第2話 ホームルーム

 体育館裏にお呼び出しされたのが、昼休みのこと。
 あの後、きずなに付き添う形で職員室に行き、きずなが自身の『能力』を活用して三年生三人から私を守った旨を報告した私は、その流れできずなと共に学食で昼食を摂った。
この学校は全寮制で、衣食住に関しては保障されているため、学食でも好きなメニューを好きなだけ食べることができる。私の大好物であるパエリアは残念ながら学食に無いので、オムライスで我慢しているが。
「天希ちゃん、オムライスほんとに好きだよね……えへへ。私も、嫌いじゃないけど」
 ミートスパゲッティを啜りながら、きずなはへらへらと笑う。
口の周りをソースでオレンジ色に染めているのが、彼女の幼い顔立ちもあいまって、なんだか微笑ましかった。
 その後は、食後の睡魔と闘いながら午後の授業を乗り切り、終業時のホームルームの時間を迎えた。この学校では、始業時と終業時に必ずホームルームがあり、担任の先生による連絡や通達が行われる。
 私が『卒業権』を得たときも、最初はホームルームでの発表だった。
 私のセーラー服の左の襟元に付けられている、『卒業権』所有者を意味する桜の花びらの形をしたメタリックピンクのバッジを、そっと右手で撫でながら、今日は何か連絡事項はあるのだろうかと、つい今しがた教室に入ってきたばかりの担任・楢木(ならき)先生を見つめる。
 二十代後半の女性教諭で、仕事のできそうな(実際できる)スタイリッシュな雰囲気と大人の女の色気を併せ持ち、今もクラスの一部の男子から熱い視線を送られている楢木先生は、教卓の上に何枚かのプリントを広げ始めた。
 ということは、連絡事項はあるようだ。
 ちなみにこの学校においては、教師もまた『能力』を所持している。
 ただし、私たちのようなモルモット、もといモニターではなく、あくまでも『能力』を持つ生徒に対しても護身や指導が行えるようにするためだ。目的が目的なので、与えられている『能力』も私たち生徒のものとは比べ物にならないほど強力なものだというが、実際に目の当たりにしたことはなかった。
「皆さん、今日も一日お疲れ様でした。いよいよ明日から、十月頭の体育祭の個人種目へのエントリー受付が始まります。体育祭はこれで二度目なので言うまでもないことかもしれませんが、この学校での体育祭は、親睦を深める場であると同時に、あなたたちにとって『卒業権』を得るため理事会にアピールする絶好のチャンスです。まあ、直接採点するのは教職員(わたしたち)ですが……。競技ごとに出場枠が決まっていますが、このままだと卒業が危ういと考えている人は、積極的にエントリーしてください」
 楢木先生がそう言うと、クラスメイトたちがにわかにガヤガヤし始めた。
 その喧噪の中で、いくつかの視線が私に向けられるのを感じる。
 悪意……というほどでもないが、そこには妬みや羨望の念が込められていた。
 まあ、無理もない。
 『卒業権』を得た、得てしまったそのときから、『卒業権』に関する話題が出るたびにマイナスの感情を向けられることになることは分かっていたことだ。
「お前はエントリーしないでくれよ、優等生。その必要もないんだからよ」
 左隣に座る、ひょろっとした優男・伊佐木優斗(いさき・ゆうと)が、大げさに肩をすくめる仕草をしながらそう言ってきた。
 彼自身からは、私に対する嫉妬の念は感じない。
 常日頃から、『卒業権』はできれば欲しいけど絶対欲しいわけじゃない、などと嘯いているのは、本当なのかもしれなかった。
「わかってる。私も、そんなところでいらない恨みを買いたくないし」
「えへへ。天希ちゃん、モテモテだもんね」
 私の前の席に座るきずなも、振り返って話に混ざってきた。
 二学期が始まってすぐに行われた席替えで、これまで離れていたきずなや伊佐木とはこのように間近の席になった。伊佐木からは私に対する悪意を感じたことがないし、きずなに関しても常に目の届く位置になったのは幸いなので、割と良い配置ではあるのだが、事あるごとに話しかけてくるのがやや面倒臭い。基本的に私は、この学校に入学する以前から、みんなでワイワイ過ごすよりは一人で好きなことをして過ごすほうが性に合っているタイプなのだ。
「皆さん静かに! まだ話の途中です」
 幸い、このときは楢木先生の一声によってクラス全体が静かになり、きずなや伊佐木も正面に向き直ったが。
 楢木先生はコホンと咳払いをしてから、クラス全体に行き渡るように、右から左へとゆっくり視線を動かしながら、諭すような声音で言った。
「……運動の苦手な人や、『能力』がスポーツ向きじゃない人は、十月後半の文化祭でアピールすることもできます。ですが、学校生活もすでに折り返しです。時間はあっという間に過ぎていきます。苦手だからとか不向きだとか言わず、勇気を持ってエントリーしてみることをおすすめします。体育祭ではたとえ結果が付いてこなくても、減点はされません。……もちろん、エントリーが多ければ抽選になりますが、エントリーしなければ参加できる確率はゼロです」
 楢木先生の言葉に、クラスの雰囲気が明らかに変化する。
 それもそうだろう。
 卒業式の日が刻一刻と近づいていることは、誰しも分かっている。
 それは、多くの生徒にとって、『能力』との決別の時を意味しており。
 それを受け入れられない、受け入れたくない者は、何としてもポイントを稼ぐしかないのだから。
「……今朝も、天宮さんが三年生に襲われたそうです。女の子一人に三人がかりで、です。幸い、天宮さんに怪我はありませんでしたが、私はあなたたちに、『卒業権』欲しさに人を傷つけるような人に、なってほしくありません。そうせざるを得ないような状況に、陥ってほしくはありません。なので、一人でも多くのエントリーをお願いします」
 楢木先生の、心底嘆かわしげな口ぶりに、またもクラスがどよめく。
 きずなが一瞬だけ振り返り、にへらと悪趣味に笑ってみせた。
 彼女もまた楢木先生が言うところの「卒業権欲しさに人を傷つけるような人」であり、それに被害者扱いされている私も協力しているのだから、きずなからしてみれば可笑しくてたまらないのだろう。
 ……しかし、楢木先生はどうも性善説的というか、生徒を信じすぎているきらいがあるとつくづく思う。
 あと、悪気がないのはわかっているが、ますます私が悪目立ちしてしまうので、私が襲われた話はあまりしてほしくなかった。
 まあ、楢木先生が話さずとも、風の噂でいずれ知れ渡っていたであろう話ではあるのだけれども。
「今日の連絡は以上です。エントリーは体育祭の三日前までなので、忘れずにお願いします。では、日直」
「はい。起立。礼。着席」
 こうして、今日のホームルームも終わった――のだが。
 例によってろくでもないことを提案してきたのは、きずなだった。
「あ、あの、天希ちゃん。私、体育祭、出てみたい。それで……当日、私のこと、手伝ってほしい」
「……。きずなの『能力』生かせそうな種目、限られてるよ? それ抜きでも、きずな、運動苦手でしょ。第一、手伝うっていうのもなかなか難しいよ」
「そ、そうだけど。でも……ほら」
 きずなは、ホームルームが終わってガヤガヤと騒がしい教室の中、私にしか見えないように口元を嫌らしく歪めて、言った。
「天希ちゃんの気持ち的にも、そのほうが、いいんじゃないの? ほら……人を、たくさん傷つけるより」
「…………。あなた、ほんと、いい性格してるわ」
「えへへ。ありがと」
 褒めてない――ことはもちろん、分かっているだろう。
 きずなの言う通り、いくら正当防衛とはいえ他人に大怪我を負わせる行為の片棒を担ぐよりは、体育祭という平和なイベントで活躍してもらったほうが、私としては助かる。助かるのだけれど。
 きずなの思うがままになっている現状に、私は一抹の不安を覚えた。
sage