Neetel Inside ニートノベル
表紙

カカカカ角野卓三デ×7ディストラクション
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 深夜の闇を切り裂く白い息。肉付きの良い少女がひとり、住宅街を駆けて行く。

 運動不足による息切れから脇腹に訪れた鈍痛を堪え少女は何かに追われているように後ろを振り返る。眉の上で切りそろえた前髪は乱れ、SNSで話題を集めているインフルエンサーと同じ形状の丸眼鏡は汗と共に輪郭に食い込んでいる。

 角を曲がって走る速度を緩めると少女は両膝に手を置いて立ち止まり大きく息を吐いた。

「ここまでくればしばらくは大丈夫」

 夜露に濡れた街路灯が彼女の顔を照らし出す。その顔は俳優の角野卓三にとても良く似ていた。


――平成三十年某日、ときの権力者『おうさま』はある法案を行使した。

「自分と似た顔の人間を排除せよ」

 その余りにも身勝手に思える法案に一時は列島が震撼したが「確かに権力者と同じ顔の人間は居てはいけない」とすんなり国民に受け入れられた。

 それにより『おうさま』に似た顔の人間、動物及びキャラクターは全て国民の目から排除された。抵抗する『該当者』たちは武装した自衛隊に粛清され、シチューのイメージキャラクターは痩身の美女モデルへと成り代わった。

 畜生、静かに降り出した雨の中で疲労と恐怖から震え出した自身の膝に少女は拳を振り下ろす。

 なんで私がこんな目に遭わなくちゃ行けないんだ…『おうさま』に顔が似ているから殺されなきゃならないなんて、こんな世の中狂っている。私が変えなくっちゃいけないんだ!

「ここに居たぞ!」
「しまった!」

 正面の角から軽装の兵隊が少女に向かって近づいてくる。声に反応したように後ろからも追いかけてきた兵隊が逃げ場を塞ぐように少女に盾を向けた。

 絶体絶命のこの状況。少女は四方を囲う兵隊の中心でちいさく呪文のような言葉を呟いた。

 丸顔のクレアおばさん似の少女、晴菜がチンチンカイカイ、ガリデブン。と唱えると彼女の顔の横に虫歯菌をイメージした黒い全身タイツを履いた妖精や悪魔と見間違う大きな蛾のような羽の生えた少女が出現した。

「あらなに~、こんな屈強な男たちに囲まれちゃって~。私も一度でいいからこんなマッチョたちに激しく求められてみたいわ~」
「そういうボケいいから!早く私を助けなさいよ!」

 晴菜が助けを急かしている相手、兵隊の目には映らないその妖精の名はハルカ。両親の居ない晴菜は子供の頃からある魔法が使える。困ったとき、寂しいときにさっきの呪文を唱えるとこの前歯の神経が死んだ妖精が現れて晴菜の窮地を救ってくれるのだった。

「たらららったら~、透明になれるアメ~」
「はやくよこしなって!」

 ハルカがタイツの間から出した丸いアメをちいさな腕から奪い取って口に頬張る晴菜。様子を伺っていた兵隊たちがじりじりと距離を詰めてくる。彼らの間合いを見ながら晴菜は急いでアメを噛み砕く。


――『極ヒ道具』。天涯孤独の晴菜に妖精のハルカがお助けアイテムとして毎週2回だけこのように道具を貸し出してくれる。貸してくれる、と言っても今のところ返済期日は無く、ハルカがタイツからそれを出しさえすればそのアイテム類を晴菜は自由に使用する事が出きる。

 しかし、ハルカが適切に極ヒ道具を出してくれるとは限らず、晴菜は毎回ヒヤヒヤさせられる。さながら巨悪の脅威に立ち向かう魔法少女モノアニメのように。


「どこへ行った?」
「探せ!まだ遠くは行っていないはずだ!」

 がちゃがちゃ武装を揺らしながら騒ぎ出す兵隊たちの間を縫うようにして透明になった晴菜がその場から立ち去っていく。アメの効能である五分間の間に逃げ切ることが出来た。額の汗を拭って安全と思わしき隣町のコンビニの駐車場で晴菜は口の中でちいさくなったアメを噛み砕く。

「いや~今回は危なかったね~。あのアメ使うの晴菜が中学の修学旅行の時以来だったね~」
「うっさいわね。嫌な事思い出させないでよ」

 店内で会計を済ませながら耳元のハルカに声を返す。あの時は不良のミツコと同じ班になっちゃって、自由行動の時にずっとハルカから貰ったアメを舐め続けてやり過ごしたのだった。

「あの時、あんなズルしないで一緒に奈良回ったらあの子とも仲良くなれたのかもしれないのにね~」
「そん時とは状況が違うわ!あんな連中となんて仲良くなるどころか、連れて行かれて殺されるだけ」

 ゴミ箱の前でペットボトルのコーラを飲み切って暖めてもらったハンバーガーを摘まむ。一緒に購入した変装用の黒キャップを被るとハルカがおずおずと訊ねてきた。

「あの、アメリカの映画監督ですか?」
「マイケル・ムーアじゃねぇよ!」

 深夜の駐車場に突き抜ける大音声。自分と同じ顔の人間を殺す?ふざけんな。そんな暴挙が許される訳なんてない。メチャクチャに権力を振りかざす『おうさま』なんて要らない。

 そんなふざけた『暴君』は私が、改心させなくなければならない。

「さ、行くわよ」

 耳元で囁きかけるハルカを無視して私は当ても無く朝焼けに煙る町を歩き出した。

     

 昼前の商店街、ラーメン屋に入った晴菜が運ばれてきたどんぶりに箸を伸ばす。午前中、足が棒になるまで町を歩き続けたが『おうさま』に繋がる情報は無し。

 半分程器の中身を胃袋に片付けて水の入ったコップを掴みながら溜息をつく。そんな晴菜を見て彼女の使い魔?であるハルカが耳元で笑う。

「いやー、どうすれば『おうさま』に近づく事が出きるんだろうねー」
「……知らないわよ。でもこのままバレないように過ごすにしてもジリ貧だし、なんとかしなくっちゃ」

 自分に言い聞かすようにコップをテーブルに置きつけるとどんぶりを持って伸び始めた麺を勢い良く啜る晴菜。それを見てハルカがちいさく笑って呟いた。

「あの…暑苦しいロック歌手の方ですか……?」
「サンボマスター山口じゃねぇよ!顔の前で箸を動かしてんのがギターを弾いてるように見えちゃったんだね!てかいちいち説明させないでよ恥ずかしい!」
「ちょっと、そこのふたり、!うるさいよ!食事中は静かにしてくれなきゃ!」

 男の細い声が店内に伸びて慌てて晴菜は口からどんぶりを外す。湯気で白く濁った眼鏡が元通りに戻っていくとカウンター越しに割烹着の青年が腰に手を当ててこっちを睨んでいた。

「他のお客さんも居るんだ。それにランチタイムは書き入れ時だ。食事が済んだならおしゃべりせずに早く出て行ってくれないか」
「なんなのよアンタ!レディに対して失礼じゃない!」

 立ち上がる晴菜を見て坊主頭の青年がいやらしく口元を歪めて笑う。

「ああ、女性だったのか。てっきり緑色したアメリカ映画のキャラクターかと思ったよ」
「シュレックじゃねぇよ!てかシュレックも男だし!お会計は…食券だったわね。食べ終わったし迷惑みたいだからそろそろ失礼するわ」

「はい、ありあとあしたー」「ねぇ、ちょっと」伏せ丼を取りに来た店員に対して晴菜が勝ち誇った表情で訊ねる。

「アンタさっき私達の事二人組だって言ったわよね?このハルカは一般人には見えないはずよ…なにか『おうさま』について知ってるんじゃない?」

 自分の隣に浮かぶハルカを指差すとそれを青年が目で追う。「マヌケは見つかったみたいね」青年はしまった、という顔をして頭の上の潜水艦みたいな帽子を外して晴菜に小声で囁いた。

「休憩時間に店の裏に来てくれ。話したいことがある」
「ちょっと、どういう…」
「営業時間中は無理だ。後で話す」

 他の客に気付かれないように自然なやりとりをして晴菜は店を出た。少し顔の赤い晴菜を見てハルカが冷やかしてきた。

「あれ、ひょっとしてオトコからの呼び出しなんて初めてだから緊張してるんでしょ~。も~、晴菜ったらウブなんだから~」
「ち、違うわ!スープの味が濃すぎただけ!」

 ハエを払うようにハルカを無碍な態度であしらいながら商店街を抜け、ネットカフェで時間を潰す晴菜。…私は今までこの顔のお陰で恋愛なんてした事がない。

 私の所にもいつか素敵な王子様がやってきて誰も私の顔の事をとやかく言う人の居ないどこか遠い場所で暮らせたらいいのに。約束の時間になりラーメン店の裏駐車場に来ると待っていたラーメン屋の青年が晴菜に改めて自己紹介をした。

「さっきはすまなかった。僕の名は御成 一樹おなりかずき。『おうさま』の息子だ。今は社会勉強で下界に出てきている」
「えなり君出て来ちゃった!角野卓三の息子がえなり君って安直すぎない!?作者絶対渡鬼見たことないでしょ!」

 ありあまる情報量、もといツッコミ所に脳内CPU使用率100パーセント状態の晴菜。御成と名乗った青年は晴菜の過剰なテンションに少したじろいだが話を紡いだ。

「言いたい事がたくさんあるのは分かる。でも今は時間がないんだ。もうすぐ『おうさま』、いや、クソ親父の住居がこの辺を通過する」
「ちょ、何を言って……うわっ!」

 突然上空を覆う黒い影。「見ろ。アレがクソ親父の本拠地だ」身を屈めた晴菜に御成はそう告げた。顔を上げると空を東京ドーム一個分の大きさをした未確認飛行物体が大空を我が物顔で浮かび上がっている。

「すごい…しかもそれなりの速度で動いている」
「ああ、アレになんとかして乗り込む事が出来れば…」

 ゴゴゴと轟音を響かせて頭の上を飛ぶそれを恨めしそうに睨む御成。その姿を見て晴菜が訊ねる。

「アンタ、『おうさま』の息子なんだから顔パスなんじゃないの?UFO式住居を降ろすように頼んで入れてもらえばいい」
「…それが夜中に親父のサイフから札を抜いたのがバレてな。親父とはここ一ヶ月ほぼほぼ口利いてない」
「遊ぶ金が無くなった高校生か!てか相手が空の上に居るんじゃ手の出しようが無いじゃない…」

 UFOが遠のいていくのを見上げて落ち込む晴菜。「あるよ!方法ならある!手ならあるよ!」普段は暗いハルカが高いテンションで晴菜の肩を叩く。

「なぁに?あの宇宙船に追いつける極ヒ道具でもあるってわけ?」
「言葉の通りだよ!晴菜、右手をアレに向けてみて!」

 ハルカの呼びかけに半信半疑で袖をまくった片腕を伸ばす晴菜。「こう?」「そう、マジンガーZのイメージで!」晴菜が宇宙船に向かって握った拳の照準を合わすと二の腕のイボをボタンのようにポチっとハルカが押した。

――するとどうしたことでしょう。晴菜の右腕がかしゃん、カシャンとグレネードランチャーに変型したではありませんか。

「ちょっと!どうなってんのよ!この作者GW中に『いぬやしき』見たでしょ!」
「ツッコミなんて後!晴菜、サイコガンは心で撃つモンなのよ!」
「これサイコガンだったの!?もうめちゃくちゃじゃない!…でもこれであの宇宙船を撃ち落とすわけね。…よーし!」

 舌なめずりをして眼鏡越しに浮遊する宇宙船に照準を絞る晴菜。それを応援するようにハルカが歌を歌ってくれている。

「コ~ブ~ラ~~♪ふふふふ~ん」
「…もう少し右ね…エンジン部分を狙ったほうがいい?」
「コ~ブ~ラ~~♪ふふふふ~ん」
「…いや、中の人の事も考えて船の膨らんでる方を狙った方が…」
「「コ~ブ~ラ~~♪

 オンリフュメモリー、ァアフタユゥー♪」

「そこだけ歌えるのかよ!!」

 はじけるような晴菜のツッコミと銃声が響き宇宙船に砲弾が一直線に伸びていく。無事帆を貫いた宇宙船は安定を失い、ゆらゆら揺らめきながら町外れの空き地に不時着していく。

「行くわよ。『おうさま』とケリをつけるために」

 ドカーンという地響きの中、晴菜を中心に3人は空き地に向かい決意を固めて走り始めた。

     

 横須賀のお母ちゃん、お元気ですか?私が家を出てからもう二週間になります。お母ちゃんも知っての通り、私は『おうさま』と呼ばれる人物に顔が似ているせいで悪い連中達に追い回されています。

 安定しないお天気が続いて喘息持ちのお母ちゃんの体調が心配です。それと私は今日、右手がロケットランチャーになりました。眠っている間にハルカが勝手に改造してくれたらしいです。この状態でおフロやトイレをどうすれば良いのか不安でなりません。

 でも大丈夫。『おうさま』はもうきっと目の前。これまでの全てにケリをつけてもうすぐお家に帰ります。あなたの娘、晴菜より――


 空き地に墜落した宇宙船の姿を眼鏡越しに捉えると晴菜はロケットランチャーと化した右腕の二の腕部分にあるスイッチを押した。すると銃身がカシャカシャカチャと先端から音を立てて袖の奥へと折りたたまれながら収縮していく。

「そのままじゃ不便だろうから一応、解除ボタンを付けておいたよ」

 妖精のハルカが驚く晴菜の耳元でそう告げた。…当たり前だわ。生えるように伸びてきた自分の腕を撫でながら晴菜は愚痴を溢す。でもこのチカラがあればもうコイツの不安定な『極ヒ道具』に頼らないで済むかも。「あの、このタイミングで申し訳ないんだが」少し後ろを着いて来た御成が晴菜とハルカに所在無く呟いた。

「休憩時間がもうすぐ終わる。俺はバイトに戻らなければならない」
「いやいやいや!この状況でバイトって!」
「空気的に俺もラストバトルに参加しなくちゃいけない空気なのは理解出来る。でも俺には金が必要なんだ。…幸運を祈る」

 御成は燃え上がる宇宙船の帆を眺めると名残惜しそうに店の方へと走って戻っていった。「なんなのよもう…」「落ち込むのは後!今は前に進むことだけを考えて!」肩を落とす晴菜にハルカが声を掛けて励ましてくれている。

 墜落の衝撃でカギが壊れたらしく、入り口のドアが開いていた。それを見て決意を固める晴菜。「よし、いくわよ!」…この奥に私と同じ顔をした『おうさま』が居る。ノブを回し、キイと音を立てて蝶番が揺れるとハルカを連れて晴菜はドアの中へと足を踏み入れた。


「いたぞ!『該当者』だ!」

 宇宙船の広い廊下を走る晴菜の前に武装した男衆が立ちはだかる。「ハルカ、『極ヒ道具』よ!」「アイアイサー!たらららったら~、空気ピストル~」「さっきと銃が続いちゃった!…これで連中をハジキ飛ばせばいいのね。よーし」

 ハルカから受け取った拳銃を構えると武装隊が晴菜に向けて大盾を向ける。「やめんか」たじろぐ男達の後ろから毅然とした伸びのある声が響く。

「あ、あんたはもしかして!」モーゼの話の様に人垣が割れるとその奥から金の王冠を被った壮年の男がマントを翻し一歩ずつ晴菜たちに近づいてくる。その顔は角野卓三にとても良く似ていた。てか、本人そのものだった。

「王である私を亡き者にしようと付け狙う豚め。権力者に逆らうとどうなるか。その身を持って知らせてやる」
「豚じゃねぇよ!ヒューマン!…自分と同じ顔の人間を捕まえて殺すなんて許せない!あんたと同じ顔をした『該当者』の私が成敗してくれる!」
「殺す?それはお前の思い違いだ。これを見ろ!」

 銃を構える晴菜の四方に敷かれていた赤いカーテンが引かれると鉄格子が現れ、その中に自分と同じ顔をした人間が押し込められていた。

「カンニング竹山さん、和泉節子さん、サンドウィッチマンの伊達みきおさん、古田敦也さん、船場吉兆の女将、亀井静香さん、井脇ノブ子さん、タルヤ・ハロネン……やっぱりみんな『おうさま』であるあんたが捕まえていたんじゃない!」
「待て。晴菜。これは王による権力を振りかざした支配ではなく彼らの為の救済だ」

「な、何を言って……」たじろぐ晴菜を見て『おうさま』が諸手を挙げて演説が始めた。その様子を鉄格子越しに『該当者』たちが眺めている。

「我々はかつてから顔がひとりの人物に似ているというせいで迫害を受けてきた。彼らは事ある毎に顔の事をしつこく言われ、出世や恋愛を妨げられていた。我々はこの宇宙船の乗組員として未開の地にて新しく人生をやり直すんだ。そこには誰も我々の顔をとやかくいう人間は存在しない」

 王の話を受けて生唾を飲み込む晴菜。『おうさま』を中心とした彼らが目指しているという理想郷。そんなものがあるとしたなら…「名づけて角ノア計画!」「…上手いこと言ったつもりになってるんじゃないわよ。親父ギャグか!」

『おうさま』の発言に取り巻きの拍手が響くと晴菜は構えていた銃を下ろした。「確かにあんたの言う話は一理ある。でも、詰めが甘いわ!」王や周りが気を抜いた一瞬を見逃さなかった。

 ハルカから逆手で受け取っていたもう一丁の空気ピストルを正面に向け引き金に指を落とした。「あの人達が本当に仲間だって言うなら…檻になんて入れたりはしない!」弾かれた空気は実体を持たない鋭い刃となり『おうさま』の王冠を地に弾き落とした。

「くそ、外した!」「ひ、ひぃぃいいい!!」「き、貴様!」「ヤツをひっ捕らえろ!」

 情けなく悲鳴をあげる『おうさま』の部下達が晴菜に駆け寄ってくる。「あーあ、今わざと外したでしょ?」けだるい声で晴菜の肩に腰を下ろしたハルカが呆れたように囁いた。

「しょうがないじゃない。私に人は殺せない。それに自分と同じ顔の相手に銃を向けるなんて夢見が悪いわ」

 目を瞑り、観念したように両手を挙げた晴菜を武装隊が取り囲む。横須賀のお母ちゃん、私の二週間の大冒険はこれでおしまい。晴菜が澄み切った顔で正面を見据えるとあたり一面を光が包み込んだ。

「な、なんだ!?」

 驚いた『おうさま』が眩しさから光を遮るために顔の前に向けていた両腕を下ろすと彼らの中心に光り輝く壮年の女性が佇んでいた。

「晴菜、ここまでよく頑張りましたね」

 その女性は晴菜に近づくと乱れた前髪を捲り額に小さくキスをした。「あ、あなたは一体…?」ふくよかな体系に太眉の下から覗く慈悲深い瞳。彼女は大衆に振り返るとこう名乗りを挙げて見せた。

「私はマザー角野。全てのはじまりの角野であり、あなた達の母です」
「いや、スーザンボイルじゃねぇか!この状況で女神演出で登場するって何なの?今お取り込み中だから後にしてくれる?」
「いいえ、晴菜。もう決着はついています」

 大音声の晴菜のツッコミに怯む事無くマザーは表情を変えず優しく言葉を紡いでみせる。

「ここに来るまでのあまたの障害や困難。そのひとつひとつを紐解き、あなたの勇気が世間に打ち勝ったのです。晴菜、あなたは本当に頑張りました。母である私があなたの願いをひとつ叶えてご覧になりましょう」
「いや、七つ玉摩訶不思議アドベンチャーか!シーシンチュウ拾った覚えないわ!ここに来てなんだこの展開!」
「おーい、クソ親父!まだ生きてるかー」

 空気を読まず割烹着の男がこっちに向かって手を振って走ってくる。その手には数枚の紙幣が握られていた。

「か、一樹…!絶縁したはずのお前がどうしてここへやって来た!?」
「ほらよ、これ」

 御成は握っていた札を父である卓三に渡すと顔をしかめてこう言った。

「下界に落とされたついでにバイトして金を稼いだんだ。これであの件は水に流してくれるか?」

 手渡された札をしわくちゃに歪めると『おうさま』だった男、卓三は目の奥からぽろぽろと涙を溢して体を震わせて声を絞った。

「おまえ、俺に金を返すためにそんな事を……全然足りねぇよ、馬鹿野郎ぉ~~!」
「やれやれ、親子喧嘩は一件落着みたいね。ついでにこの人達を檻から出すように言ってもらえる?みんな家に帰りたいだろうからさ」
「あ、ああ。いいだろう。今日で『おうさま』は終わりだ。彼らを解放しよう。本当に皆、すまなかった」

 卓三が閉じ込められている彼らに薄くなった頭を下げると事件を解決した晴菜に向けてスタンディングオベーションが鳴り響く。

「や、やめてよぉ。もぉ!当たり前の事をしたまでなんだからぁ」

――感極まって泣きじゃくる晴菜の両肩をそっと抱くマザー角野。「私のお母ちゃんは横須賀のお母ちゃんひとりよ…でもあんたが願いをひとつ叶えてくれるっていうんなら」

 少しの静寂の後、晴菜が短い言葉を呟くと真っ白な光が再び辺りを包み込み、そして世界は新しく創り変えられた。これにて晴菜を中心とした『該当者』たちの長い旅が終わりを告げたのである。


「ねー、本当にあの願いでよかったのー?晴菜」

 週末の河川敷。草の上に腰を下ろした晴菜に妖精のハルカの声が向けられる。ダンボールをソリ代わりにして傾斜を滑り降りる子供たちを見て晴菜は微笑みながら相方にこう答える。

「うん、あれで良かったのよ。私たちはこれまでどおり、やっていこ」
「え~どうせ叶えてもらうんだったら金銀財宝にオトコに権力。そのどれか一つでも貰った方が良かったんじゃない~?」
「う、うっさいわね!そう言われると流石に未練があるけど…」

 晴菜が口ごもると土手の下の子供の一人が晴菜を指差して友達にこう訊ねていた。

「ねー、あのおばちゃん、誰かに似てない?」
「そだねー。誰だろー?」

 少年たちを見てほくそ笑むハルカ。晴菜がマザー角野に託した願い。それは私を見て誰も自分と似た顔の人物を思い出せなくする事。晴菜はおもむろに立ち上がり少年たちに向かって大声を張り上げた。

「角野卓三じゃねぇよ!!!」

 ポカン顔の子供たちを置き去りにするようにその場から歩き出す晴菜。そう、ここからは誰にも似ていない私の物語。あなたが私の顔を見て思い起こせるのは世界に私ひとりきり。

「よーし、それじゃ行きますか!」

 目の前に開かれた新たな世界に足を踏み込んだ私、晴菜の人生はまだ、始まったばかり。





       

表紙

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Neetsha