テレビ画面に映し出されている映像は今日の府中ではなく先週の京都競馬場、オッズも、展開も、勝ち馬のことも、ここにいる全員が知りすぎる程に知っているレースだ。
『――続きましては第五レース、芝一八〇〇メートル、一〇頭立ての新馬戦になります。断然の一番人気は、当然とするべきなのでしょうか、四番アマツヒですが、単勝で1・1倍となりました。この人気、これについて率直にいかがでしょう、解説おなじみ競馬クロニクルの遠山さんです。』
 専門チャンネルのアナウンサーが手慣れた調子でレース前の情報を紹介する一幕にもそのレースの異様さが滲み出ている。出走前から全ての話題を攫っているのは例のアマツヒ君だ。
『――そうですねえ、こんなにかぶるものかと驚きましたかね。馬体は四六〇程度で兄弟と比べるとやや小柄ですが、血統的な背景は勿論陣営から聞かれる話でデビュー前から騒がれていますからね、ファンの皆さんが事情に詳しいという事でしょう』
『実際に走りをご覧になった事は』
『走る馬です、順当に行けば間違いなく勝つと思います』
『なるほど、ありがとうございました……さあ、奇数番各馬がゲートに収まりましてこれから偶数番へ進みます。なお単勝二番人気は八番のペニージョージで9・4倍、三番人気は一番のポンポコリンで13・7倍です――』
 温かい緑茶を啜りながら、画面から視線を外して事務室に残った面々を見る。意外にもとするべきなのか、顔を赤くしているのは一番真面目そうな蓬田さんだけで、大越さんも臼田先生も醒めた表情で画面に集中している。
「このレース、どう見た」
「展開は悪くなかったと思います。前から行ったクリスと明田さんはスタートスムーズに出したし、後ろから行く邦彦さんとサブの馬で巧く挟んでる。全員でアマツヒをマークして負かす乗り方になっています」
 尋ねた臼田先生も答えた大越さんも視線は画面から外そうとせずに、いつになく真剣な表情だ。
「ササクニとクリスの馬も宮代の馬だったよな?」
 その質問は情報役として同席を許された蓬田さんへ向けられたものだったのだろう。慣れた私でも思わず鳥肌が立ってしまうような、研ぎ澄まされた刃のような雰囲気。蓬田さんも、怒られている訳では無いはずなのに、声を向けられた途端に姿勢を正した。
「ああ、えっと……はい、そうです。両馬宮代ファームの生産ですね、ただし笹山騎手のペニージョージはダイナース、クリストファー騎手のグローブタイタスはシュラインですから、所有は別名義です」
「その二つなら結局同じようなもんだろう、要は宮代の集金箱だ」
 いかにも面白くなさそうに、臼田先生は吐き捨てた。二つとも宮代グループ直系のホースクラブで、そして臼田厩舎とは犬猿の仲だ。
 宮代グループが生産した優秀な馬は、セリに出す前に、そうした直系ホースクラブへと優先的に回される。当然よく走るからクラブの評判が上がって出資者が沢山集まる。要するにグループが主催する一口馬主会だ。株を買うような感覚で馬に投資する人たちの窓口と考えるのが適切だろうか。その様子を先生風に言うなら、宮代の集金箱となるのだろう。
「系列クラブの所有に絞ればその二頭になりますが、宮代ファームの生産馬という事ならばこのレースは他に二頭、沢辺騎手のゴッドフリートと村山騎手のアンクルサム、それぞれ個人所有です」
「なるほど……が、レースを見る限り協調する風では無いという事だな?」
 臼田先生は大越さんに視線を向けながら、念を押すような問い方だ。
 大越さんは画面を睨んだまま頷いた。
「少なくともこのレースのアマツヒは徹底的にマークされています。宮代系列の馬、クラブや生産者繋がりで何らかの意思が働けばまず有り得ない展開です」
 レースの録画映像は進み、有名な淀の坂を上り始めている。映像は一番人気のアマツヒを中心に据え先頭から最後方がきちんと収まる様に、集団を映している。アマツヒ君は前を行く馬からおおよそ四馬身程度離れての四番手を集団で追走している……というより、ギチギチに囲まれてしまっていると表現した方が正しいのだろうか、周りの馬から進路を閉ざされて自由がきかなくなっているように私には見えた。
「これは、鎬さんの騎乗ミスなんでしょうか」
 何となく漏らしてしまった言葉は、大越さんに鼻で笑われた。
「普通は、ラビットとは言わずも、宮代系列の馬はある程度共倒れにならないように協調する。ここまで露骨にマークした事実は考えるべき材料なんだよ」
 要するに、周囲が徹底的にアマツヒをマークして潰しに行っているレースであり、総司さんの騎乗ミス云々とは次元が違う話だと言いたいのだろう。一応は関係者なのだからあまり間抜けな分析はするなと釘を刺されたようでもある。
「解せんな」
 臼田先生は小さく呟くと、灰皿を手元に寄せながら煙草に火を点けた。
「宮代本人が個人所有するくらいイレ込んでいる馬なんだろう。重賞ならともかく、新馬戦からこんなにバチバチやらかす理由がどこにある」
「別のレースを使えば良いのに、って事ですよね」
 仮に私が宮代さんの立場だったら、自分の馬を敢えて同じレースに出そうとはしないはずだ。どちらも良い馬で自信があるならなおさら、別々のレースに出して両方とも勝つ事を期待する。それが普通だ。
「そうだ。尤も、宮代の生産馬が他に一頭も出ないレースを探すなど今の日本競馬ではまず不可能な話ではあるからな。そこはお前さんとは違う話だ」
「どうせウチは外様ですよ」
「外様だからウチで預かったんだ、宮代の馬なんざ俺は絶対に受け入れんよ」
 臼田先生は豪快に笑いながら言ってみせるけれども、この話を関係者が聞けば、百人中百人が、干されているのは臼田先生だと言うだろう。今の競馬界で生き残る方法なんて【いかにして宮代の馬と繋がりを作るか】が全て、栗東で総一郎先生が話していたことも結局はそれなのだ。
「その事についてなんですが」
 ふと、蓬田さんは発言を求めるように挙手をした。臼田先生が顎でしゃくるようにして促す。
「このレース展開についてなんですが、どうも宮代さんご本人が意図していたんじゃないかって、そんな噂があります」
 蓬田さんが言うや否やのタイミングで、よどみなく流れていたレースの映像が突如一時停止した。リモコンを手にしているのは大越さんだ。
「話の出所は?」
 よほど気になったのだろうか、蓬田さんの方に身体ごと向いている。
「トラックマンのタナトラさんです」
「タナトラって……確かか?」
「はい、本人が話した場に僕も居合わせたんで、間違いないです」
 大越さんの反応は驚きに満ちていて、答える蓬田さんもスクープを語る記者そのものと言った自信あり気な声色、臼田先生も声には出さないけれども眉を寄せて思考を巡らせているようだ。
「タナトラさんって、誰ですか?」
 唯一人理解出来ていない私は、おずおずしながら、一番聞き易い蓬田さんに小声で尋ねた。
「鎬騎手やクリストファー騎手のエージェントを務めているトラックマンの人で……要は、宮代グループの内情に一番詳しい関係者ですね」
「おお、それならかなり信用できる情報ですね」
 ようやく話の流れを理解出来た喜びから軽い調子で言うと、
「しかし、そんな迂闊な発言を漏らす人間でも無いはずだが」
無言で考え込んでいた臼田先生が横からバッサリ斬っていく。
 提供した情報を疑われた形の蓬田さんは、けれども気後れする事も無かった。
「ですから、ここからが本題ですよ――」
 なおも自信満々の表情でそう言うと、鞄からタブレットを取り出して説明を始める。