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アイドルジョッキーと女騎手
トライアル(川崎競馬場)その二(H30.4.12)

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 当たり前だけど、夜になってきた。
 トライアル第一レースの発走時刻は十八時四十分。真っ暗な中で、ダートコースを浮き立たせる照明が眩しい。
 これが南関東競馬。地方競馬のイメージが変わる。楕円の走路の間に立てられているモニターの大きさは、東京競馬場にも全くヒケを取らないように見えるし、お客さんも若い人が多いし。
 仕事帰りのサラリーマンも多い。競馬は、色々な人達に支えられているんだと実感する。
 わたしたちは、せめて、楽しみに観ている人に応えられるようなレースをしなければ。レース前の輪乗りをしながら、そんなことを考える。
 そして、この中に混ざっている、ほんの少しのわたし目当てのファンにも、良いところを見せたい。見ていてほしい。
 わたしの騎乗馬は、これまでの戦歴を見る限りは、たぶん出脚が相当速いタイプ。ほとんどのレースでスタート直後から先頭に立っている。恵まれた武器があるんだから、それをわざわざ変える必要はない。馬の個性に寄り添って騎乗するのも大切なことだ。
 それにしても……もう枠入りまで済んでいるというのに、隣枠の穂ノ原さんはまだ眠そうだ。大丈夫かな? スタートしてすぐに落馬したりしないかな? 人の心配してる場合じゃないけど……
「こっち見てる場合?」
 こちらを見ずに、穂ノ原さんは言った。次の瞬間、聞き慣れない発走音が鳴って、一斉にゲートが開いた。
 しまった!--一瞬慌てたけれど、そこは馬が一枚上手。スタートセンス抜群で、わたしが促さずとも勝手に飛び出してくれていた。本当にわたしって甘い……
 気持ちを切り替えよう。成績どおりテンのスピード豊富なこの馬は、苦労せず先頭に立ってくれた。このレースは千四百メートルの短距離戦、逃げが有利なのは間違いないはず。ここは馬の行く気に任せて、第一コーナーに入ろう。
 振り返ると、二番手の馬を大きく引き離している。そんなに無理させていないのにスピードが違うのだろうか。これは良い馬が当たった。勝てるかも--って、え?
 カーブ、めちゃくちゃキツい!! ヤバイ!! うわあああああああああッ!!
 急いで手綱を引っ張るも、遅かった。わたしたちは、他の馬たちより大きくカーブを回ることになってしまい、ゆっくりカーブに入ってきた後続馬に追いつかれてしまった。外ラチに激突しなかったマシかもしれない。そうなってたら死んでたかも……
 だからみんなスピードを抑えてたのか、この急カーブで。
「初々しいね〜!」
 空いた内から並びかけてきたジョッキーに話しかけられた。誰だろう。よく分からないけど、バカにされてることは何となく感じられた。ムカっときたけど、もしこの人が南関の騎手だったら、「とんだお上りさんが来た」みたいなことなんだろう。
「オレもド新人の頃にやったよ〜! 川崎とか浦和はカーブがエグいからね〜! 中央しか知らないんじゃやらかすよね〜!」
 二角が終わって向こう正面の入り口、声の主はわたしを追い抜きながらそう言った。
 ズボンに『森野』と書かれていたのを見て、ようやく誰だか分かった。
 森野修吾ジョッキー。南関東競馬で、『天才』と呼ばれているらしい。どんな馬に乗っても常に勝負になる位置取りが出来るという。出場騎手についてはひと通り調べているのだけれど、森野騎手は東の優勝候補という感じだった。
 ここで置かれたら、ズルズルと垂れて行ってしまいそうだ。多少無理してでも、再度並ぶ!
 向こう正面の中ほどで、わたし達は森野さんに追いつくことができた。先頭に立った森野さんがペースを落としたので、追いつきやすかったのもある。思ったほどは脚を使わずに済んだので、これなら最後まで保つかもしれない。
「アヤカちゃん、良いセンスしてるね〜! そう、オレについてくりゃ大ケガはしないよ! このまま二人で最後までイこう!」
 …馴れ馴れしい、この人! あとなんかちょっと危険な香りがする……とはいえ、良いペースを作っているのは確かで、やはり天才と呼ばれるだけはあるのだろう。
 第三コーナーに入って、森野さんとわたしは併走を続けた。後続の脚音は遠くに聴こえる。これなら逃げ残れる--そう思っていた。もう一頭の脚音が大きく聴こえてくるまでは。
「ペース落としてくれてありがと」
 聞き覚えのある声。穂ノ原さんだ。ただ一頭、後方から追い上げて来た。
「他の騎手らは動かないんだね。動くのが怖いのかな? あたしにはわかんねぇ」
 その目は開いていた。ゴーグル越しにも視認できる、大きな瞳。照明の光が跳ね返って、星が煌めいているよう。
「動かなきゃ--なんにも起きねぇのに」
 三頭雁行状態で、最終コーナーを抜け直線へ。ここで、わたしの馬は末が怪しくなる。追いかける立場の穂ノ原さんとは勢いが違った。先に抜け出した森野さんと、それを抜かそうとする穂ノ原さんのデットヒート。わたしの勝ちはなくなった。あと出来ることは、なんとか三着で粘り切ること。
 馬は、一度抜かれてしまうと走る気を失うことが多い。それでも、ゴール板まで一生懸命走らせるために、ムチを使う。必死に追う。一つでも上の順位を得るために。馬には辛いかもしれないけれど、結果を残せない馬に待つ未来は、もっと辛いものかもしれないのだ。わたしのエゴもあるけれど、それも一つの真実だと、この一年少しの間、折に触れて感じてきた。
 あと、百メートル。粘れ粘れ粘れ! がんばれ、キャノンストレート!!
 地響きの音が大きくなってきたところで、ゴール板を通過した。後ろから何頭もせまってきていたけれど、何とか、抜かせずにゴール出来た……疲れた……
 後ろから見ていた限りでは、森野さんが逃げ残ったような気がした。結果的には、わたしにミスがあって、森野さんは完璧だったことで差が生まれた。この負けは、馬の差じゃない。
 騎手の差。
 山乃木さんだけ気にしていられない。わたしより下手な人など、一人もいないかもしれないのだから。

「オレについて来たから三番になれたね、アヤカちゃん! オレ明日騎乗ないからさ、終わったら飲みに行こうよ! 夜の騎乗フォームも教えてあげちゃうからさ〜!!」
 …天才かもしれないけど、普段は関わらないでおこう。意識的に耳を閉じて、森野さんの声を遮断した。
「…疲れた、眠い」
 穂ノ原さんは、待機場に戻るなり、そう言って横になった。
 地方のジョッキー、色々な人がいる……

【トライアル川崎第一戦 結果】

一着 森野 修吾(船橋)   三十点
二着 穂ノ原 りん(岩手)  二十点
三着 川添 彩華(中央美浦) 十五点

       

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