第十三話 ダブルルーキー誕生

 愁井こよみの戦い方を、刈夜巫女人は砂原巧と戦っているその最中も、しっかりと確認していた。
 入学式前日、風紀委員会の第二班を圧倒したルーキーの存在は、校内マフィアのボスである刈夜の耳には当然入っていたし、いずれ敵対する可能性も考慮して、彼女の使う合気空手の対策も考えていた。
「風の型『鎌鼬(カマイタチ)』!」
 こよみの下段廻し蹴りを、左足を動かしその側面で受け止める。
 鋭い蹴りがジンとした痛みを左足に響かせる。
 しかし、こよみの体重では刈夜に対してさほどのダメージは通せない。
 通せない、が――
「――風の型『烈風』!」
 体勢を立て直す間もなく、左の突きが放たれる。
 空手特有の、捻りを加えて威力を増した突き。
 しかし、わざわざ烈風なんて大仰な名前を付けてはいるが、ただの突きだ。
 スピーディーさには驚かされるが、それだけだ。
「ハッ――」
 刈夜は右腕を掲げて『烈風』を受け止める。
 すかさず反撃に転じてやる、そのつもりだった。
 が。
「!?」
 刈夜の右腕に、拳が当たることはなかった。
 その寸前に、こよみは握っていた拳を開き、刈夜の右肘を掴んでいたからだ。
 ストレートを放つと見せかけて、最初から掴むのが狙いだったのか、それとも、ストレートをガードされると見て掴みに切り替えたのか。
 どちらにしても――尋常じゃない。
「テ、テメ――」
「花の型『捻花(ネジバナ)』」
 こよみは刈夜の右腕を引き寄せ、自身の左腕をしっかりと絡ませる。
 刈夜は握った左の拳をこよみめがけて振り下ろしたが、それよりも先にこよみが一気に体重を下向きにかけながら姿勢を落とすことで、刈夜の右肘の関節はゴキンという嫌な感触と共に外されていた。
「がああああッ!」
「風の型――」
 刈夜は痛みと怒りで咆哮しながら、なおもこよみに拳を振り下ろそうとしたが、そのときにはこよみは刈夜の腕を解放して一旦下がり、それから、再度踏み込むと共に、刈夜の外れた右肘を殴りつけていた。
「――『烈風』!」
「ぐがあっ!」
「からの――『暴風』!!」
 こよみは、凄まじい勢いでラッシュを放つ。
 一発一発は鋭さこそあるも重さは足りず、威力という点ではそこまでではない。
 だが、問題は、こよみが放つラッシュのすべてが、執拗に刈夜の右腕を叩いていることだ。
 それを嫌がって右腕を庇おうとすると、その隙に顔面やみぞおちといった急所に入れられる。
 無理やり距離を詰めて殴るなり掴むなりしようとしても、それは察知されて一旦後ろに下がられ、すぐさまラッシュを再開される。
 やがてその名の通り暴風のような連打に刈夜は膝を折ってしまう。
 そのときを待っていたのだろう、こよみの膝蹴りが、刈夜の無防備な顔面に叩き込まれた。
 肘や膝は肉が少なく、骨がかなり表面に近い位置にある部位だ。
 そのため、骨の硬さを攻撃に利用できる分、非力な子供や女性であっても、男性に対して大きなダメージを通すこともできる箇所でもある。
 事実、刈夜はこよみの膝蹴りを食らった瞬間、ぐるんと白目を剥き。
 そのまま、コンクリートの地面の上に倒れ伏していた。
「校内マフィアなんていって、やってたことは弱いもの虐めなんだろうね。自分より強い相手と戦わずに生きてきた人間は、体以上に心が脆いよ」
 こよみは、地面に突っ伏して動かない刈夜に対し、そう言い放つ。
 こよみに肘関節を外され、ラッシュを食らい始めてからの刈夜は、焦りと恐れから動きに精彩を欠き、そのためこよみも容易に自分のペースを維持することができた。冷静に対応されていれば、まだ戦いは終わっていなかったかもしれない。
 ともかく――こよみは、勝利した。
「渡辺さん、これで文句は無いんじゃないかな? あなたのお仲間は三人とも倒れてて、あなたたちとやりあってた校内マフィア(笑)も壊滅。私とあなたが戦わない理由、もうどこにもないと思うけど」
 こよみは、ビシッ、とツバキを指さしてそう言い放った。
 ……きっと彼女は、とてつもなく強い。
 桜井桜子や刈夜巫女人とはレベルが違う。
 現時点の自分が挑んでいい相手では、きっと本来ないのだろう。
 しかし――こよみにとって、ツバキに挑まないという選択肢は無い。
 あるいはツバキが二年生や三年生であったなら、そうでなくとも、自分と似たような目標を掲げ、似たような騒動を起こしているような輩でさえなければ、ここで戦わないという道もありえただろう。
 しかし、現実はそうではない。
 ツバキは同級生で、陽光が丘の頂点に立つため、生徒会をも倒そうとしている。
 そんなツバキの台頭を、躍進を許していては――自分の手で陽光が丘を変えることが、できなくなってしまう。
 それでは、ダメなのだ。
 母の夢を叶えるのは、母の無念を晴らすのは、自分でなくてはならない。
 たとえ誰かの助けを得たとしても、主役は自分でなければならないのだ。
 そうでなくては――そうできなければ――愁井こよみの人生は、否定されてしまう。
 だから、こよみはツバキとも、臆さず対峙する。
「もう一度言うよ。私と戦ってよ、渡辺さん」
「……私とあなたが戦う理由も、ないと思いますけどね。単刀直入に言って、あなたは私の眼中にありませんし。ですが」
 ツバキは。
 組んでいた腕をスウッと静かに解き、そのまま流れるように構えを取っていた。
 まるで何かの演舞の一部であるかのような、美しく洗練された動き。
 そして、それに見合うだけの凛とした声音で、ツバキはこよみに答えた。
「桜子を倒せたら考えてあげますよと言ったのは確かです。いいでしょう、相手して差し上げます」
「……! その言葉を、待ってたよ……!」
 内心武者震いしながらも、こよみは唇を歪めて笑ってみせる。
 左手を顔の前に、右手を腰に当て、どっしりと体勢を落とした空手の構えを取り、七、八メートル離れた場所にいるツバキと対峙する。
 こちらから間合いを詰めるか、それとも相手に仕掛けさせて迎撃するか。
 合気空手は空手の『剛』と合気道の『柔』を時に使い分け、時に組み合わせることでありとあらゆる状況に対応することを可能とした武術――と、こよみは考えている。
 ゆえに、その場に応じて的確な技を選ぶことができれば、地力で上回る相手にも勝機がある――というのが、合気空手の特性だ。
 合気道部での稽古で、技にはさらに磨きがかかった。
 純粋な合気道の技量は、まだあの葉山葉月や九条護には及ばない。
 しかし、自分は合気道家ではなく、合気空手の使い手であり創始者だ。
 陽光が丘を変えるためだけに編み出し、磨き上げてきた武術――それがこの場所で通用しないなんてことは、あってはならない。
 こよみはジリ、と摺り足で十センチほど前進する。
 それを見て、ツバキは悠然と二歩、歩を進めた。
 まだ互いの距離は遠い。しかし、地面を蹴って駆ければすぐに詰まる距離。
 こよみはツバキの動きの兆候を見落とすことのないよう気を張りながらも、どの技を使い、どのような展開に持っていくか思考を巡らせ続けていた。
 風の型による打撃戦――は、恐らく不利。
 身長はあちらのほうが五センチほど高いようだが大差は無い、そのためリーチではさして不利にはならないだろうが、フィジカルには無視できないほどの差がある。ツバキの細く引き締まり、洗練された筋肉は、同性ながら惚れ惚れするくらいだ。制服の上からでも、彼女の肉体性能の高さが分かる。
 フィジカルの差を覆すにはやはり、花の型による関節技。
 どんなに筋肉を鍛えても、関節を鍛えることなどできないからだ。
 そして、一か所でも骨を折るか外すかできたなら、地力の差など容易に覆せる――それは、先ほどの刈夜戦でも実証済みだ。
 しかし、ツバキのほうだって、こちらが関節技を狙うであろうことは分かっているはず。ここまでの戦いで、関節技を使わず温存できていたなら、不意打ちで成功させることもできたかもしれないが、残念ながら自分にはそこまでの余裕はなかった。
 だが、そんなことを悔やんでもどうしようもない。
 今自分にできることは、今自分にできることをすること。それだけなのだから。
「――行きますよ、愁井さん」
「――いつでも来なよ、渡辺さん」
 向かい合う両者、この場の緊張感は臨界に達し、そして――
 複数の足音と、聞き覚えのある声とが、その張り詰めた静寂を破っていた。
「――そこまでです。渡辺ツバキ、愁井こよみ。それに滝川君」
「いや、俺は何もしてねえぞ」
 ここまで、こよみとチームツバキと校内マフィアの戦いを静観していたアヤキが、突如として現れたその人物に対し気だるげに応じる。
 野次馬たち、そして場を取り囲んでいた風紀委員たちにさえ動揺が広がっていく。
 その輪の間から進み出てきたのは、赤いフレームのメガネをかけた、ポニーテイルの少女。
 生徒会幹部・夕凪みのりだった。
「校内マフィアとの小競り合いは、『この時間』においては何の罪に問われることでもありませんが、あまり騒ぎを大きくするなと指示を受けています。校内マフィアは壊滅した。あなたたちの武勇伝としては十分でしょう」
 丁寧な口調とは裏腹に、みのりの声音には有無を言わさぬ冷たさがある。
 次期生徒会長候補筆頭とされるだけのことはある、上に立つ者の非情さが。
「ふうん……そういうこと。反抗的な新入生に、陽光が丘を揺るがしかねないだけの力があることが怖いんだ」
「自惚れないでいただきたいですね、愁井こよみ。私は武闘派というわけでもありませんが、それでもあなたを制圧することくらいはできますから」
「へえ……面白いね。興味あるかな、生徒会幹部っていうのがどれだけの実力なのか」
 先ほどまでツバキと睨み合っていたこよみは、今度はみのりと対峙する。
 それに対してツバキのほうは、やれやれとばかりに肩をすくめ、「興醒めですね。まあ、いいでしょう。三馬鹿を保健室に連れて行ってやりたいところですし、今夜はこのくらいにしておきましょう」と、みのりの要求を受け入れていた。
 こよみはそれに対し、「あはははは!」と高笑いをして挑発する。
「渡辺さん、もしかして生徒会を敵に回すのが怖いのかな?」
「面白くない冗談ですね。なんならあなたとその生徒会幹部の方を、まとめて倒すことも私には可能です。しかし、私は陽光が丘の頂点にただ立てればいいわけじゃない。段階を踏み、誰にも恥じることの無い歩みで王道を駆け上がる。それが私のやり方ですので」
 こよみの挑発など意に介さず、ツバキはそう言い放ち、こよみたちに背を向けた。
 そして、腕を抱えて悶絶している紺野、意識を失っている砂原と桜子を、順々に爪先で小突いて起こしていく。
 紺野は折られた腕を押さえて脂汗を滴らせながら、砂原と桜子はそれぞれ腹と顎をさすりながらも、よろよろと起き上がった。
「クソッ、腕、腕がァァ……クソォ!」
「ツバキさん、面目ない……ツバキさん以外に負けるなんて」
「ごめんツバキさん、あたしたち、もっと強くなるよ……」
 取り巻きたちの顔を見回して、ツバキは厳しい表情のまま答える。
「当たり前です。私の傍に立ち、共に歩むことを選んだ以上、血反吐を吐きながら強くなるのは当然の義務です。嫌なら逃げ出していただいて結構。私は強者しか認めませんから」
 ツバキの毅然とした言葉に、取り巻きたちは悔しさに唇を噛みしめ――それでも、三人ともが、力強く頷いた。
「――それでよし。さあ、保健室に行きますよ。しかし、陽光が丘制覇のためには、ここで立ち止まっている時間はありません。特に紺野。腕を折られたことは言い訳にならないので、いつまでも休めると思わないように」
「クッ……分かってますとも、ツバキさん……!」
 そうして、ツバキたちはこの場から立ち去り始めた。
 去り際に一度だけ立ち止まり、振り返って、「滝川さん、愁井さん。それでは、また」と、簡単な挨拶をしただけで、あっさりと。
 おのずと、みのりたちのマークは後に残された二人、こよみとアヤキに集中することとなる。
 風紀委員会が内側、みのりが連れてきた生徒会役員が外側の輪。合計二十人ほどはいる。こよみは臨戦態勢を取っていたが、アヤキのほうは両手をポケットに突っ込み、自然体で突っ立っていた。
「渡辺ツバキは引き際を弁えているようですが、あなたたちはどうです?」
「もちろん、今夜はこれで終わりだ。そうでないと、お前の顔も立たないしな」
「恩着せがましい言い方なのは癪ですが、ご協力感謝します」
 みのりは、後ろに控える部下たちに左手をスウッと掲げて合図を出した。
 それを受けて、生徒会役員たちがその場にいる風紀委員会、そして野次馬たちを解散させにかかる。
 校内マフィアが一年生によって壊滅させられるという大事件に動揺と興奮を隠せない様子の野次馬たちは、それでも生徒会の指示には迅速に従い、それぞれ出店だったりスタジアムの中だったりに散っていった。
 その光景を横目に、アヤキが小声で訊いてくる。
「――約束ちゃんと覚えてるよな、こよみちゃん」
「……分かってるよ。今はまだ、生徒会とは戦わらない」
「覚えてるならいい。……お前の動き、前よりは良くなってたぜ。稽古の成果はありそうだ」
「……ありがとう」
 こよみは、予想外の言葉に面食らいながらもお礼を返した。
 アヤキに少しだけとはいえ認められたことが、素直に嬉しかったからだ。
 そんなこよみに、部下への指示をひとしきり出し終えたみのりが話しかけてくる。
「愁井こよみ。あなたの母は、儚木会長のお父様と対立していたそうですね」
「……お母さんは、陽光が丘が普通の学校で在ってほしかっただけだよ」
「普通の学校であることに、果たして意味があるんでしょうかね」
 みのりは、中指でメガネのずれを直してから言う。
 それは常日頃からの持論なのだろう、彼女はすらすらとまくし立てた。
「陽光が丘は世間と比べると異様な環境に見えるかもしれませんが、優秀な人間がより輝けるようになっています。選挙管理委員会は毎年、新入生一人一人を調べ、各々の能力や適性に応じて生徒会や各委員会にスカウトしますし、『自由時間』にしてもそうです。あなたがこうして合法的に実戦を積んでいるように、他校ではできないことをできる。ここに倒れている校内マフィアも俗物ではありますが、校内であらゆるビジネスを成功させていたという点では、陽光が丘でしか開花し得なかった才覚を開花させていたといえるでしょう。『自由時間』を無為に過ごす輩も多いですが、立ち回り次第で他の学校では決して経験することのできない時間を過ごせるんです。今さら『普通の学校』に戻すことに、一体どんな価値があるのか。そんな学校はいくらでもあります。しかし、陽光が丘にはオンリーワンの価値がある」
「詭弁だな」
 みのりが言葉を切った矢先に、アヤキがすぐさま断言する。
 みのりの目が冷たく細められるが、アヤキは意に介さずこう続けた。
「そんなものは後付けだ。お前は憧れのフィルター介してあの女を見てるから、何も分かってねえんだよ。こんなもん、儚木一族の悪趣味な道楽だろ。洗脳されてんだよお前らは」
「黙れ、滝川アヤキ」
 みのりの声が、一気にドスの効いた低いものになる。
 彼女を包み込む空気の温度が、一気に下がっていったのがわかる。
 だがその内側では、熾烈な怒りの炎が燃えているのは明白だった。
「儚木会長に『懐刀』の地位を約束されながらそれを蹴った愚か者。その新入生を焚きつけてもう一度会長に歯向かうつもりなら、そのときは私がお前を潰してやる……!」
「素が出てるぜ、みのり。やっぱ付いていけねーよ、お前ら生徒会の考え方っつーか信仰には。クルミ教のほうがマシだな」
「クルミ教?」
 聞いたことのない単語が出てきたので、こよみは話の腰を折るようではあったが思わず聞いてしまった。
「陽光が丘高校にしか信者がいない新興宗教だよ。俺の同級生が教祖をしてる」
「うわあ……そんなのまであるんだ……」
「まあ、今度詳しく教えてやるよ。――そうピリピリするなよみのり。俺とお前の価値観が一切合わないのは分かり切ってたことだろ。こよみちゃん連れて大人しく帰るから、これで完全にお開きにしようぜ」
 アヤキは、フランクにそう言ったが、その声の奥には、有無を言わさぬものがあった。
 それを感じ取ったのだろう、みのりも一際強くアヤキを睨みつけ――それから、「あまり生徒会を舐めないほうがいい。これは忠告です」と吐き捨てるように言ってから、こよみたちに背中を向けた。
 遠ざかっていくその背中に、こよみは呟く。
「舐めてなんかいないけど、忠告は聞けないや」
 それが聞こえているのかどうかは分からない。
 しかし、いずれにせよ、今夜の一件で、愁井こよみ、そして渡辺ツバキは、生徒会にとっても無視することのできない存在になったに違いない。
 今夜は直接生徒会に手を出していないので、陽光が丘のルールとしては合法の範疇ではあるが、もしかしたら今後、生徒会のほうが何かしらの動きを見せるかもしれなかった。
 だとしても――自分は、戦い続けるしかない。
 こよみは、改めてそう誓っていた。
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