須藤真昼:エンジョイ勢の成功談

 私は壁の前に立っている。
 正確に言えば、それは壁ではなくて篝の家の扉なのだけれど。
 永遠に開くことがないと思えば、扉にくっつく取っ手も蝶番も蜂も、趣味の悪い単なる飾りの過ぎないのだから、私の眼前に立ち塞がる鋼鉄製のそれを家屋の内外を行き来するための扉でも何でもなくただの手強い壁であるはずだ――と断言して見せたところで誰からも文句を言われる筋合いなどない。
 決まりが悪いのは、ただの壁をノックしようと馬鹿みたいに右手を持ち上げた私ひとりだけ。
 ふーっとため息。そしてくるりとターン。「なーにやってんだ、私」と大股歩きで引き返す。
 そして門扉の前でまたくるり。お城のような篝の家を静かに見上げて、
「――なにやってんだろ、篝のアホは」


 人間とは。
 人生とは。
 空間とは。
 時間とは。
 ――学校とはなんだ。
「それは、エンジョイすることだよ!」
 砂神砂鳥が数学の吉村先生を押し退け、黒板にチョークを走らせながらそう叫ぶ。
 彼女が生み出す高気圧に、私は思わず椅子を蹴って立ち上がり、
「人間とは……エンジョイ?」
「そうだよ!」
 なんだか真に迫る感じ。
 胸の高鳴りを抑えきれず、知らず知らずに前のめり。
「人生って、エンジョイなの?」
「逆に訊くけど! 真昼はエンジョイしてないの?」
「……多分、してない」
「それはよくない! 最低! イケてないよ、真昼! 生きてる意味あるって思う?」
 多分、意味なんてない。
 って、即答するのも悔しいから、私はすり減った消しゴムをぽうんと宙に放り投げ、
「砂神だって、無意味な生を謳歌してる」
「違うよ、真昼。それは明らかに間違ってる! あたしがここでこうしていることは、酷く激しく有意義なんだ」
 証拠を見せるよ。
 そう言って砂神は黒板をたんと弾いて回転させる。

「あたしがここにいるのはね」
 屋上。無駄に広くて、無駄に高い。空がすぐそこにあるようで、ここも空の一部なんだと気付けない。
「――落とし物を、見つけるためなんだ」
 砂神は空を泳ぐように両手を広げる。まるで無から有を生み出すよう。そこには独りではしゃぐ砂神がいるだけなのに、穏やかな風を受ける彼女はどこか無限を思わせる。
「落とし物?」
「そう、この星には、遺失物再生センターがないみたいだから」
「なにそれ。宇宙にはそんなものがあるの?」
「もちろん、あるよ。失くしたものが見つからなかったらそれきりなんて、そんなのあんまりにも残酷でしょ? 悲しすぎるよ」
「……なくしたことにしたい時だって、あるんじゃないの」
「そんなの、後ろ向きすぎ。ねえ、真昼。あなたはもっと、人生をエンジョイすべき」
「そうなのかな。……正直、よくわからない」
「あたしが、真昼に教えてあげる」
「……砂神が、私に教えてくれるの?」
「砂神なんて他人行儀。砂鳥って呼んでくれていいんだよ?」
「砂鳥」
「ふふ。いいね。それじゃ、いこっか」
 砂鳥は笑顔でそう言って。
 私を無邪気に拐かす。
 この星には、遺失物再生センターがないみたいだから。
 彼女は落とし物を捜さざるを得ない。
 私は、この異星人に、どこに連れて行かれてしまうのだろう。
 手を引かれてはいるけれど、これも一種のキャトルミューティレーションなのではないか。
 私は、この異星人の少女に、どこに連れて行かれてしまうのだろう。
 そんな不安を抱えながら、私と砂鳥は、カラオケ「異世界」にたどり着く。
 フリータイムで四時間ほど。歌って踊って飲んで騒いで。
 私は、人生をエンジョイする術を身に付けた。