Neetel Inside ニートノベル
表紙

インターネット変態小説家
深淵の鈴と首無し淑女編

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夕暮れ。住宅街へと続く道を、一組の男女が談笑しながら歩いている。どちらも平々凡々な身なりをしており、年齢は大学生くらいであろうか。
距離感から察するに二人はカップルらしい。

ちりーん

ふと、甲高い鈴の音が鳴り響いた。
それは風鈴の音色にも似た繊細で、かつ遠く響く清らかさがあった。

突如、カップルがお互いを襲い始めた。
最初は揉み合いになり、掴み掛かっては押し合う程度のものだったが、その取っ組み合いは次第に激しさを増していった。
首を握り殴る、蹴る、押し倒し投げ飛ばす。
激しい攻防で爪は剥げ、指は折れ、肩を脱臼しようともまるで気にしていないように相手へ向かって襲い続けた。男が女を完全に押さえつけのしかかり、背骨を折った。動けない彼女へ飛び乗り、蹴り飛ばし続ける。
辺りに血が撒き散り、女が肉塊へと成り果てた頃、再び……

ちりーん

と鈴の音が鳴った。

男の体はボロボロだった。
それ以上に、足元にはおそらく彼女だったであろう肉塊が地面に飛び散っており、それをただ、虚な目で呆然と眺めていた。

これらの暴動は近辺の住宅地全体で巻き起こり、犠牲者は300人を超えていた。




遠征から帰ってきた南雲たちを出迎えたのは院長の朽桜が持ってきた二つのニュースだった。

「良いニュースと悪いニュースがあるのじゃが、どちらから聞きたいかの」

「えぇ……では良いニュースで」

「それじゃあ、前々からこちらの動向を探り、攻撃を仕掛けてきていた『粘土細工師』は烏間君が始末したようじゃ」

「男でした?女でした?」

「男だったが、烏間君が片付けたのでどっちにしろ跡形もなくバラバラじゃろう」

「そうですか」

残念そうで、それでいてどうでも良さげに南雲は返事をする。
院長の他に、南雲の隣には病海月もいた。

「それで?悪いニュースってのは何なの?」

「ああそうじゃな、『深淵の鈴』の音の出どころがわかったんだがの、しかしそれを解決するにはまず『首無し淑女』を倒す必要があるということなのじゃ」

「おいおい、首無し淑女ってまさか、あの……」

「君も知っておったか」

青ざめる南雲、そしてここぞとばかりに震え、南雲の腕へと抱きつく病海月。
首無し淑女は、それほどまでに有名な相手であった。

首無し淑女。もしくは首無しと縮めて呼ばれることもあるその怪異は、簡潔にいうと災厄のような存在である。
『呪いの擬人化』『悪徳令嬢』『ダークサイドフロイライン』と様々な異名があるが、一番有名なのがその姿にちなんで呼ばれる『首無し淑女』であろう。
海外のドラマかなんかでよく見る真っ黒のドレス型の喪服を着ており、レース状の手袋を嵌めている。足はドレスに隠れて見えないが、頭は見てわかるように何もない。
首から上が、全くないのだ。
『首無し未亡人』でないのは、その背丈が低く少女の様に見えるからであろう。

直接的な攻撃は全て無効で、滑るように移動するほか瞬間移動も可能なようだ。
常に黒い瘴気を身に纏い、それを振り撒くことで世界に厄災を降り注ぐ。
彼女は特別な儀式を行うことで現れ、契約を受けると辺りを滅茶苦茶にした後、またどこかへ消えていくという性質があった。過去にはこれを利用し、戦争などに使われたりもしていたが、しかし最近は突如脈絡無く現れ、暴れ回ってはまたどこかへ去っていくという自由奔放な動きを見せている。
首無し淑女の儀式については国際的に厳しく制限がされており、そもそもそう簡単に呼び出せるものではない他、捧げる代償も大規模なものである為個人が簡単に呼び出し使役できるものではないのだが……なぜこのような事態になっているのかは不明である。
どこかの国同士の戦争で、儀式が秘密裏に使われているのではないかという説もあるが、それにしては不特定多数の国が被害を受けておりその頻度も併せて説の信憑性は低い。
当然国は世界規模で莫大な賞金と共に討伐依頼を出しており、公安、軍隊、果てはギャングやグレーな犯罪組織に至るまで様々な機関が彼女の首を狙っている。
首無し淑女は現状、世界中のハンターが狙い、争い、そして止められずに屠られていった、悪名高き獲物なのである。

「しかしよぉ、なんで深淵の鈴の討伐に首無し淑女が出てくるんだ?レッドナンバーの解決にブラックナンバーが関わってくるんじゃ割りに合わないと思うんですけど?」

「ふむ、こちらから全て説明してやれたら良いんじゃが、長くなるし、そもそも君らにそんな説明はする意味がなかろう。不二村君にはすでに資料を渡しておるからどうしても気になるから彼から聞くと良いだろう。3日後、奴の討伐が行われようとしてる。それまでに準備を済ませておくといいじゃろうな」

院長のそのセリフにより、南雲は首無し淑女の討伐という大仕事が僅か3日後であることを知った。
病海月は怯えたような素振りで、腕に体全体で絡みつくかの如くしがみついているが、実際はそうすれば可愛いと思ってるからしてるだけで恐怖なんて微塵も感じてないのだろう。

南雲は帰ってきて早々こんな事態に巻き込まれ深い溜息をついたが、よく考えればこの職場はこんなものだったなと思い直し、お土産の整理をする為自室として渡されている資料室へと足を向けた。




「それで?どうします、資料を見ますか?説明することもできますが。討伐は3日後に迫ってるとのことで早めに聞いておいた方がいいかと」

いつもより若干、早口で捲し立てるのは精神科医の不二村良太だ。彼は自分のペースというものを保ち、相手を宥めて落ち着かせる会話術を持っているが、今回ばかりはその余裕がないようだ。

「いや、いいですよ。結局俺にやれることはこの刀でぶった斬るってことだけなんで。それに多分新しいことは何も分かってないでしょうしね。それとも、いよいよ立ち向かうってことで何か弱点とかがわかったりしてるんですか?」

「うーん、いやごめんね。そういうのは無さそうだ。弱点なんかは実際に視認した時に、亡代さんなんかが教えてくれると思うけど。あるのはこれまで起こした事件の概要とか、被害の詳細だけかな」

情報確認のためのミーティングとして、資料室には首無し淑女討伐のためのメンバーが数人集まっていた。
南雲は落ち着いた様子で、それでいてどうでも良さげな雰囲気で刀を傍に話し合いをしていた。病海月はその近くのソファに深く腰を落としながら、古い海外の医学者を熱心に読んでいる。おそらく少しでも有効そうな調合を確かめているのだろう。
不二村の横には一人のナースがいた。モスクの時にいた3人ではなく、また別のナースだ。

「えっと……私はこういう会議のようなことが初めてで、何と言ったらいいのかわからないんですけれど……とりあえず作戦というか戦い方や手順なんかは決めておいた方が良いのではないですか?」

ナースとは言ったが、議論の場に出されるということは比較的まともな思考能力があるということだ。逆にいうなら、今回の戦いに参加するナースの内、話し合いができるようなナースは彼女だけということだが。

彼女は中心に黒いハートマークが描かれたナースキャップを頭に被り、淡い藍色のジャンパースカートを身に纏っていた。
黒いストッキングが均整のとれた両足を優美に飾り、先にはスニーカーを履いていた。
その姿は一見そこらにいる普通の女の子と変わりなく、他の異常性に塗れたナースたちの一員とはとても思えなかった。
名は有栖川 絶夢(ありすがわ ぜつむ)という。

「その必要はありません。とは言ってもここまでのレベルの仕事へ駆り出されるのは初めてでしょうし、わからないのも無理はないですね。作戦の件に関しては、何と言えばいいのか。レッドナンバーの仕事ならある程度の計画も有効ですが、ブラックナンバーとなると寧ろ私たちにとってはアドリブで動いた方がいい結果を生むことが多いのです。というか、計画なんて立ててもその通りに行くことなんて殆どないし、一瞬、ほんのコンマ数秒で戦況が変わる場では、計画通りに進めるのかどうか等、他者とのすり合わせや同調、連携がとりづらくなるので事態は寧ろ悪化するんですよね」

「ええっと……あのぉ、そのレッドナンバーやブラックナンバーというのも良く分かってなくて、それはいったいどういう基準なんですか?」

椅子の手すりへ肘を立て、やる気なく座っていた南雲はその質問を聞くと、急にしっかりと座り直し勢いよく有栖川の方へ向いた。

「ああ、それはなぁ……要するに厄災の種類を表してんのよ。レッドナンバーは緊急性が高く、毎年数百人規模で犠牲が出ている怪異を指していて、まぁさっさと狩っちまった方がいいモンスター共の総称だな。俺たちが主に相手するのもこいつらだ。だけどブラックナンバーっていうのは危険度が段違いで、それこそ国レベルの被害が出ている国際的厄災のことを指していてな、とてもじゃないけどパパッとなんて狩れねーから何年何十年と準備を続けてそれでもやっと、多くの犠牲を出して倒すことのできる相手ってことだ」

南雲はうまく説明ができて満足げだ。おそらく彼も最近聞いたばかりの概念なのだろう。一通り話し終えるとまた、やる気なく椅子にもたれかかった。

「なるほど。そう聞けば確かに普通の仕事とは全然違う難易度で、作戦なんて的外れな提案でしたね。すみません、変なこと言ってしまって」

「いや、思いついたことを言ってくれるのはありがたいんですよ。そのために君にも参加してもらってるんですから」

不二村はナースを励ます。南雲も病海月も、聞いてるのか聞いてないのかと言った感じでそこにいる。ある程度の情報を交換しつつ有効そうな攻撃方法なんかの提案を繰り返しているとまた一人、この病院の医師がミーティングに加わった。

外科医の烏間 白羽(からすま しらは)だ。
彼は黒いVネックのTシャツの上に白衣を羽織っていて、服装は一般的な医者のそれと変わりない。短く切った髪は総じて逆立っており、目元には野生味を帯びた鋭さがあった。

彼はカルテを抱えながら空いている椅子を持ち寄ると、みんなの所へ赴き座った。
パラパラと資料をめくりながら発言する。

「亡代も参加するらしい、当然だがな。院長は様子を見つつも、まぁどうしようもなくなれば来ざるを得ないだろう。それに……どうやらいよいよになれば死贄田を解放するつもりらしいぞ」

「へぇ、死贄田さんを?それは楽しみだな」

呑気な反応の南雲と違い、不二村と病海月には明らかな動揺があった。空気がピリつき、それにより南雲や有栖川にも緊張が伝わる。
特に病海月は酷い怯えがあり、必死に震えを押さえつけている。
彼女がここまで恐怖するのは珍しいことであり、南雲も平然とした態度を改め直した。

「ふーん。なんか……そんなにやばいのか死贄田さんは」

「やばいなんてもんじゃないわ……彼女を動かすならこっちが勝つにしろ負けるにしろ碌なことにはならないと思うし」

青い顔をしながら病海月が答える。

「死贄田さんですか……うーん、まぁそうならないように立ち回るしかないですねぇ」

思い思いの感想を述べるが、それを全く気に留める様子もなく、烏間は首無し淑女の詳細を述べる。

「最終的な確認のつもりで聞いてくれ。“治療対象”であり、今回の患者でもある相手はあの悪名高い厄災の『首無し淑女』だ。一般的な攻撃や対処は全く効果がなく、突然脈絡なく現れては世界的な被害をもたらしてきた。それはこれまで全ての損害を合わせると数千万規模にもなるという。討伐方法としてはまず、首無しが現れる時間と場所を亡霊研究所の奴らが探り、ある程度操作してくれるらしい。それを待って奴が現れたら、まず俺たち怜染医院と魔術師協会とで協力して結界を張る。奴を外界から引き離したら、そっからは冥遠寺が呪術対処を行うということだ。それで祓えればいいが無理だったなら、後は俺たちがその尻拭いをする。方法はまあ、いつも通り行くしかないだろう。世界中の軍隊が参加するし、もちろん俺たちの国からは自衛隊も出る。どれだけ役に立つかは知らんがとにかく全員で立ち向かっていくしかないだろう」

「ふーん、じゃあやっぱり俺には刀でぶった斬るしかないんだな」

「えっと…….わ、わかりました。がんばります!」

ナースの有栖川ちゃんはふすふすと鼻息を荒くし、やる気は十分だ。
不二村も軽く頷く。おそらく結界を張るのは彼の仕事なのだろう。
病海月も烏間を見つめ、真剣な表情でいるがまだ少し体は震えていた。
相手が何であれ、彼らにとっていつも通りの仕事をするだけだ。そう鼓舞するも、不安な陰は完全には消えなかった。




当日になった。
それぞれの医師たちが準備を終え決戦の場所へ赴く。怜染医院からは医師が5名、ナース8名の計13人で討伐に赴いた。

現れる場所とは、アメリカの広い荒野のど真ん中だった。どうやら亡霊研究所の研究者たちが調べた結果、どうやっても次はヨーロッパ国内の街中になりそうだったらしい。国際的な会議の結果、アメリカが儀式を行い、自国の荒野へ首無し淑女を召喚することになった。
これで全ての国はアメリカへ借りができてしまったことになる。勿論それを大々的に持ち出したりはしない。しないが、暗黙の了解として、どの国もアメリカへはより、逆らいづらくなったということだ。

儀式は粛々と執り行われた。代償に何を払ったのかは知らない。だが結果として首無しはこの荒野に8日間現れることとなった。契約内容は荒野にいる全ての生き物の抹殺だ。

軍に仕える超能力者集団が先頭に立つ。彼らがこの作戦のリーダーのようなものだろうか。指令を受け取りテレパシーでこの場にいる全員に合図を出す。

『首無し淑女の儀式が終了した。数分後ヤツは現れる。全員持ち場につけ、待機しろ』

全員が戦闘準備に入る。何事が起こるかわからないからだ。プロも素人も入り混ぜになって待機するが、プロの場合気配を消す技術を身につけてあるし、素人は大袈裟な気を放つことができないので、数十万人が犇く荒野だが意外にも現場は静寂に包まれた。
永遠にも思える時間の後、フッと黒い何かが荒野の上空、ぽつりと宙に現れる。

首無し淑女だ。

その瞬間、辺りからそこだけが切り離されたかのように歪み、見えなくなった。
結界が張られたのだ。
あらかじめ設置された領域から一人の坊主が念を唱える。彼の周りには特殊な紐が通され、地面には清浄な効果を持つ白石が一面に撒かれている。傍らでは小型の社が建てられ、その中には法力をもった仏像が厳かに配置されていた。
坊主は静かに、普通のお寺でもよく見るその姿のまま念仏らしきものを唱える。とても世界規模で危険な厄災に対する念には思えない、参拝すると見られるような格好と何も変わらないその立ち振る舞いは、この状況では寧ろ威厳すら感じられた。
ピクリと坊主の体が揺れる。しかし未だ変わらぬ様子で念仏を唱え続ける。少し頭が膨らんだような印象を受けるが、念仏は一切変わらない。閉じた瞼から血が流れ始める。鼻からも流れ出ており、ゴフゴフと口からも垂れだしたが、念仏の速さは変わらない。そしてそのまま前のめりに倒れた。倒れた瞬間坊主の頭は弾け、脳漿を撒き散らした。最後まで念仏を変わらずに唱え続けていた。

黒い胞子が舞った。影が辺りを覆った。その場にいた全員が、締め付けられるような不安感を抱いた。少しずつこの世がおかしくなっていくような気がした。首無し淑女は当たり前のようにそこにいた。滑るように移動し、通りすがりに人間たちを破裂させる。爆発した人間の血はなぜか真っ黒だった。怜染医院の人間たちが素早く動く、それより先に超能力者集団も立ち向かった。軍の人間も銃を構え撃つ。乱射される銃火器の弾はサイキッカーのエリック・フォースの念力を纏い、首無し淑女へと打ち込まれる。ローズ・スミスが空間を湾曲させ、フィードリー・アズストが因果律を操作し、キラーと呼ばれる男が浮遊させた幾千の剣を差し込んでいく。未来視を行ったレイブン・ワルツが「あっ」と呟くと軍隊の多数とともに能力者たちの首が一斉に飛んだ。
南雲は鞘から刀身を抜き、波打つ斬撃ごと首無しを両断した。首無しは無傷だった。黒く濁った厄災が南雲へと飛んでいき、病海月が急いでそれを防ぐ。投げかけた聖水の効果が足りなかったらしく、病海月の肩の付け根から右手が吹き飛んだ。南雲はその隙に再び、日本刀で斜めに両断する。首無しは無傷だった。ナースの紅姫が直線上に首無しを巻き込み世界を赤く染める。赤い世界は一瞬で黒煙に包まれ滅亡した。斬鬼は真っ直ぐに飛んでいき、両手を刃に変え乱舞した。厄災に触れたことにより堕落しそうになった斬鬼を有栖川が受け止める。浄化によって一命は取り留めたものの、そのダメージは計り知れない。楠危子が呪詛を唱えると首無しの姿が少し揺らいだが、消滅には至らなかった。こちらを振り向き狙いを定めてきたので、有栖川が浄化の力で逸らす。禍々しい渦はそのまま、周囲に飛び散っていった。
首無し淑女が振り撒く厄災のエネルギーにより、最初は六万強ほどいた軍隊が残り七千人ほどになっていた。南雲は相変わらず切り続けている。しかし何のダメージにもなってない様だ。外科医の烏間は厄災を切除することにより、他の軍隊や組織の攻撃が通りやすい道を作る。内科の亡代は首無しへの全員の攻撃を見ながら、その弱点を見出した。

「危子ちゃんと凶影ちゃんが呪詛をかけるから、その時首無しのレースの左下から斜めに攻撃を加えて!首無しの厄災の方向はそこを核にしているの!」

南雲が首無し淑女の攻撃を掻い潜り、斜め左下へと待機する。二人のナースの呪詛が首無しを襲い、黒くぼやける。その瞬間、南雲は剣を振るう。太刀筋はすでに烏間が空けていた。病海月から受け取った聖水の効果もあったのだろうか、一閃、首無しは両断された。
しかし、首無し淑女は終わらなかった。
切り口からより多くの厄災を振り撒き、南雲は吹き飛ばされる。斬撃によってうまく逸らすことができたが、刀は厄災に染まり堕ちてしまった。軍隊は残り28名になっていた。能力者は全滅し、研究所の人間たちは逃げ去っていた。
首無しは渦を纏い、荒野中に厄災を振り撒き続けた。怜染医院の医師たちはそれを捌くのでやっとだった。南雲は病海月の元へ行き、鞄の中の鉈で彼女を護った。ナースのうち、三人が厄災により堕滅した。少しずつ、世界は黒く濁っていき、暗雲が辺りを支配した。首無しの渦は勢いを増し、軍隊も全滅した。既にこの場には怜染の人間達しか残っておらず、それももう時間の問題だった。

こつり

ヒールの音が響く。
それにより、荒地は厄災の禍によって無音だったと知る。いつのまにか、荒地の向こうから女が一人、歩いてきていた。既にもうそこまで来ている。
現れたのは不思議な雰囲気を纏った女性だった。

彼女は一般的なナースのような服装をしているが、その構造は患者衣にも見える。
冷たさを感じる瞳は朧げに虚であり、瞼を無理やり開かれている状態で縫われた右目はギラギラと輝いていた。病的に白い肌に漆黒の長髪は、前髪がぱっつんに切られており眉下まで隠れていた。真っ黒なヒールを素足に履いており、かかとの部分が鉄でできているのか、硬い地面を歩くとコツンコツンと高い音が鳴る。

その姿を見た不二村は、亡代は、病海月は、硬直していた。烏間も動きを止め、参入者に見入っている。南雲は初めて見たその医師の姿に、まだ事態が飲み込めておらず呆然としていた。ナース達は初対面にも関わらず、彼女に怯え、それぞれが抱きつき合っていた。

やってきたのは死贄田めるみだった。

何かを感じ取ったか、有栖川が吐き出した。他のナース達も青ざめ、震えるばかりだ。それは管轄している亡代も同じだった。体が動かず、彼女らの元へ行くこともできない。病海月は泣き出していた。南雲も烏間も不二村も、全員何もできずにただ見守る事しかできなかった。

首無し淑女は何の反応も示さない。
彼女は受けた使命の通り、この荒野にいる生命体を全て排除するだけだ。体を覆う厄災の渦、その禍を全力で死贄田へ送る。

死贄田は飛んできた厄災を手で掴み、口へ運んだ。もぐもぐと咀嚼し嚥下する。
地獄の様に送られてくる厄災全てを、手で掴み、食べていった。首無しのいる荒野中心部は、既に黒いモヤで埋め尽くされていた。その全てを、死贄田は喰らい尽くす。食べて食べて、そのうち噛みもせず飲み込むだけになった。首無し淑女の禍を食べまくる。厄災は、全てが死贄田の腹の中へ収まっていく。

ここにきて首無しも焦ってきたのかより多くの厄災を集め、集め集め集め、放った。
死贄田は大きな口を開け、この世界全体さえ恐慌の渦に叩き込めるエネルギーを、一口で食べ尽くした。首無しは追い詰められていた。厄災を投げれば投げるだけ死贄田はそれを食べ、エネルギーにして進んでくる。
そうこうしてるうちに、ついに首無し淑女は捕まり、その体へ囓りつかれた。首がないため叫ぶことはできない。
必死に暴れ蠢き、ビリビリと纏っていた葬儀服を破って、その拘束を脱出する。そしてスッポンポンのままワタワタと逃げ回るうちに履いていた靴も脱げてしまい、それを半ば狂乱のまま投げつける。死贄田はその靴さえも、無関心に口へと運んだ。素っ裸の淑女は荒野を逃げ回る。厄災を全て食べ尽くした死贄田めるみは異常な速さの歩行でそれを追う。
そんな追いかけっこは2分くらい続き、走り疲れた首無し淑女が倒れたことで、終わりを告げた。
裸で這いずる首無しにボリボリと食らいつく。首無しはその苦痛で暴れ回る。もう一度いうが、首がないので叫べない。
ものの数秒で食べ終わると、荒野には幾万の死体と怜染の医師達だけが残った。

「帰りますか」

不二村が告げるとボロボロの医師達は頷き、帰りの準備を始めた。




死贄田が帰国前にした排泄によりアメリカは滅んだ。




深淵の鈴は中国が所持していた。
何の目的があったのか分からないが、この国こそが首無し淑女を使役していた元凶でもあり、その駆動のための生贄は深淵の鈴で賄っていた様だ。
首無しの討伐後、残っていた死贄田の厄災と世界連合によって攻め立てられ、中国は滅亡した。
名目は、亡きアメリカの報復であった。




一気に四つもの問題が解決したことにより、世界に少しだけ平和が訪れた。

       

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Neetsha