Adria Blue(途中)


 1時間ほど、河原付近を歩き回り、ゴミを回収して、指定された場所にきちんと捨てた。近所のボランティア隊は、集合した公園前に集い、友重さんの声で解散となった。

「みなさん、おつかれさん。ご協力感謝します。ほんと助かりましたわ。そいでは残り短いワシらの人生。暇を持て余しとる御方は、集会場にでも集まって、昼まで一服していってくださいな」
「では、ご厚意にあずかるとしましょうかね。極楽浄土に旅立つ前に、もうちょっとだけ、現世の泥に浸かっても許されるでしょうから」

 全員が笑う。それから、二手に分かれて解散した。俺と西木野さんは、友重さんと宮脇のじいちゃん達の後についていく。

「……いよいよ、リアルで麻雀が打てる時が来るんですね……」
「西木野さん」
「はい、なんでしょうか、前川くん」
「目に星が入ってる。誇張じゃなくて、ガチで」
「えぇ。燃えてますよ。最高にみなぎってますよ。今のわたしは」
「今さらだけど、本当に麻雀好きなんだね」
「語りますか? わたし、正直いって弱いですけど、愛情が深い自覚だけはありますよ。自分、麻雀語っていいすか?」
「あ、いえ、今は遠慮しておきます……」

 すげぇ長くなりそうな予感《かくしん》があった。
 この女は、語らせてはいけない。

「前川くんの予想は大正解ですとも。1時間じゃ足りませんよ」
「心、読まないでくれる?」

 俺の周りに、やたらとエスパーが多すぎるのは、なんなんだ。

* * *

 今日、集まった人数は、俺と西木野さんを含めて7人だった。歩いて10分もかからない内に、小さな雑居ビルに到着する。定員が5人の小さなエレベーターを、2回にわけてあがった。

「さぁ、西木野さん。あがっとくれ。ここは本来、女人禁制。他言は無用じゃぞ」

 友重さんがニヤリと笑う。ポケットから電子キーを取りだして、ロックを解除。玄関口の扉は普通に、最新の防犯セキュリティーが機能している。

「おじゃまします。――――えっ?」

 扉の先に広がるのは、イメージとしては『遊戯室』だった。向かい側にあるシャッターのカーテンを一斉に開けば、室内に優しい陽の光がふりそそぐ。

「ふふ。たまには音楽でも流しましょうかね」

 べつのじいちゃんが、アンティーク調の棚に近づく。その上に置かれた、俺たちには見慣れない物体。

 薄い布を被せられたその下からは、きっと同じ年代に作られたのだろう『蓄音機』が現れた。レコード盤の1つを取りだし、手慣れた仕草で針をそえると、どこか懐かしい音楽が流れはじめる。

「若い頃は、こうした音楽は、夜に聞いてこそと思っていたんですがね。なかなかどうして、この時間に耳を傾けるのも、なかなか乙なものでしてね」

 じいちゃんの一人が、言いながら、システムキッチンの方に移動する。そこは、バーカウンターのように改装されていた。

 丸いモダンな椅子に面した壁際。そこには、未成年の俺にはまだ味のわからない、ウイスキーやウォッカなんて呼ばれるんだろう、外国のお酒のボトルが実際に並んでいた。

 そして少し離れた位置には『ピンボール台』が置かれていたりする。壁の一角には、実際に使える、ダーツ盤のセット。

 部屋の対角となる場所には、ソファーやテレビを用意して、手足を伸ばしてくつろげるスペースになっている。その他、デスクトップのPCや事務机、プリンタなどの設備も一通り充実していた。

 地元に配る日報や会報なんかは、ここで作って配っているって聞いたことがある。もちろん、ネットも完備済みだ。

 新しいものと、旧いものが混じる空間。この場所は、さながら日常にひそむ、異世界だった。

「はは。なかなかシャレとるじゃろ。驚いたかね?」
「…はい。集会場っていうから、なんとなく、ただの体育館みたいな場所を想像してたんですけど…なんていうか、すごいですっ! ワクワクしちゃいますねっ!!」
「はっはっは。いい反応じゃ。若いのにほめられると、つい嬉しくなっちまいますな」
「うむうむ」
「よきかな、実によきかな」

 じいちゃん達が、グッと、親指を立てる。

「最近はの、インタァネットオークションや、アマゾンなんかのおかげで、どこに住んどっても、まぁ不自由せん。特別なモンも手に入る。そんで住むとこが安いんやったら、そこそこ活気のある地方にやったら住んでもよかろ。そんな風に思う若いモンが増えてな。
 ここいらはの、最近の、そういう若者をタァゲットにして、新しい住宅地になり始めた場所や。それはええんやがな。代わりに、事務所的は物件は、買い手がつかんなってしもうたんよ。不動産の知り合いが、どうしよか、駐車場にするぐらいしか使い道がないわ言うんでな。ワシらが買うたったんや」

 町内会長を担う、友重のじいちゃんが言うと、周りのじいちゃん達も「せやせや」とうなずきはじめた。

「ここもね。昔はなにかの印刷をやってる会社だったらしいよ。けどね、今時印刷なんか、プリンターがあれば自宅でやれてしまうでしょう。チラシのデザインも、器用な子やったら、個人でも格安で作れてしまう。そうやって、時代が変わり、置き去りにされてしもうた家をね。自分たちで改装して、楽しげな空間に変えていったわけですよ。そちらの佐々木さんが、昔はホームデザイナァをされていて、お子さんと一緒にリフォームしてくれたんですよ」

 宮脇のじいちゃんが、のんびり笑う。すると隣にいた、小柄でずんぐりした、佐々木のじいちゃんが、にこぉっと笑った。

「なはは。楽しくいじらせてもらいましたよぉ。18で働きはじめて、50半ばで引退。それからも、なんだかんだ、10年以上あっちゃこっちゃで小銭を稼いできた先の、そっからの縁でしたな」
「そうそう。今日まで幸運にも生き残れたわたし達が、昔の思い出を語りあうために、作り上げた場所ですね。友重さんが言うように、秘密基地と言ってもさしつかえますまいて」
「わはははは。男子たるもの、いくつになっても秘密基地を求める気持ちは変わりませんぞ。まぁ長年の連れには、いろいろ渋い顔をされましたがなぁ」
「皆様方、お気持ちはわかりますが、昔話を語っても、お若い方々には退屈でしょう。こちら、飲み物を作らせてお持ちします。友重さんは、ゲストをお席の方にご案内してさしあげてください」
「心得ましたぞ。ほれ、勝負の場はこっちじゃ。ついて参れ」

 じいちゃんが、大股で歩きだす。その先、寛げるスペースとなった奥は、西木野さんお目当ての、麻雀卓が完備されていた。

「わー、リアル卓です! 自動麻雀卓ですっ! ふわー!」

 日本広しと言えど、麻雀卓を目の当たりにして、キラキラと目を輝かせる女子中学生も、そうはいないだろう。

「以前はビリヤードの卓があったんじゃがのー。ヒロさんが9ボールをプレイ中に、腰をやってしもうてな。コイツはヤベェっちゅーことで、入れ替わりで雀卓が入ったのよ」
「はっはっは。アレは生死の境をあじわいましたな~」

 すげぇ理由だった。

「ほんと身体には、マジ気をつけろよ。じーちゃんズ」
「お気づかいありがとうよ。ユウちゃん、そらちゃんは、お腹はすいとらんか。お煎餅あるで」
「わー、好きです、大好きです。いただきますー」
「うんうん。あっちに手洗い場があるから、先に手ぇ洗っといで」
「はーい」

 そんな風に、まずはなごやかに時間が過ぎていった。

* * *

 1時間後。そこには、

「わー、やったぁ! ツモです、ツモです♪ ツモでツモです♪ 親の倍満ですから、32000点ですね♪」 

 にこにこ笑う、人の姿をした雀鬼《アイドル》がいた。
 
「…西木野さん……めっちゃつえぇんだけど……」
「いえいえ、麻雀は運ですから。偶然ですよ♪ はい次、次いきましょーねー♪ 麻雀って、本当に楽しいですよねー♪」
「ひぃっ!?」

 その後、同卓になった俺達は、一枚の稗を切る毎に、内心で「通れ…っ! 通れよこの一打…っ!」「うぅ…安全稗がない…っ!」「この稗が待ちってこたぁ、ねぇだろぉ!!」とか悲鳴をあげながら進めると、


 「 御無礼♪ ロン 」


 約束された勝利の宣言が解き放たれるのだった。いつのまにか、俺たち4人以外はギャラリー勢に回り「うおおおおおおおおお!」「また役満じゃああああああ!!」「なんという豪運…いや、これが実力か!!」などと盛り上がる。

 俺たちは、宇宙の中にいた。
 これが…麻雀…!

「……嬢ちゃん、わけぇのにたいしたモンだァ…あと40年はやけりゃ、ウチの組の代打ちになれてたろうによォ……」

 杖を突き、集まったじいちゃんの一人が、シブい声をあげる。

「惜しいのぅ。ウチのシマがぁ、すっかりカタギん色に染まってなけりゃ、嬢ちゃんを、スカウトしとるところじゃ」
「極堂さん家は、今はなにをしよってかのう?」
「なんぞ、いろいろ電子書籍やら、映像の配信やらの中継をしよるらしいですわ。周りは、成り上がりのインテリ言いよりますが、本人は、隣の芝生が青うてしょうがない連中は、好きにゆわしときゃええいうて、なんだかんだ楽しんどりますわ」
「なるほどなるほど。時代も変われば、商売のやり方も変わりますよねぇ」
「まったくですよ。昔は家の方針に文句しか言わん、無鉄砲なガキや思いよりましたがね、まぁそれなりに、ちゃんと芯の通った男になりよったんですな。仕事変わっても、仁義はたいせつにせないかん言うて、エンコ詰めるいう古風な儀式は今でもその職場で――」

 なんか怖い会話が聞こえてきたので、カットする。
 マジで異世界だった。

 とりあえず、ここまでの結果。1位は断トツで西木野さんだ。続いて大きく離されてつつ、ギリギリ1万点台をキープの俺。

 そして繰り返し、彼女の待ち稗を捨て、役を完成させてしまった二人のじいちゃん達は、最後こそは振り込まないようにと、はたから見ても慎重に、ガチモードで牌を切っていた。しかし、



 「 御無礼♪ ロン 」


 無常であった。

「宮脇と友重のおじいさん、持ち点8000以下だったから、それぞれ同時にトビですねぇ。えへへっ♪」
「……なん、ですと……」
「…………ふ、ふふっ、ふははは……やりおる!」

 空気が変わっていた。 

「古のオレオレ詐欺から、約20年っ、世間をおさわがせする事案に一度も引っかからなんだこのワシが…っ! こうまで振り込むことになるとは……嬢ちゃん! ただものではないなっ!!」

 なんか、うめいていた。

「わかりますぞぉ、友重さんやっ! その気持ちっ! ガラケー時代から定番の『とつぜんごめんなさい。さびしいんだけど…話し相手になってくれませんか? 一人暮らしをはじめた女子大生です…』系の、出会い系釣り針を、20年近く、迷いつつも、危ういところでスルーしてきたワシらであるというのにッ! ここまでっ、振り込まされるとはっ! なんたること!!」

 なんか、暴露していた。

「じいちゃん達、落ち着いて? とりま水でも飲んでさ。血圧あがるぞ」
「やかましいわ小童ぁ!!」
「ええっ!?」
「ワシらがあとちょい、もーちょいでアガる言うところで、とにかく鳴きまくって、安手でばっかり早駆けしおってからにぃー!!」

 いつも、快活に笑っている友重のじーちゃんが、予想以上の大敗をきっしたことで、完全に豹変してしまっていた。

「い、いやー、俺も初心者だからさー、役なんて、タンヤオと、一色ぐらいしか覚えてねーじゃん? ってか、じいちゃん達こそ、役作るのに夢中で、西木野さんの捨て稗、見てなかったよね?」
「ぐぬぬぬぬ…っ!! 宮さん、なんか言うたってくださいっ!」

 そしてもう一人、普段は積極的に周りの笑いを取る、人の好い宮脇のじーちゃんも、ダークサイドに落ちていた。

「ユウちゃん! ユウちゃんも男なら、ドーンと一発勝負せんといかんでしょうが! 最近の若者はほんと、欲がなくていかん!!」
「欲に身を任せて自滅した、じいちゃんに言われても…」
「えへへへ♪ ケンカはダメなんですよー。麻雀は楽しくやりましょうね~♪」
「くぅ!! このよゆう! もう一局!!」

 そして近所のご老人二名を、人格変貌するまで追い込んだ当の本人は、リアルで麻雀が打てる喜びのあまり、こっちも頭のネジが一本外れ――周囲の光景が正確に把握できないほど場違いな。『空気のよめない子オーラ』をかもしだしていた。

 そして、本日、最後の一局。


「小童ども。ここからは、ワシらも本気で行かせてもらうぞ」


 友重のじいちゃんが、ハンガーにかけたジャケットから、真新しいタバコのケースを取り出して、1本くわえた。

「…ホンマは、医者とカカア、息子夫婦にも止められとるんやがのう。町内会長なんぞやっとると、最近は煙吸うだけでやかましいこと言われる、息苦しい世の中よ…」

 カチンッ。

「せやけん、たまの日に吸うたら、集中力がマシマシのマシでの。つまりこれが、ワシのマジ卍スタイルよ……どうだい、宮さんも」
「もらいましょか。こっちもなあ、未成年を前に吸うたら、副流煙がどうのと、やかましい事言われるんは承知ですけど、男には、やらねばならん時がある……」
「そう。戦後しばらくの混沌に生まれ、バブル崩壊を乗り越え、団塊世代やと、勝手に呼ばれ蔑まれ、一線をひいた後は、新しい価値観に揉みくちゃにされながら、令和もあっという間に5年が過ぎた日に…この瞬間こそ、年長者としての誇りと宣言を、後の世代の若者らに示したらなあかんのや……」

 シュボッ。ライターに火が灯される。

「ほれ、宮さん」
「すまんのう、重さん」

 シュボッ。

 天井で回る換気扇の先に、くゆるタバコの煙が二筋、まっすぐに吸い込まれていく。無駄にシブい顔と声で、勝負がはじまった。

「――くらえぇぇっ!! ワシの70余年の命を込めた一打の重みを今こそ想いしれがよいわああああああ!!」


 「 ロン 御無礼♪ 」


「ぁ……かは……っ!?」
「「「「友重さぁあーん!!!!!」」」

「わーい♪ 勝ちましたー♪ 麻雀って、たーのしー♪」

 魔王が笑っていた。 

* * *

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//Little Cry of The Abyss 深海のリトルクライ

 ちょうど正午。
 俺たちは、じいちゃん達から、いろいろ手土産を持たされて、集会場からの帰り道を歩いていた。

「なんだか申し訳ないです。お掃除を手伝ったとはいえ、麻雀打たせてもらって、お菓子食べさせてもらって、お土産までもらえるとか、金額的に言えば、得してるのわたし達ですよね」
「うん。いつか返さないとなーって、いつも思ってる。あと、西木野さん、本当に、麻雀強いね……」
「とととっ、とんでもないっ!!! 偶然です!! 今日は偶然、国士無双が完成できたので勝てただけですっ」
「あ、うん」

 俺は、麻雀に関しては素人だ。ド素人といっていいが、国士と呼ばれる役が近づくにつれて、彼女のギャラリーに徹底していたじいちゃん達が「ざわ……ざわ……」とうなっており、なんかヤバい手ができてるよねと思った次の瞬間には、

「――この娘、稗に愛されておるわ…!」

 ツモっていた。
 極堂のじいちゃんが、感涙して、愛用の杖を取り落とす間。俺たち3人は、完膚なきまでに敗北の憂き目にあい、代わりに彼女は一躍、人気者になっていた。

「今日は本当に楽しかったです~♪」
「そりゃね。うん、そこまで勝てたら楽しいと思うよ。うん」
「だから偶然ですってば。あと、今日はわたし、前川くんが、おじいちゃん達から好かれてる理由が、わかった気がします」
「いや、今日で評価ひっくり返ったんじゃない?」
「そんなことありませんよ。おじいちゃん達の間での1位は、いつまでも前川くんですよ。きっと」

 荷物は、自転車の前のカゴにいれた。俺が車道の側を歩き、すっかり自然な感じで話せるようになった西木野さんと二人、トラムの駅を目指して進んでいく。

「わたしが、あの場に入れたのは、みんなから受け入れてもらえたのは、今日まで前川くんが、たいせつに、皆さんと同じ時間を積み重ねてきたからだと思うんです」
「だといいなぁ」
「そうですよ。今日、あそこにいたおじいちゃん達は、わかってるはずです。前川くんという男の子が、嘘とか建て前じゃなく、本当に、自分たちのことを大事に思ってくれている。仲良くしてくれるんだって。だから、みんなずっと、笑顔でいられたんです」
「…うん、そうだったら、ありがたいよね。本当に」

 そこは謙遜するのも違うと思ったから、正直に応えた。路地から表通りに向かう道。信号機のボタンを押して立ち止まる。

 人気のない、短い横断歩道だった。走ってくる車も見えないぐらいだったけれど。俺は少しでも西木野さんと一緒にいたくて、立ち止まった。もしかすると、西木野さんも同じだったかもしれない。

「わたしがね――ハヤト君のファンになったのも、同じ理由です」

 黄色い機械の中に『しばらくおまちください』と表示されている間、人気のない道で、俺たちはしばらく立ち止まっていた。

「ハヤト君って、一見すると態度や言葉遣いが『厨二』だし、わざとらしいキャラを演じてるなって思うかもですけど、実はものすごく、視聴者のこと考えて、気を使った配信してるなぁって。本当に感心したんです。
 すぐに『天王山ハヤト』で検索をかけたんですけど、SNSとか、ひとつも見つからないし、ファンとの交流的な意味では、一切アクションを起こしてないのを知りました。だから、正体はAI説とか、ヒッキーのおっさんだとか、プロゲーマーの別アカだとか、いろんな噂が独り歩きしてて…でもわたしは、なんとなく思ったんだよね」

 西木野さんが言う。

「ハヤト君は【本物】なんだって。本当に、どこかの誰か、わたしと同じぐらいの歳の男子が、正直に、自分をさらけだして、配信してるって思いました。すごいな、この人って」
「あ、えっと…はは…あー、てれる…」

 いつもとは立場が逆だった。全身がぴりぴりして、熱くて、西木野さんほどじゃないけど、どこかに向かって謝罪会見したくなる。

「ねぇ前川くん。前川祐一くん」
「なに?」
「もう一度、考えてみてくれないかな」

 信号が青に変わった。たくさんの言葉を置き去りにして、西木野さんが聞いてきた。ほんの一瞬、なんのことか分からなかったけれど、真剣な瞳を向けられて、すぐに察しがついた。

「コラボの話、だよね」
「うん。最初は仕方ないって思った。前川くんには、お店の手伝いがあって、表現したいやり方も自分の中で確立されていて。わたし達とチームを組むっていうのは、キミの【最強】を目指す信念とは異なるんだって思った。それにわたし達のプロデューサー、竜崎さんの言ってることも、もっともだと思った。なにより、わたしの中の【大人】も、今回は従うべきだってうなずくの。だけど――」

 ぎゅっと、両手を握る。

「もうひとりのジブンが、わたしが――『宵桜スイ』が言うの」


 大丈夫。やってみようよ。声にだして、
 伝えてみようよ。


「始めて【セカンド】を立ち上げてね。一人、自分の部屋でね、両親がいない間にね、頭からお布団かぶって、大好きなマンガやアニメの朗読をして、録音したの。それを、わたしの代わりに、楽しそうに詠みあげてくれた、スイの姿を見た時にね。はじめて、自信がもてたんだ。はじめて、一歩、踏み出せたの。だから」

 言葉を重ねるごとに、支離滅裂になっていく。
 ただしいカタチが崩れていって、純粋な【熱意】が、せいいっぱいのキモチが伝わってくる。


「わたしに――わたし達に、キミの力を貸してくださいっ!」


 信号が青に変わる。伸ばされた手。

 糸。

 俺は、


* * *

 webchat用のアプリを立ち上げて、兄と話をしていた。

「なるほど。それじゃあ、色よい返事はもらえなかったということだね」
「まぁそゆこと」

 前川祐一は――少し似ているかもしれない。それを、本人に言うべきかは迷ったが、胸の内に秘めることにした。おそらく相手も気づいているだろうけど。

「ふむ…確かに、面白そうというか、僕も個人的に話をしてみたいとは思うね。その前川くん、前川少年とやらと」
「だったら話してみれば? webで回線つないで通話するぐらいなら、すぐでしょ」
「それでもいいんだけどね。せっかくだから、直で話してみたいかな」
「時代錯誤なことを言う。直接会ってみないと分からない、顔を突き合わせて話さないと意味がないとか、典型的な老害思想」
「ネットの申し子はおっしゃることが違う。ただ、僕の言っているのは、単純にそういう意味ではないよ。例の前川少年に【セカンド】の本体を見せたら、どういう反応をするかなと思ってね」
「……守秘義務は」
「独断専行で好き勝手にしてくださるキミに言われてもね」

 愉快そうに笑われる。反射的にイラっとした時に、画面の向こうで「リュウさーん、来週からの開発の打ち合わせの件なんですけどー」っていう、ちょっと間延びした声が聞こえた。

「あぁ、巧くん。ちょっと待って。いま、あかねと話してるとこでさ」
「えっ、あかねちゃんとお話ししてるんですかっ、やだ~、ずるいよー。ボクもお喋りするぅ!!」

 ぺたぺたぺたぺたぺた。

 やっすい、100均ていどのスリッパの底が、ぺたぺたとカーペットの上を歩く音を響かせながら、そいつは現れた。

「ハッロー、あかねちゃん! 今日も最高にカワイイね!!」

 横から割り込む形で、画面上のモニター越しに、うちの企業の開発班、随一のプログラム能力を持った、主要スタッフが映った。手をぶんぶん振って、笑顔をみせてくる。

「【桜華雪月】のCD買ったよォ!! もちろん限定版!!」
「アッ、ハイ。アリガトーゴザイマス」

 あたしは、ヘッドホンを外して、モニターを最小化した。そのあと、相手に気付かれないよう、画面を切り替えた。適当に、世界各国の経済紙の電子書籍版を開いて、同時スクロール。その内容に目を通していく。

「でもねぇ、このご時世に、いまだにCDなんて媒体が残ってることが、なんていうか、スゲーオワコンだよねっっ!!! もちろん楽曲はデータ音源で聞いてるしーー!! だって音質のレベル、そっちのが圧倒的じゃんねー!!! いい加減、物販の売り上げ数を競う文化っつーか価値観、マウント取ること自体が意味ねーってことに気づけっつーんですよねーー!!! そうしたらオレらももっと、おもしれーことできそーなんだけどー!! あぁそんなことより、あかねちゃん可愛いよ、本当に可愛い。ぎゅ~ってしたい。大人になんてならないで。ずっと未来永劫、その成長段階にいる時点に踏みとどまってほしいんだぁ。あぁ~~ダメだダメだダメだ~~~こんなこと言ってたらまたキモいとか言われちゃうよ~! でもそれはむしろご褒美なんだけどね! だけど、ほら、そらちゃんから、ナチュラルに『わたし、あの人ちょっと苦手です。悪い人じゃないと思うんですけど…』みたいな、言葉をにごした笑顔をリアルJCから向けられると、けっこーガチめに来るよね!!! ほらぁ、人生に疲れた大人としてはぁ、なんかほら『生きててごめんね…』って言いたくなるのはツラたんじゃん!!!! まぁ次の日にはさぁ、動画開いてぇ、ぺろぺろくんかくんかはすはすしてるんだけどさぁ!!! あぁもう好き、永遠のJCがボクちんだぁいすきなのおぉ!!! もうロリコン変態オタク最低野郎呼ばわりでいいからぁ!!! JC結婚してくれえええぇーーー!!!!!! メイドカチューシャと、割烹着エプロンという最強の組み合わせで、人生に疲れたボクの心の中のオジサンをさぁ!!! イチャイチャはいあーん、おいしい? あなたのために一生けんめい作ったんだよ。みたいな甘々な展開を毎日してくれよおおぉ!!! 一緒にごはん食べたりぃ、耳かきして添い寝したりしてぇ、リアルな癒し空間を、この最低な未来にご提供してくれええええ!!!! うああああああ!!! SPAAAAAAAAAAAAAAAAACE!!!!!!!!!!!」

 …………。

 ……。

 …。


「……おい妹。聞いてるかい、僕の妹さん、もしも~し?」
「あぁうん。今戻った。変態は?」
「仮眠室いってくるって、たったいま去っていった。巧くんは僕以上の仕事中毒だからね、時々頭がおかしくなって、リアルと妄想の境がわからなくなって、自分の欲求が素直に口を突いてでてしまうだけなんだ。許してやってくれ」
「ついでに一生、地下室に拉致監禁しとけ」
「あっはっは。そんなことしないよ~。我が社は、ピカピカのホワイト企業だからね。個人的に、ちょっと頭のイっちゃってる社員がいるだけだよ。巧くんは、天然モノだからね」
「キチカギと天才は紙一重?」
「いやいや、それを言うなら、バカだろ」
「どっちも一緒。で、あたしら、なんの話をしてたっけ?」
「僕の妹が、前川少年とやらにフラれたって話だよ。ただ機会があれば、一度話をしてみるのも悪くはない。というのが総括だけど、キミの話を聞くだけならば、難しい気もするね。その子は【自分の生き方】に、しっかりとした、指標を持っているように思える」

 画面の向こう側。兄は言う。 

「【自分がどんな風に生きていくか】たくさんの価値観が、情報の激流と共に押し寄せる昨今において。それは、僕たち大人ですら、簡単には決められないものになっている。逆に言えば、なにかのキッカケがあれば、どんなに小さな子供にも、少年少女にだって、大人たちと等しく【こういう風に生きていく】と、自分の心に誓いをたてることが叶うんだ」

 兄は「さらに言えば」と付け加える。

「一度、現役を退いた人たちだって、もう一度、昔の夢を追いかけるチャンスは、どんな時だって、あっていいはずなんだ。この世に生きている限り、希望《それ》は終わらないんだよ」
 
 その声は、やさしく、嘘偽りはなく。

「ただ、僕には、芸術的な才能も、技術を開発する閃きも、存在しない。その現実が常に僕の前には立ちはだかっていた」

 賢しく、夢を追いかける商売人の声。


「だから僕は、キミたちを利用させてもらう」


 他者を惑わす声をもち、この世界の延長戦上にあるものを追いかける。自らの名を持って第一提供者となり、大勢と共に世界を彩り変えていく。それが、あたしの兄が信じる【生き方】だ。

「おそらく、前川少年には、僕やお前の声だけでは、彼の信じる【生き方】を変えるまでには至らないだろう。ただ、先も言ったように、機会があれば、直接話をしてみたいとは思う」

 ある意味で【先の事しか考えていない】兄は、本人がいうところの、芸術的な感性も、技術的な才覚も、確かに持ち得ていなかったが、代わりにべつの力を持っていた。

「じゃあね、そろそろ僕は仕事に戻るよ。キミも夜更かしはせず、早目に寝なさい。身体、あんまり強くないんだからね」
「…わかった。おやすみ」
「おやすみ。良い夢を」


 ――――【才能を集める才能】。


 もしも、あたし達に、世界を変える力なんてものが、たった一片でもあるのなら。

 逆に、あたし達が付いていくのは、一人では輝くのできない、ちっぽけな星々を、最後まで信じぬいてくれる大人たちなんだろう。