6(ちせ)

 京都駅で出迎えてくれた鎬さんはこちらが恐縮するほどに何度も何度も頭を下げてきたので、私も自らの行いに対するやましさから頭を下げ返す形になり、どちらも譲らず数十分謝り合ってから、鎬さんの車で栗東へ出発した。
 てっきり高い外車でも乗っているのだろうと思っていたらカワイイ軽自動車だったり、けれどもエンジンをかけたらクラシックの音楽が流れてくる辺りはイメージ通りだったり、車の中は良い匂いがしたり、もっと緊張すると思っていたのに意外と自然に話せたり、だった。
「携帯届けただけなのに、却って得しちゃいましたね」
「せやでー。楽しんで帰って貰わんと、大越さんにも言われたしな」
 穏やかな手つきでハンドルを切る鎬さんは、大越さんの名前を出す時に少し声を固くして、緊張している風でもあった。
「鎬さんって妙に大越さんの事立てますよね」
 お互い散々頭を下げ合って取り繕う事も出来なくなった後だから、距離感も近くなっていた。言葉は気を置けずに口を出て行くけれども、きっと鎬さんは受け止めてくれるだろうなんていう妙なカクシンめいた思い込みが漂っていて、その感覚が心地よかった。
「尊敬しとるもん」
「ぜったいウソだ」
「何でそんな事言うんよ」
「だって、鎬さんは去年のリーディングで、今年も二位でしょ?」
「せやで」
「大越さんなんてイチバン良い時で三十位くらいでしょ、今年なんてレラ以外に乗ってもいない。そんなの、普通に考えたらイヤミですよ」
 赤信号が見えると車は徐々に速度を落として行って、その感覚は柔らかいと表現するのが一番ピッタリに思えた。きっとこの人は馬に乗る時もこれくらい優しく乗るのだ。
「一番人気で一回勝つのと、十番人気で一回勝つのと、価値は違っても数字の上では同じ一なんよ」
 背を丸めてハンドルの上に顎を乗せるようにしながら鎬さんは言った。
「価値、違うんですか?」
「同じって言う人もおるやろけど、僕は違うと思う。少なくとも、技術の巧拙を語る指標として星を数えるなら、それは明確に違う」
 フロントガラス越しの信号機を見ているのか、その視線は遠くへ向いている。
「ましてや厩舎所属でエージェントも付けないなんて今時絶滅危惧種みたいなジョッキーやもん、そらリーディング上位なんて入れる訳ないわ」
「良く解らないですけど、騎手って究極的にはリーディングが目標でしょう?」
「まあ、そういう所はあるわな」
「じゃあ、何でそんな非効率的な絶滅危惧種を尊敬するんです?」
「うーん……せやな。尊敬ってのは嘘だったかも知れん」
「ほら、やっぱり」
 鎬さんは至極真面目な表情のまま言い、それがまたおかしかったから、私はケタケタ声を出して笑った。
 スピーカーからはヴァイオリンの旋律が流れている。昔、音楽の授業で聞かされた曲で、メントスゾーンだか、メンヘラソーンだか、そんな名前の人の曲だった気がする。
 信号が切り替わり青になる。鎬さんがスッと身体を起こしてアクセルを踏む。牧場で使っていた軽トラみたいに揺れたりせずに、エンジンは静かに回り出す。
「でも、僕はあの人に勝ちたい」
 静かなエンジン音よりよほどに小さな呟きは、けれども確かに耳に届いた。