Neetel Inside 文芸新都
表紙

出町柳心中
「その終わりによせて」

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 かつて私は小説を書いていた。
 膨大な妄想線上に続く結末を追って私はただひたすらに文字を綴った。
 あれはうだるような夏の日の夜であった。家族や親戚やご近所、はては何かわからない飲み会のビンゴ大会で貰いまくった素麺を憑りつかれたかのように毎日茹で、人一人がギリギリ立てる台所で腕を組みうんうんと唸って文章のネタを考えた。
 生姜をたっぷり入れたぶっかけ素麺はいつもと変わらぬ味がした。窓を開けると夏の夜の匂いがした。少しだけ吹いてくる風に湿気が含まれていて、明日は雨かなと思った。
 ただ毎日がつまらなかった。何もしない毎日というものはあまりにも長く、退屈で、心細かった。
 白川通り沿いの丸山書店に足を運んでも私の退屈を埋めてくれる物語は見つからず、テレビを見てもどこか遠い人の笑い声だけが空虚に響いているようで、素麺を半分ほど食べたところで私は思いついた。
「自分で面白いものを創ればよい。そうだ自分で本を書こう」
 その夜、古本仙人が枕元に立ってこう言った。
「書けるはずがない」
 年輪を重ねた細い指が白い髭を撫で、続けた。
「そんな事より人としてもっとこう、普通に生きたらどうか」
 普通とはいったい。生きるとはいったい。次々と装填される明日を消費することが普通の生き方なのだろうか。旨いものを食べて旨いと言う。仕事で成功してお金を稼ぐ。綺麗な服を着る。美しい景色を見る。好きな人と一緒に過ごす。
 喜怒哀楽を繰り返して今日を過ごし、明日を待ち、昨日を懐かしみながら、そうして生きていくことが幸せな生き方なのだろうか。
 それはただ緩やかな死の中にいるだけなのではないか。
 私は少し考えてから、古本仙人に言った。
「放っておけ」と。

 ○

 それから私はいくつか文章を書いたが、短編集を書いていた途中くらいから自家中毒に陥りなんとか書き終えてからペンを置くことにした。
 いつしか自分を楽しませる文章はどこかの誰かに読ませる文章に変貌し、頭を悩ませる回数が増え、精神薄弱な私は書く辛さや他人の期待に耐えられなくなった。
 日常が忙しくなり、退屈が紛れ始めていたのかもしれない。
 大いなる暇が創作意欲を掻き立てていたのは確かであった。
 人というものは何もないと何かを創り始めるらしい。人類はそうして文明を築き発展してきたのだなと鼻くそをほじりながらそんなことを考え、旨いものを食って旨いと言い、仕事で金を稼ぎ、その給料で綺麗な服を買って、好きな人のそばで過ごした。長い月日が流れた。
 私は普通に生きていた。
 私はもう、後藤ニコではなかった。

 ○
 
 桜が落ちて新緑が辺り一面に揺れている日のことであった。
 私はふと思い立った。大変世話になったくろさだ先生に連絡を入れてみたのである。理由は様々であったが、報告したいこともあったし、あれからくろさだ先生はいかがお過ごしなのかも気になった。
 丁寧な季節の挨拶から始まる私のメールは、まるで昔の恋人に宛てた手紙のようで少々気恥ずかしくもあったが、過去を懐かしみながら子猫の腹を撫でるような暖かなやりとりを期待し先生の華墨を待った。
 返事はすぐにきた。
「MAILER-DAEMON」
 私は握っていたスマホを思い切り叩きつけた。

 ○

 こうしてくろさだ先生を探す遥かなる旅路が始まったのである。
 最初の街で聞いたところによると最近は街の周辺に魔物が出没するという噂を耳にし、まずは仲間を見つけて旅立ったほうが良いとのことで私はルイーダの酒場で仲間を募集したがなにぶん不細工で貧乏で不潔で甲斐性がなく笑うと不気味と言われ職務質問常連で魔法使いのくせにマジックポイントが2の私についてくる者などいるはずもなくフィールドに出る前から無性にリセットボタンを押したくなった。
 熾烈を極める人探しの旅はますます厳しさを増し、国際警察に逮捕されシベリアの地下牢に監禁されたり、南米の奥地で原住民の生贄にされそうになったり、アナコンダに丸呑みにされたり、虎が樹の周りをくるくる回ってバターになったり、灰皿でテキーラを飲まされたり、財布を落としたり、親知らずを抜いたりと散々な目にあった。
 もうダメかと思い、窮余の一策としてツイッターに投稿したところ「ここにおるぞ」とくろさだ先生が現れた。
 便利な世の中になったものである。
 私はいくつかネタがあるからまた書こうと思う。だから表紙を描けと願い出た。するとすぐさま腕を振るってくださり出町柳心中の表紙が完成した。
 さすがくろさだ先生である。福屋工務店なみに仕事が早い。私は「ちょろいもんだ」と思いながら何の礼もすることなく、あたかも自分で描いたかのような無恥厚顔の様相で表紙を飾り、全ての連絡先を消去し、くろさだ先生をぼろ雑巾のごとく使い捨てたのである。今、先生はアリゾナの墓地に眠っておられる。
 そうして私はなんとなく電子の世界で再び筆を執った。
 まだ書けるものである。書くのは楽しいものである。それを誰かが読んで、面白いを共有できるのは素晴らしいことである。
 私は貴方の暇にそっと埋まることができただろうか。そう思いながら最後の文章を書いている。

 ○

 さて、もう行かなくてはならぬ。
 また諸君の前に現れては何かを書くかもしれないし、書かないかもしれない。
 その時に創作をしているのか、していないかさえもわからない。
 誰かが決めることではない。私が決めることだ。
 その時にもし会えたら、また名前を呼んでくれるか。そうなれば、私はまた後藤ニコになれるだろう。

 ○

 最後に。
 ここまで読んでくださった方。
 現実世界で私の活動を応援してくださった方。
 様々なお誘いや提案を下さった方。
 旧知のお知り合いだった方。
 新たに私を知ってくださった方。
 その皆に幸があらんことを。

 ○

 親愛なる読者様。
 ありがとう。

       

表紙

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Neetsha