7.群像日和

 ヨハネは書いていた。イエスの登場する小説を書いていた。その中でイエスはスーパースターだったりペテン師だったりあるいは何者でもなかったりした。ヨハネの書く物語の中のイエスより現実のイエスの活躍の方がずっと物語的神話的非現実的で、イエス達の活躍が聞こえて来る度にヨハネの筆は止まり、物語は途中で投げ出されるのだった。
 ヨハネはイエス達を追って旅に出た。道中、イエス達の影響を受けたであろう人々や動植物や建物等に出会った。あるライブハウスではその中でイエスの歌声がまだ微かに反響しており、誰が何を歌ってもバックグラウンドでイエスがハモるのだった。ある街角の立つ彫刻の少女像はマリアに釣られて踊り出した形に固まり直していた。粉ミルクの空き缶に輪ゴムを張ったギターもどきを赤ん坊が弾いていた。

 メロスは負けていた。負け続けていた。ギャンブルで負け喧嘩で負け落ちぶれていた。不貞腐れて面倒臭くなって金もないのにゴロゴロしていた。拾ってくれた女に料理を振る舞いながら、「今話題になってるこいつ、俺の後輩なんだぜ」とイエス達の事を話したりした。
「そう」と女は言った。
「それであなたは何者なの」と続けた。
 メロスは言葉に詰まったが、チャーハンは美味しく作れた。女も誉めてくれた。「料理人になれば?」とまでは言わなかった。自分だけで食べていたかった。
 メロスの語るイエスの昔話の途中で女は眠った。美味しかったチャーハンの余韻でよく眠れた。メロスは女の寝顔を眺めながら次のギャンブルの事を考えており、一人の人間を束の間でも幸せに出来た事には気付いていなかった。

 イエスの母マリアの夫ヨセフはギターを弾いていた。大勢の子供達に駄目出しをされていた。「ユダみたいに弾いて」と無茶ぶりされていた。それでも幾つか弾ける大好きな曲を弾いていた。イエスも好んだOasisの「Whatever」を弾くと子供達も合唱してくれた。それを眺めるマリアは自分のお腹をさすりながら、今は側にいないイエスの事を思い出していた。掴まり立ちが出来るようになるとすぐに椅子の上に登りたがった。登って落ちたこともあったがけろっとしていた。迷子になると歌を歌って居場所を示した。弟妹達の世話を誰よりも見てくれた。ふと母マリアの目から涙がこぼれた。
「どうしたんだい」とヨセフは訊ねた。
「いい曲を聴くと」母マリアは答えた。「勝手に涙が流れるの」本当はもう二度とイエスとは会えないのではないかと思ってしまったからだとは言わなかった。
 ヨセフは無邪気に喜んだ。

 トマスという男がいた。疑り深い男だった。イエス達の活躍や彼らに影響を受けた者達について懐疑的だった。実際に間近で彼らの演奏を見なければと思い、仕事を捨て家を出て旅に出た。不規則に自由自在に好き放題に警察から逃げ回っている彼らを追い求めるのは至難の業だった。
「早く俺にお前の歌を聴かせてくれ」とトマスは願った。「そうしたら俺はお前を、お前達の事を信じざるを得ないだろう」とトマスは思った。
 とうとうある日トマスはイエス達に追い付いた。ヤギの群れる牧場で、マリアはヤギと戯れ、イエスとユダは牧場主から渡されたヤギの乳を飲んでいた。トマスは駆け出して彼らの元に向かおうとした。

「祝福を」とヤハウェは言った。
「呪いを」とサタンは言った。

 その日、大地震が三度起こった。
 その日から、大雨が降り続いた。

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