小学五年生の夏:ふたりごとクライシス

 雨宮篝を殺して私も死のう。
 小学五年生の夏。
 純粋無垢を絵に描いたような少女だった私――須藤真昼は、暗い部屋の隅っこでじゃりじゃりナイフを研ぎながらそんなことを考えていた。
 計画があった。
 具体的にはこう。
 篝を電話で呼び出して、ぶすーっとぐさーっと刺し殺す。
 多分篝はぎゃーってなって、私も血を見てきゃーってなって、慌てながら自分の頸を掻ききって。
 それでちゃんちゃん。おーしまいっ。
 幼稚園で初めて出会った頃から続く――嫌で痛くて怠いばかりの篝の絡みも、夜な夜な人殺しゲームに興じる姉が発するきええという奇声に耐えながら布団にもぐる毎日も、寂しいと脇腹をがんがん殴ってくる妹と笑顔で戯れなければならない剣呑な日々も。
 あれもこれも。
 嫌なこと辛いこと痛いこと悲しいこと楽しいと嬉しいこと幸せなこと温かいこと冷たいことどれもそれもほれもはれも全部全部全部全部ぜーんぶ。
 灰燼に帰す。
 終わりに出来る。
 終わりにしたい――と心から思う。
 本当は、ひとりで死のうと思っていた。
 でも、それじゃ篝の一人勝ち。
 首をくくってぷらんぷらんする私を、あの子はきっと指さしながら笑うはずだと思ったから。
 篝を殺して、私も死ぬ。
 それが一番、納得できる終わり方だと思ったのだ。


 とある休日。昼下がり。
 ぴんぽーん、とチャイムが鳴った。
 扉を開けると篝がいた。
「真昼ー、あそぼーぜー」
 にへにへと締まりのない笑み。
 最も吐き気のすることは、周囲からは私とこの子は良いお友達であるように見えているのだろうということ。
 いっそ篝がまんま悪魔みたいな見た目をしていれば、大人たちの反応も変わるのだろうけど。
 ぶっちゃけ天使みたいに可愛いから、篝ちゃんに気に入られるなんて運の良い子とまで言われる始末。
 だから、篝を殺した後、生前の所行を悪魔みたいに囁かれるのは、きっと私の方なんだろうな――とくらーい想像をしてしまう。
 でも、それは私には関係のないこと。篝も私もいなくなってしまった後の世界の物語だ。
 通販サイトのレビューが如く、毀誉褒貶は好きに言えばいい。どうせ死んだ私には届かぬ声なのだから。
 それよりも――篝だ。
 獲物が自らやってきた。
 ナイフは持ち方を間違えれば私の指が落ちるほどぎゃんぎゃんぎゃーんって具合に研いである。予定通りに刺してもいいし、剣豪のように袈裟斬りで以て命を奪ってもいい。
 殺せ殺せー、と脳内でミニ真昼たちが囃し立てる。
 私も殺すぞ殺すぞ、と身体を前後に揺らしてみるのだけど。
「……あう」
 と、自分でよくわからない呻き声がもれるばかりで、後ろ手に隠したナイフを強く強く握り締めたまま、それ以上はさっぱり少しも動けない。
 本当、どうしちゃったの、私。
 動いてー! 動いてよー! と心の中で喚き続ける。
 そんな私に対して、篝は訝しげに小首を傾げ、
「どーした、真昼?」
 と、サイドにまとめたふんわり髪をふんわり揺らしてふんわりふんわり。
「あ、……えと」
「なに。たいちょー悪いの?」
 俯く私を覗き込む、篝の大きくきれーな瞳。それがどよんと曇って濁る。
「遊べないの? あたし、真昼と遊ぶの、すっごく楽しみにしてここまで来たんだけど?」
「あー……、えと、……その」
 こう切り返せばいいのにと浮かぶ言葉は、どれも喉元でぴたーんとへたって止まる止まる。
 私がうじうじしていると、じとーっと私を睨む篝の背後でしとしとと雨が降り出し始めた。しとしとしとしと。ざーざーざーざー。降り注ぐ雨粒たちがぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん。
 篝は雨雲を冷たく睨んで、わざとらしく肩を竦める。
「……あーあ。これじゃ帰ることも出来ないや。……ねえ、真昼、どーしよっか」
「え、……ど、どうしよ……ね?」
「というわけで、おっじゃましまーす!」
「え、あ! ちょっと……」
 制止する間もなく、篝は私の脇をすり抜けて、靴を乱暴に脱ぎ捨てると居間の方へと駆けて行ってしまった。
「うー……」
 私は自分のつま先を睨み、小さく舌打ちを鳴らす。
「……なに、やってんだ、私」
 篝のことが、心底嫌い。
 これだけ強い想いがあれば、人を一人殺すくらいなんてことないと思っていたのに。
「…………」
 難しい。
 難しいよ。
 でも。
 でも、でもでも。
 それは……なんてゆーか。
 難しい――だけ。
 決して不可能とかじゃない。
 血尿に苦しみながらも必死で割り算を覚えた時の感覚を思い出せ。
 眠気をコンパスの針で覚ましながら分数の計算が出来るようになった時の――熱い熱い高揚感を思い出すんだ。
 深呼吸、深呼吸。
 すーはーすーはー。はーすーはーすー。ふーふーひー。すーすーふー。
「……よし」
 脱ぎ散らかされた篝の靴を綺麗にそろえ、暗い気持ちを抱えたまま居間に向かうとソファにふんぞり返った篝が何故かとんでもなく気怠げな様子で待ち構えていた。
「真昼、何してたの? てかさー、あたし、喉渇いたー。コーラ飲みたーい」
「いや、……コーラ、ない」
「じゃあ買ってきてよぉ」
 篝はテレビをザッピングしながら、私を見もせずに言う。
「てゆーかさー、真昼の家ってなーんもないよねー。あたしが遊びに来るってわかってんだからさー、ゲームくらい置いといてよってー」
 篝は靴下を脱いでぽーいぽーいと雑に放り投げると、片足をテーブル乗っけて欠伸をかく。
「てかさーてかさー、さっきからあにしてんのー真昼。そんなとこでぼーっと突っ立ってないで、コーラ買いに行ってきてってお願いしてたんだから、さっさと行ってきなよ」
「……」
「ほら、ダッシュダッシュ!」
 ぱんぱんと犬か何かをけしかけるように手を鳴らされる。
 ナイフは、まだ握ったまま。
 強く強く。
 握り締めたまま。
 んなろー、と私は力む。
 ぶっ殺したろかー、とめらめら燃える。
 すると篝は、
「……なに」
 再び怪訝に小さく火を灯し、
「なんで睨んでんの」
 と。
 ようやっと私の異変を指摘する。
「ひょっとして、怒ってんの?」
 ソファからふらりと立ち上がって、またしても無防備な足取りでゆらゆらと私に近寄ってくる。
「ねえ、真昼」
 篝ははーっとため息をつき、
「言いたいことあるならさ、はっきりあたしに言えばいーじゃん」
「でも、……言ったら篝、グーパンする」
 視線を逸らす私。
 むっと篝が私の肩を掴んで揺らす。
「それは、真昼がはっきりしないからじゃん!」
 それは。
 それはそれは――。
 つまり。
 つまりはつまり。
 私が悪い――って。
 そういう話。
 篝が喉の渇きをコーラでしか癒やせないのも。
 先週末、生意気だからって隣町の中学生に絡まれたのも。
 篝のパパとママがコンビニのタイムセールに出掛けたまま――ずっとずっと帰ってこないことも。
 全部全部、私の愚図さに起因してるっていう理論。
 それってなんだか宇宙的。
 私は諸悪の根源なんだって。
 だったら、なんで私は生きてるんだろ。
 死んだ方が良いじゃん、そんな人間。
 だってさ。
 私がはっきりしないから。
 雨宮篝様の住まう――この素晴らしく美しい世界がぐっちゃんぐっちゃんに壊れちゃってるわけなんでしょ。
 だったら。
 だったらだったら。
 答えは――そう。
 とっくのとうに決まってる。
 どうするべきか。
 こうするべきだって。
 えらーい神様がゆってるよ、篝。

「――汚い手で、私に触るな」

 篝の手を乱暴に払いのけると同時に。
 鋭く尖ったナイフの切っ先を。
 ぷすりと篝の胸に突き刺した。
 死んじゃえ。
「死んじゃえ!」
 死んじゃえ篝。
 死んで、死んで、死んで――。
 私の目の前からいなくなれ――。
 なんて私は言いながら。
 なんでかちょっと、泣いていた。
 胸はばくばく鳴っていて。
 それ以上刃先を深く差し込むことも出来なくて。
 震える手がナイフをからんと取り落とし。
 篝は。
 いや、篝だった物は。

 ぷしゅーっと音を立てながら、宙をくるくる舞い踊り、へなへな萎んで床に落ちた。

「…………………はれ?」
 同時にぴんぽーんとチャイムが鳴った。
 呆然と立ち尽くす私。
 チャイムは苛立たしげにぴんぽんをぴんぽんぴんぽんと繰り返し鳴らす。
「は、はあい……」
 放心状態のままふらふら扉を開けてみると、そこには雨でずぶ濡れになった雨宮篝が息を切らして立っていた。
「うひー。酷い目にあったぁ。真昼、わりーんだけど雨宿りさせて」
 私はまた泣いた。
 篝に抱きつき、わんわん泣いた。


 結局、私が殺した篝は本物の篝ではなくていつもの彼らが送り込んだ刺客だったという話だ。
 期せずに防衛を果たすのはこれで五度目になるが、幼なじみをぶすりといくとは流石の彼らも夢にも思っていなかったらしく、血の報復を恐れてか後日「もうしません」の念書が私のベッドに置かれていた。

 私は――何とも複雑な心境でその日の夜を過ごした。
 雨宮篝は今も生きている。私の殺意に、ただの少しも気付かないまま、本気で私を友達だと思っているみたいなツラをしてのーのーと生き長らえている。
 でも、私は篝を確かに殺した。相手がたまたま偽者だっただけの話で。
 私は彼女を殺そうと思い、確かにこの手で殺すに至った。
 殺した。
 人を一人――私は確かに殺したのだ。
 存外、悪い気分じゃなかった。
 だけど、殺しても死なない篝の不滅性にげんなりもする。
「これじゃ、私も死ねないな……」
 だって、私が死ぬときは、篝も死ぬときだからだ。
 でも、篝が死ぬときが、私も死ぬときは限らない。
 アンバランスな私たち。
 それでも一緒にいるしかないのだから、私はいつでも篝を殺せるんだという精神的な優位性を余すことなく行使するより術はない。
 具体的には――そう。
 今度からは、少しでもイラッとしたら問答無用で篝を殴ろう。
 それで少しは対等っぽくなると思う。私も泣いて、篝も泣いて。
 完全なる泥仕合が始まって、泥は泥のままどろどろと終わる。
 早速明日、篝と遊ぶ約束をしている。
 待ち合わせ場所についたら、きっと約束の時間に遅れてくるであろうあの子の鼻っ柱に、まずは一発くれてやるつもりだ。
 私たちが本当の意味で友達になれるかどうかは、その時の篝の態度次第だと思う。

(小学五年生の夏:完)