最終話.ガレージ・ロック・リバイバル

 時は戻らない。だが同じ様な風景は繰り返される。傷付き崩れた街並みの中に、昨年と同じ花が咲く。あまりにも大勢の人が亡くなったが、新しい命もまた産まれて来る。お腹の大きくなったダンサー・マリアを、イエスの父ヨセフとその子供らが甲斐甲斐しく世話している。マリアは子供達にイエスの話をする。マリアやユダにしか見せなかった、兄弟達の知らないイエス。カリスマでも神でも悪魔でもない、等身大の、ご飯をこぼし、屁をこき、何かを食べながら眠るイエスの姿を思い出しながら話す。

 ある時珍しく、うまく歌えない歌を、詰まりながらも懸命に、何度も練習しているイエスが居た。マリアも知らない曲だった。詰まる度に、違うメロディに変わっていくのが不思議で、誰の何という曲か、マリアはイエスに訊ねた。
「僕の曲だよ。作曲は難しいね、マリア。人の曲ならすぐに歌えるのに、自分で作るとなると、一体どれが正解なのか分からなくなる。いいのか悪いのか分からなくなる。たとえばこう」と言ってイエスは一節を口ずさむ。「どう?」とイエスはマリアに訊ねた。
「好きだよ、イエス」
 マリアがそう言うとイエスの頬は赤らんだ。
「僕も好きだよ、マリア」
 そこへユダがジャカジャカといつもより喧しいギターをかき鳴らして割って入った。
「そうじゃないよ、ユダ。もっと優しく」
「うるせえ」
「うるさいのはユダのギターだよ」
「まあまあまあまあまあまあまあまあ」歌いながらマリアが止めに入る。ギターを弾きながら走って逃げたユダは顔から転んで鼻血を出した。その後もイエスはこっそりと曲を作っていたようだが、完成には至らなかったようだ。

 世間ではイエス達の蒔いた種が芽吹き始め、様々な歌い手達がゲリラ・レディオを世に放っていた。イエス達の映像の拡散、二番煎じの幾万の素人達、稀に現れる本物の才能。彼等の中で、また彼等の音楽を聴いた者の中で、イエスの歌声と魂は復活し続けた。肉体の滅びなど、永遠に残る楽曲の中では大して問題にされなかった。ひとたび誰かの魂を震わせた歌声は、消滅することなく響き続ける。

 マリアの出産が近付くと、避難所には近隣の猫が集まり始めた。イエスが産まれた時に母マリアを囲んだ猫達はとっくに亡くなっているはずなのに、どの猫もあの晩の続きのように集まってくるのだった。医師と看護婦に追い出されながらも、猫達はあまり離れずに新しい命の誕生を待っていた。
 マリアの手を握っていたヨセフは、赤子の頭が見え始めた頃、マリアに訊ねた。
「マリア、この子の名前は?」ヨセフはこの新しい子供にも、イエスと名付けたかった。しかしマリアは違う名前を口にした。
「ソング」とマリアが口にすると同時に赤子は医師の手で取り上げられ、大きな産声を上げた。その声はかつてイエスが作ろうとした曲に似ていた。新しい命と歌が、同時に誕生した。

(了)
sage