エントリー

彼女の音に対する執念はどこへ向かうのだろうか。
振動を通り、空間の狭間を切り裂きながら埋め尽くすあの音。
彼女にしか出せない音。決して楽しい音ではない。むしろ盛り上がるような
賑やかな場所であればあるほど、彼女の音はその場にいる客を凍り付かせ、
否応なしに平等に孤独にさせる。

音楽は気楽で楽しい気分を提供させるモノではなかったのか。

だが、彼女の音が与える孤立感には得体の知れない
心地よさを感じることが出来た。


彼女の音にふれている間だけ、俺は地下にいることを忘れることが出来た。
閉じ込められているという事実から抜け出すことが出来た。


彼女の目指している目標、大きなイベントに出て、沢山の人の前で演奏する
いわゆる売れるということにはとことん無頓着だった。
けど、果たしてこのままでいいのだろうかと思う様になった。
俺はマネージャーとして、もっと色んな人に彼女の音を
聴かせるべきなんじゃないかと思い始めた。

無欲過ぎる気持ちとは裏腹に彼女の音には力があった。
純粋な音の結晶。
ただ答えを求め続けている人だけが得ることの出来る音の魔力。

…そう、地下で演奏を続けている彼女に空を見せたいと思った。
空の色すら知らないままでいさせたくない。自己勝手な想いなのも百も承知だ。

野外フェスがあることを知ったのはつい最近だ。
ヴァーチャル空間でなく、本当の世界で開催する大型イベント。


俺の過去も俺の世界も何も変わりなんかしない。
だけど、彼女の音をこのままいさせるわけにはいかない。
彼女の音は大空へ解き放つべきだ。
そうあるべきなんだ。
こんなにも外に出たがっているのだから。悲しいほどに。


だって、彼女の寿命はもうあと僅かなのだから。


突然告げられた事実。呆気ないほど残酷過ぎる寿命。
とにかく時間が無いってことだけは分かった。分かった?分かっただって…?
何を言っているんだ。何を言っているんだ。何を言ってるんだよ!
それを知らされて以来、俺は頭が真っ白になった。
羽音純はそれでも相変わらず演奏をし続けた。鋭さを増しながら。
彼女の音はここで終わるのか?終わってしまうのか?

この透明な騒音を
音を
バトンを
誰にも渡さずに終わってしまうのか?

聴いて欲しい。たった一人でも良い。かつての俺のように受けた衝撃を、
この音を次に繋げてくれる人が、たった一人でも良い。
俺の身体では届かない。正直、悔しい。だから探し出す、
彼女の音を繋げてくれる人を絶対に見つけ出す。絶対に。
きっとどこかに必ずいるはずだ。


彼女の音を世間に轟かしてやる。


だから頼む、
忘れないでくれ、
届いてくれ、


俺達は野外フェスにエントリーをした。
誰も気が付いてくれないかもしれない、けれど、
どうか彼女の音が大空へ突き刺さるほど、大勢の人に聴いて欲しいと

願いながら。
sage