いつだって負けたくはなく


 煙草をくれ、と真嶋慶が言い出した。ヴェムコットは新品を渡そうとしたが、慶の目が自分の胸ポケットの膨らみに注がれているのを見ていることに気づいた。封を切って半分ほど残っている煙草から一本、抜き取って差し出すと慶はそれを受け取った。

「おまえ、吸うのか?」
「いや」と首を振りながら、慶は煙草に火を点けた。マッチの燃えさしがまた一本、灰皿に溜まる。
「なら、どうして」
「火が見たくて」

 不思議な男だ、と思った。
 その言葉通り、美味そうに煙を吸い込むわけでもなく、ただ短く焦れていく煙草の先で、呼吸と引き綱に瞬く螢火を眺めているだけだった。火を見ていれば、今の失点が取り戻せるのか、と聞こうとして、ヴェムコットは沈黙を選んだ。
 2万点の負け。
 それをどう考えるかは本人次第だ。
 だが、ヴェムコットには、たとえドローカウントを稼ぐための布石だったとしても、高すぎる代償に思える。
 このボディポーカーで重要なのは、13回戦あるカード戦ではなく、本命の電気椅子にある。どれほど稼いでも、豪華絢爛な勝ち筋を見せつけようとも、その本命を外せば何の意味もない。
 それを理解していない真嶋慶ではないと思うが、いずれにしても確かなことは、元手がなければ電気椅子はできないということ。持ち点がなくなれば、その場で電気椅子が始まる。持ち金は買うことも借りることもできない。
 慶が電貨を投げた。

「やろう。カードをくれ」
「おまえの番じゃない」
「は?」

 ヴェムコットは肩をすくめた。

「手番は、勝利者のものだ。一戦目を取ったリザナから始まる」
「じゃあ、負け続けたらずっと後手にまわるのか?」
「ああ。それが嫌なら、勝て。そういうルールだ」

 ヴェムコットがエンプティを見た。

「彼女にカードを配ってくれ」
「はい」

 エンプティがリザナに五枚配る。リザナは参加費の5000点を出そうとして、最初の賭け金に乗せればいいことを思い出したのか、手を引っ込めた。
 なかなか手札を見ようとしない。

「……ずっと後手、というのも悪くないかもしれませんね」
「なに?」
「さっきのあなたのように、先手が手札を見てしまった後から、手札を破棄してオールチェンジしてしまえば少なくとも2万点のリスクで、ドローカウントを大量に増やせる。それにこのポーカーでは、案外あっさり、それで勝ってしまう手札を引けるかもしれない」

 慶は煙越しに、饒舌なリザナを観察している。あるいは、その戦術論に図星でも突かれたか。

「勝者には、稼いだ電貨での圧力を。敗者には、破棄による逆転の目を。そういうこと、なのでしょうね。きっと」
「だとしたら、どうする?」
「こうします」

 エンプティから配られた五枚。
 そのうちの二枚を、リザナは拾った。見て、また伏せる。そして見なかった三枚を、やはり慶がやったのと同じように粉々に破り捨てた。唖然とするエンプティを、リザナは見上げた。

「くれますか」
「え……?」
「ドローカウント」

 エンプティは二の句が継げなくなっていた。事実、慶が初めてやった灰色の戦法のアレンジをいきなり打たれては、この少女人形にそれを処理しろというのは無理があった。助けを求めるように見られて、ヴェムコットはため息をつく。

「リザナ。おまえまで、そんな滅茶苦茶を」
「ごめんなさい、ヴェムコット」
「……どうする、真嶋。電話して、また確かめるか」

 聞かれた慶は、じっと口先の煙を眺めながら、答えた。

「いや、いい。聞かなくてもわかる」
「いいのか?」
「ああ。そもそも、俺がやり始めたことだ。それより、気になるな、その二枚……なにを見て、残そうと思ったんだ?」
「ただのペアですよ」とリザナは案外に素直に答えた。慶を見つめ返し、
「気になりますか?」
「そうだな、気になる。凄く重要な気がする。でも、それを見たかったら、賭けなきゃいけないわけだ?」
「ええ」

 リザナは、闇の奥から白の手で、電貨10枚をカウンターの光に上げた。

「これだけ失ってもいい、その価値があると思うなら」
「あるよ」

 慶は自分の手札をそのとき初めてめくった。エンプティがわずかに目を見開く。慶もまた、挑発的なリザナに付き合ってまた五枚破棄に至ると想像していたのかもしれない。だが慶は、1万点を賭け金として納めると、当たり前のように一枚チェンジだけで済ませた。すでにリザナは補給の三枚を受け取っている。それを見てから彼女は告げた。

「レイズ、10000」

 静寂。
 ただ、誰かの呼吸の音が聞こえる。魂にも酸素が必要なのかもしれない。
 燃えるために。熱くなるために。
 少なくとも慶は、降りなかった。最大電貨を受けて、それぞれの手札をディーラーが開く。



 リザナの手は、胸部、胸部、右腕、右腕、右腕(2-3)。

 真嶋慶の手は、右腕、右腕、左腕、左腕、右脚(2-2-1)。



 ヴェムコットは、開かれた十枚のカードを見ながら、かつて友のように慕っていた男の言葉を思い出していた。彼は強く、気高く、そして孤独だった。そんな彼が、皮肉げによく言っていた。

 ――イカサマをする。それはいい。ルールの裏を突く。見事なもんだ。
    だが、一度やってしまえば、相手も必ずそれをやってくる。
    その覚悟がないのなら、やるな。