第七話 もう一人のルーキー

 入学式から約一週間が経過し、新入生たちが陽光が丘高校がどういう学校なのかを理解し始めてきた頃、二・三年生による部活勧誘も開始された。
 選挙管理委員会のスカウトによってメンバーが決まる委員会と違い、部活は、(少なくとも表面的には)生徒会の影響を受けない、一般生徒による一般生徒のためのコミュニティである。
 普通の学校と同じように運動部や文化部が存在し、部室棟や練習場所が割り当てられ、対外試合への参加も行っている。
 常日頃から生徒会の監視下で学校生活を送っている陽光が丘生にとっては、貴重なストレス解消方法の一つであり、生徒会側からしても、ガス抜きのためにある程度の自由を部活動に対し与えているのは明白だった。
 校内の掲示板には部員募集のポスターが並び、放課後になると、ビラ配りや勧誘を行う各部の生徒の姿が目立つ。
 そんな中、帰宅部である滝川アヤキはぶらぶらと気ままに歩いていた。
 今日は、その隣に藍川果耶の姿はない。彼女は家の用事があるとのことで、終業後すぐに下校していたからだ。
「女子ソフトテニス部部員募集中でーす!」
「サッカー部でーす、よろしくお願いしまーす!」
「美術部です、初心者歓迎ですー!」
 生徒昇降口~前庭~正門間は、下校する生徒の大多数が通るため、勧誘活動のほとんどすべてがこの界隈で行われる。
 桜が舞い散る中、他の部に負けじと声を張り上げ、その手の中にある大量のビラを半ば押し付けるようにして配っていく生徒たちの近くを素通りしていると、見知った顔に呼び止められた。
「滝川」
「九条か」
 そこにいたのは、中肉中背、特徴の無い顔立ちながら、日本刀のような鋭さを感じさせる男子生徒、九条護(くじょう・まもる)だった。
 九条はクラスこそ違うがアヤキの同級生であり、別に親しい仲ではないが面識はある。という程度の関わりだったが、一週間前からは、少し事情が変わっていた。
 九条の所属する部――合気道部に、愁井こよみを預けているからだ。
「こよみちゃんは真面目に稽古してるか?」
「ああ。どこで身に付けたか知らないが、合気道そのものの練度も思いのほか高い。合気空手なんて紛い物は捨てさせて、合気道に専念させたいくらいだ」
「それだとお前や葉月さんには勝てないだろ? こよみちゃんにとって合気道は『手段』でしかない。そのことは、最初に説明したはずだぜ」
「分かっている。ただ、一つだけ忠告するぞ」
 九条は、アヤキの顔をぐいと見上げ(アヤキのほうが二十センチほど背が高い)、その鋭い眼差しをより細めて低い声で告げた。
「合気道への敬意の不足は大目に見るが、葉山先輩を厄介なことには巻き込むなよ。もし葉山先輩の身に何かがあれば、俺はお前を許さない」
「――はっ、相変わらず葉月さんにぞっこんなんだな、お前は」
「何とでも言え」
 睨みをきかせてくる九条に対し、アヤキは内心苦笑する。
 九条と、合気道部部長の葉山葉月は、中学時代からの師弟関係だという。
 九条に合気道を教えたのが葉月であり、葉月を追って九条は陽光が丘高校に入学したのだ。九条の葉月に対する尊敬の念はもはや崇拝の域に達している。
 こよみを合気道部に仮入部という形で稽古にやったのを受け入れる判断をしたのは葉月であり、九条は葉月が受け入れたから受け入れただけに過ぎない。彼自身の都合や感情は、彼にとって二の次であり、最も大切なのは葉月がどう思い、どう感じ、どう考えるかということなのだ。
 とはいえ、葉月を盲目的に崇める九条は、尊敬する彼女の域に少しでも近づくため日夜研鑽を積んでいて、その実力は合気道部では葉月に次ぐ二番手、陽光が丘全体で見てもかなりの実力者となっている。
 葉月と九条、合気道家として格上の二人と共に稽古をすることは、こよみの合気空手というファイトスタイル上、大いに役立つに違いない。
 もっとも、それで生徒会を打ち倒せるほどに強くなるとは思わないが。
 果耶に免じて、多少はこよみに便宜を図ってやっているだけだ。
 アヤキ自身には、生徒会と戦う気は相変わらず無いままだった。
「心配しなくても九条、こよみちゃんには言い聞かせてある。葉月さんを超えるほど強くなるまでは生徒会役員と関わるなってな。つまり、これからも陽光が丘は平和だよ」
「……確かに、いくら素質があるといってもあの子に葉山先輩は越えられないだろうが……その約束を、あの子が守る保証はあるのか?」
「それも心配するな。俺がこよみちゃんの身によーく叩き込んである」
 まあ、こよみの(無駄に)たくましいメンタルだと、また独断でバカなことをしでかす可能性も無くはないが、そもそもトレーニング自体はこよみが願い出たことだ。それを半端なまま投げ出すようなことはしないだろう。
 それに、こよみが強くなれるとしたら、合気道の練度を高めるくらいしか可能性は無い。フィジカルの強化ができればいいが、こよみは線が細く、筋肉を付けすぎると、彼女の強みである手数と技の豊富さを殺しかねない。パワーとスピードを両立できれば苦労はないのだが、こればかりは生まれ持った骨格の問題もあるので、なかなか難しい。
 合気空手自体、それを分かっているからこそ練り上げた体系なのだろうし。
「……まあ、一旦は信じるぞ。とはいえ――あの子をまっとうな合気道家にしたいというのも俺の本音ではある。葉山先輩もそう思っているはずだ」
 本音の本音は後半部分だろ、と思いながらも、アヤキは口出ししなかった。
「今年の一年生の中では、あの子が頭ひとつ抜けているしな。他の武道系の部活も、有望な部員が集まらずに困ってるみたいだ」
 そう言いながら九条は、少し離れた場所でビラを配っている、道着やジャージを着た生徒たちのほうを見やった。
 陽光が丘は、その校風上、武道・格闘技系の部活が充実している。
 その中でも、特に実績と実力が抜きん出ている四人の生徒は、『陽光が丘四天王』と呼ばれ、その実力は生徒会幹部と同格以上とまでされているのだが、今この場には姿が見られなかった。
 純粋な体格では陽光が丘でも屈指の、柔道部主将・矢岳昇介(やたけ・しょうすけ)。
 長身から繰り出すハイスピード・ハイパワーな蹴りを得意とする、キックボクシング部主将・御堂(みどう)ゆずき。
 四天王の紅一点にして唯一の二年生、関節技では右に出る者がいないとされる、総合格闘技部の白木沙耶(しらき・さや)。
 そして、こよみと同じように自ら技術体系を構築してオリジナルの武道『柊流格技』を編み出した、柊流格技同好会の会長・柊渉(ひいらぎ・わたる)。
 彼らが同時期に存在していることにより、生徒会でさえ部活に対し容易に手を出せなくなっているとまで噂される実力者たちだ。
「まあ、毎年が豊作とはいかないだろうぜ。ある意味いいじゃねえか、強い生徒が少ない世代ということは、生徒会の力がそれだけ弱まるってことなんだから」
「生徒会は関係無い。俺たちは自分たちの道を究めるだけだ」
「ひゅー、意識高いなー」
 アヤキはそう言って肩をすくめてみせた。
 まあ、九条の言うことも一理ある。
 『居残り』なんてせず、真っ当な学校生活を送っていれば、生徒会と関わることのほうが少ないのだから。
 普通に授業を受けて、普通に級友と談笑し、普通に部活で汗を流す。
 それがたとえ生徒会の支配下のものであろうとも、かりそめの紛い物であろうとも、『平和』であることに違いはない。
 それに人並み以上の疑問を感じるのは、こよみのように生徒会に因縁がある者や、果耶のように心根が優しすぎる者くらいだ。
 そういうものだと割り切ってしまえば、きっと、なんてことはない。
 しかし――そうしてきたはずのアヤキ自身、他の生徒よりも遥かに、生徒会を意識してきたのだということを、自分でも分かっている。
 儚木縁という規格外の存在との対峙、そして惨敗は、アヤキの心にそれだけ大きな影響を残しているのだ。
「……じゃあ、そろそろ行くわ」
「ああ、道場を覗いて行かないのか?」
「俺がいないほうがこよみちゃんも集中して稽古に励めるだろ。まあ、そのうち気が向いたら見てみるわ。じゃあな、勧誘頑張れよ」
 アヤキは九条に別れを告げ、正門に向かう。
 何人かの生徒がアヤキにビラを渡しかけ、襟元の学年章を見てその手を引っ込める。一学年三百人以上いるので、同級生でも面識の無い生徒はザラにいる。
「しかし、色んな部があるもんだよなあ」
 野球部やバスケ部のような定番の運動部から、吹奏楽部や美術部といった文化系、空手部やボクシング部といった武道系もあれば、オカルト同好会やボランティア同好会のような変わり種もある。
 それぞれが自分の競技のユニフォームや道着を身に付けているため、まるでコスプレ会場のようでもあった。実際、オカルト同好会なんかはハロウィンの仮装のような格好でビラを配っているし。やたら気合の入ったコスプレで、新入生がかなり引き気味だ。
 今日は久しぶりにゲーセンにでも寄って帰るか、と思っていたアヤキの耳に、不意に、よく通る凛とした声が飛び込んできた。
「陽光が丘生の皆さん、私の話を聞いていただけますか!」
 また、何か変わった部の勧誘活動だろう。
 最初はその程度に捉えていたアヤキだったが、続くスピーチがその足を止めた。
「私は一年A組渡辺(わたなべ)ツバキ! 中学時代は勉強でもスポーツでも芸術でも、常にトップを取ってきました! ですので、陽光が丘でも頂点を目指すつもりでいます!」
「なんか痛い奴がいるな……」
 そう思って振り返ると、すでに何事かと人だかりができていた。
 声の主は、すぐ目に留まった。
 というのも彼女は、前庭の片隅に停めてある教職員の車の上に乗り、そこから仁王立ちして呼びかけを行っていたからだ。そりゃ陽光が丘では教職員よりも生徒会の力のほうが強いとはいえ、腐っても教育者。その車の上に立つとは、なかなかに大胆な新入生だ。
 車の上なので測りにくいが、身長は165cmくらいだろうか。
 ツリ目なのと凛とした雰囲気なのとでキツい印象を受けるが、こよみ同様『美少女』の括りに入る端正な顔立ち。
 癖一つないストレートの黒髪は、肩甲骨の辺りで切り揃えられていて、真新しいブレザーが、彼女のその気高さを感じさせる佇まいによく似合っている。
 その美しさとオーラには、道行く新入生の足を止め、ビラを配る在校生の手を止めるだけの力があった。
 ツバキと名乗った少女は、スウッと目を細め、そんな生徒たちをどこかつまらなさげに見回す。それから、再び口を開いたのだが、そこから発された言葉に、アヤキは驚愕させられることとなる。
「つきましては、私はこの学校の頂点である生徒会長・儚木縁を打倒します! しかしそれは決して、仮初の自由を享受するために支配を甘んじて受ける不自由なあなたたちのためではありません! 私は私がナンバーワンであることを証明するために、今ここで、陽光が丘生徒会に対し宣戦布告します!!」
「はっ――……!?」
 こよみ以外にも、そんなことを本気で目指す奴がいるっていうのか……!
 アヤキは驚愕し、戦慄し、そして。
 自分がこよみを抑えたことで、一旦は平穏が守られると思っていた陽光が丘が、再び揺るがされることになってしまうのだと、悟った。
sage