一振りの質問





「いやいや大変だったんだぜ」とその男は、鞘に収められたナイフを掌に繰り返し当てながら、自らの武勇伝をリザイングルナに語った。

「俺は下級官僚だからさ、上司の言うことは絶対で、夜中に現場に行けと言われたら行くし、太平洋上の豪華客船に泳いで行けと言われればそりゃあ行くさ。すまじきは宮仕えっていうのは本当だねぇ。俺は我が身が悲しいよ」
「……あなたは何者です? どうやってこの船に乗り込んだんです。……私の許可もなしに」
「だから泳いで来たのさ、遠路はるばる。サメに追われるわ、渦潮には飲まれるわ、無人島には辿り着くわ……これだけで映画一本くらいの撮れ高あるよ、実際」
「ふざけないでください。処刑官としての私の権限で、あなたに降船を命じてもいいのですよ」
「おいおい、なんてこと言うんだ。こんな苦労してやってきたっていうのに……俺はどちらかといえば、あんたの味方だぞ?」

 リザナは不思議そうに、目の前に座る男を見た。考えるのをやめたような原色の花柄を刺繍したシャツに、生乾きのデニムズボンを履き、安物のサングラスをかけたり外したりしている。いかにも不審人物であり、突如としてこの幽霊船に登場したのでなければ、三文映画の端役がふさわしいだろう。……五つのパーツを奪取したバラストグールでもないのに、リザナの前に登場できたということを除けば。
 この区画への出入りは、資格者以外は禁じられているはずである。

「誰です、あなたは」
「アルクレムだよ、知ってるだろ?」

 ふざけた男だ、知るわけがない。

「フィブリオは知っているのですか、あなたのことを」
「あいつのことも探してるんだけどね。その調子じゃ、やつはやっぱり顔を出してないらしいな」
「だったら、なんだと言うのです」
「べつに。ただ、どうしようもない嘘つきを一人見つけただけだ」

 アルクレムは外していたサングラスをかけ直した。ニッと胡散臭い笑みを浮かべたので、リザナは眉をひそめた。どうにも軽薄な印象が拭えない。生まれつきなのか、それともわざとか……

「さて、邪魔者がいなくなったところで、ようやくあんたと話ができる」
「邪魔者……?」
「エンプティだよ。あのヤロー、二人の邪魔をするなって俺を船倉に閉じ込めやがった。錠前破りに五時間もかかっちまった。いや、久々に本気を出したよ。……で、だ」

 リザナへの挑戦者が座るはずの席に腰かけた男は、頬杖を突いてリザナを見た。

「俺が何者かは言えない。だが、俺はあんたを助けるために来た」
「都合がいいですね、どう信じろと? ……最近、どうも似たようなセリフばかり聞きます」
「真嶋か。あんたを生き返らせに来たんだってな」
「……なぜ、それを」
「有名だぞ? あいつの未練たらしさは」

 アルクレムは苦笑いしている。その意味をリザナは理解できない。

「ただ、あいつが勝負じゃなく、他人に執着するなんて、ちょっと驚きだけどな」
「……彼を知ってるのですか。生きていた頃の彼を」
「まあ、あいつは人に迷惑をかけて歩き回る天才だったからな。どこの町でも一騒動起こしてから雲隠れしやがって……後始末は全部他人任せなんだからな」
「……ああ、なんとなくわかります。想像がつく」
「わかってくれる? 俺たちの苦労」ううっとアルクレムが袖で目元を拭う。
「ああ、やっぱり、あんたはいい人だ。来てよかった」
「……そうですか」リザナは少し身を引き、暗がりの中に溶け込む。
「どうした?」
「べつに」
「……はあ。俺もいつかはモテてみたい」

 アルクレムは天を仰いでから、ふう、と男なら誰しも一度は経験するため息を吐いてから、ズボンのポケットに左手を差した。何かを取り出す。
 それは――

「……封筒」
「これにはあんたの『欲しがってるもの』が入っている」

 指先で挟んだ無地の封筒をアルクレムは振ってみせた。赤い蝋で封印されている。何か紋章のようなものが刻まれていたが、リザナにはよくわからなかった。

「上司からの依頼でな。あんたにこれを届けるようにって」
「……私の配属先でも変更されるのですか?」
「いやいや、こんな賭博船が何隻もあっちゃ敵わない。一隻で充分なんだよ、こんな悪夢はな。そう――ま、開けてみてからのお楽しみ。配当がわからないほうが、宝くじは面白いだろ?」
「べつに」
「ああ……そう……」

 今度はさすがにがっくりしたのか、アルクはうつむいていたが、

「ま、そういうわけで、俺は素直にこれをあんたに渡してあげてもいいんだが……」
「それじゃつまらない、と」

 ふう、と今度はリザナがため息をつく。耳にかかった銀髪を指先でかき上げ、デキの悪い弟を見る姉のような視線を飛ばす。

「単純ですね」
「……どうも」
「いいでしょう。付き合ってあげます」
「へえ……俺が言うのもなんだが、どうして?」

 リザナはちょっと考えてから答えた。

「そんな気分、なんです」
「そうか……じゃ、せいぜい楽しんでもらおうかな」

 言うと、アルクはずっと弄んでいたナイフの鞘をすらりと抜き放った。

「野蛮なゲームを?」
「まさか」

 リザナに向けられたその刃には、すでにべっとりと血糊がついていた。もう何年も前に付着したのか、油彩のようにこびりついているのが見て取れる。
 リザナはそのナイフをじっと見つめていると、どこか心が遠のくような感覚を覚えた――なんの変哲もない、サバイバルナイフ。
 アルクはそれをテーブルに置くと、くるりと刃を自分の方に向けた。握りをリザナに寄せる。

「俺が君に質問する。イエスか、ノーか。もし当てられれば、この封筒をやるよ」

 リザナはなんの具体的な動機もなく、この罪のない遊戯を中止したくなったが、それを告げるには一瞬ばかり遅かった。








「このナイフについた血痕は、あんたのものだ」





「あんたは、自殺したんだ」




















        「イエスか」









                   「ノーか」