「青色猫型 其の二」

 学校から帰路に就く途中、ふと脇のゴミ捨て場に目がいった。ゴミ袋からひょんと顔を出しているのはぬいぐるみであった。
 私はふいに懐かしさにとらわれゴミ袋からぬいぐるみを出してやった。薄汚れあちこち虫に食われて中綿がはみ出しているが、それは確かにクマのぬいぐるみだった。顔についた埃を払落し、しげしげとその円らな瞳を覗き込んだ。クマも同じようにしてこちらを見つめている。
 家に帰るとまたもやドラえもんがだらしなく寝転がり氷菓を舐めていた。もう秋だというのに、ドラえもんと同じ色をした氷菓を一心不乱に舐めている姿は異形である。私は彼を冷ややかに一瞥し胡坐をかいた。
「おかえり」とドラえもんがこちらに視線をやると同時に表情が曇った。
「あ、またガラクタを拾ってきたな」
「ガラクタじゃない」
「ん、ぬいぐるみか、汚いなぁ」
 私は青狸の言葉に背を向け閑却し、ぬいぐるみを抱えたまま座り込んだ。鼻から等閑視するドラえもんにさっそく腹を立てた。
 私は押し入れから家庭科で使用した裁縫箱を引っ張り出し、おもむろにそれを広げた。
 ドラえもんは怠惰に図体を絡めたままこちらを眺めていた。
「何するの?」
「直すんだよ」
「大丈夫なの?」
 針に糸を通し耳の付け根に狙いを定めた矢先、裁縫針が私の人差し指を突いた。
「ほら、言わんこっちゃない」ドラえもんが言った。
 私は立ち上がり、いよいよ鼻持ちならずに応酬した。
「文句ばかり言うなら出て行けよ! こんな状態じゃ可哀想だろう!」
 私は再びドラえもんに背を向け毅然とその場に座り込んだ。再び裁縫針を耳の付け根に通した時、赤と青の風呂敷が私の前に落ちてきた。
「あ、タイム風呂敷」
 そう言って振り返ると、ドラえもんは私に背を向けていた。何も言わず、ただ深い青の図体が横着に横たわっていた。

 ○

 次の日、私はジャイアンに殴られた。耳の辺りを平手で殴打され、金属音が脳内で響いた。髪を引っ張られ、わずかに抵抗した瞬間右頬に一発を食らった。原因は判然とせぬ。ただ「いつもの」出来事だった。昨日殴られずに居られた事がむしろ珍しい。
 私は息も絶え絶えになりながら家の玄関に辿り着き、居室にてのさばるドラえもん氏に助けを要請した。が、いつもそこで寝ているドラ公が今日は珍しく不在であった。私は流れ落ちる涙をぬぐい、行き場のない怒りの矛先をもう一方にも向けた。「肝心な時にはいつもいない」
 やがて空が焼けてもドラえもんは戻ってこなかった。まだ殴られた右頬に鈍痛が残っている。
 今になって気付いたが、やけに今日は静かである。母の足音さえもしない。ひとまず右頬を冷やそうと一階へ降りてみると、ラップに包まったオムライスと置手紙があった。
 のびちゃん。今日はママとパパ、親戚のおうちへ行きます。オムライス温めて食べてください。ドラちゃんは未来へ帰って夜遅くなるそうです。悪さしちゃだめよ。
 私はコップ一杯の水を飲んだ後、氷も持たずそのまま踵を返し、居室へ舞い戻った。ひりひり痛む右頬を少し摩り、膝を抱えた。
 何故だか、強烈な心細さに襲われていた。
 私は机の上に飾ってあったクマのぬいぐるみを抱いてみた。昨日のひどい痛みが嘘のように汚れも破れもなく、まるで新品同様となっている。
 少し、ぬいぐるみを撫でてみた。優しい温もりが伝わってくる。ああ、そうだ、こんな時、優しい手が私の頭を撫でてくれた。一人っ子である私の傍にいつもいてくれた。どんな時でも私の味方で、唯一無二の存在だった。
 私はまた、おばあちゃんに会いたくなった。

 ○

 一度、私はドラえもんとタイムマシンに乗って八年前に行った事があった。おばあちゃんに会うためである。
 一人っ子であった私の話し相手はいつもおばあちゃんであった。嬉しかった事、悲しかった事、他愛もない話、なんでもおばあちゃんに話した。おばあちゃんはただただ、私を優しく見つめたままゆっくりと頷き、最後には必ず「よかったわねぇ」と頭を撫でてくれた。
 私はおばあちゃんの膝の上で眠る事が大好きだった。昔、庭先に植えられていた柿木を眺めながら、おばあちゃんに本を読んでもらった。秋の乾いた風に揺られる柿の葉の音を聞いていると心地よくなっていき、いつの間にか眠ってしまった。ただ私は幸せだったように思う。おばあちゃんの膝の上で眠ると、とても楽しい夢を見ることができた。
 幼少の頃からいじめられっこで泣き虫だった私は相変わらずジャイアンやスネ夫に泣かされていた。クマのぬいぐるみを取られそうになり、引っ張り合いになった時、ぬいぐるみの手が破けてしまった。私は悔しくてたまらなかったが、仕返しもできず、何か言い返す事さえも出来ずに泣きながら家に帰った。
 そんな私を見ておばあちゃんは何も言わず抱き上げてくれ、「おやおや、クマさん、破れちゃったねぇ」と破損した部分を丁寧に縫い上げてくれた。
「仕返し、できなかったんだ」と私はおばあちゃんに言った。
 おばあちゃんは優しく微笑みながら「いいのよ、仕返しはしなくていいの。のびちゃんはそれでいいんだから」と私の頭を撫でた。何故、仕返しをしなくていいのか、毎日やられっぱなしでただ泣いていればいいのか。
 私はおばあちゃんの言葉に突っかかる事もあった。おばあちゃんが縫い上げてくれたパッチ部分の生地が「古臭い」「格好悪い」とぬいぐるみを投げ捨てた事もあった。
 一度、冬に差し掛かろうとする日に「花火がほしい」と駄々をこね、足の悪いおばあちゃんを連れまわした事もある。あるはずもない花火を探して、おばあちゃんは私の気が済むまで付き合ってくれた。しかし、私は花火が手に入らぬ事をおばあちゃんのせいにして、おばあちゃんを隣町まで行かせてしまった。おばあちゃんは「はいはい」と言って玄関を出た。
 ドラえもんと八年前へ行った時、花火を買いに出て行ったおばあちゃんの後を付けると、おばあちゃんは一人空き地に座って暮れゆく空を眺めていた。花火が売っていない事くらい、誰にだってわかる。幼少の私もどこかでそう思っていた。だけど、何でも叶えてくれるおばあちゃんが、私の願いを聞いてくれない事に腹が立って仕方がなかったのだ。
 小学校へと上がる前におばあちゃんは体調を崩して寝込んでしまった。そんな時でもおばあちゃんは私を気にかけ、時折母の目を盗み床から抜け出ては私にホットケーキを焼いてくれた。
「せめて、のびちゃんがランドセルを背負っている姿が見られればねぇ」そう言っておばあちゃんは微笑んでいた。
 優しかったおばあちゃん。いつでも、どんな時でも私の傍にいて、私の味方でいてくれた。呼ぶと必ず返事をしてくれた。
 だけど、それなのに。私はわがままばかり言っていた。

 ○

 目を覚ますと窓の外はすっかりと暗くなっている。どうやら眠っていたらしい。
 クマを抱いたままの身体を包み込む暖かな温もりに気が付くと、いつの間にか布団が掛けられていた。
「起きたか」ドラえもんがいた。
 ドラえもんは何も言わず重たそうに腰を上げ階段を降りて行った。起き上がり、殴られた右頬を触ってみるが、もう痛みはなかった。
 しばらくしてドラえもんが部屋に戻ってきた。手にはオムライスとサラダがあった。
「そんな格好で寝ていたら風邪ひくぞ。さ、食べな。食べたら宿題やるんだよ」
 ドラえもんは不躾に座り込んだ。
 私はオムライスをひとすくい、口に運ぶ。温かい。懐かしい味だった。
「なぁ、ドラえもん」私が言うと「なんだい?」と返事をした。
 私は「なんでもない」と少し笑みを含んだ。
 ドラえもんが呆れたように「なんだよ、それ」と言ってまた氷菓を舐めはじめた。
sage