ラジオとアクセスナンバー

それから俺は地下を抜け出し、羽音純の音を聴きに行った。

ステージの上の彼女は一切笑わなかった。
いつも通り常軌を逸した演奏を終えると、拍子抜けするほど小さな声で
誰に向けているのか不安になりそうなくらい消え去りそうな言葉で、
自分の名前と次のライブ予定を弱々しく呟いたと思ったら、
エフェクターとギターを心底重たそうに引きずるように運び、
フラフラと楽屋へ引っ込んだ。

演奏後の彼女はいつも茫然としているようで、
ポケーとチョコレートをゆっくりかじりながら、
じっと演奏を聴き、いつも所在なさげに佇んでいた。
音源など何も無いのに、物販が並んでいるテーブルの椅子に座り込んでいた。

彼女に話しかける対バンはほとんどいなかった。
彼女の音はどこにも交わろうとしていなかったし、ライブハウスという場だけでなく、
まして時代の空気を全て無視していた。どこまでも、どこまでも。

そのあと続いて出演するバンドのメンバーは笑っていた。とにかく楽しそうに。
どこかで聴いたことのあるような、とてもありきたりな演奏を。
僕もかつてそちら側の人間で、普通の音楽好きだった。
だから、調子に乗れば手拍子なんぞ叩き、ノっていただろう。
けど、彼女の音を聴いて以来、何かが抜け落ちたかのように何も感じなくなってしまった。
もうあの頃の自分には戻ることはできないんだということをそこでまた悟った。
戻りたいと願っても、もう遅い。もう戻ることは出来ない。

彼女のギターの音は…あれは一体何だろうか。
音楽はよく魔法と比喩されるが、そんなファンタジーちっくなもんじゃない。
こんな言葉が存在するのならば


白呪術


一度掛かったら二度と解くことの出来ない。
俺がかつて地下室で受けてきた洗脳とはまた別のモノ。
強度を持って収束していくような、自分のどこまでも追い立てることの出来る音。


ポン!ティロリーン!


…もうお終いか。


俺は慣れた操作でログアウトの手続きをし、
重々しいヘッドセットをゆっくり外した。


俺達は薄暗い地中の中に生息している。その現実を少しでも紛らわせる為、
あらゆる日常や娯楽をヴァーチャルで享受出来るようになっている。

ここには生活などありはしないから。
ありのままの現実を全て享受すれば、誰もが狂う。
俺はそういう人達をもはや何も感じなくなるほど見てきた。

ラジオには音楽と共にアクセスナンバーが流れる。

この番号を使ってアクセスすれば、聴覚だけじゃないリアルな視覚疑似体験が得られる。
最近の技術は本当にすごい。ここまで進んでいる。いや、人類は衰退こそすれ
未だ一歩に進んではいない。環境だけが急速に加速し、それに取り残されないよう
必死にしがみついているだけに過ぎない。
皆が寝静まった後、俺は隠れていつもこうして密かに彼女の音を聴きに行っている。

順応な優等生になれば、この存在を教えてもらえる。
今では宗教の世界にもVRは必要とされている。優秀な奴にだけ、
このヴァーチャル空間を与られる。
だが、本来の使い方はマインドコントロールや修行の為なのだが、
しかし、それはアクセスナンバーを知らなければの話だ。

俺はこのラジオを手にいれてから、他の世界へアクセスする方法を得た。
何があってもこれを無くすわけには絶対にいかない。

こんなところで狂わない為にも。
狂わない為にも。
狂わない為にも。
狂わない為にも。



彼女の音が必要なんだ。
sage