Neetel Inside ニートノベル
表紙

あなたは炎、切札は不燃
かく語りきアルクレム

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「……今、私がどんな気分か、わかりますか?」
「ああ、もちろん。ほら、頭痛薬だ。たっぷり持ってきてやったぜ! うまい水でたんと飲め」
「あなたは、人を励ますのが下手ですね」
「そうかな?」

 すっとぼけているアルクレムを恨みがましげに睨みつつ、リザナは錠剤の山を死ぬほど水で流し込んだ。が、何も起こらない。
 目頭を何度も揉んだが、破れ鐘が鳴るような残響が脳裏から離れない。混じりっけなしの、本物の頭痛。

「あの人が、私の、夫……ですって?」
「うーん、ご愁傷さま」
「理解できません。あなたは嘘をついています。第一、それならそうと真嶋慶が言ってくるはず」
「いやいや、ないない。どんだけ恥ずかしいんだ? 恋人って誤魔化してるだけでも立派なもんだよ。嫁さん探して地獄の船とは、もはやお伽噺だもんなァ」

 うんうん、と腕を組みなにやら納得しているアルクレム。

「俺はびっくりしたよ。生きてた頃のあいつは、人のために動くようなやつじゃなかった。相当、あんたが死んでショックだったんだろうな」
「……あなたは、何者なんですか?」
「俺? 俺は、あいつに金貸してたんだよ。まだ返してもらってない。そんなやつらが大勢いて、俺はその代表者ってところだな。ま、貸した分はきっちり返してもらうつもりだけど」
「……私に何をさせたいんです。彼に勝ってほしいと? あなたは何を望んでいるんです、アルクレム」
「応援してるんだよ、あんたを。……さ、第二問だ」

 アルクレムはテーブルの上で光を放ち輝く指輪を示した。よく見ればそれには、値札がくくりつけられている。リザナはそれをとても距離感のある目で見た。

「……彼らしいですね。結婚指輪に値札ですか。いかにもやりそうなことです」
「嫌われてるなあ……当然だけど……って言っても、それはさすがにあいつが取り忘れたわけじゃない。いくらって書いてある?」
「知ってるのになぜ聞くんです。……30万、とあります。彼の月給袋の中身は10万円ですか」
「あいつは働いたことなんかないよ、煮ても焼いても喰えないんだから。……この指輪に、あんたが殺された原因が書いてある」

 そう聞いて、リザナは改めて、そろそろと指輪に手を伸ばした。それに触れれば、存在してほしくなかった真実と、……それをどう自分が受け止めるかを知ってしまう気がした。
 手に取る。
 指輪は安物とも、高級とも言えない。ありふれた初婚の夫婦がつくる標準的な指輪に見えた。

「とても、泥棒が人を殺してまで手に入れようとするとは思えませんが」
「それが答え?」
「いえ……」

 アルクレムは『書いてある』と言ったが、イニシャルの刻印――そう、それはどうやっても消せない――と、紐でくくられた値札の数字以外は、傷一つないリングが艶やかに円環を描いているだけだった。
 まさか、

「顕微鏡はお借りできますか?」
「……オーケー、俺が悪かった。どんなに細かい文字であろうとも、真相がその指輪の表面に刻まれているなんてことはない。あくまでそれそのものをヒントにして、答えに辿り着いてくれ。……本気なのが怖いんだよなァ……」
「何を言ってるんですか、冗談に決まっているでしょう?」
「そうか? じゃなんで目逸らす?」

 リザナは咳払いして、再び指輪に視線を戻す。
 アルクレムは口笛を吹きながら、壁にかけられた絵を眺めている。それはどこか、夕焼けの町を描いた油彩だった。

「質問していいですか」
「どうぞ」
「殺された時、私はこれを嵌めていましたか?」
「ああ、嵌めてたよ」
「つまり、持ち去られていない?」
「そういうことになるかな」

 核心を着く質問だったのか、それともトボけているだけなのか、アルクレムはそっぽを向いている。リザナは考える。――どうやら、金銭が目的ではなかったらしい。
 では、なぜ自分が殺されなければならなかったのか?

「彼は、……その頃、どんな暮らしをしていたんですか?」
「決まってる、博打だよ。負けてはいなかったけど、いつも金が無くってな。人から借りたり質に大事なもの預けたり……勝ったら退けばいいのによ、もっと強いやつとやるんだってアクセルしか踏みゃーしない。はた迷惑なやつだったよ」

 なにか苦い思い出でもあるのか、アルクレムは渋く顔をしかめている。

「私は、……そんな彼のことを、なんて?」
「それは、『思い出してくれ』としか言えない」
「……好き、だったのでしょうか。それとも何か事情があって?」
「どうなんだろうな」
「教えてください、アルクレム。あなたは、知っているはずです」

 アルクレムは、リザナを見た。真紅に染まった瞳が、リザナの亡色(モノクロ
)の相貌を捉える。

「そんなの簡単だけどさ、そういうのは、自分でやりなよ」
「……それは、どういう意味です?」

 アルクレムは腹の上で手を組んで、それきり答えなかった。初めて見たかもしれない、明確な拒絶の意思を感じて、リザナは思わず怯んだ。
 なにか理由がなければ、アルクレムはここまで頑なな態度を取らないだろう。
 それはきっと、真嶋慶への『感情』を思い出せる方法が、今、自分にはあるのだ。それは一体……
 ……指輪を見る。
 その使い方を、いまさら思い出したふりをして、
 リザナはやや躊躇った後、それを左手の薬指に嵌めた。
 ――吸い付くように、リングは指に絡まった。
 名も知らぬ宝石が、リザナの髪と同じ色の輝きを湛えている。
 リザナは、ふっと吐息を漏らした。

「ああ、確かに。アルクレム、あなたの言う通り。この方法でなら、誰かに聞かなくても、自分の気持ちに確信が持てます。あなたにも、いらない気苦労をかけなくてよかった」

 ゆっくりと、リザナは言った。

「私は、彼を愛してない。――愛そうと、したのかもしれないけれど」

 外された指輪が、持ち主を失ってテーブルに置かれ。
 アルクはリザナの言葉を、吟味するように目を細めてから、口を開いた。

「……自分で思い出せたなら、俺もそれに応えないとダメだな。教えてやるよ。
 真嶋の親父は、正真正銘のクズだった」

 思っていた答えと違い、リザナは戸惑った。が、構わずアルクは続ける。
 何かを見つめながら。

「俺は一度だけ会ったことがある。真嶋が金持ちの御子息様だってのは、仲間内じゃ有名だったからな。噂話ってのはどれだけ本人が隠そうとしたって、余計なことするバカが探し出してくるもんだ。弱味になるかもしれないしな」
「……そんな裕福な家の生まれだったのなら、なぜ、賭博なんて……」
「きっかけは知らない。だが適性があったのは確かだ。元々、あんな家には馴染めなかったんだろうよ。子供から大人になる前にあいつは家を飛び出した。あいつの家は地元でも有名な資産家で、親父はガキの頃から嫌味なくらい頭が切れた。ドブくさい下町から輝かしくも司法官が出たんだから、そりゃあ真嶋家は町の誇りだ、くらいには持て囃されるさ。当然、実の息子にも期待の目は向くわな」
「それが、嫌で?」
「息子に期待をかけるくらいならまだ可愛い。あいつの親父はね、人間をモノとしてしか見てなかった」
「モノ……」
「べつに珍しい話じゃないと思うんだ。優秀な人間ってのは、大なり小なり壊れてる。そういう連中が、医者になって患者の腹を切り裂いたり、目を覆いたくなるような殺人事件に無罪の判決をくだせたりするんだろうさ。それは認めるよ。世の中、綺麗事じゃ回ってない」

 だが、とアルクは声に力を滲ませた。それは苦痛に呻く魚が、面白がった釣り師に腸ごと握り潰される瞬間のような声だった。

「勝負の世界でズタボロにされて、勝ったのか負けたのかもわからなくなって、真嶋は一度だけ、実家に帰った。風呂でも沸かしてもらえれば、それで全部丸く収まったのかもな。あいつはちょっと火遊びをした名家の息子、そこで軌道修正して、ちゃんとまともな人生を送れたのかもしれない。だがあいつの親父は――」

 神に記憶の閲覧でも許可されているのか、それとも――誰にでも共感し過ぎてしまうほど優しいのか。
 アルクレムは、まるでそこにいたかのように語り続ける。自分自身こそが真嶋慶本人であるかのように。

「泥まみれで帰ってきた息子を蹴り倒して、メシも喰えず弱ったところが好機に見えたのかな、腹に何十発も革靴の爪先を叩き込んだ。頭抱えて逃げ惑う息子に傘の先端突き立てて、家中を追い回してな。――あいつの親父は狂ってたよ。だから、そういうやつが人間をどう扱うのかって言ったら、決まってる。泥まみれどころか血吐いて蹲った真嶋の前に、あのクソは一枚の紙っぺらを差し出した。そしてこう言った。
『俺が用意してやった女と結婚したら、言い値で金を貸してやる』
 ――人の気持ちはわからないくせに、人の弱味はしっかりと把握してやがる。真嶋は、もう勝負するには誰かに金を借りるしかない。それもちょっとやそっとの端金じゃ博打はできない。あいつの親父はそれをよくわかってた。
 だから」

 アルクはリザナを見た。
 リザナは、石のように動かなかった。
 悲しさも、苦しさも、あるのかどうか、わからなかった。

「あんたが誰なのか、よくは俺も知らない。あいつの親父の有利になる駒だったのは間違いないけど、もうあいつの親父もくたばって、あの世で裁かれた。だからもう真実は真嶋しか知らない」
「――この指輪は?」
「見よう見まねで、あいつが買ってたよ」
「そう、ですか」

 リザナは、疲れきったような微笑を浮かべる。

「私はその頃から、人形だったのですね……それなら、もう、消えてしまえばいいのに」
「やめてくれ」

 アルクレムは首を振った。

「あんたに、最後まで不幸でいて欲しくない。最後くらい、笑っていて欲しいんだ」
「できるかな、私、気づいてしまいましたよ」

 リザナは慈しむように指輪をテーブルライトに掲げてみせた。

「これ、……質札でしょう?」
「…………」
「自分の痛みは、誰かにも与えたくなる。私、凄くその気持ち、わかるんですよ。だから、……彼は自分の持ち物を質に入れて、お金を作ったんですね。モノも、……人も」
「言い訳するわけじゃないし、弁護しているわけでもない……それでも、あいつは人を賭けて勝負をした時は、一度も負けなかった。ただの一度も、だ」
「でも、そんなの関係なかった」

 リザナは指輪を、掌からそっと零した。カーペットに落ちた指輪はトトンと軽く着地して、コロコロと転がっていき……やがて見えなくなった。

「質屋に預けられた品は、高い値をつけた買い手がいれば流される。……そういうことでしょう?」
「……あんたには、あいつを憎む権利がある」
「そんな価値、ありますか。あの人にも、……私にも」

 リザナは笑った。

「ないですよ、そんなの……」

       

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