ブルースマンの幻影

「すみません…これ試奏しても良いですか?」

彼女は、眠たそうにしている店主におずおずと声をかけた。
そのお店は楽器屋兼レコード店らしく、壁一面に今まで見たことのない
CDやレコードがビッシリと飾ってあり、思わずその威圧感に
押しつぶされそうになるのを堪えた。

「ん?ああ、良いよ、勝手にそこのアンプ使って音出して。」

「はい、ありがとうございます。お借りしますね。」

彼女は彼女自身の分身のような真っ黒なテレキャスターを手に
アンプにシールドを差し込んだ。

ブツッ…ブー…ガチャ

ジャーン!

弾かれる音を聴いた瞬間、彼女の顔色が変わった。

その異様な佇まいから叩き出される音色は…ひたすら鋼鉄だった。

今、例えや比喩として、鋼鉄のような音という例えを出したけれど、
それは決して言い過ぎではない。むしろ、それ以上の言葉が見つからず
己の語彙力やボキャブラリーの無さを痛感し、ただただ呆れ果てるしかなかった。

しかし、これだけは確実に言える。
そのギターの音は彼女にとてもよく似合っていた。

一発で気に入り、早速購入することになり、店主に値段を尋ねる。

「決めてない。これもいつウチにあったのかすら、とっくに忘れた。
私も歳をとりすぎた。全く…老いるのは嫌だねぇ。」

「え!?それじゃあ、どうしたらいいんですか?」

「そうだねぇ、私は昔からブルースが好きでね。何か1曲弾いてくれないか?
それを聴いて良かったと思ったらタダで譲るよ。とても気に入ってるようだからね。」

突然突き付けられたブルースという注文。
そういえば、既存の曲を聴くのは初めてだなとふと思い出した。
正直、果たして出来るのだろうかと心配になったが、
注文を受けた彼女は少し考え、そしておもむろに弾き始めた。



かつて存在していた枯れた大地

そこに打ち捨てられたギター

疲れきった魂

奴隷な毎日に迎える酒と唄

今日も乗り越え耐えきった

今日も乗り越え耐えきった

今日も乗り越え耐えきった



「…はっ!」

気が付くと知らないはずの風景の中に沈んでいる自分を見つけた。
スーツを着込んだ黒人が俯きながら酒を呑み、虚空に向かい呟いていた。

それは時代を超え、かつて酒場の片隅に座り込んだブルースマンの幻影が
彼女の身体と喉と手を憑依し、一時的にこの世に降り立ったかのような、
そう錯覚させてしまうような演奏だった。ギターの音色そのものが意志を蘇らせ唄っていた。

店主は何も言わずじっと静かに彼女の音に耳を傾けていた。

「…ありがとう。」

そう言い、奥からギターケースを取り出し、彼女へ差し出した。

「今日からそのギターは君のモノだ。きっとそいつも嬉しいはずだよ。
こんな埃まみれの店からやっと外へ飛び立てるんだからね。」



こうしてその真っ黒なテレキャスターは彼女の手に辿り着いた。