Water Surface Arabesque(途中)



 西木野さんの家に行った翌日は、それまでの日々と変わらずまっすぐ家に帰った。夜の8時になると、ラインで連絡を取り合ってから、3人でディスコードを立ち上げる。

 それから、LoAのアプリも起動し、フリーのマッチに潜った。
 火曜日から始めたそのサイクルは四日が経過し、金曜日の夜になると、彼女のゲームプレイは、自然な連携を取れるほどにまで、上達した。

「――うん。スイ。いい感じ。次のミニオン上がってきたら、相手のタワーを折れそうだな。オバブレのクールは?」
『あと13秒』
「よし。カウント3秒前で、タワーダイブ頼む」
『了解っ。タゲられたらすぐ引いていいよね?』
「それでいい。やわらかい方のメイジから狙うから、オバブレ切ったら、即座にタワーの迎撃エリア外へ逃げてくれ」
「りょ! 今カウント5だよ! 4!」

 3.

 不可視の茂み《ブッシュ》から飛びだし、一息に距離を詰める。
 mobaというゲームの拠点。大体において『タワー』と呼ばれる建物は、相手プレイヤーが近づきすぎると、最大HPの割合ダメージを与える砲撃を放ってくる。

 ゲームのシステム上、プレイヤーが単独で、この『タワー』を破壊するのは、まず不可能になっている。

 そこで通常は、NPCの『ミニオン』と呼ばれる兵士に、相手の『タワー』下まで進軍させる。そちらが攻撃を受けている間に、プレイヤーが『タワー』を攻撃して破壊するのが、mobaというゲームの基本セオリーだ。

 それは、ゲームを始めたばかりの、初心者でもすぐに分かる。最悪、自分の『タワー』下にずっと居座り、やってくるミニオンを延々と処理し続ければ、守りきれたりもする。

 ただ、同じことを繰り返していても、一定のランク以上にはあがれない。自分のプレイヤーランクが上がると、相手も相応に強いプレイヤーが選出されるからだ。

 すると、今までは安全圏内だと思っていたタワー下で、

 【 skill code Execution. "見敵壱矢"! 】
 【 skill code OVER_BREAK Excalibur!!! 】

 襲撃を受けることになる。レベルが一定値まで上がったプレイヤーに、リスク覚悟の多段攻撃を浴びせられ、一方的なライフトレードを仕掛けられる。

 【 skill code Execution. "抜刀弐式"!! 】

 あらゆるゲーム。特にコンピューターの対戦ゲームで言われることだが、基本的に『待ち』というスタイルは、それだけを貫いていても、最終的には勝てない。

 【 skill code OVER_BREAK "三天乃羽々斬"!!! 】

 勝敗を決定付ける要因は、幾何かのリスクを背負い、自分たちから、先手を仕掛けていくことだ。

 【 Enemy player Defeated !! 】
 【 Level UP !!! 】

 先手必勝。かつ、仕掛けたリスク以上の、リターンを獲得すること。そのリターンを維持したまま、ゲームの勝敗条件が行われる段階まで持っていくこと。

 【 Enemy Tower Destruction !! 】

 常にリスクとリターンの兼ね合いを考える。しかし考えすぎてもいけない。動くべき時は迷わず、迅速に実行する。

 その領域《ライン》を見極める。他の誰よりも深く、広く考える。手を抜かずに真剣に取り組んでいく。すべての事を正確に、正しい理論をもとに、繰り返していけば。


 【system:相手チームが降参を選択しました】

 【WIN!!】


 勝利に繋がる。

『わーい! やったやったやったぁ! 10連勝だー♪ 称号もゲットしたよー』
「GG《good_game》だ。スイ、上手くなったなー」
『えへへへ。やっぱりねー、天才ですからねー』
『調子にのってる。まだ本番じゃない。…でも確かに数日で、別人みたいなムーブになった。ハヤト、どういう教え方したの?」

 ボイスチャットの向こうから、ユキの声も聞こえてくる。今日もまた俺たちは、自分たちで示し合わせた『芸名』の方で、おたがいを呼び合うことを意識した。

「mobaは、麻雀だって教えたら、急に上達した」
『は?』

 その『は?』は、なに言ってんだオメー。ゲームは遊びじゃねーんだよ。適当なこと言ってっと、ブッ飛ばすぞ? という感じの『は?』だった。

「いや、残念ながら、割とマジの話で。ほら、人間ってさ、自分がよく知ってるものに例えてもらうと、急に理解深まったりするじゃん?」
『そうそうー。mobaはねぇ、麻雀の進化系なんだよ~』
「いやさすがに違うから。原点あるから」

 あまり適当すぎることを言うのも、よろしくない。

「俺が教えたのは、要はリソースのやりとりに関しての話だよ。ライフトレードの話とか、確殺ラインの攻略サイトなんかを教えて、それをどういう風に使うのか、どこを見て、なにを守ればいいのか。そういう話をしたぐらいだよ」
『なるほど。会得がいった』

 ユキは一応、理解を示してくれた。とはいえ、今の説明で、なんとなくでも理解ができるのは、相応の『ゲーマー』でないと無理だろう。

『ハヤトから見て、スイの腕前はどう?』
「センスあるよ。お世辞とかじゃなくて、駆け引きが丁寧だっていうか、攻守の切り替えがすごく上手いんだ」
『それが、麻雀の基本ですからね!』

 麻雀のおかげで、ゲームに勝てました。

「それと、スイの使ってるセイバーだけど。特定の能力に特化してなくて、上級者からは『イマイチ』って評価を与えられてるんだけど、逆に言うとバランスの良いファイターだから、むしろそこが、スイのプレイングに、上手くマッチしてるのかもしれないな」
『任せてー。攻める時は攻める。無理だと判断したら退く。勝負できる一瞬を見逃さない。それが極意だからねっ! 麻雀の!』

 麻雀のおかげで、勝負勘が身に付きました。だいじなことは、麻雀がすべて、教えてくれました。

 mahjong is my life.

「…いや、あの。俺いま、mobaの話してるからね?」
『スイにはこのゲームが、mahjongに見えているのかもしれない』
「病気かよ」

 この世のありとあらゆるゲームが、麻雀に見えてしまう病気。麻雀にハマりすぎて、中毒になり、世の中の出来事がすべて、麻雀のルールや戦法に置き換えられてしまう。おそろしい病だ。

『麻雀って、一種のギャンブルらしいから』
「あ、なるほど。今すげぇ納得した」
『ちょっとー!! やめてよー! そこまで重症じゃないよー!』
「じゃあ、軽傷?」
『軽い全身火傷ぐらいで済んでる』

 人はそれを『重症』と、呼ぶんじゃないだろうか。とにかくだ。まずはボイスチャットで連携を取りながら、チームの練度を高めるという事には、成功したと思う。

「今なら、フェスの本選に潜っても、そこそこのチーム相手なら、十分に勝てると思う」

 俺は普段の勉強机の椅子に掛けたまま、目覚まし時計を見つめた。午後9時前。

 火曜日から初めて、今日が金曜の夜。フェスを本格的に始める前の、訓練として設定した最終日が今だった。
 
 日付で言うと、たったの4日。そのうち、都合の取れた時間は、毎日よくて3時間。俺たち学生としての予定的にも、普通に次の期末試験なんかが近づいてくるので、毎日の勉強も変わらず続けての練習でもあった。

『それじゃ、特訓はおしまい?』
「だな。明日からフェスの本選をはじめよう」
『今日は終了?』
「もうやらない方が良いかな。俺もだけど、二人も結構疲れてるだろ? 明日から、世間的には休みだから、ここで一度しっかり睡眠取って、万全を期して、フェスに挑もう」
『わかった~。じゃあ残りは、雑談タイムのお時間ですねー』
「そうしよう。ゲーム、ログアウトするよ」
『はーい』

 スマホの画面をタップする。LoAのアプリを落として、机の上の充電器に差し込んだ。立てかけたところで、なんとなく【セカンド】も起動する。


 【もう一人のキミの読み込みに、成功しました】

* *

「なんか俺ら、大昔の少年マンガみたいな展開になってるよな」
『えっ、そうなの? どのへんが?』
『マンガ、読んだことない』

 夜中に、自分の部屋でディスコード越しのやりとりを続ける。それなりに仲良くなれた、二人の女の子たちと話をする。

「えーと、昔の少年マンガって、新章に突入すると、ぜったいに新しい敵が登場するんだよ。で、そいつらが今までとは比べものにならないぐらい強い。大体は『修行してどうにかするパターン』になるんだけど、それが、今の俺らの状況だよなって」
『なるほどねー。最後には勝つの?』
「うん。まぁだいたい勝つかな」
『負けたら、マンガのフォロワーも納得しないでしょ』

 ユキがずばり、本質を口にした。
 身も蓋もないが、まぁ確かにそういうことだった。

『そうなんだねぇ。修行って、だいたいどんなの?』
「んー…筋トレの超ハードみたいなのだったり。自分を必要以上に痛めつけたり?』
『あー。効率度外視の肉体改造パターンだ~。よくない~』
「それな。だけど、新しい必殺技を習得したりして、結局はなんとかするんだよな」

 いわゆる、少年マンガのお約束。
 『王道』とか言われるものだ。

『無理ゲーだよね~。ハヤト君も男子だけど、やっぱりそういうのに憧れたりするの?』
「いや、正直言うと全然。ただマンガの内容的には、話の筋というか、物語に正当性を持たせる手法として、通用してる気はした。あと昔は今よりも、厳しい環境下で、他人よりしんどいことをしたら、成果として返ってくるのが当然だってのが、当時の作品のフォロワーからは、共感を得られた部分も大きかったんだと思う」
『年功序列が特徴の、日本社会の縮図なのね』

 ユキさん、さっきから毒がすごいですね。いやまぁ確かに、そうかもしれないんだけどさぁ。
 
「結局いちばん大事なのは、本人が望んだ結果を得られるかどうか。それが一番だいじなんだよなって、読んでて思ったりはしたかな。だったらさ、特に明確な理由がなくても強くなれたり、現実にはありえないような方法で勝てました。みたいな内容でも良かったんだと思う。マンガなんだから」

 もしかしたら、昔の人もまた、単純にそういったものを求める気持ちの方が、強かったのかもしれない。

 『友情・努力・勝利』の三大原則も、実は『努力』の部分が、作り手のエゴであり、それを欠いても、人気のある作品は、次から次へと生まれていた可能性もある。

『…そうね。だけど特定の物事で強くなる、上手くなるのは、より密度の高い反復練習が重要なのは確か。あと限界まで肉体を酷使することで、超回復効果というのが現実的に発生する。それで肉体《フィジカル》のパフォーマンス性能が大きく向上することも、医学的には証明されている』
「けっこう意外だなぁ」
『…なにが意外?』
「ユキって、なんかそういう、少年マンガ的な展開は、現実にはありえないとか言いそう」
『少年マンガの知識は皆無だけど。芸能の世界には、今もたくさん似たような話が転がっている。むしろ近年になって増えている』
「増えている。っていうのは……歌や踊りの『修行』に取り組んでる人たちが、増えてるってことか?」
『TRUE。技術を公開する場が広がったことで、そちらの方面で、肉体が壊れる寸前までのめり込む人が増えている。あるいは、創作関連なんかもそう』
『じゃあじゃあ、歌とかダンスの実力も、限界まで修行した方が、大きく伸びる?』

 自分たちが求めるものは、なにか。
 今の世の中が求めるものは、なにか。

 俺たち個人の欲求《エゴ》と、世間が欲する需要《ニーズ》。同じ視点《ビジョン》を共有する仲間たちと、新しい妥協点を探して進む。

 『普通の中学生』からは程遠い『らしくない俺たち』は、自分たちが到達できる、生きていける可能性のある道筋を、毎晩模索しつづけていた。

『スイの質問への解答は非常に難しい。芸能事においては、特訓して身体が丈夫になったところで、メリットが薄い。少なくともフィジカルなスポーツと比べると、単純なパワーやテクニックと呼ばれるものが、そのまま数値として発揮されるとは、言い難い』
『そっかぁ。じゃあ、壊れる二歩手前ぐらいが、ちょうどいいのかな?』
「…スイってさ、思考形式がやっぱ、基本パワー系だよな」
『超男子』
『女子だよっ!! チョー女子ですからっ!』

 パワー系女子が、通信回線の向こうで怒鳴っていた。

『も~、なんだよ~、二人してなんだよ~。仮に人類が滅びることになったら、最後まで生き残るのは、パワー系なんだからね~。後から後悔しても知らないよーだ!』

 だから、そういう発言が、他ならぬパワー系の証左なんだよ?
 本人、無自覚なんだよなぁ。

『じゃあ、そんなスイに、良いエピソードがある』
『…言い方が引っかかるんですけど~、なに?』
『その昔、ダンスの修行をしすぎて、ひどい捻挫をしてしまい、立つこともままならなくなった、ひとりのアイドルがいた。同じ時、彼女が所属するグループは、新曲発表をひかえていた。ライブの開始は1時間後。彼女はセンターとして、ステージ中央に立つことがファンにも告知されていた。…この状況、二人ならどうする?』
『なにそれ、実話?』
『実話』
「ユキ、質問いいかな』
『いいよ』
「その捻挫って、テーピングしたり、冷やしたりしても、全然ダメなぐらい、ひどいやつ?」
『そう。なにもしなくても、痛みで気を失うレベル』
『ヤバイじゃん! さすがにダメだよ、病院に行かなきゃ!』
『当時のマネージャーも、スイと同じことを進言した。でも…』

 ユキの言いたい事は、なんとなくわかった。

「アイドルの所属する事務所、会社からすれば大損害だよな。できれば痛みを堪えて、ステージには立って、歌ってほしいだろ」
『TRUE。ハヤトの言う通り』
『ダメだよ。絶対ダメ! 二人の方がパワー系じゃんっ、大体そのアイドルのファンだって、ツライ顔して歌う、推しの活動なんて見たくないはずだよ!』
「でも舞台に立てないと、そのアイドルグループのファンからは、邪推されるよな。本当は怪我が理由じゃなくて、べつのなにかがあったんじゃないかって」
『そう。仲の良かったファンの間で、対立構造が発生する』

 人の気持ちは、簡単にひっくり返る。
 黒にも、白にもなれる。あんなに好きだった物が、小さなキッカケひとつで崩壊する。

『…彼女の怪我を正直に公表したところで、ファンがアンチに転向して、グループ全員の関係も、彼女たちの未来までも、崩壊してしまう可能性があった』
『うぅ…やだよぉ…可愛そうだよぅ…』
「なんか、トロッコ問題みたいだな。どちらか一方しか選べない。だけどどちらも正解とはいえない。みたいな」
『それよりも状況は悪かった。どちらを選んだところで、そのアイドルにとっては破滅しかない。ハヤトの言う通り、素直に引けばファンの間には、不穏な憶測を呼ぶだろうし、スイの言う通り、無理を押してでもステージに立てば、どうしたって不調が知れる。するとファンは「どうして彼女を大事にしなかったのか!」と怒り、離れていく』
「うーん…キッツイなー、それ…」

 正直、想像するだけで、ツラい。

 きっとそんな事になってしまったら、大人たちは『責任』の所在を求めることになるのだろう。その矛先はもちろん、ケガをしてしまったアイドルなのは間違いない。

 仮に俺が当人だったら、その決定を受け入れるはずだ。この事態を招いてしまった自分が、誰かを笑顔に、幸せにするようなアイドルを続けていくなんて、他ならぬ自分自身が認められない。

 若いうちは、間違えることも必要だ。なんて大人たちは言うけれど。そんな過ちを犯してしまった時点で、その道はもう、閉ざされてしまったも同然なんじゃないか。

 もしかすると、この話は、VTuberを始める前の、他ならぬユキ自身の話なんじゃないかと思った。


 はたして、そうかな?


 その時だった。
 机の端、PCの隣、充電器に立てかけたスマートフォン。
 その画面に映るオレ。フキダシが浮かんでいた。


 我が半身よ。キミは中々に賢明な子供だが。
 少々、物分かりが良すぎるのが、欠点ではあるな。


 「やれやれ」と。肩をすくめてみせる。


 なぜ、自分が該当する人物であれば、あきらめているはずだ。としか考えられないのだ?

 この話が、真実であろうが、なかろうが、現在進行形で起きてはいない事象であるならば、ありとあらゆる可能性を模索して、一度は提案してみるべきだ。

 大人の言う【失敗しても良い】とは、そういうことだ。

 無理な練習を続け、足を挫いて、立てなくなったのが、失敗ではない。

 自分の身の上に起きた事実をまずは受け入れる。次にありとあらゆる可能性を考慮し、挽回しようと全力を尽くす。それでも失敗してしまった時に、はじめて【失敗は次に生かされる】のだ。

 さぁ、思考せよ。我が半身。
 如何なる時も、生きることを、あきらめるな。
 一度は掴んだ可能性を、易々と手放すな。
 みっともなくあがけ。執着しろ。

 君が、君である為に。
 最後まで、悪あがきしてみせろ。

 …………。

 フキダシが途絶えた。

「…………」

 おまえ、もしかして。
 今の俺たちの会話を聞いていたのか?

(…聞いて、理解して、返答した…?)

 一瞬、ありえないと思った。しかし驚きが過ぎ去ると、段々と冷静な思考が戻ってくる。考えるべきことが優先される。

 現実はマンガのようにはいかない事もある。無理に『修行』をしたら、本人の命運がそこで絶たれてしまう可能性も高い。実際はその話が、物語の主人公の、最終回になるのかもしれない。

 でも。

「――確かに、嫌だな」
『えっ?』
「ごめん。独り言。ユキ、ちょっと考えるから時間くれ」
『制限時間は5分。答えられなければ、シミュレーションの中にいるアイドルは、ゲームオーバーよ』
「了解」

 腕を組んで目を閉じる。

(…視点を変えてみよう。俺は、可愛そうなアイドルの子じゃない。そこに、共感する必要はない。もっと傲慢になっていいはずだ。俺は、追い詰められた、たったひとりの女の子を助けられる――『ヒーロー』だ)

 誰かに、罪を被せるんじゃない。
 女の子だって、本当は責任なんて取りたくないはずだ。きっと助かる方法があるはずだ。同じところを回るな。切り抜けろ。

(…竜崎さんなら、どうするんだろう…)

 あの人は元々、正当なアイドルのプロデューサーをやっていた。もしかするとこの話は、ユキもまた、お兄さんから聞いた話を口にしているのかもしれない。

(…あの人なら、なんとかしてくれたんじゃないかな…)

 変なおじさんだけど。なんていうか、あの人だったら、予想外の方法で助けてくれるかもしれない。そんな、不思議な魅力に満ちた人なのも確かだった。

(…けど、俺との共通点って、誰かに認められようって必死だった時に、ぐうぜん、自分の目の前にあったもので、なんとかするしかないって、思ったぐらいで…あぁクソ。ダメだわかんねぇ…)

 つい、身体を揺らしてしまった。

 ギシッ。

 小学生の時から、座席を下げつつ、ずっと使い続けてきた椅子がきしんだ音をたてた。


 ――椅子はさぁ、人生のマストアイテムなんだよねっ!


「……」

 椅子《イス》?

 ダンスの修行――訓練、特訓、練習をしすぎて、本番直前で、ひどい捻挫をしてしまった女の子。

 もうどうしようもない。痛い。
 立っているだけでも、しんどい。ツラい。


 ――なるほど。これが、我が半身の玉座か。


 玉座。おうさま、あるいは、女王。


 『おひめさま?』


 センター。中央。アイドル。ドレス。
 ほし。きらきら、ひかる。スポットライト。


「…………――座る? 椅子に座ったまま、歌う?」


 俺たち個人の欲求《エゴ》と、世間が欲する需要《ニーズ》。
 フィジカルなスポーツと違い、芸能事は必ずしも、そのパワーやテクニックが、数値として直接還元されるわけではない。

「…そうだよ。いいじゃん、べつに。座ったまま歌っても!」

 意外な可能性。生き残る手段。自分でも、びっくりするぐらい、わけのわからない興奮がわきあがる。

『は、ハヤト君? どうしたの、どういうこと?』
「ユキの質問の答えだよ! 足首を捻挫して踊れないなら、その女の子だけ、椅子に座ったまま、歌えばいいんだよっ!」
『えぇっ!? それは…けど…無茶なんじゃ』
「無茶でも舞台に立たないよりは、ずっといいに決まってる! それに足が痛いのを我慢して動けないなら、椅子に座ったまま、ちょっと切なそうな顔で、天井を見上げる感じで、歌い通してしまえばいいじゃんか!」
『う、うーん…そう言われると…アリ…と言えば、アリ…?」

 あぁそうだよ。なにも、まったく新しいアイディアは必要ない。天才的なひらめきで、世界を救おうとなんかしなくていい。

 その一日だけ、数時間だけ、たった一人の、がんばり屋の女の子を助けてあげればいい。明日へ続く道を作りだす。ケガがなおれば、またひとりで立ち上がり、歩いていける。そのための『橋』を、今ある物で作り上げてしまうんだ。

『TRUE』

 正解。あなたは正しい答えを口にした。
 ユキの声は、そう言ってるように聞こえた。 
 
『その日、実際のライブ会場のステージには、控室に置いてあった椅子が持ち運ばれた。スタイリストによって急きょ飾りたてられた玉座。センターの彼女は終始、その玉座に座り、これが予定調和の演出であるといった具合に、ドレスを纏った王女を演じきった。空を見上げ、マイクを両手で握りしめるように、歌い続けたよ』

 それは、彼女にしては珍しく。

『他の4人も、上手くアドリブでダンスの位置を調整した。王女にも劣らぬほどに美しくありながら、彼女を惹きたてる、瀟洒な妖精のように振る舞い、歌い、踊ったの』

 とてもやさしい、とても幸福そうな声だった。ふと目の前に、彼女が口にする、幻想的な光景が見えるような気さえした。

『結果。そのステージの評判は上々だった。控室に戻った5人は、みんなで抱き合って、よかったねぇ。って泣いていた。自分たちは歌って、踊って、生きのびた。選ばれた幸運と、ありふれた命を想って、祈るように、感謝した』

 ディスコードの先。
 過ぎ去った夢を、たいせつな思い出を。
 抱きしめるように語り、

『ああああああああ!!! いい話いいいぃ!!!』

 ――泣い、 
 
『うああああああぁん! …尊いッ!! TO☆O☆TO☆I☆
 ガチでエモすぎて心臓が尊死しちゃうのおおぉッ!! あーちゃんっ!! じゃなかった、クロちゃんっ!! よかったねぇ!! MVPだねぇ!!!』

 限界を超えた、中学生オタクが、号泣していた。

 ヘッドホンの先から聞こえてきた音声が、冗談でなく、俺の鼓膜を破りかけたので、あわてて音量を最少まで下げた。

『いやこれ、あたしの話じゃないから』
『えええええ!!! そうなのおおぉ!!? でもおおぉ!! 尊い話だよおおぉそれええぇ! もはや神話だよおおぉ!! あっ、あっ、苦しいっ! ハァっ、ハァっ、ハハ…ッ!? む、胸が痛苦しいっ!! 呼吸障害が発生している…っ!! し、死、死んじゃう!? どうしようっ!! ねぇ!! この気持ちをどうにかしないとわたし死んじゃいそうなんだけどどうしたらいいのかなあ!?」 
「落ち着いて」
『落ち着け』

 オレとユキが、同時に限界オタクをなだめた。しかし、一旦キャラ崩壊を始めてしまった、声優ドルオタは止まらない。

「こ、これだからっ、もうほんと、芸能界には、闇の中にさす一筋の光という希望が満ちてしまっているからっ! ほんと、声優とアイドルの追いかけはやめられないんだよねぇっ!!」

 おいやめろ。止まれ。
 誰か、そこのバーチャルアイドルに、レッドカード発行しろ。

『おしっ、お、おしゅしが推しっ、ごめんなんかもう無理なのっ、自分アイドルと声優さまが好きすぎてっ、吐きそうでしゅっ!!』

『…なぁユキ、おまえのパートナーだろ。なんとかしてくれよ』
『こうなると不可能』
「不可能ですかよ」
『えぇ。不可能』
『あああああああ!!! ……あっ! おばあちゃんがわたしの悲鳴を聞きつけて、なんか、ドアをトントンしてきた!! ごめっ、待って!! ちょっとしばしの間、お待ちくださいましっ!!」

 ヘッドホンの先から、リアルに、どたどたばたばた。ありふれた生活音が聞こえてきた。言われた通り、俺たちは黙って待つ。

「あのさ、ユキ」
『なに?』

 とはいえ、ただ待っているのも、時間がもったいないので。

「さっきの話って、本当に、ユキの話じゃないの?」
『…少なくとも、黒乃ユキの話じゃ、ないわね』
「やっぱずるいなぁ。そういう回答」
『どうでもいい真実を知りたければ、ハヤトも本格的に目指してみたら?』
「目指すって、アイドルを?」
『それも含めて、ね』

 くすくすと、笑われた。

『さっきの質問だけど、椅子に座ったまま歌えばいい。そんな決断は、言われてみれば納得するけど、とっさには浮かばない。こうやってクイズにしてみても、歌は立って歌うもの。アイドルは踊って、人を魅了するもの。そんなありふれた固定観念を覆さなければならないから、さっきの解答に至れる人は、実際ほとんどいない』
「いや、それがさ。俺も正直、答えはでなかったけど…」

 言いよどんだ。すると、

「――【セカンド】が、ヒントをくれた?」

 最初から、答えを予測していた。そんな風にも聞こえた。

「なぁ、ユキ。こいつって、一体なんなのか聞いていいか?」
『ネクストクエストが開発し、発表した、人工知能アプリよ。独自のディープラーニングの技術が使われていて、初回の起動時に、スマホの持ち主である、対象者の姿を読み込む。そこから、持ち主の服装や髪型、好みの小物の形や色、といった各種要素を判別。最終的には、現在の流行、ファッションを反映し、該当する被写体が好みそうな映像、3DCGキャラクタを生成《マッチング》する――そして生成後は、音声や映像をリアルタイムで取得し、あなたと、お喋りする機能もある。知ってるでしょ?』
「知ってるよ。もちろん。要は『ジブンだけのVTuber』を作るアプリだってことは、わかってる」
『だったら、いいんじゃない?』
「いいけどさ。でも、それだけだと、説明がつかないだろ」

 俺は、PCで起動した、ディスコード越しに返事をしながら、スマホのアプリに映る、ハヤトの姿を見留めながら聞いた。

「なんていうか、コイツ。賢いじゃん。普通に会話が成り立つどころか、ほんとなんていうか…もっともっと、深いところまで、わかってる感じじゃん」


 フッ、光栄だな。


「たまに、フツーに、ムカツクけど。でもさ、やっぱ、コイツすごすぎるじゃん。――なんなの?」


 今さらなにを言っている? オレが凄いのは、今日とつぜん、始まったことではないだろうに。


 相変わらず、余裕しゃくしゃく。といった感じだ。


 まぁ、コレが実際、もう一人のオレ。潜在的な内面というか、確かにこういった、理由もなく『オレ天才かもですから』と、イキりたがる人格がいるのを、否定はしない。

 ――だけど。いくらなんでも、現代の人工知能《AI》の技術。ディープラーニングと呼ばれるモノだけでは、説明がつかない。

 映像データを取り込み、そこから『前川祐一』という、俺の内面部分までを、正確無比に判別するなんて技術は聞いたことがない。
 中学生ながらに「人生に行き詰まってるんだよ」って言いたくなるような時。誰にも相談できず、ガマンして乗り越えるしかない、息苦しさを感じて「死にたい」なんて思ってしまう時。

 弱り果てた自分の心を、救いだす。
 次への【標】を授けてくれる。

 そんなのは、いまだかつて、聞いたことがない。

「オーバテクノロジーだ」

 基本無料の、未来のアプリ。
 自らの『痛々しさ』を、他ならぬ『ジブン』自身が、大前提として肯定した上で、明日に繋がる道を、アドバイスしてくれる。

 俺がついさっき、仮定の女の子に対して、椅子に座ることを提案したように。この【セカンド】という存在は、俺たちが、先の見えない闇のなかを落ちている。もう進めない。そう思った時に、どこからともなく、椅子を差しだして、悩みを聞いてくれるのだ。

 生きるための答えを、共に考え、歩んでくれる。
 そんな存在だ。そんな、可能性に満ちている。

『祐一は』

 すると、ユキが聞いてきた。

『宇宙人って、信じる?』

 …はい?

『宇宙人って聞くと、どういうものを想像する?』
「え、とつぜんなんだよ?」
『それは、もちろん、宇宙からやって来るものだと思ってる? 円盤型の、宇宙船にのって、銀色の、ヒトガタをした生き物じゃないと、納得できない?』
「いやだから…なんの話?」
『一体いつまで、大昔のおじいちゃん達が夢想した、スペースオペラや、サイバーパンクの夢を見てるつもり? 今は2024年よ』
「……え?」

 俺は、スマホの画面を、ジッと見つめた。
 そうして、心の中で問いかけた。

(…そうなの? おまえ、マジで、そういうモンなの?)

 信じられない。でも、もしかしたら。
 そう思って見つめると、スマホの中に映るオレは


 キミの、御想像にお任せしよう。
 

 はぐらかしやがった。

『――ふえぇ、二人ともごめん。戻りましたぁ。おばあちゃんをどうにか説得してきたよ~」
『おかえり、限界オタク」
『おかえり、限界オタク』
『ただいまぁ』

 こっちはこっちで、否定しなかった。

「それじゃ、二人とも。そろそろ時間もおしてるし。明日の予定の話をしようか」
『再確認。明日からは、フェスのモードに入っていくのよね』
「そう。残りはあと1週間。明日から土曜に入って休みになるから、試合消化が早いチームは70戦を、明後日には終えてくると思う。できればそれまでに、俺たちも参加して、数十戦までは、終わらせておきたいんだ」
『えーと、それはどうしてか、聞いていい?』

 スイの質問に、返事をする。

「最初の1週間で、70戦すべてを終えられるようなチーム。しかも俺たちみたいな、まだ1戦もしてないチームとあたるって事は、元々そんなに強くないんだよ。勝ったり負けたりを繰り返して、レーティングポイントが、初期値からほとんど変わってないって事だから」
『あー、なるほどねー。そういうチームが70戦ぜんぶ終える前にぶつかって、勝ち星を稼いじゃおうって話?』
「言ってしまえば、そゆこと。逆に強豪みたいなチームは、さっさと序盤に勝ち上がってて、まず初戦は当たらないからさ」
『でも言い換えると、1戦目から、ハヤトと同じ考えのチームが、対戦相手として選ばれることもあるでしょ?』
「そうなんだけどな。それは致し方ないっつーか…」
『でもでも、クロちゃんの言う通りかも。割とガチのチームって、やっぱり社会人のゲーマーさんとかも多いわけでしょ? しかもこのゲームモードは、3人で時間を合わせて、参加しないといけないわけだから、休日にやると、むしろお休みの間に参加する、強いチームと当たる可能性は高いんじゃない?』
「あー、そうか。確かに、それもあるかぁ…。ごめん。うちの店が基本的には月曜休みで、土日は家の手伝いするのが当たり前だったから、普通に見逃してたわ」
『しっかりしてよ』
「ごめん、本当に面目ない」
『じゃあどうする? もう今日から始めちゃう?』
「いや、できれば万全の状態でやりたい。飯食べて、睡眠もしっかりとって、頭が全力で回ってる昼間のうちに数こなして、間に休憩をはさみつつ、対策とか反省点とかを練ったあと、夕飯食った後の夜中に、残りの目標試合数をこなしていきたい。それが理想。
 意識が高い系の発言に聞こえるかもしれないけど、対戦ゲームの勝率って、本当に、自分の状態が直にでるんだ。頭が回ってないと、目に見えて勝率落ちるんだ」
『あー、わかるー。麻雀あるあるだー』

 隙あらば麻雀。

『でもハヤト。それなら尚の事、あたし達3人が息を合わせるというか、3人の状態が、それなりに万全であるのを確認してから、連携を取った方が勝てる。少なくとも勝率は上がるわけでしょ』
「確かにそうだけど。今でも十分、高望みをしてる発言だって自覚あるから。まぁどっちにせよ、俺たち3人の時間の都合が合う、土日の間に試合数を消化するって方針は、変わらないかな」
『ねぇ、ハヤト。ひとつ提案いい?』
「全然いいよ。なに?」
『明日と明後日、つまり土日なんだけど、ハヤト、スイと一緒に、わたしの家にこれない?』
「…ん?」

 どういうことだ?

『元々、今度の土日は、スイと【桜華雪月】の、ネットラジオのコラボ番組を、生放送で配信するって話になっていた。あたしの家には、簡易的なスタジオがあって、そこで音源取れる程度の設備はあるからね』
『うん。そうだねぇ。いろいろ告知することがあるし、LoAの大会に関しても、この時にやってるよーって、発表しようって話だったよね』
「それで時間が空いた時を見計らって、ディスコードで連携取りながら、ゲームの試合消化を、進めようって話だったよな?」
『そう。でもよく考えてみたら、スイがわたしの家に来ることになってるんだから、わざわざ遠方で連携取らず、ハヤトもわたしの家に来て、3人で直接、顔を合わせてゲームすればいい。ついでに、コラボの告知、サプライズに関する報告なんかも、ハヤトを含めた3人で、明日まとめてやってしまえばいい。どう?』
『うんうん。いい考えではあるよね。ハヤト君、どうかな』
「俺はいいけどさ。このイベントが終わるまでは、好きなようにやっていいって言われてるし。だけどユキの家って、俺たちの学区内じゃないよな?」
『新幹線だと2時間かからないかなーってぐらいだね。クロちゃんの家は駅から徒歩5分だから』
「マジか。この前は車で来てたじゃん?」
『あの日は少し、用事があったから』
「新幹線で2時間ってーと、結構かかるなぁ」
『お金はわたしがだす。ハヤト、前回の飛行機代は、結局受け取らなかったって、愚兄から聞いた』
『あれっ、そうなの?』
「まぁその…あの時は両親を説得できる確証がなかったから。引き受けられないかもしれないのに、お金もらうのは、なんか悪いかなって」
『だったら、ちょうど良い。ハヤトがよければ、うちに来て、3人で用事を済ませてしまいましょう』
「わかった。両親に相談してみるよ。けど土日となると、二往復しなきゃならないよな。厳しくね」
『どうして?』
「ん? 土曜だけ集まってって感じ?」
『日曜もするでしょ』
「…えーと」

 久々に、話が噛み合ってない感じ。そこへ、

『クロちゃんが言ってるのって、お泊まりってことでしょ』

 スイが解答した。

『そゆこと。土曜の間に来てもらって、人心地ついたら、ネットラジオの生配信を3人でやる。フェスにハヤトと参戦するのを告知して、それから3人で実際、フェスを始める。日をまたいで、日曜にもハヤトの目標通りの試合数をこなす。
 それで、また次の日曜日。LoAのフェスの日程で言えば、最終日の前日。おそらく、ほとんどのプレイヤーとチームが、70試合のすべてをこなす日に、今度は東京の方で、アプリじゃない、【並行現実】を使って、試験的なLIVE活動の催しを計画している』

「【並行現実】?」
『VRとARを利用した、新しいセカイのこと』
「【シアター】か」
『TRUE。できればハヤトには、その催しにも参加してほしい。その場所で行われるイベントの中には、フェスの最終試合、わたし達の70戦目最後の試合を、生放送で配信したい』

「……っ!」

 あぁ、なんだろう。なんか、すげぇ、ワクワクする。

 腹が減って、美味しいご飯を食べられた時の喜び。強い相手とマッチして、しのぎを削る戦いができた時の高揚感。たくさんの人たちが親切にしてくれて、その秘密を一部共有してくれた時。

 女の子と仲良くなれて、自分の持ってる知識が役にたち、頼りにしてくれてもいるんだっていう、優越感。

 それらの、どれにも似ているようで、違う。もっと、


 ――――さぁ。いこうか。


 根源的な興奮。

 この前の、社会の中間テスト。最後の1問目に、ユニークなサービス問題があったのを思いだした。


 宇宙に旅立った時の
 ユーリィ・ガガーリンの気持ちを、自由に述べなさい。


 まだ誰もふれたことのない、体感したことのない世界に、自分たちが直接、一番乗りできるかもしれない。そんな、淡い、アツイ、確かな期待と渇望がありまくったと思います。

 ――だけど、今の時代。この世界はもうすでに、『目に映る範囲』の未知なるものは、すっかり探索し尽くされている気がします。

 自分がやらなくても、べつの誰かがやるでしょう。膨大な労力とコストをかけずとも、リアルタイムで、その虹彩に等しい鮮明な情報がもたらされることでしょう。俺たちはもう、大きな夢を追いかける気持ちや、憧れを持つのは、不可能です。


 ――『宇宙人』は、どこから来ると思う?
 
 ――物分かりの良さが、キミの美徳であり、欠点だな。


「わかった。ちょっと、親に相談してくるから」
『うん。じゃあわたし達は、二人で練習してるねー』
『朗報を待つ』
「あぁ、待っててよ」

 椅子から立ち上がる。部屋をでる。見慣れたはずの、この先に。新しい世界が広がっている気がした。