Neetel Inside ニートノベル
表紙

あなたは炎、切札は不燃
どこにでもよくある、やられるととても困る

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「そうしよう。では、エンプティ」ヴェムコットが指先で招いた。
「俺と場所を入れ替われ」
「あ、はい」

 エンプティは名残惜しそうに慶を見た。気まぐれな主人は肩をすくめる。

「いけよ。さすがに、身内がカードを配るのは、な」
「はい……でも、わたしはイカサマなんて、できないのに……」
「おまえはルールを破れなくても、あっちの男が破れる変わり種かもしれない。向こうが言い出さなきゃ俺が言ってたよ」

 疑われるのは心外だろうけどなあ、と慶はにやっと笑ってみせる。エンプティも心細げに微笑んだ。
 この最後の勝負で、主を傍で支えられないというのは胸がちくりと痛む。今はいい。まだ始まる前だから。後悔も不安も鍵を掛けてしまえば出てこれないくらい小さなもの。だが、勝負が進めば、それはどんどん膨れ上がってエンプティを苛む。大事な時に、大事な人のそばに、おまえはいなかったのだと、誰よりも自分自身に責められる。それに返す言葉を、用意できる気がしない。
 動こうとした時に、反対側でリザイングルナとヴェムコットが軽く握手しているのが目に入った。その仕草は一瞬で、固く無事と勝利を祈り合うような格式ばったものではなかったが、だからこそお互いを信頼していることがわかるような、そんな握手だった。
 あの二人は――どういう関係なのだろう? エンプティはあのヴェムコットという男を知らない。船医と名乗っていたが、バラストグールやフーファイターに医者が必要なのだろうか。主治医、という単語が胸をよぎる。リザイングルナは、どこを病んでいるのだろう。それは、勝負にとって差し支えるようなものなのだろうか。だが、今までこの“鹵獲された雄”号で製造されている肉体が全部位奪還されたという話は、聞かない。少なくとも負ければ消滅するフーファイターという存在は、そこにいるだけで不敗の伝説なのだ。
 銀色の瞳をした女が、動こうとしないエンプティを無感動な眼差しで見つめてきたので、慌てて人形は目を逸らした。そして今度はやはり動こうとしないエンプティを不審そうに見ている主と目が合った。そんなに早く行って欲しそうにしなくても、と軽く黒い気持ちを芽生えさせながら、エンプティはスッと右手を差し出した。
 握手を求める、別れとは違う気持ちの掌。

「エンプ」

 それを見て、慶は表情を和らげるとおもむろに彼女の腕を掴んで手相を見始めたので、エンプティはそれを笑顔で振り払い、切り返しの拳が阿呆の肋骨を直撃した。悶絶である。肩を怒らせながら、ずんずんとスイングドアを抜けて真向かいに立ったエンプティを、リザナがじっと梟のように見つめていた。驚いていたのかもしれない。

「……大丈夫か?」ヴェムコットは心配そうだ。
「……そう見えるか?」慶はまだ突っ伏している。
「あ、あいつ……気を紛らわせてやろうとしたのに……」
「仕方ない。女性というものは、男性の気遣いよりも自分の感情を優先する」

 なんとなく、自分を見つめる女性二人の視線に冷たいものを感じたのか、ヴェムコットは軽く咳払いしてから、三人を見回した。

「本題に戻ってもいいか? よければ、ゲームを進めよう」

 懐からディーラーは、煙草ケースほどの大きさの黒い箱を取り出した。封印しているセイフティシールが張り詰めており、中身がぎっしり詰まっていることが見て取れる。エンプティもそれに倣い、制服の内ポケットから(それにしては、生地が膨らんでいなかったが)奇術師のようにケースを取り出した。ただし、その色は灰濁りの白だった。

「これがボディポーカーのデッキだ。二人のディーラーがそれぞれ、目の前の相手にカードを配る。チェンジの時もそれぞれから」
「交代はないのですか?」とリザナから質問が出た。肋骨を痛めた男は、どちらかといえばその疑問に迷惑そうな顔をしている。
「してもいいが、べつにしない。もともと我々はこの蒸気船で定められたルールを破れない。だからどちらの陣営にどちらの人形がカードを配ろうと、不正の余地はない」
「だったら、べつにディーラーも一人でいいんじゃないか?」脇腹を擦りながら慶が言う。エンプティは睨んでいる。
「賭博師らしい発言だな」それは嘲笑というより、どこか懐かしげだった。
「だがな、真嶋慶。ゲームというのは勝つか負けるかだけじゃない。人数は多い方がいい。それだけ得るものも、語るべきことも、あるはずだ。ゲームというものは、元々そういうものだった。いつかどこかで、何か穢れた価値観と分岐してしまったようだが」
「とりあえず、暴力禁止をルールに入れてくれ」
「まだ痛いんですか」呆れたように加害者が言う。
「……それぞれの陣営の方針にかかわることは、俺は特に縛ろうとは思わないよ。目の前でデッキからカードを抜いたりしたら、罰則は与える。不正行為は全点没収。即座に電気椅子へと座ってもらう。いまのところ、それ以上のペナルティは考えていないが、ゲームの展開次第では考えるかもしれない。だが、基本的に自分で蒔いた種は自分で刈り取れ」
「ずいぶんふわふわしたディーラーだな」ため息をつき、
「気に入ったぜ」
「そうかい。普通にしてるつもりなんだがな。ま、いいさ」

 ヴェムコットは箱の封印を破った。それが千切れる音を聞いた二人の雰囲気が細い綱のように張り詰める。エンプティも白い箱を開け、六枚をリザナの前に表にして並べた。頭部から脚部までの六種。

「確か、一種十二枚だっけ? 二人でデッキを均等に分けてたら、その時点で一種六枚になるんじゃないのか」
「この白と黒のデッキは唯一無二の組み合わせで最初から混ぜられてる。一ゲーム終われば交換するし、山札の残り枚数を気にする必要は、ほぼ無い」
「ありがたいね」

 慶は目の前の六枚を手に取った。リザナも、慶の斜め前で背の青いカードを一枚拾って眺めている。

「二人には切札を選んでもらう。練習なしだから、心して選んでくれ」
「どれでも一緒だろ。最初なんだから」
「知ってるくせに」
 
 リザナが慶に無瞥(むべつ)で呟いた。

「札の種類に強弱がある以上、強いカードを切札にすれば自然とカウントを拾える。それを見過ごすあなたじゃないでしょう」

 どうやって選べばいいんです、と尋ねるリザナにエンプティが、どことなく緊張した面持ちで答えた。

「一枚選んだら、それをディーラーに渡して頂けたら結構です。もちろん、対戦相手には見えないように。故意ではなく見えてしまったら、それに罰則を加えることはできませんから」
「ありがとう」それは聴く者の心を冷却するような声音だった。
「私は、これにします」

 一枚の札が裏のままエンプティに渡される。彼女はそれを見て、ビリビリに破いた。

「残りの札も、破いてしまってください。通常のゲームで使うカードと同じで、紛らわしいので」
「面倒くさいな。どうせなら切札は赤とかにすりゃいいのに」

 文句を垂れながら慶がカードを破いている。すでに自分の選んだカードはヴェムコットに渡していた。

「山札は、最初からこの切札分を追加で封入してるのか?」
「ああ。最初の回で使うデッキにだけな。二回戦目から電気椅子までは、切札は変わらないから」
「便利なんだか、ややこしいんだか……しかし、こんなやり方で、千切ったように見せかけてカードをこっそり隠し持ってるやつがいたら、どうするんだ?」
「そうなる」

 ヴェムコットが指差す先を、ん、と慶が見る。赤シャツの胸ポケットから黒い煙が立ち昇っていた。慌てて何かを取り出し、カウンターに叩きつけると、やはり紛れもなくボディポーカーの絵札だった。しなびて枯れ切った男の肉体が描かれている。古代の王族のような、装飾ばかり輝くミイラの頭部だった。

「山札や、切札からカードを盗んで自分の手札に加えようとしたら、そんなふうに札が燃えるぞ。……それにしても、凄いな。まったく気づかなかったよ。まるでガンマンだな。いつ抜いた?」
「知らねえよ、見えないからな」気取ってほざいた割には瞬く間に露見して立つ瀬がない慶だった。
「俺の手癖も見破れないんじゃ、困るんじゃないか?」
「そうでもないさ、誰かが見てくれてる。悪いことはできないもんだ」
「ああ、ほんとにな」慶は火傷した指先に息を吹きかける。
「にしても、何も燃やすことないだろ? 怪我したぞ」
「気にするな、死んでるんだから」
「そんな無茶な。なあ、おまえも嫌だろ?」

 話を振られたリザナが、こくんと頷いた。

「ええ、いやですね。無駄話が」
「ひどいなおまえ」
「それより、いいんですか?」遠くの国の悲劇を聴いたような横顔で、リザナは言った。
「切札、絞られましたけど」

 慶は燃え尽きていくカードを見下ろしながら答えた。

「よくない」




 そう、よくない。
 半分の山札をシャッフルしながら、ヴェムコットはため息を押し殺していた。
 今のはひどい。イージーミスもいいところだ。ポケットの中のカードが燃えて動揺しないはずもないが、それにしても裏面にして叩きつけるくらいの切り返しは見せてもよかった。抜いたカードを見られるということは、それが切札ではないという絶対の証明。疑う余地のない決定事項だ。
 事実、慶の切札は頭部ではない。
 魔法でも使わない限り、ヴェムコットが認証した切札を変えることなど不可能。
 ゆえに。
 このボディポーカーを終えた後の電気椅子で、真嶋慶は六点ではなく五点で電殺を狙われる。電圧降下するため四点までしか撃てないとはいえ、かわせるのは一点のみ。それはリザイングルナを相手にしては、不可能と言える。彼女は倒されるために用意された都合のいい舞台道具ではない。むしろ、これまでの歴戦でただ一つの敗北も知らず挑戦者たちを葬り去ってきた処刑者なのだ。戦うたびに記憶を喪いながら、初めて触るゲームで相手と同じ条件のまま勝ち続けてきた。そのすべてをヴェムコットは見届けてきた。彼女には、護るべきものも、貫くべき信念もない。風に吹かれて柳が揺れるなら、柳そのものが存在しなければいい。そんな虚無で、彼女は己の肉体を執拗に追い求めるバラストグールたちを飲み込んできた。

「カードを配ってくれませんか?」

 凍結したように固まっていたエンプティが、自分の存在を思い出したように慌ててカードをリザナに配る。ヴェムコットもまた、テーブルの一点を睨みつけている真嶋慶に五枚のカードを下ろした。

「先攻はどうする」
「先攻?」とリザナ。
「どっちから先に、賭け始めるかってこと」
「ああ、なるほど」察しのいい女だが、やはりポーカーには不慣れだ。
「どちらからでも構いません」
「じゃあ、じゃんけんで決めよう」
「…………」

 石化しているリザナに、ヴェムコットは頷いてみせた。それが古来よりもっとも手っ取り早いことは見えている。リザナは不思議そうに自分の掌を見てから、慶は手首を振って念を込めてから、
 じゃんけん。
 勝ったのは、リザナ。勝利のグーを、焼き上がった獲肉のように見つめながら、

「……もう、これでいいのでは?」
「なにが? 勝負が? バカか?」

 くせの強い髪をかきながら、慶は指でヴェムコットを、いや彼が配るカードを招いた。
 ディーラー二人、札を配る。磨き抜かれた木の鏡をカードが滑る。岸辺に打ち上げられた漂流船のように舳先をぶつかりあわせ集った五枚を、慶は開きもせず視線を落としていた。リザナはエンプティから配られた五枚をすでに掲げ持っている。対角線に、二人の勝負師が揃う。ちょうど、織目のようにエンプティ、リザナ、慶、ヴェムコットがカウンターを芯に折れ線のように並ぶ。
 一枚抜き取って、チェンジしようとしたのかそれを捨てようとしたリザナをヴェムコットは止めた。

「リザナ、チェンジの前に、参加費を支払ってくれ」
「参加費?」
「ああ。一戦ごとに、参加費がかかる。これは、今ここで手札も見ずに降りるとしても、支払ってもらう」
「それは自分が賭ける金額とは別に? ……いくらですか」
「5000点、電貨五枚だ」

 リザナの透明な表情――そこからどんな印象をヴェムコットの説明から受け取ったかはわからない。だが、もしヴェムコットがこのゲームの参加者だったら、こう考える。
 高すぎる、と。
 参加費5000。賭け金の上限が2万点である為、それはすでにマックスリミットの25%を占めている。手も見ず降りようが、それでも5000点を失う。これはもう、参加費というよりも強制ベットに近い。賭け金の上限が、参加費を含めて2万点であることからも、その性質の強いルールだということがわかる。

「……何か、聞きたいことでもあるか?」
「いえ」

 リザナから感情は見えない。

「もう、賭けてもいいんですか?」

 一脚分離れた隣にいるヴェムコットが頷くのを見ると、リザナは6枚の電貨を手で押し出した。6000点。まずは様子見、といったところか。あまり手札がよくなかったのかもしれない。とはいえ――その裏を取るのが、ポーカーの醍醐味ではあるが。
 さあ――それに対して、真嶋慶はどう出るのか、とヴェムコットが視線を戻した時、真嶋慶は自分の手札をびりびりに破り捨てているところだった。
 見もせずに。

       

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