第九話 放課後の少女たち

 渡辺ツバキとの邂逅から数時間後、午後六時を過ぎた『自由時間』の陽光が丘高校に、滝川アヤキは居残っていた。
『適当に暴れるつもりですので、ぜひ来てください』
 ツバキはそう言っていた。
 それは言葉通りの意味だろう。
 『自由時間』ならば、生徒会関係者にでも手を出さない限りは、どれだけ派手に暴れ回っても基本的にお咎め無しなので、そこは安心ではあるが、こよみ同様とんでもないことをしでかしそうなオーラはひしひしと感じる。
 念のため、早いうちに彼女を見つけ出すべきだろう。
 そう思って、アヤキは早速行動を開始していたのだが。
「……なあ、こよみちゃん。なんでお前がいるんだよ」
「あはは、滝川君は私に、葉山さんを超えるまでは生徒会と関わるなとは言ったけど、『居残り』をするなとは言ってないよね? 稽古の成果を実戦で確かめたくて、付いてきちゃった。だめ?」
 隣を歩くこよみは、わざとらしく甘えた声を出して見せた。
 人間、いくら顔が良くても内面や行いがアレだと可愛く感じないのだということを、こよみを見ていると実感させられる。
「お前は本当に可愛くねえよなあ」
「一般的に見てルックスは良いほうだと思ってるけど?」
「…………」
 間違ってはいないが、自覚して自称していること自体が可愛くない。
 そんなアヤキの呆れを知ってか知らずか、こよみは「それにね」と続けた。
「同級生にそんな子がいるなんて知ったら、そりゃ会いたくなるよ。強くて、生徒会と戦うつもりで、しかも女の子。興味あるんだよね」
「はあ……お前に教えるんじゃなかったよ」
 ツバキとの邂逅後、アヤキは予定を変更して合気道部を訪れ、稽古中のこよみにツバキのことを話した。いずれは耳に入ることだし、こよみが触発されて馬鹿な真似をしでかさないよう釘を刺す目的もあってそうしたのだが、その判断が正しかったのかどうか、少し自信がなくなってくる。
 まあ、単独行動されるよりは断然マシか……。
 そんなことを考えながら歩いていると、慌ただしく動く一団が目に留まった。
 左腕に付けた腕章から、彼らが風紀委員であることが分かる。
 こよみにほぼ壊滅状態に追い込まれた第三班とは別の班だ。
「何か起きてるみたいだね」
 こよみが、駆けていく風紀委員たちを目で追いながら言う。
 風紀委員たちはこちらを一瞥し、一瞬驚きを見せるも、すぐに走り去っていく。
 アヤキとこよみという陽光が丘にとって危険である(とみなされているであろう)組み合わせを前にしても構う余裕がないくらいには、急を要する事態らしい。
 ツバキは『適当に暴れている』と言っていたが、やはりこよみのように生徒会関係者を相手にしているのだろうか。だとしたら面倒だ。
 そんなアヤキの懸念を裏付けるように、風紀委員に続いてやってきたのは、生徒会の腕章を付けたクラスメイト――生徒会幹部・夕凪みのりだ。
 他の生徒会役員を二人引き連れた彼女は、狼狽していた風紀委員たちとは対照的に、早足でこそあるが毅然とした振る舞いをしている。
 こちらの存在にも気付き、「あなたたちもいるんですか」と話しかけてきた。
「何かしでかすつもりなら、今夜は勘弁していただきたいですね。今、別件で忙しくなっているので」
 メガネを中指でクイッと直し、みのりはチラリとアヤキたちからみて右のほうに視線をやった。あちらには、武道大会やコンサートなどの校内イベントが行われる際に使われるスタジアムがある。プロ野球で使われるような大規模なものとは比べ物にならないとはいえ、全校生徒が収容できる程度の規模ではあるが、どうやら騒ぎはそこで起きているらしい。
「確かに忙しそうだな。生徒会幹部サマまで出てくるなんて、何が起きてるんだ?」
「あなたたちは呑気でいいですね。……一年生が校内マフィアと小競り合いをしているんですよ。今のところ校則違反はしていませんが、大規模な抗争になった場合に備えて出動するよう指示を受けました」
 やはりこいつは、なんだかんだ言いながら色々と教えてくれる。もしかしたらツンデレなのかもしれない、なんて馬鹿なことを考えながら、アヤキはこよみと顔を見合わせた。
 その『一年生』は間違いなくツバキだろう。
「そうか、校内マフィアね……確かに『適当に』暴れるには丁度いい塩梅の相手かもな」
「校内マフィアって?」
 こよみが首を傾げる。
 二・三年生で『居残り』をする生徒なら、知らぬ者がいない組織ではあるが、まだ入学後日の浅いこよみが知らないのは当然か。
「ああ、それは――」
「校内マフィアというのは、三年生の刈夜巫女人(かりや・みこと)を頭とした二十五人程度の組織です。『自由時間』における出店の管理や、武器や薬物の販売などで小銭を稼いでいる浅ましいチンピラ連中ですよ」
 アヤキが説明する前に、みのりがすべて話してくれた。
 ……本当にツンデレなのかもしれない、とアヤキは思い始める。生徒会に所属してさえいなければ、多少生真面目なだけの普通の生徒なのだが……つくづく、あの生徒会長のカリスマには恐れ入る。アヤキにとってはトラウマの対象だが、あれほど強く、美しく、恐ろしい存在は今まで見たことがない。生徒会の連中が絶対的な忠誠を誓うのも、理解できないわけではなかった。
 しかし今はそれより、ツバキと校内マフィアのほうだ。
「ありがとよ、みのり。――じゃあこよみちゃん、行くぜ」
「うん。ありがとうございます、先輩」
「! あなたたち、余計な真似は――」
 みのりが制止するのも聞かず、アヤキとこよみは駆け出していた。
 走りながら、こよみが聞いてくる。
「校内マフィアって、強いの?」
「ん? ……ああ、そりゃ弱いと他の連中にボコられて商品奪われて終わりだからな。ルール無用の『自由時間』で生徒会の後ろ盾なくビジネスを成立させている時点で勝ち組ではあるぜ。でも、まあ――そこまで強いわけじゃねえ」
 だから、アヤキには今起きているという抗争の勝敗は見えていた。
 ツバキの実力をすでに体感しているアヤキから見れば、校内マフィア程度は、ツバキ相手では善戦すらできずに壊滅させられる。自分たちが到着するまで持ちこたえているかどうかすら怪しい。
 そう、考えていたのだが――
「!?」
 スタジアムの外には、校内マフィアの後ろ盾で出店をしている生徒が毎晩一定数いて、今も簡易テントが十ほど設置され、焼きそばだったりたこ焼きだったりベビーカステラだったりが売られていたが、そこで騒ぎは起きていた。
 すでに先行していた風紀委員会は到着し、遠巻きに円を作って不測の事態に備えている。
 その輪の間を潜り抜けた、アヤキとこよみが見たのは、渡辺ツバキ。
 ――と、ツバキを護衛するように立つ、三人の生徒だった。
「マフィアを名乗るくらいだからどれほどのものかと思ったけど、大したことないみたいだね」
 前髪を綺麗に切り揃えたマッシュルームカットの、エリート然とした男子生徒は、そう言いながら、足元に倒れた校内マフィアの構成員を一瞥する。
 その横にいた、茶髪をオールバックにした厳つい顔立ちの男子生徒は、両の拳に巻いたバンテージをこすり合わせながら、
「そうだな。ツバキさんを煩わせるまでもない」
 と言う。
「いいじゃん、あたしたちの実力を証明するチャンスだよ。チームツバキがツバキさんだけのワンマンチームじゃないってことを、見せつけてやらなきゃ」
 少し赤みがかった髪をベリーショートにし、この中で唯一制服ではなくジャージを着ている女子生徒は、そう言いながら後ろに控えたツバキをチラリと見た。
 当のツバキは退屈そうに、腕を組んで突っ立っている。
「当然です。この程度の手合いを片付けるのに私の力を借りなければならないくらいなら、あなたたちには私と行動を共にする資格すらありませんので」
 ツバキのその言葉に、三人はニヤッと笑う。
「だよね、ツバキさん」
「そうだよな、ツバキさん」
「ツバキさんもそう言ってることだし、ぱぱっとやっちゃいますか」
 マッシュルームカートの男は、右足を前にしたサウスポーの構えを取り。
 茶髪オールバックの男は、典型的なボクシングの構えを取り。
 ベリーショートの女は、前に出した左手を高めに掲げ、顔面への攻撃を警戒した形の構えを取り。
 そんな彼らに、ツバキは「はあ」とため息をついた。
「それじゃあ引き続き、適当に暴れてください」
「「「はい、ツバキさん!!」」」
 三人の声が綺麗にハモり、そのときには戦いは始まっていた。いや、再開した、というのが正しいか。
「校内マフィアなめんなよ、一年どもが!」
「こっちは陽光が丘で修羅場潜ってんだ!」
 すでに仲間を何人か倒されている校内マフィアの連中は息巻き、次々に三人めがけて突っ込んでいく。
 だが、実力の差は歴然だった。
「はっ!」
 マッシュルームカットの男が放ったジャブが、突っ込んできた男の鼻っ柱に当たってその動きを止め、その間に左拳による連撃が顔面から胸部にかけて打ち込まれる。
「おらぁ!」
 茶髪オールバックの男は、ボクシングのフットワークで相手の攻撃をかわし、前のめって隙が出たところにボディへの一撃を決めていた。
「やあっ!」
 ベリーショートの女は、腰を回しての中段の廻し蹴りをカウンターで決め、自分より体格の良い男を悶絶させている。
 彼らは三者三様のファイトスタイルで、校内マフィアを圧倒していた。
「へえ……」
 こよみは不敵な笑みを浮かべ、彼らの戦いを興味深そうに見物する。
 こよみからすれば、自分以外にも入学して間もなく上級生相手に暴れている一年生がいたことが、状況として面白いのかもしれない。
 しかしアヤキは、ツバキの取り巻きであろうその三人の戦いには、一切関心を示していなかった。彼らの戦い振りは、アヤキの気を引くに足るほどのレベルではなく。
 何より、彼らの戦いを静観しているツバキが、アヤキに気付いて視線を飛ばしてきたからだ。
「来てくれると信じていましたよ、滝川さん」
「美少女からデートに誘われて断る男はいないからな。ていうか、お前に取り巻きがいたなんて知らなかったぜ」
「彼らは私が頂点に立ったとき、その偉業を称え語り広めるために傍にいることを許している、いわば伝説の証人ですよ。あなたのほうこそ、デートと言いながら恋人同伴とは最低ですね」
 ツバキは、こよみをチラリと一瞥する。
 声音も表情も緩まないので分かりにくいが、本気で恋人だとは思っていない様子だ。そして、アヤキが実力者だと戦う前から見抜いていたツバキのことだ、こよみがそこそこ戦える人間であることにも、気付いているだろう。
 こよみのほうも、ツバキに対し視線を向け返し、唇を歪めて笑いながら言う。
「初めまして、渡辺さん。私は愁井こよみだよ、よろしくね」
「愁井さんですか。そういえぱ、入学式の前日に暴れた一年生の女子がいるって話がありましたね。それがあなたですか。その話を聞いたときは、少しは期待できるかもと思っていましたが――」
 ツバキは。
 心底つまらなさげに溜息をつき、こう言い放った。
「――どうやら、私の期待しすぎだったようですね」
「……あはは、面白いこと言うね。そんなこと言われたら、期待に応えてあげたくなっちゃうよ」
 こよみは顔こそ笑っているが、目はまったく笑っていない。
 怒りと苛立ちを隠そうともせず、彼女は一歩を踏み出していた。
 だからなんでこいつは、こんなに煽り耐性が低いんだ……!
 アヤキはこよみを止めようとしたが、そのとき。
 背後から感じた殺気に、振り返っていた。
「俺が席を外している間に、なんかお祭り騒ぎにしてくれちゃってよぉ――可愛い部下たちいじめてくれてさぁ――お前ら、俺になんか恨みでもあるわけ?」
 軽薄そうな声音に怒気を滲ませながらやって来たのは、金髪の男子生徒。
 両耳それぞれに四連ピアス、手首にもジャラジャラとブレスレットを付け、十本の指すべてに大きさも色も様々な指輪を付けた、悪趣味な格好。
 校内マフィアの首領・刈夜巫女人だった。
「どうも、刈夜センパイ。言っとくけど、俺やこいつは今回の件に無関係だぜ」
「はは、そんなこたぁ見たらわかるぜ。状況としては、そこの三人、いや四人か。そいつらが、俺らを校内マフィアと知った上で、喧嘩売ってきたってとこだろん? どのみち、俺は『あの』滝川アヤキと正面からやり合うほど馬鹿じゃねーよ。この学校で生き残る奴ってのは、自分の身の丈を理解してる奴と決まってる」
 すでにツバキの取り巻き三人によって、校内マフィアはあらかた片付けられていた。それぞれが最後の一人を相手取っているところだ。
 刈夜は両手をポケットに突っ込み、そんな三人にゆっくりと近づいていく。
 ツバキは、それをさして気にも留めていない様子で、ただただ見据えていた。
「……あの人が、校内マフィアのリーダー?」
「ああ、そうだ。――だけど、あいつも命運尽きたな」
 この学校で生き残るのは、自分の身の丈を理解している者。
 それは、正しい。
 自分の身を最低限守れないのなら、居残りをしてはいけないし。
 自分の身を守ることで精一杯なら、居残りはできたとしても、そこで粋がって喧嘩を売ったり、恋人を連れて歩くなどは自殺行為でしかない。
 ルールの無い時間だからこそ、誰もがボーダーを設けている。
 やりたいことのために居残りをするが、できること、できないことを見定めて、そこに絶対に越えてはならないラインを引く。
 その見定めを誤った者には、悲劇が待つ。
 それが、陽光が丘という場所であり。
 刈夜は今、越えてはいけないラインを、そうとは知らず踏み越えた。
「校内マフィアには十年近い歴史があるらしいけどよ、それも今夜で終わりだな」
 アヤキがそう呟くのと、刈夜が校内マフィアの構成員を倒し終えた三人に襲い掛かるのとはほぼ同時で。
 この夜、またも、陽光が丘の歴史は大きく動くこととなる。