暫くして、両手に大量の食材を抱えた総一郎先生と由布子夫人が帰ってきた。総司さんから連絡を受けた時点で来客用の買い出しへ行ってくださったのだという。挨拶を済ませるなりアレルギー確認をされると、遠慮するという選択肢は消えてしまった。
「買ってから甲殻類は危ないと気付いてな、大丈夫なら良かった」
 大真面目な表情でエビカニアレルギーについて心配してくれる鎬総一郎先生は、天才・鎬総司の父親であり、本人もまた名人級の騎手だったらしい。現役時代の事に詳しい訳ではないけれど、お祖父ちゃんやお父さんは鎬総司の名前を見かける度に【総一郎の息子】と表していたからそういう事なのだろう。
「そういう事には疎くてね。せがれもガサツに育ったもんだから、アレルギーなんて品が良いものとは無縁な暮らしだった」
 淡々とした口調で話す方だったので笑って良いのか迷ったけれど、
「そら百パーセント親父の遺伝やね」
総司さんがそんな調子で合いの手を入れてくれたので頬が緩むと、
「……おお、良かったわ。若い子にもまだワシのセンス通じるみたいやな」
総一郎先生はまた淡々と言うので、どうやらそういう方らしいと安心した。
「明日は調教を見学なさるとか」
「はい。アマツヒという馬の追い切りを見せて頂きたくて」
「例の馬か。して、宿はどちらに?」
 そう聞かれてふと我に返ると、あわあわ、焦った。何も考えずに出てきたはいいが外泊など初めてだ。ホテルを使うにも予約する方法を知らないし、そもそも未成年の人間が一人でホテルを取れるのだろうか。
 あわあわしていると、横から総司さんが口を挟んだ。
「草津のホテル取っとるから大丈夫。後で送ってくよ」
 よほどにあわあわしていたのだろう、子供を嗜めるような口調だったのが私からすると恥ずかしかったけど、ともあれ、野宿は避けられそうな事が解ると一安心ではあった。生半可な環境で育った覚えは無く、いざとなればたかだか一晩野宿するくらいは何とも思わないけど、トレセンの近所で野宿したなどとバレたら世間体がよろしくない。
「会館に泊まるのが一番やけど、予約二日前までなんやって。スマンね」
「とんでもないです、助かりました。ありがとうございます」
 総司さんは手を合わせて謝る仕草をしてきたので、多少大袈裟に首を振ってから深く頭を下げた。何から何まで手配して貰っておいてその上謝らせたのではいくら何でも立場が無かった……のだけれど――
「草津までのアシはどうすんねん」
――脇から届いた総一郎先生の声は、何故かそれまでのものより一段階階重くなっていて、ちょっと不穏な雰囲気だ。
「タクシー使えば市内よりもあっちの方が楽やろ、県道一本やし」
「ダホウ、元はと言えばお前が携帯忘れたせいやろ。タクシーやのうて車出すくらい言わんか」
 怒鳴ってはいないけれども何故か怒っているらしい。更に言えば私がここに来た大本の理由もしっかり伝わっているらしい。
 さておき、こんな風に恩人扱いされてしまうと自身の行動のやましさに頬が引きつる。『下着ドロ同然の事をしようとしました』なんて、とてもではないが告白できない。
「僕が迎えに行くんじゃ朝の三時とかになってまうし、却って迷惑やろ。勿論お金は僕が出すよ」
「言うに事欠いて金の話するアホがおるか、気持ちの問題じゃ」
「なんぼ気持ちがあっても追い切り前に車出すのは無理やし他に泊まれる場所なんて無いんやもの、仕方ないやん」
 親子の会話は徐々にテンポを上げていき内容もヒートアップしているらしい。当事者でありながらそっちのけにされている私は、ぼんやりとその様子を眺めながら、総司さんって地は結構コテコテの関西人思考なのかもしれないなんて話の中身とはまるで関係のない感想だ。
「ウチに泊まって貰ったらええやろ」
「アホかこんなボロ家それこそ失礼やないか」
「親に向かってアホとはなんじゃアホが。大体俺の賞金で建てた家をようボロ家なんぞと言うたなお前」
「そういうのを語るに落ちるっちゅうねん、最後にG1勝ったの何年前や」
「偉そうな口きくな、まだ一千勝もしとらんひよっこが」
 そうしていよいよギャーギャー止まらなくなってしまった騒動を前にすると、私は自らの鈍感力を最大限に活用して口を挟むより他になくなった。
「泊めて頂けるなら、それで」
「え? マジで言うとんの?」
 言い合っていた総司さんが驚いた風にこちらを向いて言う。
「あ、ハイ。マジです」
「それがええ、そうしてください」
 総一郎先生は満足した風に深く頷いている。
「いや、それでええなら構わんけど……本当にええの? お風呂とかむっちゃ狭いよ?」
 このままではいつまた始まってしまうとも限らない。
「鎬さんの家に泊まれるなんて、ホテルよりよっぽど良い記念ですよ」
 適当に流すつもりで返したけれど、少し本音が混ざっていたのかも知れない。