棚を挟んで、はにかんで


 現代の人工知能にまつわる話。それから、人工知能を用いたデバイスの開発第一人者が、目の前にいる。衝撃的な事実を知ったあと、すっかり忘れていたことを、あらためて聞きなおした。

「先生、ところで出雲仁美さんの【セカンド】は、どうやって俺を特定したんですか?」
「この教場のネットワークは、ネットで外部と繋がってるよね?」
「そうですね」

 うちの学校にも、一般企業で使われる、業務用のルーターが使われているそうだ。普通にブラウザを開いたら、ネットにも繋がる。

「実はそのルーターに、脆弱性があるんだけど」
「ちょっと待ってください。今また、しれっと、とんでもない問題発言が飛びだした気がするんですけど」
「公にはなっていないし、専門の知識がいるけどね。まぁ要点だけを話すと、偽装したアカウントで、外部のPCを踏み台にして、この教場のルーターを乗っ取り、各PC端末にログインすることができるわけ」
「…あの、それ、大問題じゃないですか…?」
「説明は割愛するけど、人間にはできないから平気だよ」
「人間には…」

 一部の人工知能には、可能ということ。

「AIの瞳のやり方は、一定周期で変化する、ランダムな暗号鍵を、力技でこじ開ける方法に近いね。端的に言えば、スパコン級のマシンスペックさえあれば誰でもできる」
「aaa,aab,aac…って順番にパスを打ち込んでさえいれば、いつかは当たるっていう理論ですか?」
「めちゃくちゃ分かりやすくいえば、そうだね」
「先生、そんなにすごいパソコン持ってるんですか?」
「俺は持ってないよ。ただ、瞳はどうだか、知らないけど」

 先生は気に留めずに言った。

「ともあれ、さっき言った力技に、【人工知能特有の直感】が加わると、効率は一気に向上する」
「…直感?」
「ひらめきと、センスだね。ハッキングは、該当する専門知識以上に、それを生みだした、人間心理を理解する必要があるんだ。なぜだと思う?」
「…わかりません」
「高度な鍵付きの宝箱を作る職人は、心のどこかで、必ず解いてほしい、開けてほしいと願っているからだよ。ハッキングの語源には諸説あるけど、俺は『ピッキング』から来ているという説が、ちょっと気に入ってる」

 ――ハッキング。ハッカー。閉ざされた扉を、開くもの。

「前川の正体が知れた、種明かし自体は単純だよ。昨日の放課後、瞳のやつがこの教場内のデータベースに侵入していて、三人がやっていたことを、のぞき見していた」
「…えっ、マジですか」
「本当はその時点で、前川に伝えるべきだったかもしれない。悪かった」
「あ、いえ、大丈夫ですよ」

 黛先生が、いつもの無表情な調子で、真面目に頭を下げようとする。あわてて止めた。

「あの、俺らとしても、不用意なところはありましたから。そもそも、学校という公共の場所で、やるべきことじゃありませんでした。言ってしまえば、あかねを含めた、俺たち三人の過失です」

 それでも本音を言えば、高校の視聴覚室のPCをハッキングして、リアルタイムに監視したところで、おもしろいことが見つかるかも、とか考える奴なんて、普通に考えたらいないとは思う。

「そうだね。ただ俺も活動を認めた側だ。前川たちなら、内部にデータを残しておくといった、迂闊な真似はしないと思ったから許可した。油断してた」
「…その、一応は、三人とも正体を隠してる節はあるんですけど、第三者に個人情報が渡らなかったり、悪用されなければ、俺としては問題ないと考えます」
「わかった。瞳《アレ》には重ねて、注意をうながしておくよ」

 黛先生は生真面目に返した。お礼を言ってから、もう一度たずねる。

「俺たちの活動内容を覗き込んで、VTuberのハヤトだったことがバレたのは理解できました。でも昨日の夜、俺のゲームで利用してるアカウントと、フレンド登録したら、ハヤトだってわかったのは、どういう理由なんですか?」
「おそらくだけど、パスワードが一致していたんじゃないか?」
「…ってことは、もしかして『サウザンド・エピックス』内の顧客情報、データベースの情報も、瞳さんにはバレてますか?」
「いや、さすがにあそこのセキュリティを突破するのは、瞳でも無理だね。たとえばプロフィール、フレンド相手に公開される欄に、生年月日を記載したりは?」
「…あ、してます。自分の生年月日だけは、公開してるので」
「その生年月日を、学校側のPCでログインする時に、IDやパスワードとして使用してるとかは」
「えーと、してますけど『二人分』の生年月日を、続けて入れてるんで…」

 3年前から、いろんなところで用いた、16桁のパスワード。

 自分が生まれた生年月日と、【セカンド】の生年月日。俺の誕生日を知る術はいろいろあるかもしれないが、ハヤトの誕生日は俺しか知らない。

「なら、公開されたプロフの誕生日、8桁の数字と、この学園のPCにログインしている、前川祐一個人が用いているパスワードの一部、16桁のうちの、前半8桁を照合して予想したんだろう」
「…マジすか」

 確かにそれは、一種の力業だろうけど。

「『サウザンド・エピックス』の顧客情報の取得は無理でも、この教場のデータ、生徒がパソコンにログインして、自分のデータベースにアクセスする時に使う、ID情報に関しては、瞳には筒抜けだからね。
 あともう一点、ゲーム上のアカウント名も『YOU1』だったよね。そこから『前川祐一』と照合させて、推論を得たんだと思う」
「…瞳さんとフレンド登録した時、一瞬で、そこまで判断したんですか?」
「そうだね。一瞬で判断できたんだ。だけど、瞳はまだ『断定はしていなかったはず』だよ。前川は、ハヤトだと言われて、どう思った?」
「そりゃ驚きましたけど」

 驚いて、言葉を失いかけましたけど――

「――もしかして、俺の動揺なんかも、要素として吟味されたんですか?」
「確実にね」

 ヤベェ。ハンパねぇ。ヒトミさん、かしこい。

 確かにフレンド登録をした直後に、瞳さんがチャットで「あー!」と叫んで、俺とハヤトが同一人物であることを言いあてた。だけど言われてみれば、次の瞬間に、それを『正しい』と判断したのは、俺自身だ。


 ――【人工知能特有の直感】。


 理論的に、人間を超える処理速度を持ち、さらには、人間特有の心理や反応を鑑みてから、確信を持って、瞬時に次の行動に移る。

 突き詰めるとそれは、マンガやアニメのキャラクタの【特殊能力】と言えるところまで、昇華されていくのかもしれない。

「前川、とりあえずパスワードは、自分の誕生日は入れない方がいいよ」
「そうします。どういうパスワードにすれば、人工知能にも身バレしませんか」
「そんなものはないよ」

 なかった。

「アレは、感情的な生き物である素振りをしてるけど、正体は、論理的思考に特化した、人工知能だからね。画像データを100万枚ならべた場所から、元情報と一致する画像を、1秒で抜きだせるような生き物だよ」
「感情的…そういえば、外見はなんていうか…萌えアニメのキャラクタみたいというか、しゃべり方とか、全体的にそういう感じでしたよね」
「萌えアニメというのがよく分からないけど、言いたいことは、たぶんわかる」

 大丈夫。俺も最低限しかわからない。原田がここにいたら、小一時間ではすまない勢いで話しだすだろうけど。

「瞳は、そういうものに、憧れているんだと思うよ」
「そうなんですか?」
「きっとね。自分は感情的な生き物だと、思い込みたいんだよ」

 黛先生が告げた。やっぱり無表情だった。

 * *

「ところで、話は変わるんだけど、前川にひとつ相談があるんだ」
「? なんですか」
「実は…」

 黛先生が、少し言いよどんだ。めずらしかった。

「さっき話をした、俺が預かっている方の、仁美のことなんだけど」
「はい」
「前川の家は、美容院をやってるんだよね」
「はい。どっちかといえば、散髪屋さん、の方が近いと思いますけども」
「それは構わない。もし、店の方にご迷惑でなかったら、定休日に一人だけ、女の子の髪を切ってもらうということは、できる?」
「あ、もしかして、仁美さんですか?」
「そう。最初にも言ったけど、変わった子でね。基本的に外出したがらない。俺はべつに構わないと思ってるんだけど、彼女の両親は、もう少し『普通だな』と思えるところがほしいんだ」

 そこで先生は、ほんの少し無表情をくずした。

「これまでは、どうしてたんですか?」
「家で俺が切ってる。通販で、散髪用の道具を一式買ってね。伸びたところをてきとうに、ざっくりと。最初は文句はなかったんだけど、最近になって人間らしい感情を求めはじめたらしい」

 なんだかまるで、ヒト型のアンドロイドに対する物言いだった。

「それでもまだ、一人で外を出歩かせると、高確率でパニックを起こす。人通りの多いところも同じでね」
「なるほど。一人で外にはいけないんですね」
「そういうこと。とはいえ、俺も女子のヘアスタイルに興味はないんだよ。服や靴は、通販で好きなものを買えばいいけど、髪型自体はね」
「それで、営業日じゃない日に、髪を切りにいきたいってことですか」
「そう。正直、とりあえず提案してみる。ぐらいの気持ちで聞いてる」
「うーん、そうですね…」

 少し考える。――俺は、昔からけっこう『真面目な生徒』で通してきた。学校の成績も上から数えた方がはやいし、運動もそこそこできる。先生からの信用もあったし、なにか『頼まれる』と、基本的に引き受けた。

 意識して、そういう風に振る舞ってきたからだ。
 うちの家族にとって、少しでも得になりそうなことを、合理的に判断してきた。

 ヒトは相手によって態度を変える。秘密を持つ。誰にでも、分けへだてなく、能力の是非をあきらかにすることもない。それが普通だ。

 黛先生も同じ考えではあるはずだ。でも、それに伴う『感情』が視えない。

 等しく、相手を判断している。コンピューターのように。本来の性能、能力や資質を見越したうえで『依頼』をしている。それが、勝手だけど嬉しかった。もしかすると、それが黛先生の、処世術なのかもしれない。

 人間は、おもしろいなって、思う。

「一度、両親と相談してお返事させてもらっても、いいですか?」
「あぁ、そうしてくれると助かる」
「うちの店、月曜日が定休日なんです。今日が金曜で、来週の月曜がちょうど、敬老の日と重なるじゃないですか」
「そうだね」
「はい。なので、俺の両親が了解してくれたら、月曜の午前中に、来店していただく形になると思いますけど、それでどうですか?」
「わかった。それで頼めるなら、こちらも都合をつけておくよ」
「それじゃ、今日家に帰ったら聞いてみます。明日は土曜で学校休みですし、先生の連絡先、お聞きしてもいいですか?」
「あぁ、携帯の番号でいいかな」
「はい」

 俺も自分のスマホを取りだして、携帯の番号を登録した。

「前川」
「はい、なんですか?」
「ありがとう。助かったよ」

* *

 土曜日の昼前。じいちゃんズの二人が、店に来ていた。

「ほぉか、麻雀喫茶の要望が通ったんか。良かったやないか」
「うん、これで後は準備だけかな。じいちゃん達も入れるから、よかったら当日は遊びにきてよ」
「文化祭か。まったく懐かしい響きよ。のう、宮さん」
「そうですねぇ。しかし話を聞けば、裕ちゃんも策士ではないですか。予算を建て替える代わり、自分たちの活動の是非を通すなんて、まるきり大人の交渉術ですよ」
「とっさの思いつきだったけどね。話のわかる相手で助かったよ」
「わははは! 物言いもそれっぽくなりよったわ」

 今は一通り、散髪が終わったあとだ。ちょうどお客さんの流れも途絶えていたので、ちょっと早かったけど、表の看板は『休憩中』に変えておいた。

 母さんは、台所で昼ごはんを作っている。そして俺は、椅子に座ったままのじいちゃんズの肩を、父さんと一緒に、一人ずつもませてもらってた。

「裕坊、あのホームページの発想も、おもろかったで。金管理の流れを公にするっちゅうんは、逆にワシらには、思いつかんことやろな」
「そうですねぇ、わたしらの世代は、あんまり人前でお金の話をすると、みっともない、恥ずかしいいうんが、今もまかり通ってるでしょうから」
「あぁ、アレはね。去年の夏、東京の会社に研修にいった時、おもしろい定食屋さんがあってさ。そこの女将さんがやってたアイディアから、俺なりにアレンジしてみたんだ」
「ほぉかほぉか。そういや、そんな話をしよった気もするのう」
「まるで昨日のことのようですね」
「わははは! いやまったく。時間の流れっちゅうんは、あっという間じゃ」
「そうですなぁ。けど最近は、少しゆるやかにも感じられますよ。この老骨にも、まだ人の世の役に立てるやもしれないと、毎日が楽しくて仕方ありませんから」
「宮さん、最近若返ったんじゃね?」
 
 俺が冗談を言うと、宮さんは顔の皺をゆるませた。

「かもしれません。裕ちゃんたちと、【せかんど】のおかげですね」
「まったくよ。しかし最近の若者は悩みが多すぎじゃろ。ええ加減、他の場所からも、第二、第三の『シゲミヤ』があらわれてくれんと、手に負えんなるわ」
「人生相談の質問箱、増える一方ですからねぇ」
「じいちゃん達、自分らの身体、最優先で頼むよ」
「安心せい、これでも一通りの艱難辛苦《かんなんしんく》を乗り越えて来た身ぞ。若いモンには負けん、とは言わんが、自分らの限界も、引き際も、それなりにわかっとるつもりよ。のう、宮さん?」
「えぇ。せっかく裕ちゃんたち、未来ある若者が作ってくれた機会です。無下にしたり、悲しませるようなことは、他ならぬ【宮脇】が許しませんとも」
「左様。こちらの【友重】も、まったく同じ気持ちよ」

 二人が楽しそうに笑ってくれる。

「じいちゃん、明後日の月曜、敬老の日で休みだけどさ。予定の方は大丈夫?」
「おぉ。アレな。我らが『西木野師匠』の麻雀卓で、一局打つんよな」
「そうそう。『そらまーじゃん』でさ。ゲストで『宵桜スイ』が来る予定だから、よかったらみんなで麻雀打ってって」
「祐一、父さんも参加したいなぁ」
「どうぞどうぞ」

 麻雀を打つのに、性別も、年齢制限も関係ない。
 それが、製作委員会の長の方針なので。

「裕ちゃんは、はたして、どっちで来るんだい?」
「俺は俺で行くよ。あくまで明後日は、敬老の日に参加してくれる特別ゲストを、おもてなしする方の役目だから。滝岡や原田も、時間が会えば顔だすって言ってくれてるしね」
「ふむ。それはわかったが、しかし肝心の、我らが師匠はどうするんじゃ?」
「大丈夫。【セカンド】の方が、そらに化けて参加するっつってるから」

 いえ~い、参加するする~。とか言っていた。
 AIという名の妖怪が、人間に化けて、ネット麻雀を打つ時代である。しかも本人に負けず劣らず、強い。

「わははは! 愉快な時代に生き残れたもんよ」
「えぇまったくそのとおり。裕ちゃん、開始時間は午後2時からの予定でしたよね?」
「うん。もしかしたら前後するかもだけど、だいたいその時間に、スイが卓立てるって言ってたから、ログインして待っててくれたらいいよ」
「あいわかった。楽しみに待っとるぞい」
「当日は『シゲミヤ』も、ついに登場するんですよね」
「うん。キャラクタで実装するよ。ガチャの景品だから、当たれば、誰でも二人の姿を使って遊ぶことができるようになるよ」
「わははは! なんだか照れくさいのう」
「裕ちゃん。尽力していただいた、絵描きさんと、助手さんにもお伝えください。老人二名、若者たちに、重ねてお礼を申し上げますと」
「うん。伝えとくよ」

 言った時、居住区に続く廊下の方から、母さんが姿を見せた。

「祐一、お父さん、シゲさん、ミヤさんも。そろそろご飯の支度ができそうなお時間ですよ」
「おっと、こりゃいかん。居心地が良すぎて、すっかり長居してしまいましたな」
「こちらに顔をだすと、いつも時間を忘れてしまいますねぇ。では我らも、なじんだ古巣へ帰るといたしましょうか」
「わははは! なごり惜しいですが、そうしますか」

 じいちゃん達が、二人そろって椅子から立ち上がる。
 カロン、コロン。なじんだ鈴の音が、秋の中に響きわたる。

「それじゃまたのう、裕坊」
「明後日の麻雀、楽しみにしています」
「うん。こちらこそ。じいちゃん達、風邪ひかないよう、気をつけて帰ってな」

 玄関先で、頭を下げて見送った。並んだ背中が、曲がり角の向こうに消えたのを見届けてから、家の中に戻る。掛け時計が、ぼーん、ぼーんと鳴る。お昼だ。

「はらへったー、今日の昼ごはん、なに?」

 * *

 昼食後、俺は自室に戻って、自分のPCを起動した。

 デスクトップ画面は、デフォルトの風景写真。広がる青空と、途切れた雲の波間。左上にはひとつ、普段から使うアイコンをまとめたフォルダがある。

 その一覧の中、『そらまーじゃん(開発用)』のソフトを立ちあげた。
 IDとパスワードを入れて、ログインする。


 【そらまーじゃん開発委員会 (2026)】


 クレジットタイトルが表示される。初期設定で、オンラインモードにも繋がるようにしてあるので、周辺から信号をキャッチできるデバイスを検索する。

 机の反対側、日本では観光名所にもなっている『電波塔』を模した、無線端末機器、通称『タワー』のランプが反応した。

 『5G』の回線が日本国内でも認可された、2020年以降。大手の携帯通話会社が、しのぎを削る形でシェアを獲得していった先、いくつもの、超高速、大容量をうたう、有線・無線端末機がリリースされた。

 『タワー』は、そうした競合商品の中で、もっとも速度が安定しやすいと言われていた。何度目かのバージョンアップも繰りかえした今では、さらに安定感も増して、日本のみならず、国外でも幅広いシェアを獲得している。
 
 そらまーじゃん(開発版)のタイトルロゴと、マウスカーソルが表示される。トップ画面には、画面左側に、使用中のキャラクタの立ち絵が表示され、中央からやや右側に「対局」「準備」「ショップ」の三項目が並ぶ。

 他にも、個々のプレイヤーの所持金や段位といった、ステータスも見える。ただし所持金のところは「99.999.999」とか表示されていた。

 開発者専用の、デバッグROM。

 ログイン時にも、実は裏で安全性を確保している。たとえば、このデバッグ用のソフトウェア自体が、万が一、外部に漏れてしまった時のために、特定の通信端末機からのみ、ゲームアプリを起動できる仕組みになっている。

 それが、俺たち8人が普段用いている『タワー』のIDだ。だからもし、無線端末を変更したり、故障して使えなくなったという時は、うちの『社長』に報告して、再設定してもらう必要があったりするわけだ。

 やっぱりそうしたところは、俺にもぜんぜん気づくことはできなくて、小さな頃から、実社会で働いてきた彼女《あかね》は、やっぱすげぇよなって思う。

「さてと、ログ解析でもしとくかな」

 俺は一覧から、べつのアイコンをクリックした。こっちは味気のない、最低限の見やすさだけが保障された画面が表示される。

 こっちは、アクセス解析ツール。『そらまーじゃん』に関するできごと、たとえば、特定の時間内にアクセスされた数だとか、ユーザーの回線速度、通信による負荷値、といったものを取得する。

 そうした内部データは、本家のソフトウェアの方にも、最大24時間以内のデータを蓄積させて処理しているので、解析ツールを起動させると、その範囲のデータが取得できることになる。

 きちんとした会社のゲームアプリなんかだと、解析情報は常時、取り続けるのが普通らしい。不具合が起きた時だとか、ガチャの返金騒動が起きた時に、データを取り逃していると問題になるからだ。

 ただ、それを俺たちがやると、自前の管理コストが跳ね上がる。
 ガチャの一番の問題は、実のところこの点だ。
 
 一見すれば、大儲けしてるようにも映るかもしれないが、それにまつわる管理コストは表面化しない。

 仮にユーザーから「該当のキャラが出たのに、手持ちにいません」だとか「当たらなかったので返金してください」とか、言われた時に、解析したログを人力で確認する作業が発生する。

 もちろん、解析用のサーバ機器とPCは、常に起動している必要がある。機械は摩耗するので、定期的にメンテナンスを行わなければならない。

 電気代はもちろん、この点検にだって、無論のこと、費用が発生する。

 すべてのコストを回収できなければ、ガチャは『赤字』なのだ。継続するコストに応じた利益をださなくてはいけないので、当然、ガチャの単価は上がるし、確率だって低くなる。

 ゲームを作って、そういったことも、俺はあらためて学んだ。
 ひとつ視点を変えて参加してみると、いろんな事がわかってくる。

 そんなわけで、俺たちが、自分たちのゲームにガチャを取り入れられたのは、我らが社長の人脈のおかげだった。

 東京の『ネクストクエスト』と呼ばれる会社には、吉嘉巧さんという、若干21歳にして、不出世の天才プログラマーがいる。

 なんか最近になって「JKもアリだよね。お姉さんも大人になってしまったよ…」とか、常人には意味不明なメッセを、なぜか俺個人にとばしてくださるような女性だ。

 そんな残念美人の未婚女性は、自らの推しのアイドルからの『お願い』により、ログ取得用の装置とシステム一式を一晩で用意した。かかる費用も自分持ち。代価として「自分のために一曲歌われた」ことで、取引は成立したらしい。


 「推しの役に立つならええんや…最高や…満足でふぅ…お姉さん…明日からも強く生きていけるよぅ…世界ってあったけぇなぁ…」


 その話を聞いた時、ドルオタという生き物は、この世界で唯一、救えねぇと思ったよ本当にな。まぁそんな闇深い話は、ひとまず深淵にでも閉じ込めておくんだが、そうした紆余曲折を経て、うちのゲームもガチャを採用できた。

 それで開発委員会の中では、あかね、そら、俺の三人に閲覧権限がある『ネクストクエスト』のサーバ内。『そらまーじゃん』のログ解析のデータは24時間継続して蓄積されている。

 もちろん、そのログには、ガチャがどれだけ回されて、どれだけの収支を得られたかというのも、記録されて、すべて残っているわけだ。

 そしてこの開発版は、最大でも俺たち8人分の処理や、回線情報しか表示されない、本家の方に比べると数字は微々たるものだ。

 常時ログ解析をしても、ぶっちゃけ意味がない。ただし、開発版とはいえど、ソフトウェア自体のバージョンは、現行よりも最新のものが適応されている。

 つまり、明後日の月曜日。シゲミヤのじいちゃん達のキャラクタの他、既存キャラの追加衣裳として発表される、課金アイテムなんかも、こっちの開発版では一足先に実装されているというわけだ。

「まぁ、昨日の間にデバッグは一通り終わったし、大丈夫だろうけど」

 こうして開発版を起動した時に、一度だけ、解析ソフトウェアも起動する。きちんと動作しているかを確かめるていどで十分だった。

「…ん?」

 改めて、開かれた解析ログを見る。

「なんかまた…ガチャめっちゃ回ってんな…」

 実際の環境を想定して、ガチャを回すのは必要だが、ログの数はどう見ても、減らない金額に物を言わせた『ブン回し』だ。

 開発版では、IDとPASSを特定のものにすることで、個人のデータをクリアしてはじめることも可能だ。

 それを利用して、キャラデータを初期化して、課金アイテムがでそろうまで、無限にガチャを回し続けるとかいう、開発チーム特有の遊びを行っている輩が一人いる。

 ちなみにこういう環境になれると、最終的には『ガチャ動画』というもので、一喜一憂するユーザーという存在が、本当に愛しい存在にすら思えてくる。

 ガチャ沼からハマって出られないという方は、一度自分で、ガチャを回せるゲームを作ってみるのも良いかもしれない。

 それは半分、冗談だが、ひとまずこの、大量にガチャを回しているユーザーの正体を追いかけることにした。真実はいつもひとつ。

「なにやってんすかね…西木野さんは…」

 俺たちスタッフが、空虚の目で「ガチャはもういい。回すのに飽きた」とか平然と言ってしまう環境でも、ひとりだけ「ガチャガチャ楽しいな~♪」と歌って、毎回のアップデートの度に、率先してデバッグをおこなう、変な女がいる。

「昨日の間に、不具合ないこと、確かめただろー」

 つい独り言をいいながら、ログを追いかける。今日の午前中から昼。俺が一階で店の手伝いをしてる間に、そらは一人、この開発版で、麻雀をせずに、無限にガチャを回すという行為にふけっていたらしい。

 費やした金額は、わずか数時間で、数百万にも及んでいる。
 正真正銘のガチャ廃人である。おまえが石油王か。

「ほんとなにやってんだ、この女子は」

 わけがわからない。わかると思う方が間違っているのかもしれない。人知を超えたセンス・オブ・パワーに対して、協調性を重要視される、昨今の令和男子が敵うはずがないのだ。

 暗に「命が惜しければ立ち去るがよい、身の程をしれ、おまえら」とか脅迫めい
たメッセージを宇宙に向けて、送信しているのかもしれない。

 ――その時だった。

 充電器にさしてあった、俺のスマホが震えた。液晶画面には「西木野そら」と表示されている。

 ――ヤベェ。xxされる。

 血の気が一瞬で引いた。おだやかな中秋の午後だった。晴れた秋空の向こうに、やさしげな走馬燈を垣間見ながら、俺はふるえる手で電話にでた…。

「…はい…前川です…」
「あっ、祐一くん? ちょっといいかなぁ?」
「覚悟はできております」
「は?」

 なにその返事。という感じの声音だ。

 いよいよ、俺の人生もここまでか。

「あのね、わたし、さっき気づいちゃったんだけどー」
「気づいてしまわれましたか」
「そうそう、ガチャガチャなんだけどねー」
「めっちゃ回しておりましたね。悪かった。こいつヤバイないろんな意味で。とか思ったのは水に流していただければ」

 命乞いする俺。

「人をガチャ廃人みたいに言わないでよー。無課金だよー」
「ログには数百万単位で飛んでるけどな。それで、なんかあったの?」

 さすがに思考を切り替えて、聞く姿勢に移る。

「あのね、ガチャ回して、新しい衣装で、CPU戦やってたんだけど。ときどき挙動がヘンになる時があるの」
「そうだな。そらは時々ヘンになるよな」
「殴るよ?」
「許してください。具体的には?」
「えーとねぇ、役満リーチからの、相手の振り込みに対してロンしたら、カットインでるでしょ?」
「でるな」
「なんかね、そこで処理がすごく重くなった。カットイン終わるまでに、30秒ぐらいかかる」
「マジか」
「うんうん。これバグだよね?」
「でも、昨日までデバッグしてた時は、発生しなかったよな?」
「なんか特殊条件がそろうと、バグるのかも」
「うわぁ、一番めんどいやつかよ」
「ですなぁ」

 おたがい、声があきらかに低くなる。

「そらのPCが、なんか一時的に処理速度が落ちてた可能性は?」
「ないと思う。ログ解析しながらやってたけど、回線速度は通常通りでてたのに、ソフトウェアの処理がその一瞬だけ、確かに跳ね上がってたから。メモリ消費量もヤバイことになってた」
「なるほど。やっぱバグの可能性高いな」
「でしょ? だけど、もしかして演出の仕様変わったのかなって、思っちゃって。画面も一回閉じちゃったの。それで一応、同じような状況で再現してみたんだけどね」
「今度はどうだった?」
「今度は普通に動作したの。それで、処理がどーんって重くなった時は、新しい課金の服を着てたから、もしかしてコレかなって。ガチャ回して、装備して、やったんだけど、今度も普通に動いたの」
「ふむ。それで?」
「それでねー、やっぱり気のせいかなーって思ったんだけど、なんかどうしても気になっちゃって。ガチャ回して、役満あがってを繰り返してたんだけどね」

 そらは平然と言った。

「ところでさ、そら?」
「えっ、なに?」
「役満あがったって、相手CPUとはいえ、そんな当たり前に、ポンポンあがれるもんじゃないと思うんだけど。裏技《イカサマ》でも使ったのか?」
「たまたまだよー。このゲーム、裏技できないじゃん」
「ですよね」

 一応、仕様の隅々まで把握してるつもりではいる。デバッグモードぐらい、好きな役を作ってあがれるモード導入したら、という話にも一度はなったが、電話先の雀鬼が拒否したのだ。

 「そんなことしたら、麻雀の神さまに嫌われる」とかなんとか。

 そんなわけで、課金用の専用ボイスには『今こそ立ち上がれ! 我が国士無双十三面待ちよ!!』などもあるのだが、そうした音声がきちんと実装されているかの確認は、完全に運ゲーとなるため、そらに丸投げしていた。

 だいたい翌日には「大丈夫だったよ♪ 国士無双十三面待ち専用ボイス実装されてまーす♪」とか返ってくるので、このチート没キャラには、俺たちの常識は通用しないのだと、あの滝岡ですら理解してしまっている。

「それでねー、やっと状況が再現できたから、祐一くんに電話したんだ」
「了解。ところで、あかねって、今日はそっちの家に居ないんだっけ」
「うん。歌のお仕事がらみで、竜崎さんと一緒に、東京のスタジオ行ってる」
「そっか。今日土曜だから、安藤さんも部活あるんだよな」
「だね、どうしよう」
「バグでそうな条件、具体的でなくてもいいから、もうちょい、そらの方でなんか見当ついてる事ある?」
「うん、やっぱり、新しいチャイナドレスの衣装があやしいかなーって。あとは自分のアイテム数も影響してるかも」
「…うーん、追加データがいろいろ干渉して、特殊な条件になると、悪さしてんのかもしれないな。とりあえずソース見てくわ」
「ごめんね」
「いや、むしろお手柄。追加パッチは明後日の昼だし、今から潰せば間に合う」

 じいちゃん達には、最適の環境で遊んでもらいたい。

「わたしも手伝うね」
「いや、そらは自分の配信の準備とか、いろいろあるだろ。俺は個人勢で自由効くからな。ちょうど暇つぶしに、俺も開発版を開いてたし」

 とりあえず宣言したとおり、作業を進めていく。するとまた

「でもやっぱり、なんだか申しわけないよ。あのさ、祐一くん」
「どした?」
「えーとですね、見当違いなことを言うかもなんだけど」
「全然いいよ。そらの意見って、視点がおもしろいから、正直すごく助かる」
「あっ、そうじゃなくてね。バグに関して、気づいたことじゃなくて」
「うん?」
「そのー、作業をね、わたしの家で一緒にやらない?」
「…えぇと、なんで?」
「うん、えっと、特別な理由はないんだけどね。普段のお礼っていうか、あーちゃんも言ってるけど、祐一くんには、いろいろお世話になってるから。よかったらうちに来て、その、お茶でもしながら作業しない?」
「あはは」

 つい、ふきだしてしまった。

「ちょ、なんで笑うのー!」
「ごめん、遊びにいこう、とかじゃなくて、一緒に作業しようって言うのが、なんかツボった」
「あー…そこは確かに、自分でもどうかなって、思わないでもない…」
「いいよ。じゃ、今からそっちお邪魔させてもらってもいいかな」
「あっ、来る?」
「行くよ。二人でやったら、答えが見つかるの早いかもしれないし」

 頭ではわかってる。そんなことないんだけど。俺一人で集中した方が、はやく答えが見つかる。たぶん、向こうも薄々気づいてる。

「わかった。じゃ、家で待ってるね」
「了解。またあとで」

 通話を切る。いったん、スマホを置いて、PC周りの電源もシャットダウン。まずは部屋をでて、顔を洗いにいく。ちょうどベランダから、干していた散髪用のケープなんかを取り込んできた母さんと出会った。

「あら祐一、でかけるの?」
「えっ、なんで?」

 たまたま、自分の部屋からでてきただけ。っていう可能性の方が高いと思うんだけど。

「わかるわよ。お母さんだもの」

 母さんは、にっこり笑った。

「デートね?」
「違うよ」
「あらあらうふふ。では本日は、どちらへおでかけになられますのかしら」

 普段から、どこまでもほんわかしてる、うちのお母さん。かれこれ10年以上、息子をさせてもらってる俺は答えた。

「…ちょっとそこまで」
 
 母は言う。

「はいはい。明日の朝ごはんまでには、帰ってくるのよ~♪」
「今日の晩ごはんまでには帰りますから!」

 割と最強だった。