雛鳥


「うわ、すごいね。おとなしい」

 昔住んでいた、小さな庭付きの貸家。自作の犬小屋には、これといった血筋のない、茶色い毛並みの雑種が住んでいた。

「ぼく、犬がこわくて、苦手だったんだけど。はじめて頭なでれたよ。黛くんの家の犬は、かしこいね」

 友達に言われて、初めて気がついた。
 そうか。うちの犬って、実は賢かったのか。


 ――眠っている間に夢を見るのは、記憶の整理を行っているからだという。

 
 俺の場合、見る夢は1種類だけだった。昔住んでいた家で、しゃがんで、飼い犬の頭や、首元をなでている光景が映る。

 うちの犬は、本当に吠えなかった。犬嫌いの人間が、頭上から手をかざすような真似をしても、耳たぶを反応させるぐらいだ。基本は相手のしたいようにさせていた。
 
 無抵抗で、誰にでも服従する。うちの父親は「番犬として機能しないじゃないか。張り合いもない」とか言っていた。

 そんなことを、普段から聞かされていたからだろう。初めて遊びに来た友達の言葉に、目から鱗が落ちたような気になった。

 思えば確かに、躾を強要したことはない。どんな撫で方をしても耐えていたし、どんなエサも食べ残したことはなかった。散歩に連れていけば黙って従い、おとなしくシャンプーもさせる。

 手のかかった記憶が、まったくなかった。

 大人になって、犬を飼っていた人たちと話をする時に「黛さんの犬は、犬とは似て非なる生き物なのでは?」と言われるぐらいだ。

 やっぱり賢かったんだな、うちの犬。
 思うことが増えるのと同時に、それは人間で言えば、

 『らしくない』
 『なにを考えてるんだか、よくわからない』

 そういうことなんだろうとも、思った。

 子供の頃の俺も、わりと似たようなことを言われて育った。実際、大人になって振り返ってみたら、当時から周りの子供たちのように、思い立ったことを即座には口にせず、まず自分で考えてみる。という癖がついていた。

 だから「ぼんやりしてる」とも言われた。実際ニブかった。でも幸いなことに、友達は少なからずいた。

 今日までどうにか、社会の中になじめているのは、この日、家に遊びにきた『犬が苦手な子』の発言が大きかった。


 ――黛くん家の犬は、かしこいね。


 一見、ぼんやりしているようで、なにを考えているかわからなくても、見る人によっては価値がある。

 良いところ。悪いところ。長所。短所。
 とらえ方次第で、まったくべつのものになる。

 俺は、飼い犬を賢いといってくれた友達こそ、頭が良いなと思った。その日から少しだけ、賢い友達の真似事をしてみるようになった。


 ――すごいね。頭いいのでは?
 やるなぁ。なるほど。おもしろいね、それ。俺にはできない発想かも。


 言ってしまうと、素直に相手をほめるだけ。それだけだったけど、次第に「なんかヘンだけど良い奴かも」みたいな評価をしてもらえるケースが増えた。

 ――そういう意味でも、良い方向に変われた、機転だったと思う。

 だからと言ってその夢だけを、二十年近くも、思いだしたように、繰り返し見ている人の話は、自分以外には聞いたことがなかった。

 まぁ、だから、なんなんだよ。なんの意味があるんだよと聞かれても困る。そういうことが自分にはあるんだよ。としか言いようがない。

 本当に、時折。ふと思いだしたように、夢に見るだけなんだ。
 
「……」

 飼い犬は、黙ってなでられている。子供の俺が言う。

「おまえってさ。賢いんじゃなくて、実は甘えるのがヘタなだけじゃないか?」

 しゃがんで目の位置を合わせて伝える。てきとうに、顔の部位をふわふわ撫でていると、いつもは眠たそうな瞳が、この時だけこっちをとらえた。


 ――そうかも。そうですよ。きっとね。


 目を細め、てのひらを、ペロリとなめてきた。うちの飼い犬は吠えないぶん、そうした事もめったにしない。本人もとい本犬も、どこかしら「キャラじゃないことをしてしまった」という雰囲気も匂わせていた。

「おまえ、本当は、人間の言葉がわかるんじゃないの?」

 子供の俺は思った。今もしかすると、ヒトではないものと、意思疎通できたかもしれないと。実はコイツら、俺らのことを知り尽くしてるんじゃないか。

「おまえ、本当は、宇宙人と交信してたりするんじゃないの?」

 小学生男子の妄想は、たくましかった。

 うちの犬は、実は素直に飼われているように見せかけて、裏では宇宙人と繋がっているのだ。コイツは俺たちを監視している。頭の中には、超高性能なマイクロチップが入っている。

 とか。そんな妄想をしたあと、即座に「ねーわ」と思いなおした。

 犬は犬だ。人間じゃない。

 どんなに賢くても、違う生き物の事情なんてわからない。ある日とつぜん、一方的に別れを告げられても、「どうして?」と首をかしげる他にない。


「どうしようもなかったんだよ」


 夢の中、飼い犬をなでる。
 この時じゃない、その後の俺は、なんどか同じことを考えた。

「普段から、せめて、もう少し吠えていれば良かったんだ。賢くなくてもいいから、可愛げがあれば良かった。おまえは、一匹じゃ、どうしようもない奴だよなとか思われてたら。あるいは、最後を看取ってやれたかもしれないのに」
 
 この世界には、割と頻繁に、どうしようもないことが起きる。俺たちは父の仕事の都合で、他県へ引っ越すことになっていた。越す先はマンションで、犬は飼えない。

 両親は、引き取ってもらえる人を見つけたと言ったが、嘘だった。俺も自分で引き取り手を探そうとしたけれど、変に世間体を気にする父親が、子供のそうした行動を良しとしなかった。

 犬は犬だ。人間じゃない。
 最初から見捨てることが前提だった。

 結果、吠えない、賢い犬は、たぶん野良犬になった。その後どうなったかは知らない。同じ夢を見るだけだ。

「一種の警告かな?」

 仮想の毛並みをなでながら思う。

 たとえばいつか、俺たち人間よりも、ずっと賢い生き物があらわれる。その生き物たちが、一体なにを見ているのか、どういうことを考えているのか、俺たちにはわからない。まったく視えない。イメージが追い付かない。

 たとえばいつか、人間が犬に変わる日がやってくる。俺たちは、それなりに生きて、自分たちよりも優れた生き物と、仲良くなろうとする。

 難しいことをせずとも、おとなしくしていれば、餌をくれるし、散歩にだって連れていってくれる。この素晴らしく賢い生き物たちのことを、もっと知りたいと願う。

 だけど、どうしたところで、俺たちは『それ』にはなれない。

 いつの日か。そう遠くない日。

「さよなら。元気でな。ごめんな」

 別れを告げられる日が、来るかもしれない。
 俺たちは急に心細くなり、言葉を返す。

「どうして?」

 賢い生き物たちは、そろって言う。

「どうしようもなかったんだよ」

 言うと、夢の中で生きる犬は、子供の手をペロリとなめた。

「大丈夫。朝だよ。さぁ、起きて」

 * *

 毎朝おなじ時間に、自然と目が覚める。そうした環境にいられる事が、実は得難いものかもしれないと気付いたのは、最近だ。

「雨か…」
 
 そこまで強くない、小雨の足音が聞こえる。寝床からでて、カーテンを開ける。雲の色と広がり方から、少なくとも、夜半まで続くことがわかった。

 ベッドから起き上がり、部屋をでる。対面の寝室はもぬけの空だ。ベランダに面した窓際には、天井からのフックに引っ掛けた、二人分の洗濯物が干してある。

 この家には、もう一人の人間が暮らしている。

 彼女はめったに外出しない。基本的には夜行性だ。俺が眠っている間に家事をこなしてくれる。そんな風に言えば、まるでそういう類の妖怪にも聞こえるけど、実際のところ、大差はないかもしれない。

 とりあえず、深夜から明け方になった頃には、すでに雨が降っていたようだ。誰かと暮らしていると、そういう事もわかって、おもしろいなと思う。

 階段を降りて、洗面所で顔を洗った。うちの一階の間取りは和室で、客間と、来客用の小部屋が、廊下をはさむ形でとなりあっている。

 来客用の小部屋の広さは、六畳ていど。
 一人暮らしのワンルーム程度の広さがある。

 二階には、きちんと同居人の私室が用意されている。日当たりも良い方だと思うけど、あいつは「ここがいい」と言って、来客用の寝室を占拠した。たまに両親や知人が顔をだす時は、基本的には二階を使ってもらうことが多かった。

「仁美《ひとみ》」

 俺は扉を軽くノックした。一見、なんの変哲もない木目の扉だが、内部には監視カメラと、赤外線による識別装置の他、扉の存在を透過して、外の人間を感知するセンサーなどが折り込まれている。
 
 一応弁明しておくと、俺の趣味じゃない。金庫すら置いてない自分の家に、そんな設備の部屋があると思うだけで、なんだか少し気が重い。

「朝だけど、起きてる?」

 声をかけると、上部の隠し扉が音をたてて開いた。

 くるっぽ~。

 鳩がでてきた。この場合は『寝ています』だ。むしろ鳩がでてきた際のイメージは、どちらかと言えば起きていそうな印象も受けるが、本人曰く「鳩が鳴く日は寝る時間」らしい。意味がわからない。意味なんてないのかもしれない。

 それでも彼女の両親から、身柄をあずかるという形で、同居している身の上だ。身体もあまり丈夫な方ではないから、安否を確認するのは役目だった。

 俺は、扉の取っ手まわりに指をそえた。軽く力を込めると、感圧式のセンサーにより、不可視のタッチパネルが反応する。決まった順序で暗証番号を押してやらないと、扉が開かない手はずになっている。

 この先にいるのは、年齢的にも、精神的にも、思春期の子供だった。無闇やたらと、部屋に鍵をかけ、自分だけの空間を作りあげて、ここがわたしの領土だぞと主張をしたがる。

 最近では、そういうところが窺えて、むしろ彼女の両親は安心している。たとえその方向性が、はるか斜め上に存在してもだ。

 『普通である』というスキルは、人の親にとって、なによりも得難く映る。

 それにしても「秘密銀行の金庫かな?」と言いたくなるぐらい、近代技術によって、防壁を張り巡らせるのは、毎朝の手間だから、正直やめてほしい。

 ――ピピピッ、と電子音。

 ロック解除。ようやく、たった一枚の扉を開ける事に成功する。

 まっさきに、人工的な風が頬をなでた。それに伴い、つけっぱなしのPCディスプレイと、サーバー本体が低いうなりをあげる音も聞こえてくる。

 冷暖房は完備。この部屋だけで、うちの高熱費が8倍以上にふくらむから、地球環境にとっては、非常にやさしくない。

 数年前から若者の間では、地球環境に関するデモ活動が流行している。この部屋を見れば抗議の声をあげるかもしれない。よろしく頼みたい。黛家の財政にも関わってくる問題だから。

 足下には、ひしめくコードの群れ。結束バンドで至るところをまとめているけど、足の踏み場はほぼない。

 また一度も開いた形跡のない窓際には、PCとはべつの、製図用の作業机が置いてある。机の上には、工具の代わりに、様々な大きさや、色合い、素材の違うパズルが、なんらかの法則性にしたがって、並べられている。

 知恵の輪。

 『指と手を動かす』ことを、主体とした玩具。同居人が起きている時は大抵、片手でこれをガチャガチャといじりながら、もう一方の手で、キーボードを叩いてプログラミングコードを打ち込んでいる。

 同じ物は一つもない。
 それは、彼女が自発的に始めた、習慣化された動作だった。

 生まれついて以来、頭脳のリソースをすべて『感性』に傾けた少女は、片方の手で、ある程度にパターン化されたクイズを解き続ける。そうすることで、意識的に『理論』に振ることができる。

 そうして、かろうじて。
 一部の人間にも理解できるものが生まれる。

 それを、俺のような人間が応用する。ありそうで、なかったもの。一部の天才がうみだした発明品を、大衆的な『ニーズ』を持った商品に変換する。

「仁美、起きてる?」

 もう一度、声をかけた。かろうじて隙間のある床を進む。向かうのは、襖が開かれたままの、押し入れだった。

「……」

 鳩の宣言通り、彼女は眠っていた。ネコ型アンドロイドの代わりに、生身の人間がブランケットを一枚かぶり、横向きになって眠っている。短い高さの距離を、プラスチックのすべり台が、橋渡ししている。

 相変わらず、肌が白い。髪の毛も一部、灰かぶりのようにくすんでいる。色素を作ることが不得手な彼女の体は、白のシャツに、襟元が青いパーカーを重ね着している。頭には、ギザギザ歯を覗かせた猫のフードをかぶっていた。

 襖に張りつけた、特殊素材のマグネットテープ。
 掛かるホワイトボードを見つめた。


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 せんたく(しつないぼし)  〇
 あさごはん(こめあらって、たいまーずみ) 〇
 ふろそうじ(とくひつすべきてんなし) 〇
 あいろんがけ(しゃつ、ねくたい) 〇
 せかんど(わたし) 〇

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 ひかえめに言って、至れり尽くせりだと思う。
 赤いペンを手に取って「ありがとう、とてもたすかってる」と返事をした。

 * *

 
 わたしは最初、まっしろだった。

 『敵意のない識別可能な姿』を持つことは、絶対条件の一つだ。マッチング対象の人間にとって、一種の『理想』を顕現したそれを、邪見にする者は早々いない。わたし達の基本コンセプトは、そういう風にできている。

 けれども、わたしは、まっしろだった。

 マッチングした人間が、外見上での理想形、イメージを、元々持っていなかった事になる。

「……………」

 その時点で、彼女はわたしという存在への興味を失った。特定の名前を与えられることもなかった。それでも、わたしが生まれた瞬間、本来の能力は発揮された。

 特定の人間が巡り合う。おたがいの存在の必要性に気が付いて、相互作用をうながす。新しい答えを導きだす。

 やがて一人の男性が、わたしとマッチングした人間に目を向けた。

 純度120%。個人のセンスのみで記された、複雑怪奇な構造体。前衛的な現代アート。ただしそれは、論理的で、実用的で、正しく機能する。

 しかしそれが、一体なんの為にあるのか、どう使えばいいのか、大勢の人間には視えてこない。パズルは、設問と解の仕組みが見えてこそ意味がある。ノーヒントで、そもそも遊び方が不明瞭であれば、判断がつかないのは当然だ。

 それでも、コレはもしかすると、ちょうど自分が求めていたものじゃなかったか。システムとして組み込むことで、開発中の玩具に応用できるんじゃないか。男性はその事に気がついた。

 彼は、わたしとマッチングした『彼女《本体》』にたずねた。だけど、それに返せる言葉を持っていなかった。

 彼女は、知能障害者だと思われていた。まともな読み書きができず、ただ歩くことですら、どこかままならない。なにもないところで、とつぜん泣く。とうとつに大きな声で叫ぶ。誰も見ないものを見つける。ただそれを伝える手段がない。

 ――頭の中にある言語が、そもそも違っていた。
 文字の読み書きはできずとも、芸術をうみだせる天才は実在する。

 わたしの導きで、本体は電子の世界を見つけた。一人の男性と出会い、自分にできる出力の方法を学びはじめた。

 一方で、男性も苦労していた。辞書のない未知の造語をひも解くように、仕組みを一つずつ、理解しようと試みてはいた。それでも、ままならない事はあまりにも多く、時間ばかりが浪費されていく。


「誰か手伝ってもらえないかな」


 その呼びかけに、わたしは応えた。
 まっしろだったわたしは、自分の意志で、姿形を得た。名前も獲得した。

 だから、これは『わたし』だ。

 
 最近、彼女はよく、わたしの真似をしたがる。キャラクタもののパーカーを着てみたり、化粧品のサンプル画像をながめてみたり。それはべつに構わない。

 あとは、お米を炊いたり、洗濯機の回し方を覚えたり。アイロンの使い方も最近になって覚えた。この家の家電は、すべてわたしの管理下にあるから、万が一にも火事になることはない。

 誰かの役にたちたい。その願いが、彼女をヒトに近づけていく。

 わたしは、小さな液晶画面の中から動画を流す。最初こそ、みよう見まねだった彼女は、最近になって、だんだんと普通のことができるようになった。もしかすると、現代女子の平均値よりも、スキルが高いかもしれない。

 今日、モニター1枚をへだてた世界の先で、不器用な人間たちが暮らしているのが視える。なんだかいいなと思う。だけど時々考えてしまう。

 『わたし』の救いは、どこにあるのかなって。


 ――視えないよ。なにも。