第八話 渡辺ツバキは頂点に立ちたい

 渡辺ツバキと名乗った新入生の少女。
 彼女もまた愁井こよみと同じように、生徒会を打倒しようとしている。
 しかしその動機は、こよみとは根本的に異なるようだ。
 こよみは、母親のため、ひいては母親の無念を背負わされた自分のために、陽光が丘を普通の学校に生まれ変わらせることを目的としている。
 だがツバキは、陽光が丘の頂点に立って自身がナンバーワンであることを証明したいと宣言している。その結果として陽光が丘が変わることになっても、そのこと自体には興味はないだろう。
 どちらがより厄介かと問われれば、それは間違いなくツバキのほうだ。
 こよみも、陽光が丘を変えるための『手段』として力を行使した。
 しかし彼女の場合は、力、強さを証明することこそが『目的』。
 そしてその目的を隠すことなく、多くの生徒の前で堂々と宣言してしまっている。それもあろうことか、生徒会への宣戦布告まで。
 この騒ぎが風紀委員会、ひいては生徒会に伝わるのも時間の問題だろう。
 だとしたら、自分が取るべき道は二つ。
 一つは、知らぬ振りを決め込んで、このまま下校すること。
 そうすれば、駆けつけた生徒会役員とツバキとの間に一悶着あった後、ツバキは陽光が丘の頂点に立つという野望がいかに無謀だったかを思い知らされるだろう。
 もう一つは、こよみのときと同じように、この手で止めるという方法。
 下手に生徒会の大物が動く前に、先手を打っておくのはそう悪いことではない。生徒会に対しても、自分はもう生徒会に楯突くつもりはないのだとアピールすることができ、恩を売ることにも繋がる。
 だが、こよみと違い、ツバキは知り合いでも何でもなく、助ける義理はない。
 ゆえにここは無視して帰るのが最善手。
 ――と、頭では分かっていた。
 しかしアヤキの足は、自然とツバキのほうに向かっていく。
 困惑と動揺で動けずにうろたえている生徒たちの間を縫うように、アヤキはツバキが立つ自動車の近くにまで進んでいった。
 見ず知らずの女の子が生徒会に制圧されるのを食い止めたいから? いや、自分はそんな高尚な人間じゃない。もしそうなら、果耶やこよみに応えてもう一度生徒会と戦っている。
 ただ、ここでツバキを止めることで、自分の平穏な日常を守りたいだけだ。そうに違いない、はずだ。しかし、あるいは。
 ――自分の強さを疑うことなく、本気で陽光が丘の頂点に立てると考えているツバキの姿が、一年前、同じようなことを考えていた自分と重なったからかも、しれない。
 いずれにせよ――すでに、ツバキにも気付かれた。もう、後戻りはできない。
「なんですか、あなたは。生徒会の人間ではなさそうですが」
「ああ、俺は生徒会とは関係無い。二年A組の滝川アヤキだ」
「初めまして、滝川さん。しかし、生徒会と関係無いというのなら、なおさら不可解ですね。どうして私に対して戦意を向けているんです?」
「……。勘がいいな」
「別に大したことじゃないでしょう。戦意や悪意や敵意、殺意――強く在りたいと思い、相応の鍛錬を積んでいる者なら、そういったものを肌で感じ取れるのは至極当然のことです」
 ツバキは、誇示するわけでもなく、本当に大したことではなさそうに言った。
 ……なるほど、言うだけのことはありそうだ。
 こうして間近に見上げると、ツバキの身体はスレンダーながら、こよみとは比べ物にならないほど鍛え上げられているのが分かる。ブレザー越しにでも、しなやかで上質な筋肉を持っているのが見て取れるし、まず立ち姿ひとつ取っても、隙らしい隙が見られない。
 別に気を張っているわけでもなく、身体にも精神にも、周囲に対する警戒意識が浸透し根付いているのだ。
 ……まさか、このレベルの奴が今年の新入生にいたとは。
「俺は一人の善良な生徒として、大きな騒ぎになる前に止めたいと思っただけだよ。生徒会への宣戦布告が、この学校においてどれほど深刻なことなのか、お前は分かってないみたいだからな」
「お言葉ですが滝川さん、陽光が丘が普通の学校ではないこと、生徒会が武力においても権力においても絶対的な存在であることは十分心得ています。その上で言わせていただきます、私のほうが強いと」
「……それを、分かってないってんだよ。お前を見れば、そりゃお前が弱くはないってことくらい分かるぜ。でも、お前は生徒会には勝てない。それどころか、俺にも勝てないだろうぜ」
「面白い冗談ですね、あなたにも勝てない? 私のほうも、あなたがそれなりに強いことくらい分かりますよ。多分、今ここに集まっている有象無象の中では一番強いんでしょうね。でも」
 ツバキは。
 バンッ、と自動車の天井を凹ませて、跳んでいた。
 空中でクルクルと身体を回転させながら、高速で降下してくる。
 そのまま回転を加えての蹴りを放つつもりだろう。
 アヤキは、空中戦には応じることなく、足場の安定した地上で迎撃態勢を取った。
 予想通りツバキが放った蹴りを、アヤキは左腕で受け止める――が。
「っ!」
 ツバキが右足で放った蹴りの、予想以上の鋭さと重さによって、アヤキの左腕は真上に跳ね上げられ。
 そのがら空きになった上半身に、その間にもう一回転して放たれた二発目の蹴りが襲来した。
「ちっ……!」
 しかし、アヤキはそれを素早く身を引いて、顎の皮一枚切らせることでかわす。
 ツバキが着地するかしないかの間に、アヤキはすぐさま反撃に転じ、右のハイキックを放ったが、それは同様にツバキが放った左のハイキックによって迎撃され、二人の足はクロスする形で、完全に拮抗した。
 野次馬たちがおお、という感嘆を帯びた声を漏らす。
 滝川アヤキという生徒の実力を知っているからこその、どよめきだ。
「なるほど……私が思っていた以上にやるようですね。ここまで手応えのある相手は、今までの人生でもいたかどうか。なにぶん天才なもので、まともに戦える相手がいなくて困ってたんですよ。今は素直に喜ばしいです」
「……よくあの体勢から切り返せるもんだぜ……正直舐めてたよ。お前なら、生徒会幹部だろうと相手にはならないだろうな。でもな――それでも、やっぱり、あの化物には――生徒会長・儚木縁には、誰だろうと絶対に勝てない」
「それはかえって興味が沸きますね。あなたほどの人が、絶対に勝てないなどと言い切ってしまう相手。どうやらこの学校は私が思っていた以上に、私を楽しませてくれそうです」
 アヤキとツバキは、ほとんど同時に足を引き、さらには後ろに跳んで間合いを取った。
 ……これはまずいな、とアヤキは内心思った。
 本気で戦えば勝てない相手ではないと思うが、裏を返せば、たとえ自分でも、この子を制圧するためには全力で戦う必要がある。そしてその戦いも、短時間で決着が付くようなものにはならないだろう。間違いなく死闘になる。
 そうこうしている間に、生徒会の大御所連中まで来てしまっては面倒だ。
 ならば、この場を収めるためにはどうすればいいか。
 アヤキは考えあぐねていたが、予想外なことに、ツバキのほうから構えを解いていた。
「……あなた、今、ごちゃごちゃ余計なことを考えているでしょう? そんな状態のあなたと戦って勝っても、何の達成感もありません。あなたほどの強者とは、何のしがらみもわだかまりもない状態で、全身全霊を以って戦い、勝利したい。――だからあなたの意を汲んで、今はこのくらいにすることにします」
「……。そいつはどうも」
 そこまでお見通しかよ――と、アヤキは内心苦々しく思う。
 ツバキが矛を収めてくれたのはありがたいが、やはり一筋縄にはいかない相手だ。
 今年は、こよみさえ抑えておけば平穏な毎日は守られると思っていたが、とんでもない。それ以上の爆弾が、紛れ込んでいたことを思い知った。
 そしてその爆弾は、去り際にとんでもないことを言い残す。
「今夜の『自由時間』。そこでまた会いましょう。私は適当に暴れるつもりですので、ぜひ来てください。あなたなら、私を楽しませてくれるはずですから」
 さようなら――と、ツバキは笑顔ひとつ見せずに去っていった。
 ……後に残されたアヤキは、野次馬のざわめきの中、しばらく立ち尽くしていたが、そこを九条に呼び掛けられた。
「モテモテだな、滝川」
「じゃあお前代わりたいか?」
「遠慮しておく。しかし――あの子、去年のお前によく似てるな」
 それは、アヤキ自身思っていたことだが、改めて第三者に言われると否定したくなる。
 しかし、ツバキをこのままにしておくのは、あまりにも危険だ。
 なまじ強い分、生徒会と戦うことになれば、去年の自分同様、かなりいいところまで切り込めるだろう。だがそれは、儚木縁という化物を再び動かすことに繋がりかねない。そうなれば今度こそ、死人が出るかもしれない。
 ……と、なると。
「……似てるかもな、確かに。だったら、デートの誘いには応じなきゃな」
 自分の意図とは裏腹に、どんどん厄介ごとに巻き込まれていっている現状を若干嘆きながらも、アヤキは観念したように、そう呟いた。