たち二人の犠牲になろうとしている。
 あなたにはなんの関係もないのに。
 あなたは何も悪くないのに。
 だからね――


「ドロー」


 リザナが呟く。疲れ果てたその表情から発せられたとは思えないほど、強い声音で。
 エンプティが一枚、札を卓に置く。すでにその場は限界電荷、リミットまでチップは積み上げられている。
 頭部、胸部、右腕、右脚、左脚――
 ただの一枚もペアがないその手札で、リザナがもう一枚、引く理由。
 慶は、すでに手札を開けている。
 最後はもう、チェンジする必要すらなかった。初手から引いた、その五枚――数珠のように連なるしゃれこうべ。そのファイブ・ヘッドに勝つために、成すべきことはただ一つ。
 リザイングルナは、引いた一枚を、開いた五枚――頭部、胸部、右腕、右脚、左脚――から突き割いて、真嶋慶の前まで弾いた。賭博師の視線が、その図柄を捉える。はっきりと。


 左腕、

     ――レイズデッド。


 慶はそれを見て、投げ渡された勝利宣告の札をぐしゃぐしゃに握り潰し、しばらく動かなかった。だが、そんな光景はもう、リザナの目には入っていなかった。
 手元にわずかに戻ってきた電貨のことも、どうでもいい。心に映るは、あの笑顔。今、自分に驚愕と動揺と――そして捨て切れぬ親愛の表情を向けてくる、彼女のこと。
 大丈夫ですって、エンプティ? 自分は全然気にしてないから、慶様が望みを叶えるのが一番だから――そんなの全然大丈夫じゃないから。そんなの全然ダメだから。
 だから、負けられません。
 私も、知ってしまったから。
 あなたのことを。
 エンプティ――


 あなたは、空っぽなんかじゃない。











「……終わったな。これから電気椅子のターンに入る。二人とも、準備を……」

 金勘定をする哲学者のような表情で、歯切れ悪く仕切るヴェムコットに、慶が首を振った。

「そんな必要はない。これで済む」

 言って、捨て札の中から適当に拾った三枚を、テーブルに伏せて置いた。

「当たってたら呼んでくれ。いい加減、気が滅入った。ちょっと外に出てくる。ヴェム。火、貸せ」

 渋々差し出したヴェムコットのライターの火灯りで安煙草の先端を焼いて紫煙をくゆらせると、慶は蜃気楼のように出ていった。はっと我に返ったエンプティが待って待ってとばかりに追いかけていく。

「……これまで一度も当てていないくせに、どういう心算なんだかな。リザナ、君はどうする?」

 リザナは首を振ると、四枚の札をヴェムコットに見せた。ディーラーは、優しい沈黙で首を振る。ふ、とリザナも吐息をつき、

「休憩にしましょう」慶の伏せた札を見て――そこに自分の切札がないことを確かめると、
「ヴェムコット。あなたも一服してきてください」
「しかし――」

 くすっと微笑み、いたずらっぽくリザナはヴェムコットを見上げる。

「一人じゃ寂しいんですか? 子供ですね」
「……バカなことを言うな、人形は、人間を慰めるためにいるんだ。逆じゃない」

 君はおかしい、どうかしてる、とぶつくさ言いながらヴェムコットも上着を椅子にかけてシャツをくつろがせ、雲を踏むような足取りで出ていった。その背中を姉のような目で見送ってから、リザナはゆっくりと瞼を閉じる。綺麗な闇。
 もう一度、目を開けると、それまで慶が座っていた席に、見知らぬ男が腰かけていた。
 よう、と手を上げてくる。

「はじめまして、リザイングルナ。……探したぜ?」

 誰です、と問うと、その男は、アルクレムと名乗った。
 ……聞いたことがない。

       

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