Neetel Inside 文芸新都
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音楽小説集「Zombie」追加
「Hurt」Johnny Cash

動画はこちら
https://youtu.be/8AHCfZTRGiI
和訳、曲解説
https://ongakugatomaranai.com/johnnycash_hurt/


 娘のココが突然泣き出した。二歳三ヶ月の息子、健三郎と私と一緒にお風呂に入っている最中だった。
「どうした?」「どった?」私と健三郎が同時に訊ねる。健三郎が叩いたり、おもちゃを無理矢理取ったりというタイミングではなかった。
「私、大人になるの嫌だ」とココは泣く。
「パパ、ずっと一緒にいてくれる? 百年後も」
「百年は無理だよ。それよりずっと前に死んでしまう」
「私、死ぬの嫌だ」
 健三郎はもう既に我関せずの顔で、風呂場に持ち込んだミニカーを湯舟の縁で走らせている。

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 ジョニー・キャッシュ(1932―2003)はアメリカのシンガー・ソングライター。カントリー、ロック、ロカビリー歌手。「Hurt」は最晩年に発表された曲。発表後間もなく彼は亡くなった。四ヶ月前に亡くした最愛の妻・カーターの後を追うように。
「Hurt」の原曲はナイン・インチ・ネイルズのもの。作曲者のトレント・レズナーは「オリジナルを超えた」と最大限の賛辞をジョニー・キャッシュのアレンジに捧げている。

 キャッシュは幼い頃から家族と共に農園で働いていたが、そこで洪水の被害に遭った。世界恐慌の煽りを受けて、貧しい子供時代を送った。それらの経験は多くの曲を書く源にもなった。
 キャッシュ十二歳の時、兄であるジャックが農場内の機械に巻き込まれてしまう。ジャックは重傷を追い、事故の一週間後に亡くなった。
 キャッシュは十二歳でギター及び作曲を始めた。
 十八歳の時に入隊したアメリカ海軍で初めてのバンドを結成する。


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 死を怖いと感じるのは良い事だと私は思う。
 永遠に生きていられる状態になってしまったら、何もする気になれないのではないか。限りある命だからこそ、何かを求める気持ちが湧いてくる。
「人は誰もがいつか死んでしまうんだよ」と私はココに言って聞かせる。どこまで話すか探りながら。
「例えば、健ちゃんがよく歌ってる『ドンドンタン、ドンドンタン、ウィー、ウィー、ウィー、ウィー、ヤッコ! シギン!』の曲だけど、あれを歌ってた人はもう亡くなってる。でもたくさんの名曲を残して、今でも聴かれ続けている。いろんな人が歌い続けてる。
 『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』の作者だってそうだ。彼らは亡くなってしまったけれど、他の人が書き継いでいる。死んでしまったからといって、曲が消えるわけじゃない。生きている時に成し遂げた事は、死後も残るんだ」
 私の言ってる事が理解出来てるかどうかはともかく、ココは少しの間泣き止む。しかしまた思い出したように泣き始める。


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 キャッシュは十九歳で二歳年下のヴィアン・リベルトと結婚、四人の娘を授かる。しかしキャッシュの薬物依存症、アルコール中毒、長いコンサート・ツアーによるすれ違いの生活、浮気、後の生涯の伴侶となるジューン・カーターとの関係、等が原因で離婚する。
 キャッシュ三十六歳にて、ライブ中にジューン・カーターにプロポーズ。以降カーターが亡くなるまでの三十五年間、二人は音楽活動含め生涯を共に過ごした。
 キャッシュの政治的活動、多くの警察沙汰、度重なる薬物との戦いについてはここでは省略する。

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「じいちゃんやばあちゃんも死んでしまうの?」とココが泣きながら聞いてくる。
「パパやママよりは先に死んでしまうだろうね。今日ココを見ててくれたばあちゃんのパパは、若い頃に亡くなってるんだよ」
「病気で?」
「どうだったかな。詳しくは知らない。でもばあちゃんのパパがいたから、ばあちゃんがいる。ばあちゃんがいたから、パパがいる。パパとママがいたから、ココや健ちゃんが生まれた。死んでしまった人達も、みんな今に繋がってるんだよ」
「事故でも死んでしまうん?」
「そうだね。車に轢かれて死ぬ事もある。だからきちんと信号を守って、車が来てないか見てから道路を渡ろうね」
「でも、『トムとジェリー』のトム? ジェリー? は生きてるよ。車に轢かれても」
「あれはお話だから」

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「Hurt」のミュージックビデオでは、キャッシュの人生をフラッシュバック的に振り返っている。自伝的映画のワンシーンなども挿入され、発表当時多数の賞を獲得した。
 私がジョニー・キャッシュの曲を聴くきっかけとなったのは、Fall Out Boyの曲「Bob Dylan」だった。「ボブ・ディランのように俺を愛してくれ、ジョニー・キャッシュの横に俺を埋葬してくれ」という歌詞があり、幾つかの曲を聴いた。しかし動画はこの文章を書く少し前まで見ていなかった。ただ何となく「Hurt」の動画をタップしてすぐに、私は姿勢を正した。曲の中盤からいつの間にか私の目から涙がこぼれていた。何度繰り返しても同じように涙が流れた。曲の背景や訳詞を調べてからもなお、同じ事が起こった。

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 ココは最近将来への不安をよく口にする。曰く「二年生になったら勉強難しくなるんでしょ」「中学生になったら勉強もっと難しくなるんでしょ」「私大人になりたくない。会社行きたくない」それらの不安を私はうまく解消してやる事が出来ない。私だって学校の授業が楽しいと思った事などなかったし、先生やら上司やらの言う事を素直に聞いてきた記憶もない。ただただ遊んでいればよかった時期はもう過ぎた。大きくなる事への不安はその先にある「死」への恐怖へも繋がっていた。無邪気に遊ぶ弟の姿に憧れもあるのだろう。
 私はココをハグして「大丈夫だよ」と慰めてはやるが、「パパはずっと死なないよ」なんて嘘はつかないようにする。
 
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 映像の中、キャッシュの前には豪勢な料理が並ぶ。重度の糖尿病であった彼が食べられるような代物ではない。キャッシュはそれらにワインをかける。そして歌い続ける。

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 湯舟に三人ぎゅうぎゅうになって入ると、ココはすぐに「パパ、テレビ見たいからもう出る」と泣きながら言った。手早く風呂場を片付けて出る。健三郎に巻いたバスタオルが落ちると、健三郎は「いやーん」と言った。
 子供達の髪を乾かしながら「何見たい?」とココに聞く。「コナン」私は録画していた劇場版のコナンを見せる。
 冒頭でいきなり人が死ぬ。ココは泣きもせずテレビを見ている。

(了)

ジョニー・キャッシュ Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

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