私の通う高校は、最寄り駅から徒歩二分の好立地にある。米軍基地跡を再利用した広大な敷地を持ち、世界征服を標榜する悪徳株式会社が経営母体。校舎は二年ごとに建て替えられ、設備は常に最新式。
教師陣も人格否定から始まる数々の圧迫面接を突破し、数少ない採用枠を勝ち取った転職組の元企業戦士ばかりで、生徒が釘バットを担いで暴れようものなら透かさず警備員を呼び問題の収束を図る手際の良さを併せ持つ。
校則は三代前の生徒会長が撤廃したので、髪の長さ自由、髪の色自由、制服の改造も自由で、実のところ授業中におしゃべりしようと紙飛行機を飛ばそうと「どうぞお好きにしてください」の無政府状態。
学費はべらぼうに高いが、入学試験はあってないようなもの。「好きなことはなんですか」という答えがあるようでない小論文をいくつか解けば、前科さえなければ(前科があっても)その場で合格通知が発行される。
そこまでやって、――全校生徒の数は、私を含めて三〇人。
県内に住んでいる高校進学希望者をかき集めてかき集めて、ようやく届いた数字がそれなのだ。
まるで限界集落みたいだと思うけれど、この街だってかつては副都心と呼ばれていた。今だって、大勢の人間が暮らしている。それでも、全盛期の頃とは違うのだ――と、大人達は悲観した顔でそう語る。
大人はみんな語りたがる。子供は一様にして寡黙だ。大人と子供の狭間にいる私たちのような存在は、時に雄弁で時に沈黙を愛するけれど、使い分けているというよりは感情に振り回されているだけだと思う。
私たちには、今の世界しかわからない。それが良いのか悪いのか、決めるのはいつも大人達で、子供は大人の影響を受けざるを得ないから、テレビが厭世的な情報を吐き出すときは、私も空が曇って見える。
だから、私は家に長居したいと思わない。制服に袖を通して、教科書を鞄に詰め込んで、通学路を駆け抜けて、いつもの教室へと飛び込むことで逃避する。
この学校におけるすべての教室が、階段状の構造になっている。そのキャパシティは優に一〇〇人を超える規模を誇っているのに、例えクラスメイトが全員終結したところで、席は一割さえも埋まらないのがもの悲しい。
夏休み明け初日。
始業開始まで一分に迫った二年生の教室には、私を除いてたった三人分の姿しか見当たらない。それも席は自由に選んでいいのに、ぽつぽつと腰を下ろした小さな影たちは、誰一人として隣り合わない。
篝の姿も見当たらなくて、遅刻を焦って慌てて飛び込んでくる者の姿もない。
鳴ったチャイムは不協和音で、私たち勝手に生み出したはずの沈黙が、気まずさよりも不穏な空気を生み出していく。
私はみんなに訊きたかった。今日はどうして学校に来たの? って。
学びたい者に学ぶ機会を与えることこそ学校という場所の本分だったはず。でも、そんなことを意識して、真剣に授業を受けている生徒なんて、きっとここにはいないと思う。
ここはモラトリアムでも、況してやアジールでもないんだよ、って。そう言ってみたくなる。そんなこと、当然わかってるよ、と誰かが応えてくれるのなら。
私がどうしてここにいるのか――という問いについても、その誰かさんはついでのついでに答えてはくれないだろうか。
廊下に繋がる扉が開き、担任教諭が教室に入ってくる。どこか機械的なイメージを思わせる足取り。視線はまっすぐ前を向いて、ユーモアの欠片も感じさせない機能的な眼鏡とスーツ。
口にする言葉に愛嬌などなくて、夏休みボケしてませんか? なんて冗句もない。
ただ淡々と、まるで昨日も学校があったみたいに、連絡事項を端的に告げ。
「転校生を紹介する」
と。
いつの間にやら担任教諭の隣に立っていた、見知らぬ女生徒に視線を送った。
そこだけ――色が塗られていると思った。真っ白な教室、真っ白な教諭、真っ白なクラスメイトに、真っ白な私。
けれど、彼女だけ、黒い瞳に黒い髪。周りを明るく照らすような笑顔と、身振り。彼女は大きく手を振って、
「砂神砂鳥だよ! みんな、今日からよろしく頼むね!」
溌剌とした声でそう言った。
自己紹介タイムはそれで終わり。
担任教諭の話は次へと進む。
他のクラスメイトたちは、砂神に興味を示さない。お行儀よく椅子に腰を乗せて、姿勢良く教諭の話を聞くばかり。
私の視線は、彼女に釘付けされていた。
砂神も、多分、私を見ているのだと思う。
ステップを踏むような足取りで、クラスメイトたちの顔を覗き込みながら、少しずつ私の席に近付いてくる。そして、当たり前のように私の隣に腰を落とし、
「ふーん。あなただけ、なんだ。……この学校、広いのに、残念だね」
授業が始まる。一時限目は物理。
砂神はそれを知ると、「わあ、退屈っ」と歌うように笑って、鞄から大きな枕を取り出すと、それを抱きしめながらすやすやと眠り始めてしまう。、
無防備なのは、寝顔だけではないと思う。
この人は、篝と同じ。
全国指名手配級の危険人物だ。
そんなことを考えながら、私は彼女に釣られるように微睡みを覚える。
そして、抵抗することなく、深いところに落ちていった。