Sidewalk Cafe(途中)


 俺は竜崎さんに連れられて、エレベーターで階を移動していた。目的地は『第4開発室』ということで、後の二人はVTuberグループとして活動する収録の準備で、一旦わかれることになった。

「あの…俺に見せたいものって、なんなんでしょうか、竜崎さん」
「見てのお楽しみというやつさ。ただ正直なところを伝えるとね、僕はどうしても、損得勘定を基準に動いてしまう人間だ。自分たちに利点《メリット》が無いことは実行に移さない」

 移動するエレベーターを待つ間、俺たちは少し話をした。

「スイちゃんから聞いてると思うけど、僕は当初、コラボする相手は、可愛い系のスキンを被っている、女性ユーザーが良いだろうなと思っていた。ただね、スイちゃんのキミに対する推しっぷりと、なにより、ユキちゃんの気に入り具合も結構なものでね。あぁこれは、コラボ相手はキミが最適かなと、そんな風に思えたよ」
「…そうだったんですか? スイ、さんはともかく、ユキさんに好かれてる気は一度もなかったような。むしろ……どっちかというと嫌われてた気がします」

 それは、正直間違ってないと思っていた。

「あの子はね、とても好き嫌いが激しいんだ。それってつまり、好きなものを増やせない。自分の価値観に固執するって事だ。さらに彼女の場合は、好きというジャンルに『生物』が含まれていない」
「生物が…?」
「そう。人間が嫌い。大人が嫌い。そんな中学生は山ほどいるけどね、あの子の場合『人間を含めた生物がどちらかといえば嫌い』というのが、根っことして広がっているんだよ。
 これはもう、本人の努力だとか、人付き合いを通じてコミュニケーション能力を磨けば改善されるという問題ではないんだ。究極的なことを言えば、僕たち大人だって、どんなに気に入らない相手でも、心の中で百回『〇〇が好きだ好きだ大好きだァ!!』って叫んでから向き合えば、だいたい物事は上手くいく。ワンチャン、マジでその人が好きになってたりもするしねぇ」
「……あー、その、わかります……」

 とっさに思った。
 この人、なんか俺と、似てるかもしれないって。

「でもユキちゃんはね。根本的に『生物がどちらかと言えば嫌い』っていうレベルなんだよ。おまけに周りの意見には流されないものだから、せめて大人たちを『嫌い』になれたら良かったんだ」

 竜崎さんは、平然と言いきった。

「それってさ『好き』の反対ってことだからね。ニンゲンの気持ちっていうのは、単純にオセロみたいなものだと僕は思ってる。キッカケさえあれば、黒にも白にも変わるんだ。だから嫌いな相手でも『好きだ!』って念じれば、ひっくり返る」

 学校の先生が言わないようなことを、さもあっさりと、口にしてしまった。

「嫌いな相手を好きになるなんて、コツさえ掴めば簡単だよ。だけど、黒にも白にもなりきれないと、いつまで経っても、学習することができない。だけどそんな女の子が『どちらかと言えば嫌いじゃない』と言ってきた。僥倖だよ」

 そこで竜崎さんは、両肩をゆらして笑った。

「まぁ、スイちゃんもね、あの歳で麻雀が大好きで、その中に宇宙を見出したりと、ちょっと一般的じゃないところはあるからね。二人はそういうところが、波長として合うんだろうけど、反してその分、おたがいの趣味だったり、方向性は一致しないことが多いんだ。割と普通にケンカするしね」
「…え、それってマズくないですか?」

 音楽の方向性の違いとか。聞きかじり程度でしかないけれど。そういう芸術的センスの不一致って、たやすくグループ解散だとか、空中分解を招くんじゃないだろうか。

「まぁね。だから、二人のプロデューサーとしては、ちょっとなんとかしてやりたいなー。二人ともゲームは基本好きだし、同じような趣味を持った、外部のタレントと繋がって、もうちょっと自分たちの可能性を広げてくれないかな。なんて思ってた節はあるね」
「もちろん、収益化の向上も考慮にいれて、ですよね」

 あまりにも気さくで話しやすいので、つい生意気な口を聞いてしまう。気を悪くされるだろうかと一瞬あせったけれど、

「前川少年、わかってるねぇ」

 むしろ嬉しそうに笑われてしまった。

「ま、そんなわけでね。一般的とは言い難い、気難しい女の子二人に推されているのだから、僕としては是非、キミには前向きに検討して頂いて、ご両親からの許諾を経たうえで、吉報をもたらしてくれるといいなと思ってる」
「はい。帰ったら…両親にも話をしてみます」

 そう答えた時、ちょうどエレベーターがやってきた。心の中にはまだ、迷いが残っていた。

 * * *

 エレベーターから降りた時、ふと気がついた。

(…なんだ、アレ)
 
 いたってありふれた普通の窓縁に、黄色い、湾曲した謎の物体が置かれている。

「…………バナナ?」

 バナナだった。べつに謎の物体でもなんでもない。そう思ったのは、今の状況が原因だろう。ほどよく直射日光が当たって、あたたかそうな窓縁に、一房のバナナが置かれているのだ。

 なんで、こんなところにバナナが。実はバナナを模した食用サンプルだったりするのかな。だとしてもなんでこんなところに。そう思って、うっかり首を傾げてしまった時だった。

「……~~~~~~ふぁぁぁあぃぃぃ、ぃ…ぃぁぃぁ…」

 第4開発室に続くのだろう、セキュリティロックの扉が開いた。そして中からは、たった今、地獄の底から這いあがってきたばかりの、亡者のような声が響き渡った。

「お、巧クンじゃないか」
「どもぉお、~~~はぁぁすたぁ、ぁぁぁ~~…」

 現れたのは、ボッサボサの黒髪をまき散らした大人だった。弛緩した態勢で、遠慮のない大あくびをしてみせる。

「こらこら。巧くん。昨日はちゃんと家に帰ったのかい? 言っただろ、会社で寝泊まりをするのは、できれば避けなさいと」
「…あァー、まーそうなんすけどォ……ちょ~い、いろいろネットワーク通信関連のプロトコルいじってたらぁ、エフェクター本体の可視範囲の描画数も増やせんじゃね? っつー話になってぇ…結局朝までなんかいろいろいじってたら寝オチして今起き……そいつなんなんす?」

 ――がっくん、と。

 壊れた人形のように首を傾ける。手入れのまったくされてない感じの、顔の大半を覆った前髪を手で退ける。

「連絡してただろう。前川祐一くんだよ」
「は、はじめまして……前川です」
「ん…?」

 竜崎さんの横に並び立つようにして、頭を下げる。――同時に失礼ながらも、思わずにはいられなかった。

(この人……女かよ!?)

 声は寝起きのせいか、ガラガラで。長い黒髪は手入れされてなくて乱れきっている。もちろん化粧なんてしてないだろう。だけど、まだ若い。たぶん20代だ。

「まえがわぁ…? ぁ~……なんか聞いた覚えあっけど…、ワリ、寝起きでマジ頭働かねんだわ…」

 ついでに人前で大あくびをしてみせるわ、白いシャツは、クシャクシャに皺がついている。パンツは裾のついた男物で、下履きは便所スリッパだ。……女として終わってないか、この人?

 東京はいろんな人がいるんだなぁ。都会はやっぱこえぇよと思っていたら、

「……とりま、メシ…あい、にーぢゅ、カ~ロリィ……」

 巧くんと呼ばれた女性(?)は、ぺったら、ぺったら、スリッパを履いて廊下を進み、ガシガシと頭をかきながら、俺たちの側を通り抜けていった。

 そしておもむろに、さも当然といったように、窓縁で日光浴していたバナナを手に取った。皮をむき始めた。もしゃもしゃと、食いはじめた。

「…えっ、あの……えぇっ……!?」

 なんだこの女性。マジで、なんなんだよ?

「巧くん…キミは本当に…ちょっと待ってなさい。給湯室に『キミ用』の保存食糧と、お水があるから取って来る。前川少年、まことに申し訳ないが、そこの知能指数が猿人類まで退化してしまっているお姉さんの面倒を見てやってくれ」
「えっ、め、面倒って…ちょ、あのっ、竜崎さん!?」
「すぐに戻る!」

 竜崎さんは言って「しゅたっ!」と手をあげて、廊下の先にある給湯室の方に向かっていく。

(ま、マジかよ…)

 一人取り残された俺は、おそるおそる振り返り『巧くん』の様子を見下ろした。

「……んくんく……」

『巧くん』は、その場にしゃがみ込んでいた。会社のオフィスの廊下で、俺という中学生の前で、人生に疲れはてたOLのように、死んだ魚の目になったまま、バナナを貪り食っている。

「……っ! あ、あのっ!」
「んぁ~~なんらぁ~~~?」
「気を、気をしっかり持ってくださいっ!」

 俺は悟った。
 この女性は、性別的に終わっているのではない。


(病んでしまったんだ!! 心を!!)


 これが、大都会トーキョー。
 プログラマー、SE《システムエンジニア》と呼ばれる業種の人々の半数以上(偏見)が、大なり小なり抱えているという、鬱症状の究極形態…ッ! 


 中学2年の男子(俺)は見た…ッ!
 これが、ブラック企業の実態…大人社会の闇ッ!


 そう。現代で学生をしていれば、たとえ本物の社会人を経験していなくとも、一度ぐらいは耳にしたことがあるはずだ。大人たちが口々に叫んでいるキーワードの数々を。


 『社畜』『ブラック企業』
 『今日も家に帰れなかった』『残業100時間でタダ働き』
 『納期に間に合わない』『デスマーチ』
 『労働基準法とは』『ネカフェは別荘』 

 
 嗚呼、社会は怖い。冷たい。ミスは許されない。そんな諸々の悲鳴があげられる現実で生き抜く人々の末路に、俺は今この瞬間に立ち会っているんだと思い、胸が痛んだ。

「すいませんっ、ちょっと失礼しますっ!」
「…んにゅにゅ…?」

 俺は断り、バナナを食っている『巧くん』の隣にしゃがみこむ。ショルダーバッグのサイドジッパーを下ろし、常備してる道具を取りだした。

「俺にできることは、これぐらいしかないですけど…!」

 小瓶サイズのスプレーボトルを取りだし、荒れ放題の髪に向かってふきかける。指先で少しほぐすと、髪質自体はとても柔らかいのがわかった。これならすぐに櫛が通せると直感し、ひっかからないように、そっと差し込んで溶かす。

「安物のピンで申し訳ないですけど」

 あまりにも目立つ枝毛は、ほんの少しハサミでカットして、前髪の一部は横に流し、ある程度をまとめてヘアピンで止める。

 最後に床のカーペットに落ちてしまった髪の毛を、粘着テープでまとめた。ちょうど窓の近くにゴミ箱が置いてあったので、そこに捨てさせてもらった。その時に中身が見えたが、バナナの皮だけが大量に捨てられていた。

「あのっ…俺にはこんなことしかできないし…都会に生きる社会人の光や闇なんて分からないただの学生ですけど…っ、だけど、貴女が綺麗な髪をしてるっていうのだけはわかります。だからせめて、自分を大事になさってください…っ!」
「…んにゅんにゅ…」

 俺は、訴えた。強く強く、語りかけた。

 無力さと、不甲斐なさを感じながらも、自分にできる精一杯のことを行い、会社の廊下でしゃがんでバナナを食う20代ぐらいの女性を応援した。

「はいはいはい、巧くん。キミのナイスミドル上司が、栄養食品とお水持ってカムバックしたよ。おたべ」
「ごはんんー、おみじゅぅー」
「そうだよ。これからはちゃんとお家に帰って、きちんと炊いたお米を食べなさいね。タイマー予約のやり方はわかるかい?」

 竜崎さんが、心を病んでしまった娘を看病する、お父さんのような口調で語りかける。つらい。無性につらい。

「あとね、巧くん。前途有望な少年に、我が社のイメージを著しく下げるような誤解を与えるのはやめようね」
「ぶらっくぅ~?」
「黒か白かはともかくね。キミの場合、何度しつこく帰れと言ったところで聞かないだろ。嫌々仕事してる人間と、僕らみたいな仕事中毒者を一緒にしないように」
「一緒にすんなぁ。ねぇ」

 『巧くん』が、栄養食品を食らい、最後にペットボトルの水で一気に流し込んだあと、俺の方を見て、ぱぁっと笑った。

「あー、そうそう。前川くんな。ハヤトクン、だっけ?」

 ほどよく熟したバナナの皮を、ゴミ箱の方を向かず、ぽいと投げ捨てた。ガサリと音を立て、見事に入る。

「にゃはは、やーっと頭回ってきたー。リュウさぁーん、食後のコーシーはぁ?」
「ないよ。自分で煎れなさい。それにカフェインの過剰摂取もよくないんだからね、お水を飲みなさい。お水を」
「でたよー、リュウさんの水推し。せめて茶ぁ入れてよねー。ま、それよかピンありがとね。おかげで今日は視界良好だ」

 至近距離で、にっこり微笑まれる。目ヤニついてるけど、

(……マジもったいねぇなこの人……)

 『巧くん』は、まぎれもなく、美人だった。実に残念なことに、本当にもったいないことに、神様って残酷過ぎない? と思ってしまうぐらいの美人だった。
 
「つーか、リュウさん。今日って土曜っしょ。中坊がそろってラボに遊びにくるのって、日曜だって言ってなかった?」
「今日がその日曜なんだよね。体内時計の針を24時間、進行させておきなさいね。上司命令」
「あ~、マジかぁ。困るなぁ、リュウさん。そゆことは事前に言っといてもらわないとー」
「はいはい。わかったわかった。意味が分からないことがよく分かったよ。上司の僕が悪うございました」

 まるでコントだった。一流企業といっても差し支えないビル。他の高層ビルやマンションにも引けを取らない高さの中で、変な大人と、残念が美女が、まるで茶の間のような会話をしている。

「前川少年。ちょうどいいから、紹介をさせてもらおう。彼女は、嘉神巧《よしがみたくみ》くん。第4開発室、彼女を含めた社員が『ラボ』と呼んでいる場所のPM《プロジェクトマネージャ》だ。立場的には僕の部下で、現場の指揮権を担っている。あと前川少年もお察しの事とは思われるが、女性だ。一応。履歴書が確かなら、大学もでてる。飛び級で」

 と…飛び級……?

 概念だけは知っているものの、なじみのない、半ファンタジーな造語だと勝手に思っていた。それよりも今は、

「えっ、ってことは…嘉神さんって、おいくつなんですか?」
「じゅうく! 年が明けたら、にーじゅ!」


 …19歳…?

 おいマジかよ。なんなんだよ、この会社。

「ってかぁ、リュウさん、肝心な説明が抜けてるよぉ!」
「ん?」

 はーいはい。と手を挙げて振る、巧くんこと、嘉神さん。先生が指さすように「はい、じゃあ巧くん」と竜崎さんがうながす。


「――拙者…拙者の好きなものはアイドルでござる…!
 ストライクゾーンは、J☆Cにござるぅぅ!!」


 力強く宣言された。わざわざ、声の雰囲気を変えてまで、主張された。

「…えっと、すいません、JCってなんの略ですか…?」
「女子中学生にござるうううう!! もう辛抱たまらんのでござるうう!! あの大人と子供の間にある刹那の一時を永遠の宇宙の中に閉じ込めたいと何度思ったかしれませぬう!! ああああああ、JC☆SPPAAAAAACCCEEEEE!!!」

 巧くんこと、嘉神さんが立ち上がり、両手を広げて謳いあげた。外見の素体だけは超一級な女性を、見上げる格好になった。


 父さん、母さん。東京は怖いところです。
 アブない、ヘンな人がいっぱいです。

「…………」
「少年、前川少年。しっかり。あと、そこのちょっと頭がどうかしてる巧くんを基準に考えない方がいいよ? 都会の人だとか、闇だとか思うのは偏見だからね。本当に、普段からお仕事で、たいへんマジメに苦労されてる方々に失礼だからね。たまーにだよ、本当にたまーに、巧くんみたいなのが、実在しちゃうんだけど、間違ってもそこの人を基準に物事を考えないでね? 常識崩壊するから」

 力説された。

「んでんで~? お姉さんこと、巧くんさんはぁ、キミのこと『どっち』で呼んだらいいのかなぁ?」
「えっ?」
「だってキミ『天王山ハヤト』なんでしょ。LoAトップランカーの。チャンネル登録もしてるよ。キミの配信用アカウントね」
「あ、ありがとうございます…」
「前川ちゃん? 祐一ちゃん? SNSやってないから、動画更新されてても気づけないんだよね。いつもアカウント開いて、あー、新着きてるわー。ってカンジ」
「SNSはあんまり得意じゃないので…あと、呼び方は普通でいいです。前川で」
「ん、わぁった。前川ちゃん♪」
「…俺はなんて呼んだらいいですか? 嘉神さんでいいですか?」
「てきとーでいいよ。好きに呼んじってー」

 くるりんと、嘉神さんが、その場で一回転する。

「じゃ、自己紹介はそんなところでいいね。巧くん、これより前川少年に【シアター】を体験させたいんだ。準備を頼めるかい」

「巧くんさんは、べつにいいですけどー。その子、お口は堅いのかにゃ?」
「大丈夫。信用していいよ。なにかあれば僕が責任を取る」
「んじゃ、コーシー煎れてから、いきますわー」
「今度はキーボードに零さないようにね」
「経費で!」

 19歳の残念な超絶美人が「たはーっ、てへぺろー」とした顔を見せると、

「では行こうか、少年」

 無視された。