Neetel Inside ニートノベル
表紙

インターネット変態小説家
魔国編

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一通りの経過を記す。
まずはあの事件後の被害についてだ。中国とアメリカの両国が無くなったことで起きた損害は多大なものとなった。まぁ、そんなことは世界経済に全く興味がなくても大体わかることであって、中にはこれで世界そのものが終わるとまで語った者もいたが、現状世界は成立している。いや、もしかしたら既に終わっているのかもしれない……、だが今のところは日本含む至る国でも日常がなんとか続いている。これから先自殺者が急増したり、エネルギー問題や食料問題なんかである日突然、もしくはじわじわと終わりを迎えるのかもしれないが、当面は今まで通りの世界が成り立っていた。

中国人は変異した。どうやら首無しと行った契約により、深淵の鈴で賄っていた犠牲者が足りなくなり、代償を払えず結果、担保として賭けていた中国人全員が凶禍に飲み込まれ、バケモノと化したのだ。
首無し自身も喰われ死んだというのに、死後も契約を守るとは律儀な存在だ。
国際会議により彼らを『支那怪人』と名づけ討伐の対象とした。

アメリカは死贄田が排泄した禍の厄災エネルギーにより、近寄ることさえできない死の土地へと成り果ててしまった。
それがよかったのか黒魔術集団がアメリカ跡地を乗っ取り、魔界へとつながるゲートを開いた。そのせいでアメリカは現在『魔国』へと変容を遂げ、黒魔術集団と魔物達が支配する地獄の国を作り上げていた。

死贄田は、今も依然『起きたまま』だ。
院長によれば中国を滅ぼした後も、彼女の中の首無しのエネルギーが途絶えることはなく、確保が難しいのでいずれその力が消えるまでここに置いておく他ない様だ。
病海月は常に彼女から隠れる様に行動し、涙目になりながら怯えている。南雲も流石にヤバさを理解しているらしく病海月の側で補助をしている。その他の職員もほとんど同じ態度だ。
彼女に近寄るのはいよいよ脳のないナース達だけとなり、死贄田もそんなナース達と一緒にいるのは楽しいらしくいつも大勢で遊んでいた。そのせいでナース達は半数ほどが死に絶えてしまったが、まぁしょうがないことだろう。

一難去ってまた一難。
この世界が本当の意味で平和になることなんてない。そんなことはこの世の全員が知っていることであり、共通のルールであった。
そう、知ってはいるが……今日も世界中からため息が漏れ聞こえていた。




「魔国を潰す様にとの依頼が来たわい。現状、死贄田さんの問題もあるのじゃが何より、世界的な動きを見るとこちらに依頼をしてきたのは割と切羽詰まっておるということかのう」

「どうですかね、どちらかと言えば首無し大戦での生き残りであり、アメリカ滅亡の理由でもあるこちらに圧力かけてるんだと思いますよ。考え方によってはケツ拭くチャンスを与えてもらってるとも言えますけど、どう考えても我々に丸投げする様な問題ではないでしょう。黒魔術師達はアメリカ人の生き残りもそうですが、イギリス、ドイツ辺りの古株達も参加してる様ですし、向こうが手を出さないのは切羽詰まってるというより、こちらを責めるための一手というところでしょうか」

「僕も、大体同じ考えです。向こうには向こうの都合があるのでしょうが、特に弱ってるわけではないでしょうね。いや、もちろんギリギリなのはどこも同じでしょうが、新設の魔国なんかに怯えるほど追い詰められてはないと思います。ここに依頼してくるのは明らかに嫌がらせですね。死贄田さんという兵器を持て余してるのを知っているので、足元見てるんでしょう」

話し合いをしているのは、院長の朽桜伸夫、外科医の烏間白羽、精神科の不二村良太の三人だ。この三人は怜染総合医院内の頭脳といってもいい、方針を決めるのは常にこのメンバーだった。

「しかし魔国を潰すとは実際どういうことを言うんでしょうか。少なくともぶちまけられた厄災のエネルギーを完全に除去することは出来ないしと思いますし、魔術師どもを全員始末したとしても土地がある限りまた新しいのがやってきて同じことをするでしょう」

「うむ、おそらくゲートの処理と魔物の駆逐が最優先じゃろうな。いくら向こうからの理不尽な依頼といえども動かないわけにはいくまい。死贄田さんの誘導がうまくいきそうならそれが一番じゃが、無理そうなら南雲君と病海月君に頼んで魔物の処理を行ってもらうしかないのう」

「引率は、僕が担当した方がいいですかね。正直烏間さんには別の仕事を単騎で行ってもらう方がいいでしょうし、亡代さんにナースとあの二人を合わせて見てもらうってのは可哀想です」

「そうじゃのう、それが一番いいかもしれんな。魔界との接続値を調べて、人数が足りないのならナースをまた何人か連れて行っても構わんしな。君ならできるじゃろう」

「ええ、任せてください」

「すみません不二村さん、頼みます。俺はまたしばらくロシアの方に行って、動向を探りつつ手を貸してもらえないか聞いてみます。魔国については、調査という形であえて長引かせてもいいかもしれませんね。下手に挑発するより安全ですし、他の国もこちらが魔国と向き合ってる間は手出しもしにくくなるでしょうし」

怜染総合医院において、南雲達に振り分けられる仕事はこうやって決まっている。




寒風がゆるやかに肌を撫ぜる。夏の蒸し暑さからやや乾燥し、したたかな冷気を呼び寄せていた。
秋口に差し掛かる移ろいの中で、騒々しさは季節のイメージに合わせるかの如く鳴りを潜め、落ちる様な静けさが辺りを覆い始めていた。

怜染総合医院は閑散とした誰も寄り付けない立地へ立っており、その外観は一切の無駄を削ぎ落とした理智的な、孤高のイメージを彷彿とさせ、もしくは豆腐であった。

「でもー、これってブラックナンバーでしょ?いきなり立て続けに何度も大仕事が入ると、いよいよ世界ってやばいんだなと再認識しますよ」

「ええ、ですから今回僕らが行うのは調査だけです。危険なものはないか、無力化のヒントは等様々な要因を探りに行くんです」

「私はなんでもいいわよ。政治的な意思のあるお使いでもね。厄災はもう懲り懲りだけど、本当に」

病海月は右肩を撫でながら、しとしとと呟く。首無し淑女戦で吹き飛んだはずの右腕は何事もなかったかの様にそこにくっついていた。

「まぁでも、久々に動けるならそれでも我慢するわ。あんな女がいるこの病院からは早く抜け出したかったのよ──」

「あぁ、あと死贄田さんの調子が良ければこの調査に連れて行くことになってます」

「うぶぅっふぇええ?!?!???!」

何も口に含んだ様子がないにもかかわらず、病海月は盛大に吹き出した。そしてポロポロと涙をこぼしながら、いつもの様にわざとらしく媚びた態度で懇願する。

「ふええ、お、お願いします。あの女は嫌なんです。頭がおかしいんですよ。それ以外のことならなんでもしますから私とあの女を近づけないでぇぇ………」

病海月の態度を横目に、南雲もたまったものではないらしく

「そういうことなら亡代さんもつれて行かないといけないんじゃないですかね。というか調査なら俺たちが行く意味ってあまりなくないすか?」

「死贄田さんが暴れ回ってるせいでナースの管轄がうまく行えてないんですよ。彼女らも自由にさせるとまずいですからね。だから今回の調査にはなるべく自立できてるナースを連れていこうと思います、亡代さんの保護なしで」

「ふええ!いやだぁ!ふえええ!!!」

不二村は冷静に却下する。
病海月は寝転がり、泣き喚きながらじたばたと暴れている。南雲は妙に達観した様子だ。考えるのをやめてるのだろうか。

事態が変わったのは二週間後のことだった。

死贄田めるみは魔国への調査に乗り気だったこともあり、あっさりと同行することになった。
ナースからは【有栖川 絶夢】と【音無 煩目(おとなし わずらめ)】が参加した。
その他は何母南雲と鈴木病海月、不二村良太の三人を合わせ、計6名が魔国への探索を行うこととなった。

自家用のジェットで魔国、元アメリカへと飛ぶ。とりあえず、マンハッタン辺りへ降り立つ予定であった。
なんらかの魔術により、飛行機の左翼が撃ち抜かれ、乱降下してみんながバラバラになるまでは。




魔国は最悪だった。
見渡す限りが不毛の地であり、空は紫、地面は汚れたレッドで染め上げられていて、ひび割れた大地からは良くないガスが吹き出していた。辺りには濃い緑色のミストがかかっており体に悪そうだ。なんだかよく分からない植物が多数生え揃い、意思があるかの様に蠢いている。どこからか『オロオオオオン』と何者かの雄叫びが轟く。数分毎に地鳴りが起きた。雨が降っているわけではないのに雷は常に落ち続けている。これ程までの騒々しさでありながら、定期的にしん、と静寂が支配する波があった。

魔界へのゲートは、幾つかの石柱の中心に留まるブラックホールの様な黒煙だった。荘厳な意匠のアーチが連なるその奥に渦巻く黒い粒子がぐるぐると躍動している。
ぼーっと眺めているのは南雲だ。病海月とも不二村とも別れ、奇跡的に出会ったのは一度、会議で顔を合わせたきりの有栖川と死贄田の二人であった。

「不思議だよなぁー。どういう原理でこんなものができあがってんだろうな。まあ、魔法の力なんだろうけどさ。どうにも納得できないね。でも、こうも簡単に二人と会えたってことはそう遠くにばらけてないってことで、ゲートの調査に来たんだからここで待ってれば二人も来るよな」

「はい。でも、ゲートがひとつとは限りません。同じ様な気配をいくつか感じてますし、もし向こうも同じことを考えてたら事態は一向に進まないと思います……」

有栖川は落ち着かない様子だ。それは魔国の異様さもあるが、それよりも一緒にいる彼女の存在のせいであろう。

「死贄田さんは何かありますか?」

声をかけた南雲の行動を信じられないといった様子で有栖川は眺める。死贄田はチョロチョロ動き回っては生えてる草を食べたり、地面の割れ目へと手を突っ込んで、腐った腕を再形成したり、ゲートのアーチに向かって腰を振りながら齧り付いたりしていた。

「ええっとあのー、死贄田さん?そういうことはあんましない方がいいと思うんすけど。多分それ結構大事なものでベタベタ触ると変なことになるんじゃないですかね」

南雲が諭すが死贄田は聞いてるのか聞いてないのか、ふらふらと歩き装飾を噛み砕いては破壊していく。

「まるでビーバーだな」

のどかな例えで場を和ませていると、ゲートの中から異形の存在がひょこっと姿を表した。
それは、人の形をしている部分とそうでない部分とが極端に合わさった造形をしたモンスターで、右腕がやたら細く、長い造形をしている。『ぐばぐばぐば』と笑い声なのか呼吸の癖なのか分からない咆哮を繰り返し、のそりと南雲たちの方へ近づいてくる。

「あんた、話は通じるか?」

佩刀に手をかけ、南雲は尋ねる。首無し淑女によって堕落した刀の代わりに、一から打って作り上げた新作の日本刀だ。
有栖川は浄化の力を腕へと漂わせ、腰を落とし周囲の動向を探る。死贄田はなおゲートに齧り付いていた。
『ゴバァッ!ぐぼ』とモンスターは咳き込み、血反吐を吐き出すと全力で突進を行う。南雲は会話は不可能と判断し、頭から刀で両断する。真っ二つになっても即死ではない様だ。流石に切られたことはわかるみたいで右半身も左半身もじたばたと暴れる。

『けぼけぼけばばばっあっあ』

どこから声を出しているのか。真っ二つになった顔はとろける様な笑みを浮かべながら笑い声を漏らす。そのうち化け物はやがて両方とも動かなくなり、完全に死亡した。

「なんだったんだ?」

「魔物ですかね……外見はゾンビというか変容した人間の様な……」

「バリィ!バリィ!ぐちゃ」

死贄田は真っ二つになった死体の半分を食べ始める。

「ちょっと待ってくださいよ。調査に来てんですから」

南雲はやや呆れた様に、かつ恐る恐る死贄田へ注意する。しかし死贄田は何も聞いてはいない。

「あ!あのっ!ちょっとこれっ!」

有栖川が焦った様に騒ぎだす。
南雲も彼女の方へ視線を向け、訳を聞く。

「どうしたんだ?何かわかったか?」

「こっ、これ、人間ですよ。やっぱり変容した人間です!」

「ふうん」

南雲は死贄田が食べている方とは別の半身の、左半分の方を見つめ、足で弄る。
確かに、変異が酷かった右半身と比べると人の形は保っていた。

「成程、確かに人みたいだな。黒魔術師たちが変えたのか。酷い話だね全く」

「ええ、原因は不明ですが……私の神力で確かめました。あと、彼は日本人です。それと、かなり不思議な点もあります……」

「まだ何かあるのか?」

「ええ、彼は……とても長生きだった様です。少なくとも数千、数億年規模で生きています」

「ふーんなるほど。つまり纏めるとこいつは魔国にいた数億歳超の日本人、ねぇ……」

南雲は顎に手を当て深く考える様な仕草をとっているが、そのうち『コッペパンの「コッペ」って意味はよくわからないけど可愛いな』などと思考が移ろいでいった。

南雲は考えるのが不得意であった。

『ぎゅりきゅるるるっ』

歯軋りの様な、甲高い声が聞こえる。
南雲らが振り返ると今度は足が肥大化し、体の20%程が変容した化け物が現れた。目の位置も少しおかしい気もするが、上半身は普通の人間のものだった。

「あれも日本人か?」

「う、分かりませんけど見た感じそう……ですね」

太い足をバネの様にして飛びかかってきたので南雲が首を飛ばす。

『りゃんりゅんりょんりゃん』

『ボルボルバリボロ』

『きょえーひゅんひゅん』

影からまた、ずらりと化け物が飛び出す。
死贄田が齧り付いている柱のゲートからもゾロゾロと這い出てくる。
元人間の魔物はざっと数百体程集まり、南雲たちを取り囲む。

「しょうがない、一直線に突破するぞ。絶夢はついて来れるか」

「ええ、私は大丈夫ですよ。サポートも任せてください。……でも、あの、死贄田さんはどうしましょうか」

「あれこそ放っておいて大丈夫だろ」

南雲は一閃、前方の化け物共を蹴散らし道を開ける。元人間らしき面影を残すパーツが宙を飛び、辺りに撒き散った。そのまま肉の壁を切り刻みながらこじ開けていく。有栖川も浄化のパワーで血や肉を弾き、南雲にエネルギーを送る。普通に走るのと謙遜ないスピードで化け物の群れを崩していく。

残された死贄田は何も気にしてない様に柱に齧り付いていた。他の化け物たちから襲われ、噛みつかれようと、自分は自分でお構いなしに柱に齧り付く。
かじかじかじかじとひたすらに齧り続けていた。


5.

「とんでもないところに来てしまいましたねぇ」

「本当よ。あなたが連れてきたんだからなんとかしなさい」

病海月は明らかにイラついている。
不二村は飛行機の残骸を弄っているがとても直りそうにはない。内部の無線を繋げようとするもどうにもうまくいかない様だ。電波が届かないのか、無線自体が壊れているのかすら、この状況ではわからない。

「他の人たちは大丈なのかしら。死贄田は死んでたほうがいいとして、特に南雲君。あの子は私がいないとダメなのよ。心配だわ。ああ、心配」

「まぁ生きてはいるでしょう。僕らもこうして無事なわけですし。おそらく有栖川さんがギリギリで保護してくれたんでしょうね。その有栖川さんも今はいませんが……無事を祈るしかないです」

「少シいいカシら」

妙な抑揚で尋ねる彼女が、音無煩目(おとなしわずらめ)だ。ペイズリー柄の刺繍が入った男性用の中華服を身に纏い、口の端に大雑把な縫い跡が残っている。目つきは冷たく、服の襟からチラチラと見える首元はやや黒ずんでいた。右側にだけ八重歯が生えている様で、口を僅かに開いただけでもわかりやすく唇から覗く。

「ええ、どうしましたか?」

「【音の目】ニ周囲ヲ探ラセてイタが大体の全容ガわカッタぞ。コの国ニハ幾つカの『ゲート』が設置サレてイテ、ソコかラ魔物共ガ出てキてるラシい。ソの魔物は人間を変異サセて作っタ魔界特製の化ケ物達ダ。南雲と有栖川ハ生きテイてソの一人ノ魔物ト接触中の様ダな。死贄田は柱ヲ齧ってル」

「南雲は生きているのね?でも有栖川と二人で接触?なんでクズのナースなんかと……見捨てればいいのにねあの野郎」

「まあ、有栖川さんの力は便利ですからね。もしかしたら有栖川さんの方が南雲君を助けてるのかもしれませんよ。じゃあ早速二人の元に行きますか。魔物と交戦中との様ですし」

「アあ、ソれ、おすすメしナイ。こッチハ帰る方法見ツケる方がイイ。飛行機ガ壊レテ帰れナいナラこの国を出ルニは魔術師見ツケてゲートを日本と繋いでモラうシカなイ」

「ふむ、なるほど。魔物は向こうに任せて、こっちが自由なうちに帰りの準備を進めてた方がいいってことですか。それはそうですね」

「私はあっちに行っていい?」

「もウソろソロ柱を齧ルノも飽キテくル。死贄田ガいテモいいナラいいぞ」

「よし、仕方ない。さっさと帰る準備を始めますか!」

こうして不二村チームは魔術師探しに向かうことになった。果たして無事にこの国から脱出することができるのであろうか。

ーーそして、一方南雲達。ーー

対峙していたのは体の80%程が変容し、わずかに人間の名残を残しているだけの化け物だった。
かろうじて残ったその顔貌により元の体が女性であることは読み取れたが、それ以外は凄惨なものだ。
頭から、髪型としては長髪が生えていたがその隙間から触手もいくつか飛び出しうねりを上げている。頭部の一部は膨れ上がり、左右でアンバランスな印象を形作り、顔は普通の少女のものであったが目玉は赤く濁っていて険しく歪む表情はどこか虚でもあった。細い首元には血管がボコボコと浮き出ており、肩は酷く変容し、硬質化して目玉が蠢いていた。右手は蛇や鰻の様に長く、先端は割れて牙が覗いていた。左手の大きな手のひらと爪は凶暴な化け物を思わせる。胸部にある機関はグロテスクに脈打って腹部に行くにつれ爛れ、内臓が外側へついている様だった。足は皮膚を剥いだ筋肉の様になっており、黒く澱んでいて肉をかき分ける様に棘が生えてきていた。その所々に宇宙生物のようなものが寄生する様に張り付いている。

ぺたぺたとふらつきながら、南雲達へと向かって歩いてくる。

「話は通じるか?」

同じ調子で南雲は聞く。

「ええ通じるわ」

化け物の女はなんでもないように答えた。


6.

何処かの自然公園だったのだろうか。今はもうその境目すらわからない。何処までも続く赤い大地にポツリと立っているベンチは、等間隔に設置されていただろうに皆一様にボロボロで、座れる程度のものはこれひとつしかなかった。有栖川が気にするようにチラチラと化け物女の方を見る。体の8割強が変容した彼女は魔界での長時間の生活により、ゆっくりベンチに座るという動作すら未だ困難な様でベンチの近くへ佇んでいる。
そんな女性二人に見下ろされながら、無遠慮に南雲が腰掛けていた。

「それで?あんたは魔界にいたんだな」

「ええそうよ。もし、言葉遣いが乱れてたらごめんなさい。ここ数十億年の間、悲鳴以外を口に出すことは少なかったの」

そう切り出す彼女は主張と裏腹にスムーズな会話を行なっていた。所々引っ掛かる抑揚やイントネーションはブランクによるものか体の変異のせいか。

話をまとめればアメリカ没後、この未来を予知していた一部の黒魔術師や呪術師達は惨劇を回避しており、自分たちの話を聞かずに陰謀論扱いした他の間抜けなアメリカ国民に変わり自分たちで国を運営することを決意、他の国からも黒魔術師やそれに準ずる者たちを集め魔国を結成。そして他の国への牽制と、アメリカ滅亡の原因となった死贄田の住む国、日本への報復も兼ね数千人を拉致、魔界へと転送した。魔界はあらゆる醜悪な魔物や理不尽な仕組みで成り立っており、こちらでの1秒が向こうでの100年に当たるという。しかも彼女ら転送者は魂ごとそこへ幽閉されているため、死んでもまた肉体が魔界で形成され永遠に続く苦しみと恐怖の中少しずつ世界に馴染む様に体が変容して行くという。大概の者は痛みか、変わってしまった自分の姿を見て心が折れ、発狂してしまうというが、彼女は、そうではないらしい。

「ベタな気もするけど、家族のことを考えていたわ。もう一度お母さん、お父さんや妹、みんなに会いたいって気持ちが。それだけで……それだけで、数億年近い日々を耐え抜いてきた。自分がそこまで我慢強い性格だったなんて知らなかったけど、耐性はあったのかもね。無い方が、良かったんだろうけど」

「いや、そんなことはないですよ!今だってちゃんと無事に……えっと、生きているじゃないですか。家族にだって会えるんですよ」

「そうだな。では本題だが魔術師達は何処にいるんだ?」

凄惨な経緯を聞いてなお、冷酷に振る舞う南雲に有栖川は一瞬困惑と軽蔑の入り混じった感情が芽生えたが、なんてことはない、彼は仕事をしているだけなのだ。ここで彼女に同情をすることが正解ではない、少なくとも自分たちの立場としては。有栖川も段々と、彼らのやり方を理解し、慣れてきていた。

「詳しくは知らないけど、基本は外にいると思うわ。魔国の外。たまに入って来るのよ。その度に周りにいる魔物や『なりかけ』を蹴散らして何かを採取したり、魔界の奥へ進んで行ったりしてたから、多分あいつらにとっても魔界は居心地のいい空間ではないんでしょうね」

「ふうん」

南雲はそれを聞くと、しばらく考える様な仕草を取った。2秒くらい。その後立ち上がり、「まずは他のメンバーを探そう」と言って辺りを見渡した。
この辺はアメリカの何処なのか知らないが、公園があるということは郊外ではないのだろう。瓦礫すら崩壊し、辺り一面は焦土と化しているが、緑色の霧によって視界が遮られ、全貌がわからない。

「奴らの何かを探知する必要があるな。絶夢の能力でできるか?」

「私は……すみません、難しいです。この辺は魔力やその他の災禍の影響が強すぎて私の神力じゃあ捜査には使えません」

「ならそっちの……そういやあんた名前は?」

「桐生……恵里菜、だったと思います。自分のことはあまり……家族のことだけはなんとか覚えていたかったから、それだけは……」

「じゃあ桐生は何か探せるか?俺たちと同じ様な雰囲気のものを」

「……いえ。魔界では他の生き物から逃げ続けてたので自信はあるんですけど、こっちはだいぶ勝手が違う様で……体もうまく動かせなくて……」

「ああ、そう」

南雲は帯刀してある刀を一瞬で抜き取り、勢いよく振りかぶった。
緑色の霧は前方数メートルが一瞬晴れたが、またすぐに舞い戻り同じように覆われた。

「こりゃあ骨が折れるな」

南雲は気怠げに空を仰いだ。紫色の空は霧のグリーンと混ざり合い最悪な色彩を放っていた。月の光もそのフィルターを通り、濁りきった暗い色を届けている。いや、あれは太陽なのかもしれなかった。

「気色が悪いとはこのことだな」

うんざりとした南雲へ有栖川が提案する。

「最初のゲートへ戻ってみるってのはどうですか?死贄田さんがいますが……逆に他の人たちが探知するとしたら、膨大なエネルギーを持つ死贄田さんのところでしょうし、こうも視界が悪いと、ゲートからゲートへとシンボルとして辿っていく方が得策です。私の神力なら、ゲートくらいなら探せますし」

「そうするしかなさそうだな」

南雲は振り返ることなく返答する。

「えっと、あなたも来ますよね」

有栖川は精一杯の笑顔で桐生を誘う。

「ええ、良ければ……ここにいても用はないし、帰ることもできないし……ついて行っていいの?」

「はい、家族に会わなきゃいけませんからね」

有栖川は優しく微笑んだ。


7.

緑色の迷霧を掻い潜りながら進んでいくと、開けた場所へ出た。そこだけは霧が晴れており、数百メートル先くらいまでは見渡せる。黒煙渦巻く白柱のゲートの周りには一面にバラバラになった人型の魔物が散らばっていた。パーツがばらけているため正しく把握はできないが、ざっと千人ちかい人数が犠牲になっているだろう。しかし、そんな光景よりもまず南雲達の目に入ってきたのは別のものだった。

「むっ、あれは?」

「南雲。生きてたのね……有栖川も。それに、?えっと、???誰?それは」

「ふむ、とりあえず無事そうで、何よりです。霧も僕の力ではこれくらいしか払えなくて……ってあれは魔物ですかね。死贄田さんがいないのも気になりますが」

「はい。よかった、皆さんもご無事で。ああええっと死贄田さんは……あれ?ここで柱を齧ってたはずですけど」

「アイツなラ魔界に居ルナ」

「ええ……何やってんだ死贄田は」

ついに魔国で全員、不二村と病海月に音無、南雲と有栖川が揃ったことになる。それと今は桐生が付いている。死贄田は消えていたが。

「うーん魔界は困りましたね。探しに行ってもいいですが現状少し厄介な事になっていて……」

「そういえばこの散らばった魔物共、南雲達がやったの?」

「え?いやまぁ俺たちも殺したけどこんなには殺ってねーな。そっちかと思ってたけど違うなら死贄田かなぁ。あんたらは今まで何してたんだ?」

「ええ、私たちはまず帰る方法を確保しようと転移門を探してて……で、これと同じ様なゲートを見つけたんだけど、それが黒魔術師共にとって都合が悪かったらしくてね」

「かなりの数を殺しましたが、それでも半分くらいは逃げちゃいました。音無さんが能力で追撃したみたいですが、リーダーの魔術総統には完全に逃げ切られちゃって」

「魔術師ってすぐ逃げるのよね」

「マぁでモあタシは有栖川ヨリは活躍シタかナ、なァオい。クきュフふふ」

「えっと……そうですね。すごいと思いますよ、本当に」

「で?帰る方法は見つかったのか?」

「はい。僕がゲートの魔術式を書き換えて、僕たちを飛ばす場所を日本に指定したんですよ。でも結構強引な手を使わざるを得なくて……ゲートの行き先自体を変えられたらよかったんですが、この門は魔界への直属のものらしくゲート自体は魔界と繋がったままなんですよね。なので普通に魔界からは魔物が出てきてしまうという」

「なるほどな。しかも一方通行になるってことは、日本に帰ってもまたそこからこの魔国に来ることはできなくなるってことか」

「そういうことです。ここに来るにはまた飛行機で危ない目を見なくちゃいけないってことですし、仕事としては魔国自体の風土を変えることはできませんでしたしね。逃げた魔術総統も含みまたやって来るであろう別の黒魔術師達を止めることはできませんし、ゲートの破壊もまだ済んでませんので今回の調査によって色々とやることは山積みですねぇ」

「で、でも黒魔術師達を結構な数倒せたなら意味がなかったことはないですよね?それにこんなにも魔物は死んでるわけですし」

「あの……えっと、すみませんいいですか?魔物ですが、私がいた頃を思い出すと今この散らばっている数の倍以上はいたはずなので、まだ魔界にはかなりの数が残ってると思います……」

「それに魔術総統も倒せなかったですしねぇ。これがかなり痛いです。彼がいればまた世界中から続々と黒魔術師達が集まりますよ。彼らの世界でのリーダーなのですから」

「こっちの1秒が向こうの100年って考えると変異も馬鹿にならないな。次いつ来れるか知らないが魔物の強さも飛躍的に上がってるんじゃないか?」

「やれやれね。死贄田がいないのはいいことだけど死んでないならまた探しに来ないといけないわ。魔界に居るんだっけ?かなりめんどくさいことになりそうね」

「まぁ、問題ばかり考えていても仕方ありません。今日はこれまでにして一度帰りましょう。魔術総統がやってきてゲートの術式を書き換えられても困りますしね」

不二村が告げ、全員でゲートを潜ろうとした際に黒煙が揺れた。魔国に囂々と吹く生ぬるい風が運ぶ薄気味悪いノイズが一転、ピタリと止み静寂を呼ぶ。全員に緊張が走りゲートの中心を固唾を飲んで見守っていると、ふらっと見慣れた見たくない顔が現れた。

「ぴやーん!死贄田だぁーッ!」

病海月は泣きながらささっと南雲の背後へ隠れる。南雲も一応刀に手をかけてはいるが、半ば呆れた様子でゲートからの帰還者を見つめる。有栖川は固まっている。覚悟してなかったわけではなさそうだが今にも吐き出しそうだ。音無も、だいたい察しはついていただろうに冷汗をかいていた。桐生は何が何だかわかっていない。不二村が声をかける。

「ああ、えっとご無事だったんですね。それならよかったんですよ、別に……ん?何を食べているんですか?それ……、あ」

「…………魔術総統だ……」

背後で病海月が呟く。死贄田が美味しそうにかぶりついているのは、真ん丸に肥え太った老人の……魔術総統の頭であった。
有栖川が吐き出した。音無は目を瞑り深呼吸をしている。桐生も何もわからないだろうに震えていた。南雲と不二村は呆れすら通り越している様だが当の死贄田は妙に眠そうでトロンとした目をしている。

「もう何も食べるものが無くなって、それで……ふああああ。……おやすみ」

全て食べ終えた死贄田が倒れかかり、それを不二村が支える。その際に指輪から垂れるペンデュラムで、前回死贄田にしたものと同じ封印をかけた。これを解かない限り、再び目覚めることはないだろう。説明を受けた全員が、ホッとしたような表情を浮かべた。「まったく、面倒をかけるじゃないわよ」と背後で震えていた病海月がピンッと死贄田の鼻を弾く。よくもまぁと思いながら有栖川は顔を綻ばせる。南雲は早く帰りたかったが、ある一つのことを考えていた。

「なんでも食う死贄田が何も食うものがないって……魔界は今どうなっているんだ?」

しかしそのうち南雲は考えるのをやめ、ミルクレープのフランス気取りの純日本感はケーキを擬人化したコンテンツがあるとするなら結構なキャラ付けだなと思案をめぐらせた。

南雲は考えるのが苦手であった。


8.

帰宅した全員が忙しく、仕事に取り掛かっていた。
院長、烏間、不二村、亡代はともかく南雲や病海月さえも書類での事務作業や怪異の『治療』なんかに追われている。

そんな怜染の喧騒とは離れ、魔国で魔物と化した桐生恵里菜とナースの有栖川絶無はとある場所へと訪れていた。それは桐生が住んでいた、家族達のいる実家のある街だ。院内でもまともな治療ができず、変異したそのままの姿で桐生は懐かしい街を歩いていた。

「なかなかいい街ね。家は何処にあるの?」

「向こうの角を曲がってすぐ……ねぇやっぱり私もういいよ」

不安になり、立ち止まる桐生を有栖川は勇気づける。

「大丈夫だよ。確かに、姿はだいぶ変わっちゃったかもしれないけど……でも家族だって桐生……恵里菜ちゃんに会いたいはずだよ。もう一ヶ月近く行方不明できっと心配してるはず、会いに行って安心させなきゃ」

「……多分、怖がられて、追い出されて、それで終わりですよ。だったら無事に生きてる可能性を持たせられるだけ、合わないっていう選択の方がいいかも……」

「え?いや……なんで?だって、そんなことないよ!今だって無事に生きてるじゃん!なのにどうして……そんなに、怖がってるの。確かに最初は驚かれるし怖がられることもあるかもしれないけど、でもそのうちまた一緒に仲良く暮らせるようになるって!」

「……私のお母さんは厳しくて、だからいつも私たちは家の決まりを守って生活していた。妹も、私も、頑張ってたのは親に認めてもらうため。虐待とかじゃないし丁寧に育ててもらえてたけど、一ヶ月も急にいなくなって化け物になった私を受け入れてはくれないと思う。こういう不思議なことは信じないだろうし、私だって気づいても、妹がいるなら私はもう、いらないと……」

「だ、だから、なんでそう……会いたいって言ってたじゃん。だからこの街まで来て……いや、うん。まぁ、急に会うのが怖くなったっていうのもわかるよ。見た目だって変わっちゃったし。だけど……私はそんなことにはならないと思う。お母さんも厳しかったんだろうけど、外見が変わったくらいで拒絶することなんて……」

「最初は!……そりゃ会いたかった。けど、実際ここまで来ると昔のこともまた思い出して……そう、もう私は昔の私じゃない。数億年間も向こうにいて、記憶もほとんど覚えていない。微かに覚えてる限りでは家族も、きっとこんな姿になった私に会いたくないはず。記憶が戻ってきて今、はっきりとそう思えるの……」

「……そんな、いや、そんなことないよ!桐生ちゃん。大丈夫、安心して。今はとても久しぶりに会うことになって、緊張とか不安で心がパニックになってるだけ。落ち着いたら家族が拒絶なんてあるわけないってわかるはず。だって、これまでまた家族に会うために必死に頑張ってきたじゃん。それなのに、こんな……」

有栖川は強い目で桐生を見つめる。長年離れ離れだったという家族の問題に、部外者ながら胸を詰まらせていたのだ。桐生恵里菜もそんな有栖川の説得に心を打たれたのか、ふぅと息を吐き出すと

「うん。わかった、そうだね。会ってみるよ。結果はどうなるかなんて、わからないから」

と振り返り、角を曲がって家の方へと進む。有栖川もそれを端から見守る。

(うん。大丈夫、だって家族なんだから。確かに外見は化け物みたいになって不気味かもしれないけど、顔に面影はあるはずだし、それに数億ほどじゃないにしろ向こうの家族だって1ヶ月ぶりで心配してたはずなんだから。まさか、拒絶なんて、あるわけないよ。そんなこと絶対に、絶対……)

有栖川はそう信じながらも、怯えるような彼女の言葉といい、思い出した記憶のことも、心の中でモヤモヤとした疑念が生まれつつあった。いや、まさか。家族のもとへと向かう桐生の背に一抹の不安を覚える。(私がこんなことを考えてどうするの!彼女はそんな不安な気持ちを持ちながら会いにいくことを選んだんだから、ちゃんと応援してあげなきゃ)怪しげな思考を振り払い、桐生の家を見ながらエールを送る。

しかし、有栖川の目に飛び込んできたのは何やら騒がしい気配。怒鳴り声。半狂乱になる母親らしき人物と何かを投げつける妹。それを抑えるようにして現れた父親らしき男が何かを告げ、恵里菜を置いて、ドアを閉めた。そしてしばらく長い、おそらく数秒のことだったのだろうが永久にも感じられる時間が過ぎた。

有栖川の視界が歪むように畝った。自分は、何をしてしまったのだろう。強い吐き気を催したが、それ以上に何かから押さえつけられる感覚に襲われ、立っていられなくなり地面に伏せる。呼吸すらままならなくなり、こちらに近づいてくる桐生を待つことなく、彼女の意識は一度そこで途絶えた。


9.

公園のベンチに二人は座っていた。遊具は滑り台とブランコが置いてあるくらいで後は何もない広場になっていた。しかし、住宅地の近くにあるので、利用者の数は多いだろう。今は時刻の関係で一人も遊んでいる子供はいないが。夕方も過ぎ、茜色に染まった空は暗闇に押しのけられていた。あたりはすっかり暗くなり、公園内の街灯がポツポツ光る。

「ごめんなさい……まさか本当に、こんな、こんな事になるなんて考えてなくて、私は、なんてことを……ごめんなさい。ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい……」

有栖川は泣きじゃくっていた。まさかこんなことが。自分のしたことが許せなかった。桐生の身に起こったことを考えると胸が張り裂けそうになり、どんな事をしても取り戻せないのだと後悔の念で一杯だった。

「いえ、私は感謝してるのよ……顔を上げて。あなたは本当によくしてくれた。あの時、よくわからない所から私を連れ出してくれて。話を聞いて、家族と会うためにここまでついてきてくれて、本当にありがとう」

「で、でもあなたの言った通りだった。私は、あなたのこともあなたの家族のことも何も考えてなかった。そのせいで、こんな、家族に会うために長い時間を耐えてきたのに、こんなことになって……」

「……いえ、これはどうしようもないことだったわ。会う前は怖がってたけど、実際会ってみて思ったのは、あのまま会わずにいることが本当に駄目な事だったってこと。あそこで帰っていたら、私は一生それを引きずって頭がいっぱいだったでしょうしね。一度諦めた以上、また会おうとすることはなかっただろうし、家族も一生私を探し続けることになってたかもしれない。ここで会えたから、私もショックではあるけど吹っ切れる事はできたし、家族も、ある意味諦めはついたと思うしね。だから、あなたには心から感謝してるのよ有栖川さん」

「……でも、でも私は……」

「…………」

「…………」

有栖川の嗚咽がしばらく続く。桐生も、もう何も言わずに有栖川が落ち着くのを待っていた。夕暮れの赤と夜の青とが混ざり合った紫色の世界では、ただ遠く澄んだ空の上、雲がゆっくりと流れていた。

「……私はね、昔は秌山っていう山の奥にある場所で巫女をやっていたの」

「……巫女?」

「うん。そこは神社のようになっていて、神社ってくらいだから神を祀ってたんだけど……どんな神かはよくわからなかった。新興の宗教ではなくて、なんかもっと古来から続いてきた伝統のあるものだったんだけど、やってること自体は不可解なものばかりだった。決まりなんかも厳しくて、新規の信者は入ってきにくいらしく、老人が半数以上を占めていて……それで『予言の日』ってのが教えの中にあって、何処まで本気で言ってるのかわからないけど私の母親は依代としての素質があったらしく、さまざまな儀式の末、処女で私を身籠ってそれで私は巫の舞姫ってわけ」

「そう……だからあなたには不思議な術が使えるのね」

「そうだね、まあそういう意味ではあながちインチキではないのだろうけど。で、予言の日の教えに倣って私は大切に育てられて、母親も優しかったのよ。まぁ、自分とこの宗教のためってのもあったのだろうけど、それでも優しかった。だから家族はどんな状況でも繋がってるし受け入れられると思ってしまったのだけど。私が15になった時、上の人たちがこの宗教で世の中を変えるために動き出した。私ほどの力じゃないにしろ、他の人たちもそれぞれ能力を持っていたし、本気で動いたならそこそこの被害が出たのだと思う。それで私にも命令が来ていざ動こうとした時、今の仲間……怜染総合医院の人たちが攻め込んできて、あっと言う間に壊滅させられたの。私も大怪我を負ったんだけど、攫われてナースにされちゃった。最初は不満があったけどいざ離れてみると、まぁなかなかに酷い宗教だったしね。被害も大きかったみたいだしまぁ滅んで当然だったよね」

「………………。」

「私の本当の名前は……もう忘れちゃった。ナースとして働くように言われて、もうすぐで二年が経つ。今の私は有栖川絶無。過去も背景もない、ただのナースなの」

二人の間をしんとした静寂が包む。夜の暗闇はとうに空を覆い尽くし、わずかな星の光がオゾンを通り抜け、都会の薄汚れた空の空気を通して煌めいていた。ぽつりぽつりと語られた言葉は、少しずつだが確かな信念を纏うようになっていた。

「もし……桐生ちゃんが行くところがないのなら、私たちのところにおいでよ!ナースとして、働かせてもらえると思うし、昔の嫌なこととか全部脱ぎ捨てて、別の自分になって人生をやり直せるの。それが今のあなたにとっていい勧誘かどうかはわからない。でもこれが、私にとっての最大の罪滅ぼしだし、これからもずっと桐生ちゃんに返していかないといけないことだと思う……んだけど、どうかな」

「……ナースとか別の自分とか、確かに少し引っかかることはあるけど……誘ってもらえたことは嬉しいわ。でも、一つだけ嫌なところがあるの」

「えっ、えっと、何が嫌なの?」

「罪滅ぼしとか、そんなことを考えるのはやめて。絶無ちゃんが友達になってくれるって言うのなら、私もそこで働いてもいいわよ」

「き、桐生ちゃん……!勿論、ごめんね桐生ちゃん、ありがとう、ごめんねぇ………っ」

「もう、名前で呼んで……って言っても………そうね、私にも名前をつけてもらわないと」

夜の公園、変容した怪物と女の子は暗がりの中でいつまでも抱き合っていた。
チカチカと点灯する切れかけの電灯の挙動が、そんな光景を見て少し恥ずかしがっているようにも見えた。


10.

怜染総合医院に新しいナースが一人加わった。
魔界の環境により、体の8割が変異した化け物で、年齢は約2億9000歳程だ。しばらくは、有栖川の下で研修を行っている。
名前を桐生 果無(きりゅう はてな)といった。

       

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Neetsha