加湿機

覗き穴

 教室の後ろ、ロッカーの上にその加湿機はあった。誰が持ってきたのかは知らない。夏だというのに動いていた。加湿機は冬に使うものだと思っていたけど、隣の席の女子に聞いたら冷房で乾燥するらしい。一番後ろの窓だけ白く曇って外が見えない。一撫でして覗き穴を作ると制服のズボンで手を拭いた。校舎の裏側で一人サボる女。今日もいる。僕は手を挙げた。トイレ行ってきていいですか。駄目とは言えない。教師はそう応えた。
 暑くないのか。そう聞いた。暑いよ。彼女はそう応えた。そのまま隣に座ると、そこはあんたの席じゃないと言われた。少し悔しくなった僕は、もうなくなりかけてる覗き穴を指さした。あんたの席だってあっちじゃないか。それを聞いた彼女はうんざりといったような顔をした。まあ僕だってもううんざりだった。だから教室から出てきたんだ。ここに何かあるのか。そう思って彼女に聞くと、何にもないよ、と彼女は答えた。あの頃は何でも楽しめたのにな、と彼女は付け足した。中学校の頃? と聞くと、彼女はもっと前だと言った。じゃあ、僕はいないな、と告げた。別に私の中にあんたはずっといないと言われた。誰もいやしない、と彼女は付け加えた。
 それから後も、僕はたまに教室を抜け出した。
 暑くないのか。そう聞いた。暑いよ。彼女はそう応えた。そのまま隣に座ると、あんたも暇だね、と彼女は言った。なんであんたたちの教室のあの窓だけ曇っているのか、と彼女は聞いた。あんたの教室でもあるだろう、と僕は返した。返事がなかったから、加湿機のせいだ、と付け加えた。こんなにジメジメしているのに、と彼女は驚いた表情を見せた。
 暑くないのか。そう聞いた。涼しくなってきたよ。彼女はそう応えた。そのまま隣に座ると、世界なんて終わっちゃえばいいのに、と彼女は言った。子供じゃないんだから。そう笑った後に、そうだね、と僕は付け加えた。この世界はまるで僕らの居場所を用意してくれていないし、手に入れるために戦う気力なんてとうの昔に折れていた。それなのに校舎の外までははみ出しきれない僕らは同じだと思った。本当はもう少しはみ出したら何か変わるのかもしれない。彼女とならはみ出してもいい気がした。
 暑くないのか。そう聞いた。もう寒いよ。彼女は笑わずにそう言った。そのまま隣に座っても彼女は何も言わなくなっていた。僕は覗き穴を見つめながら言った。付き合わないか。誰もこちらを覗いていない。そういう気持ちだったならごめん。彼女はそう言った。そっか。それだけを何とか口にして僕は教室へ戻った。教室の窓は一面真っ白になっていた。僕は彼女を本当に好きだったんだろうか。自分の中の狡さに支配されている気がした。いつでも教室に帰れる僕はどこかで彼女のことを見下していたんじゃないだろうか。教室の窓は一面真っ白になっていて、もう覗き穴は開かない。