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勇者の居ない8月
幕間 予言の書とその解釈①

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サルドニクス教団発行 予言の書とその解釈(Po.1278年改訂版)
司教ザラック=カイエスタシス 著



 IX章:3つの終末の書と新たな予言①


 I章からIIX章まででは私達「信仰厚き民」がいかにしてこの世界、聖地サンテステラにたどり着き、今日の繁栄を手にしたかを「前予言の書」および「中予言の書」の記述に基づき順番に追っていった。本章では知られている「中予言の書」以降に発行された3つの予言の書(3つまとめて続預言の書、あるいは終末の書と呼ばれる。以降ではでは終末の書と呼称する)についてそれぞれ触れ、終末の書の予言の示す断片的かつ抽象的な文言を整理することで王宮府の恣意的な預言書解釈の欺瞞を明らかにするものである。


 Po.1278年現在で最も有名な終末の書は1158年にアドラシオ市の穀物商だったドレイコス=マニルコによって書かれたものだろう。彼はそれまでの人生ではさして敬虔な信徒とはいえなかったが(洗礼すら受けていなかったという)51歳の時に神の啓示をうけ最寄りの教会に駆け込んで以降は本業の穀物商も家督も息子に譲り、そのまま3ヶ月かけて預言書を書き上げたという。

 彼の預言の内容に触れる前に、その前の二つの終末の書についても触れておこう。終末の書と呼ばれる文書のなかで最も古いものはPo.515年に執筆されたものである(教団内では第一終末文書と呼ぶこともある)。当時について、教団のあらゆる記録が混乱した世相を物語っている。その混乱がこの第一終末文書に基づくものなのか、あるいは混乱の一端から本文書が生じたものなのかは分からないが、本文書の内容は当時にあっては大変衝撃的なものであったことは想像に難しくない

 当時すでに教団は存在しており、聖地および神への体系化された信仰が現在サンテステラとして知られる世界全域に行き渡っていたことが教団の年代記から明らかになっているが、人々の信仰の主体となっていたのは全能なる神を慕う心情であった。ところがこの第一終末文書では前予言の書および中予言の書でその存在が触れられている「追放されし魔族」がいつの日かサンテステラに帰還し、大きな戦いの末に信仰厚き民を苦しめるだろうことが予言された。(ただし、魔族の帰還は他の雑多かつ突飛な予言のなかの一つでしかなく、本書が後世に残る大予言とされるのは出版された当時の世相によるところが大きいとされる)

 多少の混乱の後、この予言によって信仰厚き民および教団の信仰のあり方は大きく変容することを余儀なくされた。このPo.515年の日以降、人々は神を信じ祈るだけでなく、魔族に怯える日々を過ごすこととなる。なお第一終末文書の執筆者はフリーダと呼ばれる魔法治癒師で、彼は執筆後に偽書執筆の罪で王宮府の公開裁判に出廷されたのち、腸を引っ張り出されて死んだことが伝承などで知られている。




       

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