私は怪しいものではありません、という怪しい人間以外口にしない文言を三回ほど聞いたところで、110番を押そうとした彼の指はようやく止まった。
 尤も、彼の警戒を解いたのは三度の念押しではなく、目の前の相手の姿である。
 必至に警戒を解こうとするその少女の背丈は、多く見積もっても彼の半分といったところだった。
 いざとなれば貧弱で鳴る己の腕力でも、どうにか制圧できるのではないかと言う打算に塗れた余裕が、図らずも彼に話を聞く暇を作らせたのだった。
 「どうもありがとうございます」
 居間に通された少女は、勧められた麦茶を慇懃に受け取った。
 その立ち居振る舞いを見ている内、初めは優越感に支えられたものであった彼の精神的余裕も、徐々に相手への信用によるものへと変わり始めていた。
 「それで……あなたはどちら様で?」
 「あ、申し遅れました。私はオリンと申します」
 少女は受け取ったコップを脇に置いて、恭しく頭を下げた。
 「おりんさんですか。妙に古風な名前ですね」
 相手とは初対面であったことを思い出した男は、しまったとばかりに自分の口をふさいだが、当のオリンの方は特に気にするでもなく麦茶を口にしていた。
 「私が何者か、もう少し詳しくお話したいのですが、その前にこれを確認してもらって良いですか?」
 「これ?」
 オリンと名乗った少女は、懐から黒い塊を取り出して男に差し出した。
 「確認って一体……あれ!?」
 得体の知れない相手から差し出された得体の知れない物体に、初めは手を出すのを躊躇していた男だったが、数秒ほどそれを見つめた後、今度は奪い取るように少女の手からそれを掴み取った。
 「これ、もしかして……」
 それは、比較的型の新しいスマートフォンであった。
 男が目を丸くしているのは、当然それが新型だからではない。
 持ち主に覚えがあったからである。
 「その機械。あなたの友人の持ち物で、間違いないですか?」
 「多分……中身は確認できませんが、見た目は完全に同じです」
 「そうですか……」
 オリンが渋い顔をして頷いた。
 「あの、これどこで拾ったんですか?」
 「いえ、拾ったのではなく、我々が彼から接収しました」
 「接収……?」
 「その、非常に申し上げ難いのですが……」
 何か逡巡する様に小さくうめいた後、少女は辺りを憚るように切り出した。
 「あなたの友人は、現在この世界に居ないんです」