ライブハウスで出会った少女

今思い返しても、あの血が凍えるような衝撃はもう味わえない、と思う。

流れ出す音に、全細胞、全神経がチリチリと焼けるように震え、反応している。
この音は確実にヤバい。けれど、何だろう…痛々しくも突き刺さっているのに
全身を包むようなこの感覚は…精神もひっくるめて、何もかも持ってかれそうな。
拷問だと思っていたその音を聴き続けている内に自分の中の変化に気が付かされた。

聖なる光りを満遍なく浴びたような、生命を余すことなく強制的に肯定されたような気持ち。
これがいわゆる危ない宗教にハマるような人達の気持ちってヤツなのか。

…いや、違う、既に洗脳されていたんだ。
洗脳されている自分自身を疑い始めた。

ココが「地下」だという事を忘れていたのは、生まれてからここまで長きに渡る
与えられた環境に対し、何も疑わずそれを当たり前のように享受し、
知らない内に形作られ、凝り固まり、蝕むように麻痺していたからかもしれない。
だってそれが日常だったから。
今になって怖くなってきた。怖いという気持ちをまるで初めてのように感じていたのが
ひたすら怖ろしかった。
けれど、恐怖を思い出すことが、出来た。

洗脳は分かりやすい形で提示されない。そんなもんじゃない
洗脳は無意識レベルに食い込むから洗脳足りえる。本当の洗脳。

轟音で震え続けるそこそこ高い天井をふと見上げた。
照明に照らされていない天井は不愛想に黒く
得体の知れない感情が渦巻いているような気がした。
どうやったのか、どこぞのバンドの灰色に乾ききった傷だらけのフライヤーが
真ん中に1枚だけ貼ってあった。それが妙に間抜けな感じに見え、
何故かそれをしばらく眺めていた。


俺は未だ本当の空の色すら分からない。


目の前に確実に居る、白髪の小柄な少女は俺なんかより間違いなく、
空の色を知りたいと思っているのかもしれない。
これは勝手な妄想だ。けれど、何故かそう確信したくなった。
他の誰よりも繊細で擦り切れ果て、何もかも投げ捨てたくても、
それでもこの世界で自分を保とうと、現状を突き破ろうと、
だからあんな大きな音で突き破ろうと…



……

………

それにしてもデカい。デカすぎませんか?
もう耳が限界っすよ…。
と泣き言を垂れたくなった瞬間、それは突然終わった。

その時、ふと、呼吸…あ、今、呼吸してる。
そんな当たり前すぎることを、急に思い出した。
まるで世紀の大発明かのようなその事実に今更驚き、戸惑った
まさか音を聴いて、自分が呼吸をしているという意識に気づくなんて、
今までどうやって俺は呼吸してきたんだろう。
それは本当に不思議な体験だった。

呼吸の仕方を知っているだけで奇跡だよと、あるシンガーが呟いていたのを思い出した。

楽しいだとか、悲しいだとか、そんな知覚出来る感情も捉えきれないような、
なんかうまく言葉に出来ない、出来ないが、
日常と非日常の境界線、それは極めて薄いけれど、
どこまでも底の見えない深い狭間へ吸い込まれ、
俺はかつて数十分前の自分には戻ってこれないんだなと痛感した。

眩い照明の逆光でシルエットだけしか見えなかったが、
彼女は見たことのない黒い制服を着ていた。まだ学生なのか?
足元の床にはおびただしい数のエフェクターが律儀に整列しているかのように並んでいた。
よく見るとエフェクターのひとつひとつにシールが貼ってあった。
デフォルメされ、記号的されたどこかのマンガのマスコットキャラクターが
可愛らしく無機質に虚ろ気に笑っている。
今しがた爆撃のような惨劇の後では戦争に突っ込む際に使用する最終兵器と
玉砕に準じる兵隊達にしか見えなかった。


演奏し終えたテロリストの少女の頬には一滴だけ汗が流れていた。
まるで人形が汗をかいているようで、とても珍しいモノを見てしまったような気がした。


彼女の顔は痛々しいほど、心配になるほどあまりにも幼すぎた。