Neetel Inside 文芸新都
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 この資料から読み取れる投票の傾向。それは、弱きを挫くよりも嫉妬心に突き動かされた結果だということ。そして、この事実は選考委員たちの性質を知る上でも重要な情報となる。
 理解する。
 喜村恵一、知念美穂、本条次郎、鵜飼登美子、小林辰三、美浦千代、四日市修平、犬飼美子。
 公正委員会から配布された事前情報と合わせ、八人の選考委員たちについて理解を深めてゆく。立会人にとって、選考委員たちの性質を理解することは会議を進行する上でこの上なく重要なことだ。どう考え、なにを信じ、どんなことに怒り、そして誰を嫌うのか。普段の生活の中で、これほどまでに他人に興味を持つことなどない。八人のことを最大限に理解したいと心から願う。操縦するために。
「君たちは、考えたことはないか?」
 ――第三回自由討論――
「たとえば被災者の報道を見て。たとえば殺人事件のニュースを見て。“どうしてこんなに良い人が”、と。あるいは、“こんな奴は死んで当然”、“悪いことばかりしていたから天罰が下ったのだ”、と。天災のような被害に遭った者を見て、その人間性に想いを馳せてみたことはないか?」
 私の投じた一石が、教室に漂う水面に波を打つのをたしかに感じていた。
「君たちには、天災の下る者を選択する権利が与えられている」なおも続ける。「百五十二人の候補者にとって、イジメられっ子に選任されることは、いわば回避不能の天災よ。自分が入った中学校にこんな制度があるだなんて、彼らにとっては知る由もない。このような会議が開かれていることも。そして、そこで自分がイジメられっ子に選任されることも。すべては彼らの頭上を飛び越えた不知の領域。しかしそれでも否応なしに天災は下る。――想像してみてほしい。早くに両親を亡くし、おばあちゃんと二人で生きてきた生真面目な少女を。あるいは病弱な母のために大金を稼ぐことを夢見るいたいけな野球少年を。君たちには、彼らから天災を引き剥がす権利がある。“自分が会議から抜けたいから”などという怠慢でその権利を放棄するなど、私に言わせれば究極の愚よ」
 誰一人として私と目を合わせようとはしない。だがそれは、先ほどの糠に釘打つかのような果てのない徒労感ではない。間違いない。今この瞬間は、私が八人を支配している。私の言葉が彼らの脳を揺らしている。圧倒的な手応えを感じていた。
「本条委員」
 不意に名前を呼ばれた本条次郎がはっとして顔を上げた。
「先ほど君は、『会議の結果に不服があれば私たちで再考すればよい』と言ったな。今、この場で断言しよう。たとえ天地がひっくり返ろうとそれはない、と。選考委員の決定は絶対だ。たとえイジメられっ子に選ばれたのが私の弟だろうが天皇陛下の娘だろうが、それが選考委員の決定であればそれは間違いなく執行される。君たちの一票にはそれほどの価値がある。さて、どうする? それを聞いた上で尚、会議を抜けるために票を揃えたいと言うのであれば、もはや私はなにも言うまい。稲田正太郎に票を集めたまえ。次こそは上手くいくだろう。だが忘れるな、君たちの決定は絶対だ。そして軽んじた一票を投じる前に、今一度考えろ。“彼よりも天災が相応しい者は、本当にどこにもいないのか?”」
『ぱち、ぱち、ぱち』
 阿多福のお面が、今度は手と手が触れる直前で寸止めを繰り返す無音の拍手を私に贈った。見たか、と、私は静かに鼻から息を捨てた。どこかでこの様子を見ている者がいればスタンディングオベーションが起きているところだ。

 第三回投票結果

 中島 香苗 一票
 山口 浩二 一票
 福島 栄一 一票
 大野 裕子 一票
 菊池 昌磨 一票
 川辺 光  一票
 三浦 壮太 一票

 稲田 正太郎 一票

 勝った、と私は思った。
 最多得票四票から始まったはずの選考会議が、気が付けば第三回目にして完全に分散した。振り出しに戻ったどころか、会議を終わらせたい者からすればマイナスである。今回の投票結果を見ると、公正委員会発表では選任確率がEランクとなっている菊池昌磨や福島栄一の名前が挙がっている。これは延命投票である。要するに、“まだ結果を出すには早い”と考えた選考委員が、どう転んでも死に票にしかならないであろう投票先に票を投じたのだ。第一回のような偶然で会議が終了“してしまう”ことを避けるために。言い換えれば、きちんと議論して結末を出すことを了承したのだ。その延命投票の意思が、投票結果を見た選考委員全員に伝わる。賽は投げられた。ここからはいよいよ、八人の本格的な議論が始まる。
「誰だよ」
 ――それは、静かな声色であった。だけれど、誰が聞いても分かる。怒りの炎に染まっていることが。腹の奥の底の底からひり出したような、どす黒い憤怒の声色。
「誰だよ!!」蹴り上げられた机が、けたたましい音を立てて床に落ちた。「第一回からずっと、中島に投票し続けてるイカレポンチはよ!!」
 一年三組学級代表、小林辰三たつみが怒号とともに立ち上がった。私はすかさず、その切っ先を制しようと声を上げる。
「やめろ小林、そのような態度で投票者をあぶり出す行為は禁じられている――」
 しかし。私がそう言い終えるのとどちらが早いか、知念美穂は静かにその右手を上げていた。
「私だけど。……なにか?」
 彼女は、小林辰三の方を振り返ろうとはしなかった。真っ直ぐ前方を見据えたままの静かな挙手と、問い。
「“なにか?”じゃねえよ。頭おかしいのか? お前」
 小林辰三の憤慨の理由。それは恐らく、こういうことだろう。
 中島香苗は養護学級と通常学級とを行き来する知的障碍者だった。





 第二話へつづく

       

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