saib. - in your arms.(途中)


 思えば、女の子を自分の家に通すのは初めてだった。しかもよく知っているとは言い難い、他校の女の子。

 定休日の月曜だから、もちろんお客はいない。
 妙な緊張感が全身を支配する。

「あっ、母さん、その…父さんは?」
「お父さんなら、今日は恒例のお馬さんでしょ」
「あ、あー、そっか。うん」
「乗馬?」

 店の奥から、生活居の方へいく途中。相変わらず、綺麗な顔の女子が、ほんの少しだけ首を傾いだ。綺麗な赤毛がはらり、揺れる。

「そっちじゃなくて。アレだよ。競馬」
「あぁ、賭け事」
「そうそう。けっこう勝つんだよ。うちの父さん」
「祐一もやるの?」
「いや俺は未成年だからできないよ。竜崎さん、もしかして興味ある?」
「シミュレーションでならある。投資分野に関しての人工知能の論文に目を通した時、対費用効果を期待した、ギャンブルの勝敗予想をする研究の記事も読んだ」
「あー、なんかニュースで時々やってるね。AIが投資して、半年でいくら儲けたとか。すごいよね」
「祐一、お茶菓子用意したら持って上がるから。先にご案内してあげて」
「あ、わかった。じゃ、竜崎さんこっち」
「うん」

 たん、とん、た、と。たん。

 階段を上がる足音が二つ分。不思議なもので、同じ場所でずっと暮らしていると、その足音で誰なのか分かってしまう。

 同い年の女の子が家に来たのは初めてだけど、竜崎さんの足音はこれまで聴いた他の誰よりも静かで、軽やかだった。

「あ、ここ、俺の部屋」

 階段をあがって、左の突きあたり。両親の部屋とはちょうど、向かい側の位置になる。ドアノブを握って、回す。当たり前の動作に、なぜだかとても緊張した。

 俺の部屋は、だいたい畳8畳ぐらい。
 ベランダになる窓際に面した位置の角に、勉強机が置いてある。その反対側は押し入れになっていて、上の段に布団が、下のタンスに洋服がひとそろい入っている。

 勉強机の隣には、型落ちのテレビと本棚、私物入れのラックがある。テレビは一応映るけど、ほとんど使わない。滝岡なんかの男友達が遊びに来た時に、だいたいゲーム用として使う。

 部屋の中央には、足を折りたためる、こたつテーブルがある。小学生の時はだいたい、この上にゲーム機本体を乗せて、コントローラーを握り、滝岡と「俺の考えた最強の必殺技」を叫びながら「オラオラオラオラ!」と、〇ボタンを連打していた。

「電気ストーブ入れるね」
「うん」
「そこらへん適当に座ってて。冬になったら、こたつ布団もだすんだけど、まだ9月の終わりだから。寒かったりしない?」
「平気。お気づかいありがとう」
「そっか。――ふぅ」

 緊張が少しとけて、あるいはべつの緊張がやってきて、俺はため息をこぼした。電気ストーブが「ジジジ…」と音をたてはじめ、それを彼女が座った方へ向ける。

「えーと…俺も座るね」
「どうぞ」

 机の向かい側。心なし距離を置こうとしたら、逆に面と向き合う形になって、またあせった。

「……」
「……」

 ジジジジジ。次の言葉が見つからない中、俺の右手は、無意識に詰襟のフックを外し、第一ボタンを外しかけていた。

「脱ぐ?」
「え――あ、いやっ! ごめん! 脱がない!!」
「着替えないの?」
「あ、えっと! いつもは着替える! けど、おかまいなく!」
「気にしなくていい。とつぜん、押しかけたのはこっち」
「……あぁ、うん。じゃあ、制服、上着だけ部屋着に着替えさせてもらってもいいかな?」
「いいよ」

 おぉ、ついに、会話がちょっと噛み合った。

 謎の感動を覚えつつ、俺は失礼して立ち上がる。制服の上着を定位置のハンガーにかけて、適当な長袖のスウェットに着替えた。そこへちょうど、たんたんとんとん…階段をあがる母さんの足音が聞こえてきた。

「ちょっとドア開けるから、となり通るね」
「うん」 

 ドアを開ける。予想通り、階段を上がり終えた母さんが、盆を持ってやってきていた。

「ごめんなさいね、竜崎さん。今日はちょうど、お菓子を切らしちゃってて。あまり女の子が好きそうなお菓子がなくって」
「いえ、おかまいなく」

 母さんが、机の上にお盆をのせる。コースターに乗せたのは、ガラスコップが二つと、100%のオレンジジュース。四角いバスケットには、ファミリーサイズでよく見かける、一口サイズのチョコレートが一山と、うマい棒が10数本入っていた。

「お茶や紅茶の方がよかったら、遠慮なく言ってちょうだいね。おばさん、今時の女の子の好みがわからなくって」
「いえ、おかまいなく」

 竜崎さんは繰り返した。ちょっと不愛想な感じがあったけど、母さんは心なしかご機嫌そうに、ほくほくと笑っていた。そして俺の方を見た。

「祐一、お母さんね、実はまだお買い物にいってなくて。お夕飯の買い出しいかなきゃと思ってたのよ
「あ、そうなんだ」
「そうなの。そういうわけだから、行ってくるわね」
「うん。いってらっしゃい」

 それも大体いつものパターンだ。月曜は定休日だから、父さんは趣味のお馬さんにでかけ、母さんも園芸や鉢いじりをする。

 そして俺が帰ってきたら、入れ替わりで母さんが買い物にでかけて、夕飯と明日の買い出しを行い、父さんも帰ってきたら、3人で支度をして夕飯。という流れ。

「いってくるわね」
「? うん、いってらっしゃい」

 なぜか二回、聞かれた。部屋を出ていく時も「じゃあいってくるわね~」と手を振って、階段を降りる足音も心なしか早かった。

「………………………?」

 母さん、今日はなにか、いいことでもあったんだろうか。

「ねぇ、祐一」
「あ、うん、なに?」
「これもらっていい?」
「いいよ。遠慮なく食って食って」

 今さらだけど、竜崎さんとは、ほぼ初対面の状況だ。なのにこっちの名前を呼び捨てにしていた。いやべつに、いいんだけど。ちょっと思ったのは、母さんにはどう映ったんだろうかという事で。

「うマい棒……」
「あ、それ、うちの常連のじいちゃんの一人が、たまに差し入れにきてくれるんだよ。あんまり好きじゃなかったらごめん」
「ううん。食べた事ない」
「あ、そうなんだ。俺ら男子にとったら、駄菓子って安いからさ。だいたい集まるとこの辺りの定番を適当に買って、持ち寄って、食いながら遊んでたっていうか」
「ふぅん。定番商品なんだ。駄菓子屋って、まだ実在したんだ」

 やっぱり、竜崎さんはそれとなく自然に、お金持ちっぽい発言をした。

「この辺りにはまだ残ってるよ。まぁ続けられてる店主っていうのも、年金もらいつつ、貸し駐車場の収入とかもあるような感じで、半分趣味でやってるような、お年寄りが多いかな」
「…詳しいのね」
「まぁ、そこそこね。地域密着型の美容院とかやってるとさ、いろいろ聞けるんだよ。この辺り、都市再開発で、ぽつぽつ、デケーマンションも建ったりで、それでUターン就職だっけ? 自分の子供夫婦と一緒に暮らしてたり、近くで暮らしてる人たちも多いから。そういう人たちがさ、うちの店に、髪を切りに来つつ、いろいろお話して頂けるわけっすよ」
「興味深い」

 竜崎さんの表情はあまり読めない。本当に興味深いのか、それとも合わせてくれてるだけなのか。ただ目を細めて「うマい棒」を取って、ギザギザの部分を指でむいた。

「……」
「……」

 また、謎の空白。今度はどうしたんだろう。俺はちょっと、楽しくなりはじめていた。

「祐一、これは直接、食べてもいいの?」

 はい。左様でございます。お嬢様。
 脳内で一瞬、執事のセバスチャン(仮名)が現れ、恭しく一礼をしていた。

「おうよ! がぶっと、一気に食いねぇ!!」

 代わりに江戸っ子職人の大沢平八郎(仮名)が登場。俺も勢いよく「うマい棒」の一本を取り、おらぁ! と派手に音をたてて破り、むき身となった本体へ豪快に食らいついた!!!、


「 っ か ー ー ー ! ! !

  う マ い ! ! ! 」

  こ れ が 俺 ら 少 年 の ! !

  老 舗 の 味 な ん だ よ な ァ ! 」


 実にさわやかに。実に自然に。CMを展開した。すべては世間知らずの、清楚なカトリック系(適当な語彙)の制服を着た、日本不慣れなハーフ(適当な予想)のお金持ちのお嬢様のためだ。

「……」

 そんな俺の未来ある行動に触発されて、竜崎さんも、小さな口を開く。ぱくりとくわえ、あの夏の日々を思い起こさせる、サクサクとした、舌触りのよい感触を確かめて、

「うん。悪くない」
「でしょ!」

 言質を取った。自分たちの好きなものが、共感を得られる喜び。なんだか俺はむしょうに嬉しくなって、もう一本を手に取って開いた。
 


  【うマい棒No.3364 天を貫くギガドリル味 】



 ――あ、これ、ヤバイやつだわ。

 俺の脳がとっさに、エマージェンシーコールを発令していた。

 うマい棒は、何十年もの歴史がある【駄菓子界の王】とも呼べる存在である。当然ながらバリエーションは多岐に渡り、地域限定品や、生産終了となった味も含めれば、数千もの種類が存在する。

 現在も相変わらず、新しい味が発表され続けているわけだが、時々「あきらかにネタ不足になってるよね?」というか、すでにド安定の、人気のある定番商品があるわけで、たまには「チャレンジしてもいいよな、あわよくばそこから人気商品でないかなー」という安易な考えを実現したような、商品がとびだすことがある。

 うマい棒のマニア――通称『うマニア』達からは、このカオスな商品の一群を、畏敬と尊敬の念を込めて【う魔い棒】と呼ぶのだという。

「祐一、どうしたの?」
「いや……その…」

 サクサクサク。
 竜崎さんは、ド定番の『コーンポタージュ味』を堪能していた。

「ねぇ、ジュース飲みたい」
「っ!! だなっ! だよねっ! 俺も注ぐよ!!」

 そうだ。この、さわやかな酸味と後味の残る、100%オレンジジュース様にかかれば、なんてことはない!

 俺は宇宙だ。今こそ宇宙になる時がやってきんだ。
 彼女が14枚の稗と対話し、その先に真理を見たように。俺自身が宇宙となれば、もうなにも怖くない。

「――――乾杯」

 グラスを奏でる。ほんの少し夕暮れが色濃くなりはじめた俺の部屋。電気ストーブの焔がささやかな音をたてるなか、波打つ橙色の液体をあわく揺らる。そして俺《宇宙》は、神々が戯れし【ギガドリル味】へと挑んだ。

 威風堂々とそびえたつ【ギガドリル味】を咥え、軽やかに噛み砕き、膝から崩れ落ちた。