Neetel Inside 文芸新都
表紙

音楽小説集「Zombie」追加
「Instant Crush」Daft Punk,Julian Casablancas

動画はこちら
https://youtu.be/a5uQMwRMHcs


※「ロッシュ限界」惑星や衛星が破壊されずにその主星に近付ける限界距離の事。歌詞に出てくる。



 瞳が綺麗であればみんな美人に見える。鼻も唇もマスクで隠され、下品な話し声も聞こえない。誰もがロッシュ限界距離を保って自身を守っている。遠目に見えるマスク姿のあなたやあなた、誰もに気楽に一目惚れ(Instant Crush)しながら、言葉も交わせず、触れ合う為の指も伸ばせないでいる。ましてやその先なんて。ひょっとしてこれから先ずっと。
 こっちを振り向いてくれないか、僕に君の笑顔を向けてはくれないか。マスク越しでいいから、何も可笑しな事なんてなくとも。僕が誰で君が誰かなんて事もどうだっていい。飼っていた犬の話や飼わなかった犬の話をしよう。しなくてもいい。僕は少し離れてここにいる。このまま二人で話をしよう。終わらないくだらない目的のない会話を、終点の駅までだらだら続けよう。


 何か外国の兄ちゃんがこっち見てぶつぶつ言うてはる。頭おかしいんちゃうやろか。乗客がまばらやから、みんな自分の世界を形作って、家におるみたいな気持ちになってはると思う。せやかて独り言は自分に聞こえる範囲内でせえや。こっち見ながら何やロッシュロッシュ言うてはる。ドッグやら言うた。犬の名前やろか。
 車窓に写る私の顔はえろう綺麗に見えとる。せやさかいにあの外国の兄ちゃんも勘違いして口説いてきとんやろか。マスクで顔をほとんど隠しとったら、肌の荒れも歯並びの悪さも口の悪さもばれへんから、勘違いしよる奴が増えとる。騙されたらあかんで、すぐうんことか言うで。でかい屁もこくし。ケツもかく。バツイチやし。


 ようやく僕に気付いてくれたねベイビー、いいかい、これは運命でこれは必然でこれは物語の始まりだ。ハッピーエンドへの道のりならもう描き始めている。下手な絵だけれど、君の心に響いてくれるといいな。誰も乗ってこない駅には雨が降っている。さっきの駅では晴れていたのに。さっきの駅では誰かいたのに。みんなみんな対消滅してしまったんだ。同じ車輌にいるのに遠いな君は。時折やけに大きく見える夜空の月のようだ。離れていても君が近くに感じるのに、実際には手も繋げない唇も重ねられない会話も出来ない。
 全て僕の独り言のようだ。長く家に籠って、おかしくなった人の呟くうわ言のようだ。比喩は苦手だ。嘘っぽくなるから。すべて僕の独り言だ。僕はおかしくなっている。僕はうわ言を呟いている。
 ロッシュ限界距離の外でしか交わせない視線でも、僕は君の考えている事が分かる。想いは同じだ。君も僕にインスタントクラッシュしている。


 鉄道警察ってやつ呼んだらええんかな。外国の兄ちゃんなんか変なクスリやってんやろか。正気の目やない。正気の独り言やない。インスタントにクラッシュしてる感じ。意味分かれへんけど。雨降ってきたんやけど。傘持って来てへんのやけど。天気予報では雨なんて言うてへんかってんけど。
「マスク美人」て花粉症の季節に昔からよう言われたわ。そんでマスク外した後の「あ、ども、えと、すんませんでした」みたいな反応、もうええねん。夢なら寝て見とけや。ただマスクして歩いてるだけの私を巻き込むなや。全身の毛穴ボンドで埋めたろか。終点まだやろか。はよ降りたいんやけど。ボンド買いたいんやけど。



 間違いなく両思いだ。君の視線、言葉にならない君の想いが、僕の全身の毛穴を埋めていく。いい事を思い付いた。マスクはつけたままでいいから、それ以外を全部脱ごう。僕も脱ぐよ。マスクをしてロッシュ限界距離さえ保っていれば、僕らは安全に愛し合える。セックスなんかよりずっと自由に繋がれる。終点まではまだ長い。寒くなれば僕の服を燃やして暖を取るよ。脱ぎたくなければ妄想するよ。君の裸と、君と僕とが主役の恋愛小説を。怪しいものじゃない。ただ愛し合いたいだけなんだ。


 服脱ぎ出したんやけど。外国の兄ちゃん、 上半身裸になっとんのやけど。痩せてるのに胸毛濃いんやけど。痩せてるのと胸毛関係あれへんけど。でも確かに今日は暑いわ。こないだまで長い長い冬やったのに、春通り過ぎて夏になってもうたみたいな暑さやわ。私も上着脱ご。


「気持ちが通じたんだね!(英語で)」
「What?(日本語で)」


 その瞬間、駆け出した上半身裸の男の急接近により二人の間の距離はロッシュ限界値を越えてしまった。
 結果、地球は滅亡した。


(了)
 
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