Neetel Inside 文芸新都
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議論
一.開廷

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 ぱち、ぱち、ぱち。
 教室後方部に整然と並ぶ十のお面。その中の一人、阿多福の面をつけた男が実に無機質な拍手を鳴らした。
「素晴らしい演説だよ本郷。やはり今年の立会人にお前を指名したのは正解だった」
 阿多福の細長い人差し指がこちらを向く。
「用意された台本ほんを読むだけならば誰でもできる。立会人としての腕が要求されるのはここからだろう」とはピカチュウの弁。
「その通り。しっかり指揮しきを執ってくれたまえ」とはプーさん。
 狼狽える八人の学級代表を微笑み混じりに眺める十人の傍聴人。彼らは“公正イジメ委員会”のお歴々である。
 実際問題として――、“みんなで示し合って一人だけをイジメる”などという荒唐無稽なシステムを構築し、維持するには、相当の能力が要求される。彼らは時として詐欺師のごとし話術で人を洗脳し、時としてその腕力で口を塞ぐ。頭脳も、肉体も、精神力も、“表の顔”の人望も。その有り余る能力を惜しみなくこのイジメシステムのために注力する、天才的人材たちである。
 私は身を引き締めて話を続けた。
「それでは選考会議を始める。まず三十分間の自由討論の時間があり、その後八人で投票を行う。そこで過半数の票を得た者が、今年の“イジメられっ子”に決定する。最多得票者の得票数が過半数に届かなかった場合は再度自由討論を行い、三十分後にまた投票。これを、過半数の票を得る者が現れるまで行う。その他、詳しい規則については会議の中で必要に応じて説明する。どうか、どちら様も後悔することのないよう、時間一杯、奇譚のない意見をぶつけ合ってほしい。それでは第一回討論を開始する」
 そう告げて私は、誰からの反論も質問も待つことなく腕時計のタイマーを起動した。時間は三十分。デジタルの高速回転は既に始まっている。
 五分、経過した。
 十五分、経過した。
 誰も、なにも言わなかった。
 八人の選考委員はもちろんのこと、公正委員会の連中も、私も。一切、なにも。誰も、なにも。八人に発言を促すこともなかった。積極的な議論を促すこともなかった。時の流れに身を任せ、まるでそうであることが必然であったかのように、静寂の二十分はあっという間に過ぎ去った。
「なぁ……、これ、マジ?」
 そして、二十五分が経過した頃だった。
 告げられた制限時間の三十分。体内時計がそれを察知したのか、ついに、一人の男が口を開いたのだった。“なぁ、これ、マジ?”震える声色で。
「それは、私に訊いているのか?」
 私は尋ねた。すると男はああ、いや、と言って、横の女に目線を逃がした。
 一年一組の学級代表、喜村恵一と知念美穂。私は彼らの人間性を値踏みした。まず男の方の喜村恵一は、私に睨まれて知念美穂に助けを求めた時点で、その底がうかがい知れるというものだ。大した人間ではあるまい。ただし、このまま制限時間の三十分が経ってしまう前にと、誰よりも先に口を開いた危機管理能力と目敏さは評価できる。
 一方、相方の知念美穂についてはまだ判断しかねる部分が多い。“華奢”と評すれば美化しすぎな、細すぎるほどに細いその身体に起因する気の弱さが、伏せがちの目つきに現れているような気はする。立候補者が現れず、押し付けられるように学級代表になってしまったクチであろうか。
「もし、私に訊いたのであれば答えよう。我々は“大マジ”だ。冗談だと判断するのは勝手だが、行動には気を遣った方が身のためだぞ。離反、造反、告発。逆らう者にはイジメられっ子に選任されるよりも辛い憂き目が待っていることを保証する」
 詭弁であった。
 この敬愛中学校には、イジメられっ子に選ばれることよりも辛い憂き目は、ない。
 だがこの詭弁は一種の親心であった。そもそもこの選考委員の八人には、他の生徒にはない最強の“特権”が与えられている。つまらん反抗心でその特権を無下にすることなどないように、という親切心からくる詭弁であるからして、感謝されこそすれ、恨まれる筋合いなど一かけらもないと本心で思う。
「まあ、いい。毎年こうなんだ。初っ端の三十分から活発に議論が交わされる年などない。大抵、一様に口を噤むのが毎年の恒例だ。今のお前らみたいにな。それを分かっていて、後ろの十人も誰もなにも言わなかったんだ。どうだ? 私の時もそうだったんだが――、どうせ、一発目で選任者が確定することなどありえない。まずは誰もなにも言わずに、いまの第一印象に従って気楽に投票してみるというのは。次回の討論からは、今回の投票結果を元に議論を弾ませればいい」
 意図的に、口調を和らげた。
 アメとムチが自分より下の者に有効なことなど誰もが知っている。それが、今のような極限の緊張の中であればなおさらだ。鞭の後の飴は甘美の麻薬。露骨になりすぎないように。密かに垂らす。脳を揺らす甘い口調。こうすることで彼らは、言われるがままにきちんと投票を行ってくれるようになる。くだらん正義感から抵抗することをやめる。己の良心に蓋をして、羊飼いの指示に従う羊。
「いずれにしても、もう制限時間の三十分が経つ。今回はこのまま投票に移ろう――」
 そう、この選考会議とは、幾度も討論と投票とを繰り返し、燃え上がるような議論の末に、ようやく終結を迎える長丁場の儀式なのだ。八人が八人、示し合わすことなく百五十二人の中から一人を選んで投票する。票が固まるはずがない。第一回目の投票で、イジメられっ子が確定するはずがない――。

 第一回投票結果

 中島 香苗 一票
 山口 浩二 一票
 竹川 健人 一票
 三浦 壮太 一票

 稲田 正太郎 四票

       

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