程なくしてピザが届くと、それまで重力に負けてソファで液状化していた天使と悪魔がぴょーんと飛び起きてピザに群がってきた。
 私はそれをアスファルトに這う蟻を見る目で蹴散らすと、作業中の篝も呼んでみんなで小さな食卓を囲んだ。

 アツアツのピザを食みながら、散らかされたダイニングを見遣った。
 ――お菓子作り、か。
 何年か前の話。
 私もバレンタインデーのために手作りチョコレートに挑戦したことがあった。
 カカオ豆からチョコレートを精製するのは生半可なことではなかったし、母や姉たちの手伝いを拒んだ結果、かかった手間暇はおよそ膨大なものとなった。
 しかも完成したチョコレートはお世辞にも美味しいとは言えなかったし、そもそもあれがチョコレートだったのかどうかも疑わしい。実際、チョコを試食した姉は幼いころの楽しかった思い出をふたつみっつなくしてしまった。
 だから、篝の苦労はわからないでもない。
 わからないのは――彼女が言うところの“完璧な”チョコレートというやつだ。
 そもそも篝は、誰に渡すつもりでそれを作っているんだろう。
 学校での篝は男子に対してはいつも喧嘩腰で時々臆病だ。最終的に力では勝てないのがその主な理由であると彼女は語る。意味はよくわからない。
 何にせよ、篝が男子に対して根拠のない敵愾心を燃やしている姿は幾度と見たことがあるけれど、憧れや恋心めいた眼差しをどこかの誰かに向けている姿はただの一度も見たことがなかった。

 食事を終えると篝はダイニングへと戻りすぐに作業を再開した。
 しかし、歓喜の声は聞こえないまま、時計はくるくる時を進め。
 現在時刻は日付が変わる一時間ほど前。
 まだ遊び足りない様子の天使と悪魔を寝室で寝かしつけると、ダイニングの床で唸りながら頭を抱える篝のもとに歩み寄った。
「もう、だめだ……。終わりだよぉ、真昼ぅ」
 彼女なりにタイムリミットを決めていたんだろう。
 篝は明日にも世界が終わってしまうような顔をしていた。
「ねえ篝、少し、気晴らしにいこっか」
 私の提案に、篝は沈んだ声でうんと頷いた。

 外に出ると、紫色に発光する蝶がひらひら目の前を横切っていき、雲一つない夜空には無数に煌めく星々とぎざぎざに欠けた月が悠然と浮かんでいて。
 人類の数がかつての半数以下にまで減少した世界の空気は、私が子供の頃よりも寧ろ澄んでいるように感じられた。
 篝はサンダルを履きながら遅れてやってきた。
 なんだか、ずーっと年下の女の子を相手にしているような感覚だ。
 精神的な退行を起こしているのか、よくわからん別人格のようなものが生まれているのか。
 それとも雨宮篝という人間は私が知らなかっただけで、出会った頃からこんなんだったのか。
 ――――。
 時々、篝はとっくのとうに死んじゃっているんじゃないかと思うことがある。
 出会ったばかりの頃――幼稚園児だったころの篝は残酷で残虐で、残忍だった。
 私は彼女と出会っていなかったら、きっとこの年齢になっても蜘蛛がどんな味をするのかなんて知ることはなかったと思う。
 篝に、あの時のことを覚えているか尋ねてみようか。
 少し前のこの子なら、それがどーしたと鼻で笑い飛ばしたと思う。
 今のこの子なら、きっとこの場で土下座を始める。泣きながら、ごめんなさいって言って、ひょっとしたら死のうとするかもしれない。
 それはそれで見てみたい――とも思ったけれど。
 前方から金魚鉢をヘルメットのように頭に被った不気味な女性が歩いてくるのを見て、私の思考はぷっつり途切れた。
 彼女とすれ違うまで呼吸を止めていようと思ったのは、何も彼女が異臭を放つどうしようもない汚物に見えたからだけではない。
 その女は――見るからに飢えていた。
 体は枯れ木のようにやせ細っていて、金魚鉢を被っているのも水を求めたあまりにそうなってしまったのだろうと容易に推測できた。それほど彼女は空腹なのだ。
 或いは――取って食われるかも。
 姿さえ見られていなければその辺に隠れて気配を完全に殺してやり過ごしたのだけれど、もう遅い。
 女は明らかに私たちを見つめていた。
 まるで獲物を狙うかのような鋭い眼光。
 ――逃げなきゃ、と思った。
 私は篝の手を引き、走り出そうとする。
「待って、真昼」
 篝が言った。
「この人、宇宙人だ」
「――はあ?」
 宇宙人。
 そう呼ばれた女は途端にくるくる目を回し、その場にばたんと倒れてしまった。
 金魚鉢は割れない。
 私が金魚鉢と思っていたものは、宇宙服のヘルメットだったからだ。