一
「赤いものが好きなのよ。食べ物でもね……けど、それだけだと偏食になっちゃうでしょ?」
おおよそ小学生低学年か、それ以下程の女の子を膝へ抱えながら、怜染総合医院の内科医である亡代 愛美(なきしろ まなみ)はそう語る。女の子は十六夜 紅姫(いざよい あかひめ)といい、一般的にワンピースと呼ばれるものに近い子供用のシンプルドレスに身を包み、肩にポンチョらしき布をかけていた。目の前に置かれている皿には色とりどりの食べ物が盛り付けられており、亡代は先端が丸くなっている子供用のプラスチックフォークを使ってブロッコリーを食べさせようとしているが、紅姫は嫌々と首を振る。
「へー大変ですねぇそれは」
会話の相手である南雲は適当な相槌を打つ。
ここは怜染総合医院内の食堂であり、全職員やナースが自由に利用できるサービスだ。偏食が多いこの病院ではそれぞれの職員の嗜好に沿うため多種多様なメニューが取り揃えられている。
南雲はアルミのトレーにディストピア宛らのペースト状の流動食や固形物を並べて、黙々と食していた。
少し遅れて病海月がその隣に座る。持ってきたのは高さ50センチ程のパフェと、わざとらしい色のメロンソーダだ。恐ろしい速さで口へ運び、南雲とほぼ同時に食べ終わった。
「食べ終わったなら会議室に集まっておいてくれないか?」
背後から食事を運ぶ烏間が声をかける。「わかりました」と南雲は答え、トレイを返却しに席を立った。烏間は天ざるそばを頼んでいた。
二
会議室には珍しく、死贄田を除く怜染総合医院の全職員6名が揃っていた。今日は定例会議の日なのだが、こうして全員が集まるのは稀だ。全員が全員それぞれの態度で会議に臨む。
「……というわけで魔国のゲートは全て処理できました。魔界が消滅したことで唯の石柱に成り果てましたからね。しかし、魔国の浄化自体は全く進んでいません。振り撒かれた厄災の根が深すぎます。有栖川さんの力でも無理なら、その辺の神職を連れてきたところで無駄でしょうね」
「ふむ、ありがとう。君たちも、ここ最近忙しく働いてくれたようで、これで百鬼夜行に対抗する準備が整ったようじゃな」
「あーもうそんな時期かぁ早いなぁ」
南雲は気の抜けた声で、月日の流れを憂う。
「今年はどのくらいの規模でしょう?」
「ふむ、昨年首無しを殺したばかりじゃからなぁ。あの厄災は妖共にとっても良い物ではないだろうて。とは言え勢力自体は例年通り変わらぬ規模を保ってると予想されるしの……ううむ、まぁとりあえず大幅には変わらんとだけ言っておこうかの」
「ええと次は有栖川さんの職員昇格についての話ですが……」
「はいはいはーい!私は反対よ。彼女の神力については確かに認めるところもあるわ。でも、彼女はそもそも悪質な宗教団体のボスだった上に、亡代さんに一度身体中ミックスされているのよ。今は『普通』を保てているものの、いつまた暴走するかわかったものじゃないわ」
議論前から完全否定派でとりつく島もない病海月に、皆が気圧される。何故だか彼女は有栖川を嫌っているが、元々粘着質で嫉妬深い彼女の心なんて知りようもない。停滞する議論に烏丸が提案を持ちかける。
「俺はアリだと思うが、とはいえ1、2度程度しか一緒に仕事をしたことがないからな。合否はみんなの意見に合わせよう」
「うーん、では鈴木さんの意見を汲んで予後観察を続けますかね」
これは不二村の意見だ。
「私の視点で言わせてもらうとするならば、彼女はもう新人の果無ちゃんの教育係を勤められる程の知性や経験は持てていると考えられるわ。なんで規定に沿えば昇格の条件はこなせている。えーと、でも確かに私がぐちゃぐちゃにかき混ぜた時は完全に殺すつもりでやってたから、それ以上の擁護も出来ないけど」
「俺ぁ最後に一緒に働いたのは魔国の時でしたが、そんときゃ別にフツーでしたけどね。まぁそんなに急いで決めることじゃあないんでしょうし、病海月が言うなら俺も止めるつもりはありませんが」
「わしも、反対はせんよ。全員納得したら決めとくれ」
「とにかく私は反対ですっちゃ!」
その後も別の仕事の話やこれからの予定、新しいナースの紹介なんかも挟み、病院内の情報を余すことなく共有しつくした。
それら話し合いはおおよそ五時間ほどにも及び、全員が疲弊し始めたあたりで解散の運びとなった。
「それでは、みな各自伝えた仕事に取り組んでくれ。今回の会議は終了とする」
その合図で職員皆がバラバラに散らばる。だがしかし、南雲と病海月はその場に残り、もう少し話し合いを続けるらしい。
彼らはバディだった。
うつらうつらと疲れ切った様子の南雲を病海月が愛おしそうに眺める。外ではひぐらしが鳴き始めていた。
「夏ね」
「そーだなぁ……」
頭の働いてない二人はこの後も40分ほど残っていたが、特になんの話し合いにもならなかった。
三
百鬼夜行が数日後に迫った夏の夜、四人は八百女区の嫺下(ならか)という町まで出張していた。この辺りは一見寂れた町の一区画で活気のない元繁華街の印象だが、その実態はあらゆる闇商売が跋扈する裏ルートへの溜まり場でもあった。
「それで、なんであんた達まで来てんのよ」
病海月は不満げに言い放つ。今回のお使いに向かう四人は南雲と病海月ペア、そして有栖川と果無ペアだった。病海月は相変わらずグチグチと二人を責め立てている。怜染の中でも彼女に並ぶほどの粘着質はいない。
「えっと、お邪魔でしたらすみません。ですが何度も言う通り、果無ちゃんには早くいろいろな経験を積んでもらいたくて……院長達に説明したら貴方達のお使いについていくようにって」
「いいんだよ、絶無ちゃん。何度言っても聞かないんだから。この女、しつこさだけは最高クラスよね。他は全部、魔界の魔物未満みたいだけど」
「あら?魔物なのはあなたでしょ?憎まれ口は人の形をしてから言いなさいよ。ま、家族から捨てられるような薄汚い魔族に何言われようと気にならないからいいのだけれど」
「え、ちょ、ちょっと病海月さん。言い過ぎですよ……!」
「まったく、人の仕事邪魔しといて酷いのもそっちでしょう。せっかくバディ二人で水入らずだったのにねぇ、南雲くん?」
「俺は別に気にしないが、あんたが言うならそうなんだろ」
非常に険悪な雰囲気が漂う中、四人は黙々と夏の夜の道を歩き続けた。それはまるで何もすることはないが解散するでもない、思春期の学生達の深夜徘徊に似ていた。お互いもう何も話すことなどなくなりただひたすらに道の向こう側を追い続けるのだ。夜の風が皆の頬を撫でた。
だがそれとは違い彼女らにはお使いという目的がある。しばらくすると寂れた商店街にも似た通りへ辿り着いた。そのうちの一つ、看板にはSpielzeug(シュピールツォイク)と古めかしい手書きの書体で書かれている。外観は通りに立つ一軒の特に目立ちもしない店。それが今回の目的である闇の玩具屋であった。
ショーウィンドウから中を覗き込む果無が述べる。
「古いし少し小さいわね。ここが例の場所なの?って思ったけど、この不思議な感じっていうか、素朴さが逆にそれっぽいのかも」
「うん、私も直接来るのは初めてだけど、聞いてた以上に普通のお店だね」
「ベラベラ喋らないで。手早く契約を終わらせるから……」
「俺も久しぶりに来たな……しかし何も変わってないように感じるが」
それぞれ思い思いのことを喋り店へと入る。
店前の札には閉店と書かれてあったが、彼ら怜染の使いはフリーパスなのだ。
「ここがあの魔術道具の……」
果無は感慨深げに呟く。店内はあらゆる小物や器具等が所狭しと並べられており、店の狭さと相まって乱雑な印象を受ける。
この店こそが『奇怪技師』の異名を持つドイツ人技師、テシニカ・ダンケルハイトの認めた二人の技師の内の『裏の側』と称される、『機械変愛者』、『ズレた歯車』、『マシーネ・シュタイヘン』などと称される日本人、『一尺八寸 秤(かまつか はかり)』の経営する表向きは玩具店の魔術道具ショップであった。
「テシニカって方はやはりとてもすごい道具を開発してらしたんでしょうか?」
「まぁ、あんたらも知ってる通り、病海月の使う『なんでも入る鞄』、あれも彼のお手製らしい。その他にも怜染とは幾つか取引してるらしいけど、詳しいことは俺もよく知らないな」
「ええそうね。というか、刀しか使わない南雲くんはともかく、あなた達はもう少し勉強しなさいよ。『調律宝珠』……触れただけで精神の乱れを調整してくれるオーブや『繋ぐとくっ付く人体裁縫セット』なんかはあんた達もこれまでの仕事の治療で使ってんじゃない?というか有栖川のぐちゃぐちゃになった体を治すのにも、テシニカ製の道具を使ったはずよ。たしか入れるとなんでも混ぜ合わせられる『ランドリーマシン』にぶち込んだのよね!ふふふ」
「……えっと、それじゃあ、この店がそのテシニカって人の道具をドイツから輸入してるところなんすか?いや、弟子らしいですけど、ここの商品は自分で作ってるのかな」
「いや、テシニカは死んだのよ。別に何があったわけじゃなくて、老衰ね。だけど死ぬ前に彼は自らその発明関連の全てを整理しまとめた後亡くなったから、残された人たちや、私たちみたいな取引相手が変に揉めたりはなかったの。自らの死期を察知する機械でも作ってたのかしらね。だから今彼の作る道具、新しい魔法道具が欲しいのなら、技術を受け継いだ弟子に頼むしかないのよ。彼には数多くの弟子がいたけど、本当の意味で認めていたのはたった二人だけ」
「その一人がこの店の主人なんですね」
「ええ、そう、一尺八寸 秤(かまつか はかり)。彼女は日本人で、また全盛期のテシニカに迫る技術力を持ってると言われているわ。もう一人の方はテシニカと同じドイツ人で、確か『リシュティク・ウィグ』という名前の青年よ。一度会ったことがあって、彼はハーフで妙に明るく社交的な好青年なんだけど、一尺八寸と比べると責任感というか、使命感みたいなのが強くてね。テシニカの技術を残すために会社を立ててマニュアルを残し、完全に産業にのせて彼の力を世に広めているの。だからテシニカのその『名』を受け継いだのはリシュティクの方なのね。でも、それだけじゃない。テシニカは自分の技術に『遊び心』ってのも残しておきたかった。だから後継にもう一人、一尺八寸の方も認めたのかも」
そう言いながら病海月は商品棚に陳列されてある逆向きのコマのようなものを回した。するとその上に光のようなものが飛び交い、小さなホログラムが現れる。怪獣のような生物が空中で暴れ回り、吠えたて、そしてやがて回転が弱まると同時に、消えていった。
四.
「やぁ、ああーすみませんごめんなさい待たせちゃったみたいでーなぁぁぁ」
店の奥から顔を出したのは大体身長150センチ未満くらいの女の子、と呼ぶには少し年齢を重ねている女性。髪型は三つ編みで頭には厚い瓶底メガネを置き、かける目の部分には発明家がよく付けてそうな多重レンズのゴーグルをつけていた、が、今外した。体にはシンプルな作業服の上にエプロンを纏っており、その革で出来ているエプロンは油やインクでベトベトだった。安全靴も兼ねたゴムのブーツは金具でしっかり止められており全体的にスチームパンク然とした重厚感を思わせるファッションだ。
「別にこれっぽっち気にしてないわ。あなたがダラダラと人を待たせるのはいつものことでしょう」
「もうーそんなイジワル言わんといてください!ぽわぽわ!」
どうやら一尺二寸はコミュニケーションに難のあるタイプのようだ。独自の言語センスのイタさと単純な会話の繋がってなさがイカれてる。
「それで?どうなの?頼んでおいたものはできてるの?」
「完璧なのなぁぁぁ!ってでも、実際に霊的なものに試したことはないから絶対とは言わないのな。むん!あと他にも使えそうなものがあるから持ってって欲しいのヨ!」
彼女は喋る時も胸に手をやり、パタパタと飛び回るような仕草で感情を表す。焦ったり困ったりと言った感情も声色で表現するが、その割に顔だけは真顔のままである。ただ、笑った時だけは『ふにゃあ〜』と緩み切った表情を見せ、その顔を見るものを和ませるのだとは本人談だ。
「これが雷撃玉なのネ!投げるとパチパチッて痺れるのネ!後これはねばねばビームヨ!撃つとねばねばして一生取れることはないのヨ!そしてこれが風切り刀と亜空湾曲シミターです。全部名前通りだから安心なのね。なぁぁぁ」
一尺八寸が妙なテンポで説明する物騒な道具を、病海月は碌に聞きもせずにフムフムと鞄に詰め込む。こうして薬剤師のカバンとは思えないハチャメチャなビックリおもちゃ箱が完成する。南雲たちは商品のおもちゃで遊びながらそれを待つ。
病海月が一通り詰め終え、取引の品も確認したところで仕事は終わり、全員それでは帰ろうかというときに一尺八寸……彼女は皆を自分の作業場へと案内した。
「ちょっと待ってみんな!おまけもあるのネ!まあちょっと見て欲しいものがあるのヨ!ムムッ!気にいるといいんですけどなぁぁぁ」
彼女の作業部屋はより乱雑に物が散らばり、そこらに転がる部品で床が覆い尽くされていた。最初こそ有栖川と果無の初心者二人は踏まないよう気をつけていたが、そのうち気にしなくなった。前を行く他の全員が構わず踏み荒らしながら先に進んでいくからだ。
「見て欲しいのはこれヨ!」
彼女が指し示めしたのは、マジックの仕掛けのように、大きな何かを覆い隠す赤い布だった。
「ふーん。で?これはなんなのよ?」
不機嫌な声と共に病海月が遠慮なくそのクロスを引き剥がすと、そこには女性型のロボット、見かけは人間そのものな秀麗なガイノイドが設置されていた。
「えぇ?ちょ、ちょっと待ってよ病海月ちゃん!それ、外すやつ私がやりたかったんだけど!やりたかったんだなぁぁぁ。わかる?もっかいやるから今度はちゃんと驚いて欲しいんでぞなもし」
一尺八寸はそう言いながらいそいそとガイノイドへ布をかけ直す。
「一回見ちゃったんだから、もういいでしょ。一回目も別に驚いてないのに……」
「いいか!それじゃ発表するのら!さぁ、皆さん驚かないで欲しいんだネ!今からみんなに見せるのは超特大発明品の〜だらだらだらだらだらッ!これだなぁぁぁ!」
「うわああああなんだああああこれはあああああ!!!!!!!!」
「あんたら仲良いだろ?」
そこには女性型のロボットが設置されていた。
「これは殺人ロボットの殃 冥淵(おう めいえん)ちゃんでアルヨ!超硬合金のボディに百万ボルトの瞳!内蔵機能は8000以上で自立思考搭載済みのスーパーモデルなのヨ!ふっひょー!」
「ふーん。で、学歴は?」
「なんでだよ」
「えっとこれ、本当に動くんですか?っていうか見た目はロボットとは思えないしまるでほんとの人間みたい……」
「まぁ本物の人間の死体から作ったからネ!中国人の死体が安く手に入ったから製作してみたんだなぁぁぁ。ちゃんと動くはずだけどまだテストは途中なんだヨ」
「おいおい今中国がどうなったか知らないのか?こいつには深淵の鈴の取り立てが及ばないだろうな?」
「もう死んでるらしいし、大丈夫じゃないかしら?」
「果無の言う通り、心配ないと思うけど元が中国国籍なら自立思考で動かした時点でヤバそうね」
「うーん、実際既に死体だしどうですかなぁあ!じゃあ台湾人ってことにするかネ!」
「とりあえず起動してみてくれよ」
南雲が促すと「ほいひー!」と一尺八寸が右乳首を押し込む。どうやらそこがスイッチのようでぷしゅーと煙を吐きながら殺人ロボット殃 冥淵(おう めいえん)は起動した。殃 冥淵は黒いチャイナ服に身を包み、後ろ髪はまとめてあるものの側頭部が長く伸び胸のあたりまで届いていた。黒いチャイナ服はよく見ると赤っぽくもあり、もしかしたら血で染めているのかもしれない。すらりと伸びた脚は素足に白いヒールを穿いていた。身長は約179センチ(ヒール込み)くらいで、体型はやや細身であった。百万ボルトの瞳と称された目は確かに貫くような鋭さがあるが、焦点は合っておらず何処か遠くを見つめていた。
「こいつは何の役に立つんだ?」
「殺人ロボットだから人を殺すヨ!まぁ命令もある程度なら聞くと思うしなぁぁぁ。ロボット三原則だネ!でも基本的には自分で考え行動をするのであまり無茶な絡み方はお気をつけください」
「ねぇあなた。喋れるの?」
病海月が聞くと殃冥淵は「はい」と答えつつ失禁した。その匂いも確かに人間のものと遜色なくできている。おそらく循環のようなものも、生きている人と同じく正常に動いているのだろう。死体なのに体は生き、人と同じく思考する。これが奇術技師のワザを引き継いだ、闇の方の弟子の仕事というわけだ。
「排泄器官が緩んでるのかなぁぁぁ。うんとうんと、よし。これでもう大丈夫だと思うヨ!」
一尺八寸はマイナスの精密ドライバーを殃冥淵のスリットから差し入れ、尿道の奥の栓を軽く閉めた。その間も殃冥淵は無表情で、されるがままにしていた。
「他はいいのか?後ろの方とか。緩んでたら大変だぞ」
「じゃあもしダメだったらこれで頼んだヨ!」
南雲は精密ドライバーを渡され、『いらないことを言ったな』と後悔したがすぐさま隣の有栖川へと渡すことで事なきを得た。有栖川はチラリと助けを乞うように隣の果無を見たが、頑なに目を合わせなかったので、仕方ないようにため息をつきながらドライバーをポケットへとしまう。
「ま、どうやらこれから大仕事みたいだしこれも連れてってあげてよ!」
「余計な仕事増やさなきゃいいけど」
「ダイジョウブです。仕事テツダエます。ウイーンウィーン」
「ちょっとあなた、見た目の精巧さと比べて、なんかカタコトだけど平気なの?」
「スイません、ロボットジョークですよ。ロボットジョーク。安心してください。わはははは」
「全くこいつはー、表情機能もつけてあるのにさーッ。あっはっは!」
真顔で笑うロボの横で真顔で笑う一尺八寸。
「ふーん、やっぱりイタイところも製作者に似るのかしらね」
と病海月は皮肉げにつぶやいた。
五.
8月9日。日の入りまで残り数十分を切り、怜染から担当医が駆り出されていた。それぞれ一尺八寸が作成した護符を渡される。
「百鬼の悪霊共は他の思念体系の敵と同じく、こちらで特殊な攻撃を加えることでも殺すことができるが、この護符なら数枚貼り付けるだけで強制的に奴らを成仏させることが可能だ。もちろん、無理に使えとは言わんが、今夜中での百鬼退治に十分役立ちはするだろう。各自各々の判断で使ってくれ。それでは配置につくように、解散」
今回作戦を指揮するのは、外科医の烏間 白羽(からすま しらは)だ。こういった行事には珍しく今回、不二村は参加していない。内科医の亡代は作戦に加わっており、四人のナースを連れている。もちろん独立して働く有栖川と果無とは別にだ。それと南雲と病海月ペアを合わせ今回の百鬼夜行討伐作戦には、総勢10人が参加していることになる。
「今夜中の百鬼退治。チームとしては私たちと有栖川、亡代、烏間で4チーム……均等に分けるなら25匹ずつって感じね」
「大雑把に日の入りが8時(午後20時)とすると朝まで、つまり日の出が5時くらいからなので大体9時間……分けても一鬼あたり20分前後しかかけられないぞ」
「ふーん、まぁいいんじゃない?烏間もいる事だしそれで…….そうだっ。ちょっと、みんな!」
一時解散し、どの辺から狩りを始めるかとそれぞれ思案する職員たちが、再び病海月の声によって集まる。ナースの数名はもうすでに好き勝手な配置についてしまっているが。
「あーいや、悪いわね。別に大した用事ってわけではないんだけど」
病海月はやたらもったいつけるようにして告げた。
「まぁ、ちょっと提案があって呼んだのよ。これからみんな急いで悪霊狩りに勤しむと思うけど、どうせならそれぞれで競争しない?せっかくチームで動くんだから対抗したほうが楽しいし、張り合いも出ると思うわ」
最初に発言したのは亡代だ。
「うーん、まぁ私はそれでも構わないけど。何にせよ急がなくちゃあいけないし、ナースちゃん達は勝手に動くから本気で勝負するっていうよりかは参加している体ってことになるとは思うけど」
彼女は、あくまで競い合いに賛成というよりかは、病海月の提案に合わせると言った対応だろう。それは病海月に対してどうこうというわけではなく、単純な亡代の優しさである。
「あぁ……俺も亡代と同じ意見だ。何であろうと今夜中での百鬼解決には素早く狩ることが必要不可欠となる。それは競争があってもなくても変わらないことだし、ならば別に断る理由はない」
烏間もそう告げる。これも、今回の作戦の監督でもある彼は、競争に参加するというより全員の管轄にこれを使う気だろうが。
続けて有栖川チームも反応する。
「皆がそういうなら……今回私たちは、何をしたってそんなに影響ないですし、元々。ねぇ果無ちゃん」
「まぁ、そうだけど……」
「何言ってるのよ有栖川。まったく、これはあなた達のチャンスの場でもあるのよ。仕事ができることをアピールしなさい。そうすればあなたの職員化を認めてあげてもいいわ」
消極的な有栖川に対し、病海月はやたら高圧的に鼻を鳴らして諭し始める。
それに対し、初めて自らの職員化を聞いた有栖川は動揺したように聞き返した。
「え?職員って、それってどういう……!」
「あら、えーと……言ってよかったのかしら」
亡代は二人のやりとりに困った様な表情を見せるが、もう言ってしまったことは仕方がない。烏間がそんな亡代に言葉をかける。
「まぁ別に隠す必要はないでしょう。確実に決まったわけでもないから言う必要もないがね」
「そう、ね。それにしてもこの前まであんなにツンケン絶対拒否って感じだったのに、病海月ちゃん、意外と考えてあげてたのね」
(おそらく違うと思うけどな)
南雲の勘は当たっていた。
今度こそ本当に全員解散し、それぞれのチームのところへ集まったところで百鬼夜行までの待機時間が訪れた。
「有栖川の職員化。私だけが反対しても意味がないし、いつかはこのままの流れで決まっちゃうでしょう。だからこうやって公の場で拒否する理由を作ってあげることで次、有栖川が職員になれるのは私との勝負に勝ったらってことにすり替えるのよ。そうすればいくら革新派の院長でも無理矢理推し進められないわ……けーっひぇっひぇっひぇ!」
「笑い方が邪悪な魔女みたいになってるが……そういやー、何でそんなに絶夢のやつを目の敵にするんだ?」
「なんでって、あいつのあのわざとらしさやぶりっ子が気にならないの?まぁ南雲くんは男の子だしそういうのに鈍くても仕方ないけど、あの女は良くない女よ。一人だけ清純っぽい服着てるし、他人を見下している。この前だってあなた達二人で魔国を探索したらしいし、誰に断ったの?って感じだわ。人に付け入るのだけがうまいのよ。あなただって結局あの子のこと嫌いってわけではないんでしょ?」
「まぁ敵意はないが」
「そーいうとこなのよねぇえええ!」
南雲は敵対理由が嫉妬なのだとしたらどうにかお互い誤解を解いて仲直りする術もあるよなぁ、と思考をまとめる途中で考えるのをやめ、クリームブリュレって料理の可愛らしさに反して語感が最悪だよなと思案を巡らせた。
南雲は考えるのが苦手であった。
「職員昇格!?いいじゃない!やったわね絶夢ちゃん!」
「ま、待ってよ果無ちゃん!まだ決まったわけじゃないし、職員になるためにはとりあえず今回、病海月さん達に狩りの速さで勝たなきゃいけないのよ」
「その話だけど、病海月さんってそんなに強いの?なんか魔国でずっと震えたり泣いてた記憶しかないんだけど……」
「それは死贄田副院長がいたからで……ってそんなのは何の関係もないの。実際強いよ、あの人は。それに、南雲くんもいるし、多分正攻法じゃ勝てない」
「私がいても?」
「果無ちゃんは……うん、確かに果無ちゃがいてくれたら心強いし、どうなるか結果はわからないけど……」
「大丈夫よ。悪霊を探し出し、札を取り付けるだけ。魔界で二億九千年程鍛えた私の実力、見せてあげるわ!」
全く別の方向を見据えながら燃えている二チーム。少し気圧されながらも任務に集中する南雲と有栖川の二人はそれぞれの理由で『負けられないな』と考えていた。
落ちていく夕陽を映し、空はやや暗いピンク色に染まっていた。
六.
日が沈み、真っ先に動いたのは烏間白羽だった。彼は特殊な力こそないものの、己に培われた経験や筋力だけで、怜染での任務をこなし続けている。彼は黒いVネックの上に白衣を羽織り、その他の装飾に何か特徴はなく、一般的な医師のそれと変わりがなかった。短く整えた髪は全て自然に逆立っており、野性味のある眼光が鋭く獲物を射すくめていた。彼は懐から小さな金属の破片を取り出すと闇の中へ消え、一瞬、何かがきらめいたと感じた時には既に8体の妖怪が斬られていた。不二村のような不思議な力は無く、亡代のような暖かみもない。ただ彼は全てを押し通す力を持って仕事をやり遂げてきたのだ。
「何、見惚れてるのよ。こっちも早く倒さなきゃ、私たちが一番にならないと有栖川を却下する理屈が成り立たないわ」
「まぁ、烏間さんはある意味俺と同じ様な力の使い方をしている人だからな。実力は遠く及ばないが……」
南雲はそう呟きながら、鞘が無く、布で包んでいるだけの刀を抜き出した。その刀は刀身が青白く光っており、不気味な雰囲気を漂わせている。
「この剣(つるぎ)は呪われている。まさに妖刀と呼ばれる代物だ。だが普通の剣では切れないものでもこれを使えば切れるようになる。物は使いようだな」
そう言いながら一振りし、物陰に潜んでいた霊を真っ二つにした。
「俺がこれをまともに扱えるのは10分程度だ。それで方をつける」
南雲の説明を聞く間にも、病海月は血染のチェーンを使い、縛り上げ、札を貼ることで霊を2匹成仏させた。
「いくら烏間でもあのペースは続かない。私たち二人がナンバーワンチームよ!」
病海月のいう通り、烏間は10匹を超えてからなかなか悪霊を捕まえられなくなっていた。妖怪どもも単なる馬鹿ではない。百鬼夜行はこれから始まる。夜もますます更けていく。
「南方に気配がするわ。絶無ちゃんは左から追い詰めて」
「だめ!また消えたわ。移動してる、今度は西の方に逃げたみたい」
現状、人里近くの林にいる二人は一匹の妖怪に手間取っていた。その妖怪は素早く動き回り、まるで子供の乗るホッピングのように跳ね回って追跡を翻弄するのだ。
「やっぱりこいつは放っておいて別のやつを狩った方がいいんじゃない?他のチームに先を越されちゃうよ」
「一番になることにかまけて退治をサボっちゃだめだよ。任務は被害が出ないように妖怪を狩りつくすことなんだから」
そう言いながら有栖川は神通力を使い、妖怪の位置を特定する。果無も魔物特有の探査能力を用いて居場所を探るが、どちらのそれも不完全ゆえ、素早い相手に対しては根本的に効果がなかった。
「偏差を考えなくちゃキリがないかも……果無ちゃん、追い込みとかは出来そう?」
「あの野郎、勘がいいのか私たちの動きを把握して動いてやがる。野生生物を狩るときはそれぞれの逃走距離を考慮して動くと聞いたことがあるけど、私たちも頭を使わないと勝てなさそうね」
「策はあるかしら」
「伊達に三億年近く魔物と追いかけっこして来たわけじゃないのよ。追い、追われの勝負なら私たちの方に分があるわ!」
果無はそういうと探知を用いながら野山を駆け回った。逃げ回る妖怪の痕跡を探り、着実に追い詰めていく。一本足の妖怪もそれに気づいていたが、未だ危険を感じる範囲にはいないことを知りペースを保って飛び回っている。
「お前の『距離』はわかったぞ。言っておくが半魔物化しているこの肉体は魔界の様な環境下でも数十年間ぶっ通しで活動が可能なんだ。もう逃すことはない。そして……」
飛び回る妖怪を見据えて、有栖川が弓を引いた。光輪により創られたその光の矢は、先天的に受け継いだ有栖川の『天使の力』によるものだ。あらゆる抵抗をほとんど受けずにまっすぐ飛ぶその矢は一本足の妖怪のそばを通過して林に乱雑に生えている木の一つに当たった。悪霊は危険を察知して避けていたのだ。二度三度と放つがその全てを一本足は避け切った。ニヤリと笑みを浮かべる。
「笑ったな?残念だが予定通りの着弾なんだ。その矢はッ!生物へと神のエネルギーを与える。木は現在もぐんぐんと成長し続けているぞッ!」
果無の語る通り、矢を受けた木は急激に成長し、枝を伸ばす。迷路のように連なった木々の間を覆い隠すように太い枝がいくつも横へと伸びていき、一本足の逃走を阻む。一本足は気配を探り、余裕の表情を浮かべながらもなお逃げ道を探り続ける。
「ダメだね。お前の動きは全て予測している。私たちは繋がってたんだよ。果無ちゃんの力を使い、心で会話していたんだ。だから、お前の情報も筒抜けってわけだ。そして、ついにその経路を塞ぐこの作戦が成功した。まだ逃げ切れると思ってるならそうじゃあない。才能のないワナビが五十からでも成功した人はいるしなどと宣う様に余裕ぶってる場合じゃあないんだよ。もう私は『射程範囲』に入ったんだぜッ!」
ズタズタに鱗が生え、よくわからない寄生生物も張り付いている果無の脚の剥き出しの筋肉が、ギュッと締まる。おそらくかなりの激痛を感じてるはずだが、それを意に介さず果無は急ダッシュした。ほんの一瞬、そよ風でも吹くかのように一本足の妖怪の隣へフッと移動し、ポンと優しく肩を叩く。キエエエッと驚く妖怪の肩にはすでに護符が貼られていた。ドロドロに溶けた妖怪の霊魂が空に消え、またどこかへ旅立っていく。
妖怪の名は『一本だたら』といった。
七.
開始から10分が経ちそれぞれの得点は
烏間 17匹
亡代&看護婦 11匹
南雲ペア 24匹
有栖川ペア 23匹
となっていた。
制御が効かなくなった妖刀をまた布で包み、南雲は護符による除霊を行い始めたが、うまくはいっていないようだ。
烏間が相手だと妖怪共は全力で逃げるため得点を伸ばせずにいた。看護婦たちをまとめる亡代も、それだけで精一杯だ。まぁその二人は有栖川を思って競争の手を抜いている側面もあるが。
なんとかその隙に南雲ペアを追い抜きたい有栖川達のはずだが、目の前の妖怪の雰囲気に狩りの手を止める。
「ヘェ、どうも。あんさんらが怜染の使者ですか。どうやら先を急いで、ワシのことは狩らんのですか?」
「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!」
「あなたは……誰ですか?この百鬼夜行の主とか?」
「いやいや、ワシはぬらりひょんいいますわ。まぁここらの妖怪のボスだと思われることもありますけど、基本的には通訳みたいなもんでね。ウチら妖(あやかし)に主ってのは基本いないんですが、強いていうなら今年は天狗さんですかねぇ。いや、あん人は他の妖怪を束ねとるっちゅうわけでもないですが」
「……あんたらは一体何なんだ?百鬼夜行も、目的も。天狗が、一番強いのか?どこにいて何をしているんだ?」
「ウチらはなんてことない、霊魂ですよ。そういう存在なんです。妖怪だとも呼ばれたりしますが。普段……ってもお化けみたいなもんなんで、いつもふらふらしとりますわ。天狗さんとかはっきり怪物として、身を固めて活動しとりますがね。ウチもボチボチこの世界に干渉させてもらってますが、そんなに被害はよぉ出せませんて。百鬼夜行はそういう何もできない霊魂達に力が与えられる期間でね。普段見えもしないような妖怪共が騒いで暴れられる祭りみたいなもんなんですわ」
「ハン、はた迷惑な行事だな。辞めて欲しいね、即刻!」
「……あなたも……暴れたいのですか?」
「みんな溜め込んどるんでしょう。何しろ妖怪の人生ってのはほんとに暇で暇でしょうがない。ハメも外したくなるってなもんです。ワシも、そうですねぇ。止める道理はないですかねぇ」
ゆらりと、ぬらりひょんの体が揺れる。ゆっくりとだが目で追うと幾重にも重なって見えた。生暖かい風が吹いて空気が重く沈み込む。ドロリと何かが垂れるような音まで聞こえた。
「そちらにも都合がありそうで。手合わせしてもらえるなら嬉しい限りですわ」
「ええ、申し訳ないけど、引き下がるわけにはいかないの」
「絶無ちゃん、気をつけて。こいつは他の妖怪とはまた少し違う方向でやばい気がする」
ぬらりひょんは薄く安そうなボロボロの袈裟を纏っており、その懐から簡素な作りの短剣を取り出した。装飾の一切ない鞘を抜き、刃を露にするとゆっくりと二人の方へ向かって歩き出す。生ぬるい空気は既に霧散しておりいつもと変わりない雰囲気を感じていた。そして有栖川の近くまで近付いたぬらりひょんは、そのまま何をするでもなく持っていた短剣を彼女の喉に刺し、手首を捻ろうとした所で横から反応した果無にはたかれ派手に吹っ飛んでいった。
「おッ……おおおおおおおおおおおおおおおおお??!!!!何だぁ!?」
「ゴプッ………」
果無は叫ぶ。喉に短刀を刺された有栖川は驚いたように、少し遅れて体を反応させ、すぐに剣を抜き取ると喉元に神力を集め傷口を塞いだ。
「大丈夫!?絶無ちゃん!あいつ……何が起きたかわからなかった!刺される所は見てたはずなのに、何もおかしくなんてなかったと今でも思い返してそう思うッ!」
「ゴボ、コポポ、ゴフッ……大丈夫、それより相手は……」
「ああすぐに……いや、あれはもう……」
吹き飛ばされたぬらりひょんは果無にはたかれた衝撃で死んでいたらしく、他の妖怪と同じ様にサラサラとチリになって消えていった。
「ごめん……何が起きたかわからなかった。あんなに近づいてたのに、くそ……ッ」
「大丈夫……だって。ほら、傷も塞ぎきったし。それに助けてくれたのは果無ちゃんだよ、すぐに吹き飛ばしてくれた。あの時でさえ私はまだ気づけていなかったんだから。ありがとうね果無ちゃん」
ぬらりひょんを倒したことで残り担当妖怪数はあと一匹となった有栖川ペア。一方、南雲、病海月の二人は未だ最後の一匹に手間取っていた。
「あのっ、野郎……!桁違いに強い!三つ前に戦ったろくろ首よりも強い!あいつで六分も使ったのに何でまだ強いのが残ってんのよおおおおお!!!」
「気をつけてくれ、闇海月。あいつは百鬼夜行の一匹というレベルじゃない。一つの怪異として十分な脅威を感じるぞ」
南雲のいう通りだった。それは普段している仕事一つ分ほどのパワーと実績を持っている、妖怪どもの総大将。高い下駄を履き、袈裟と篠懸を合わせた法衣を見に纏いつつ、錫杖をもつ山伏の姿で、鳥の翼と人ならざる怪力を待ち近辺の山全体を支配する。その顔貌は赤く、高い鼻を特徴としていた。そう、奴こそが今回の百鬼夜行の最強格。魔縁、大天狗であった。
「単純なパワーじゃ勝てなさそうだな。妖刀を出すか……」
「駄目よ。扱えないものを出すのは被害を増幅させるし、あなたが危険。私の武器を貸すわ。刀ほどしっくりこないかもしれないけど、我慢して使って」
病海月は刃の部分から持ち手まで一本の黒い鉄で作ったような刃を南雲に渡した。南雲はそれを受け取り、大天狗と対峙する。空気が痺れるような感覚の後、一瞬で大天狗が滑空しこちら目掛けて降りてくる。南雲はそれを躱し刃を振るがやはり調子が出ずに数手遅れる。その状態での組手は少しずつ、両者の差を縮めていった。病海月が横からサポートする。何度か隙を見て札を貼り付けようとするが、するりと躱され逆に攻撃をもらう。どうやら天狗は遊んでいるようだ。パタパタと羽ばたき地面から数センチ浮いた状態で片手ずつ二人を相手する。しかし、様子を見ているのは二人も同じだ。いくら大天狗だと言ってもこのペアを完全に押さえ込むことはできない。一気にたたみかける南雲の動きに合わせるあまり病海月の対処に間に合っていない。本当に気をつけなくてはいけないのはこちらの方なのに。闇海月は刀身が赤いククリナイフを持ち、慣れた動作で振り回す。当初は錫杖で受けようとした天狗が何かを察知し空へ飛び上がる。
「勘がいいわね。というか、飛ばれたらなす術ないじゃない」
「こちらに飛べるものはないのか?ジェットパックとか」
「ヘリコでも出す?打ち上げるだけならロケットもあるけど」
バリィ!と雷撃が近くに落ちる。天狗が錫杖により放った攻撃だ。立ち尽くす二人に当たらないあたり狙いは難しいらしい。もしくはまだ遊んでいるか。
「あのクソ天狗舐めてるわね。まってて今ヘリコ出すから……ん?」
病海月がカバンを漁りながら物音がした林の奥の方を見ると、白い、不気味な顔の妖怪がこちらを伺っていた。それは『白うかり』という名前の妖怪だったが、病海月はそんなこと知らない。
「どうした?」
「見てよあれ、キモいのが見てる。あっ隠れた……。ねぇ、私たち後一匹でクリアよね。有栖川達は二匹……だけどもう、一匹くらい倒してるかもしれないわ。あいつにしない?天狗は烏間に任せましょう。彼もそろそろ強いのと戦いたくてウズウズしてるしここは先輩に任せるべきよ」
「いや……そもそもの目標は妖怪退治なんだからここで見逃すのはやばいだろ。奴は強いし目を離したくない。さっきの雷だって、当たらなかったのか外したのかもわからないんだぞ」
「別に倒さないとは言ってないわ。さっきの白いのを殺した後天狗も殺せばいいのよ。別に二十五匹以上倒したらいけないわけじゃないんだから。不味いのはねぇ、南雲。先に有栖川らに二十五匹超されることよ!職員行きを認めることになるでしょ!そうしたらあなたにまた色目使うかも……チームとしての行動にだってまたついてくるかもしれないし、看護婦としてならまだしも同じ職員としてまでストーカーされたらこっちだって溜まったもんじゃないわ。あなたにだって迷惑になるのよ」
「別に俺は迷惑されたことなんてないが、あんたがそこまでいうならまぁ、先に白いのから追ってもいいだろう。一分以内に方をつけよう」
二人は林の奥へと走っていく。それを見ていた天狗は、もう一度雷を落とそうかと錫杖を振り上げるがその時、飛んできた石を弾くため素早くその振り上げた杖でそれを防ぐ。下には女が二人、こちらを見上げてきていた。
「ラスト一匹……空を飛んでるやつがいてくれたおかげですぐに見つかったわ。でもあの赤っ面に長鼻……もしかして例の天狗なんじゃあ……」
「果無ちゃん気をつけて。もしほんとにあれが天狗で、ぬらりひょんの言っていたことが確かなら……」
「ええ、わかってるわ。一瞬も気が抜けないから、果無ちゃん、二人で協力してぶち倒すわよ」
「ええ!」
天狗は錫杖を頭上で振り回し、大きく弧を描くように文字(もんじ)を切った。そして雷を纏いつつ、一気に滑空し二人の元へ降り立った。
八
「十三分、かかったぞ……あの白野郎……やっぱり天狗をやってた方がすぐ済んでたまであるな。逃げ回るタイプの敵は苦手だ……」
「でもやったのはやったわ。どうせこの局面まで残ってる妖怪はどれも面倒な奴らばっかりよ。あの二人が先に狩れたとは思えないわ。これで私たちが一位!有栖川討ち取ったりよ」
「討ち取るのは天狗だろう。まぁこれだけ時間かけてたらもう烏間さんがやってるかもしれないが」
二人は最初に集まった森林の中の広場へ向かった。そこには既に亡代と看護婦がいて、持ってきていた水筒からそれぞれ水分補給をしていた。
「みんなで休憩ですか?烏間さんは?」
「有栖川ちゃん達のとこに向かったわね。手こずっているから助けに行ったんじゃない?……あっこら!奪い合わないの、仲良く分けなさいったらまったく……」
「おいおい大丈夫かぁ?もうー、やっぱり有栖川共に職員はまだ早かったかなー」
「ウキウキなところ悪いが、俺たちも見に行ったほうがいいんじゃないか?」
「烏間が行ってるなら平気っしょ!てか私たちは残りの妖怪狩りにいったほうがいいんじゃない?烏間が二人に構ってるならなおさらさ」
「……いや、大丈夫だ。その心配には及ばない……」
ガサガサと木々の間から、烏間と、有栖川らの二人が顔を出す。有栖川ペアは二人とも身体は無事なようだが憔悴し切っており、疲れた表情を浮かべていた。果無に至っては落雷を直接受けたようで、さすがの魔物ボディもボロボロだ。
「私らのノルマしゅーりょー!イッチバーン!てか心配ないってことは烏間もノルマを達成し終えてからここまできたってこと?じゃあ早かったね」
「いや、俺はノルマを達成できなかった。だが彼女らは天狗と戦っててね。その手伝いに行って、何とか仕留めてこれたんだ。これで二人はノルマ達を成したことになる」
「ちょ、ちょっと待ってよ!あなたが手伝ったなら二人のポイントと言っていいのかしら?あとあなたが達成してないってどういうことよ!」
「そうだな、残念ながら俺はこのレースでは落第ってことだ。あと、一番は君たちではない。亡代から聞かなかったのか?」
「!ちょっと!?亡代さん?どういうことなの?」
「え?あぁいや別に聞かれなかったし、あとナースちゃん達の世話で忙しかったから……」
「何があったんです?いや、俺たちはずっと一つの妖怪を追いかけてましてね。レースがどうってより百鬼夜行の件はどうなったのか……」
「うーん説明っていうか、難しいんだけど……事実だけを述べていくなら殃 冥淵(おう めいえん)ちゃんがいるでしょ。あなた達がテシニカの弟子さんのところから連れて帰ってきたガイノイドの。あの子、最初はフラフラしてるだけで特に妖怪退治の手伝いとかはしてくれなかったんだけど、それに東雲ちゃんが怒って右乳首を強く捻ったら何かのスイッチになってたみたいで……急にものすごい勢いで妖怪を殺しまわって、あっという間に私たちのポイントが33点に達してノルマを終えちゃったの」
「だいぶ数を超えたからな。混乱しないよう俺は妖怪を個人で探すのは辞めてお前らを手伝おうとしたんだよ。その時にちょうど天狗と戦ってる二人を見つけたから、共同で退治したわけだ」
「な……で、でもあなたが手伝ったんなら結局二人はまだ認められないわね!そうでしょ!?」
ふむ、と烏間は顎に手をやる仕草で何かを考え込み、断固として結果を盾にする病海月へ進言する。
「まぁそう言うがな。天狗は強かったぞ。俺から見てもな。それを二人は食い止めてたんだ。だからこそ俺も手を貸すことができたし、それでも手強かったから、もらってた護符を使って何とか除霊をしたのさ」
「ふん!あの程度の怪異はね、私たちならなんなく倒せてたわよ」
「……まぁ、そうだろう。だが奴は雷を落としていたな。大きな音が鳴った。この前にも何度か聞こえてきてたんだが、もしかしたらお前らも相対したんじゃないか?だとしたら一度戦闘を始めておいて、途中で逃げ、別のやつを狩ったということになる。倒せないとは言わない。だが最低でも手こずると思ったから後回しにしたんじゃないか?そんな天狗をこいつらは新人の身で下したんだ。大したものじゃないか」
「いや、違うッ!それは……白いのが!白いのが先に!だから私たちは……」
「十分以上追ってたことになるかな。そっちはその妖怪を……彼女らはその間に天狗を狩ったが。あんたの気持ちは尊重するし強制はしない。だが……もう認めてやってもいいんじゃないか?」
「で、でもッ……競争は……!天狗だって二人だけじゃなくて、フー……烏間さんも入って……フー……だから……あ、ああああああああ!!!!みゃーみゃーみゃー!!!!」
「あらら、言い返すことができずに猫になっちゃった。もういいでしょう、病海月さん。帰りましょう。烏間さんの言う通りやっぱ逃げたのはダメでしたかね。それを倒されたんならぁ確かにこっちの意見は通らないでしょう。ま、少なくとも、僕たちは競争では勝ったんですからそれで引いときましょう」
「ミャー!ミャー!ミャー!……」
泣きじゃくる病海月を南雲は抱えて歩き出す。
「……ねぇ、有栖川ちゃん」
「……?なに?」
「…………やったねっ」
ボロボロの有栖川と果無は肩を寄せ合い、暗い森のなかお互い笑いあう。そんな二人を殃 冥淵(おうめいえん)は木々の影から百万ボルトの瞳で見つめていた。
九
その後の会議により、有栖川は晴れて職員となった。百鬼夜行の件と、果無を従えての活動が評価されたのだ。皆祝福したが、病海月は泣きじゃくった。
ナースから職員への昇格というニュースは、他のまだマシな頭のナース達にとって良くも悪くも、様々な刺激を与えることになった。
果無はまるで自分のことのように喜び、有栖川もまた、そんな彼女に感謝した。
その日の二人の祝賀会は夜遅くまで続いたが、その間、病海月はずっと猫になっていた。