「みんな」
 一握りの希望にすがり、私はタクトを振った。
「いいのか? こんな形で終えてしまって」
 望み薄なのは理解している。だが、このままでは終われない。このままでは目的を達成できなくなる。
「稲田正太郎も一人の人間。君たちと同じ一人の人間だ。むろん、この制度では、選ばれた一人は必ず不幸になる。だがその一人を、こんな形で決めてしまってよいのだろうか?」
 この会議の原則は、あくまでも八人の選考委員が自分で物事を考え、議論をぶつけ合うこと。立会人の過干渉は禁じられているが、そんなことを言っている場合ではない。
「誰か一人は必ず不幸になる制度。だからこそ、選考委員となった君たちには、最後の瞬間まで熟考する義務があるのではないのだろうか。ただ単に早く会議を終えたいから。そんな理由で稲田正太郎の人生をぶち壊しにして、君たちは本当に後悔しないと言えるのか?」
 八人の感情を揺さぶるアイテムは“罪悪感”。稲田正太郎の名前を繰り返し挙げ、残酷な決断を少しでも先延ばしにさせる。――しかし。
「無駄ですよ」
 二組の学級代表、本条次郎が合わせた掌の中で口を開いた。
「僕たちは一刻も早くこの場から立ち去りたいんですよ。貴女がどんな詭弁で煙に巻こうとしても、それは変わらない。言うまでもなく、こんなけがれた談合になんて誰も参加したくないんですよ。この結果に不服があるならば、後ろの連中といくらでも再考すればいい。僕たちはそれを止めやしませんよ。僕たち八人は、降りさせていただく。提示されたルールにきちんと付き合うだけでも感謝してもらいたいね」
 一年二組、本条次郎。八人の選考委員の中で、恐らくはもっとも頭の切れる男。入学三ヶ月にもかかわらず、その言葉には既に信頼感が宿っている。
「みんな」後ろを振り返り、七人に対して声をかける。「あの女がなにを言おうと惑わされては駄目だ。どんな目に遭わされるかわかったもんじゃないから、会議自体を放棄しようとは言わない。これが、僕たちなりの“放棄”だ。暴力をちらつかせて脅かすなら、こっちはきちんとルールに則ってやろうじゃないか。“意志”のない投票に罪はない。僕たちは、誰かをイジメたくて投票するわけじゃない。ただただ、この会議から抜け出したいだけだ。さっき、あの女はそのことをまるで悪いことのように言ったが、そんなのは詭弁だ。悪いのは、僕たちにこんなことをさせる連中だ。僕たちに罪はない。いいか、僕たちに罪はないんだ。安心して票を揃えてくれ。この、腐った会議を終わらせるために」
 ――完璧だった。
 本条次郎の言葉には力があった。得も言われぬ説得力。力尽くで手を引っ張ってくれる頼もしさ。この演説の後では、完全にヒールの私がなにかを言ってみたところで無駄であろう。
「随分と饒舌だな本条。稲田正太郎がお前の“意中”の標的だったのか?」それでも私は彼に反論をぶつける。ここまでやられてしまってはもはやどうしようもない。だからと言って、指を咥えて見ているつもりもない。目的を果たすために。「まるで皆を会議から救うような弁を振るっておいて、その実、自分の思い通りに稲田正太郎をイジメられっ子にするのが目的か。御立派だよ、頭の下がる策士ぶりだ」
 ドラえもんのお面から、舌打ちが聞こえてきたような気がした。これが無駄な足掻きであることなど、選考委員の表情を正面から観察しているこの私が一番理解している。だからと言って――。
 三十分が経過した。
 自由討論を終了し、第二回投票へと移行する。選考委員は投票用紙に指名先を記入し、それを私が一枚ずつ回収して開票する。むろん、不正など見逃してくれる公正委員会ではない。私は名前を書き換えてしまいたい衝動を必死に堪えながら、しかし、なすすべなく淡々と己の業務を遂行した。
「開票を行う」
 無数の思惑が交差した。

 第二回投票結果

 中島 香苗 一票
 中川 卓志 一票
 本間 夕貴 一票
 竹川 健人 一票
 富田 里奈 一票

 稲田 正太郎 三票