in love with a ghost | healing(途中)


 3人で初めて、チームを組んでゲームをした夜。
 
 その翌日に、約束通り、まずは図書館の駐輪場によった。ちょっと気が引けたけれど、自転車をおいて敷地内をでたあと、新交通機関の『トラム』に乗って、彼女の家があるという、最寄の駅まで移動した。

 思えば、今日まで西木野さんのことを何も知らなかった。同じクラスだというのに、単純な情報量で言えば、竜崎さん兄妹に関しての方が「知っている」と言えることが多い。

「あ、ここだよー。わたしの家」

 たとえば、竜崎さん家の妹、あかねさんは、一般庶民の俺からすれば『お金持ちのお嬢さん』だ。

「…………マジ?」

 彼女のご両親のことは存じてないけど、社会人のお兄さんが、東京の会社で働く、えらい人だということは知っている。

 最先端のVR装置や、AIを用いたエンタメビジネスの企画と運営をやっている。対して西木野さんのことは、そんな必要最低限の情報すら知らない。

 ――だから、というわけではないけれど。

 西木野さんは、普通の女の子なんだと思ってた。俺と同じ、普通の公立中学に通ってるんだし、昼休みも同じ教室で、気の合う友達と話をしながら、同じような弁当を食べている。

 少なくとも、普段の日常生活すら想像できないような、竜崎さん達とは違い、西木野さんの家は、まだ俺たちに近い、庶民的な感じなんだろうなと、勝手に思っていたわけだ。

「あ、あのさ…西木野さん」
「どうかした?」
「西木野さんのご両親って、なにやってる人か聞いていい?」
「お父さんはデザイナーだよ~」
「…デザイナーっていうと…」
「なんかねぇ、ジャンル問わず、いろいろ作ってるぽい。お菓子とか生活用品のパッケージとかいろいろ~」
「…それって全国区で発売されてる商品…?」
「たぶん、そうなんじゃないかな? スーパーとか、コンビニで、普通に見かけるよ」

 ――それはつまり、老舗の大手企業が『定番商品』として発表している、全国区の商品のデザインを担当してるってことで。

「あとはこの街の図書館とかもかな。前川くんが、よく利用してるっていってたとこ。麻雀の本を借りたところあったでしょ。あそこも、お父さんが設計担当したって聞いてるよ」
「……へ、へぇー…」

 ――それはつまり、この街からすれば、都市の活性化を狙い、相応の予算を投資した重要な計画の1つのはずだった。その担当者として選ばれるからには、名実と共に名前が売れてないと、まず候補者にすら挙がらないだろう。

「…『すごいね』…」

 俺は夕日に染まった頭上を見上げながら、つぶやいた。

 そう。すごい規模の家だった。

 『本邸』と呼んでいいのかは分からないけれど、広々とした敷地の中には、3階建てらしいモダンハウスがそびえている。さらにはうちの店と同じぐらいの規模だろう『離れ』がある。二階建ての。

「もしかして、お手伝いさんとか住んでいらっしゃる…?」
「あはは。それはないよ~。あっちは普通にお父さんのアトリエだよ~」

 普通とは。

 綺麗に手入れの行き届いた庭先から、玄関口まで50歩ほど。玄関先には、じいちゃん達の秘密基地と同じ、正規の警備会社と契約しているんだろう、防犯システムのシールが見える。

 住宅自体も、まだまだ新しいんだろう、家の外観は綺麗で、解放感がある。俺の語彙力の無さが浮き彫りになってしまうけれど『とにかくすごく大きくて綺麗です』。

「ただいまー」
「…お、おじゃまします…」

 とにかく一言で表すならば「あら~西木野さんもお嬢様でしたわ~」という事だった。あらためて人生というのはなにが起きるかわからない。14歳にして、俺はしみじみと悟った。

「おかえりなさい。そらちゃん」

 玄関先の土間で靴をぬぐと、家の中から、うちの母さんと同じぐらいの、やさしそうな雰囲気の女性がやってきた。

「おばあちゃん、ただいま~。こっちの男の子が、前に言ってた前川くんだよー」
「こんにちは。はじめまして。前川祐一です」
「えぇ。お話は聞いてますよ。どうぞ上がってくださいな」
「失礼します」
 
 頭を下げてから、西木野さんに続く。階段を上がって、はじめて女子の部屋におじゃました。

「どうぞー、入っちゃってくださいー。エアコン付けるね~」
「ありがとう」

 俺も一歩、中に進んだ。

(…おぉ。これが女子の部屋かぁ…)

 西日のさしこむ窓のところには、ベッドが置かれていて、今は可愛い感じの「いるか」と「とら」のぬいぐるみが、ちょこんと置かれている

 枕元のチェストボードには、小さな鉢植えと、家族写真のフレーム立て。目覚まし時計も丸っこい。

 その側には、段分けされた本棚がある。男友達の家では見られない、少女漫画の背表紙が並んでいた。棚の上には、また小さな動物たちや、ファンシーな小物類が整列されている。

 なるほど。可愛い。そしてもしかすると、それは小物や家具にも留まらず、部屋自体の雰囲気――壁紙の色や、蛍光灯のデザインに至るまでもがそうだった。

(この部屋――『西木野さんの為』に、作られたのかな)

 最初から、特定の『女の子』が暮らすことを想定した、西木野そらという少女のために用意された、そんな雰囲気を、どこかしらに感じとった。

 対して、この部屋では異質というか、男心をくすぐられるのは、広々とした部屋の反対側にある、機能美あふれたパソコン机の一帯だ。

 メタリックカラーのL字型の机の上には、ハイスペックなデスクトップPCをはじめ、VTuberの自宅配信で使うのだろう、機材の一式が並ぶ。定められた所定の位置が遠目でも分かるぐらいに、綺麗に整頓されていた。

「前川くん。よかったら、座って待ってて。わたし、ちょっとおばあちゃんの方、手伝ってくるね」
「わかった。待ってるよ」
「ごめんね、すぐ戻りまーす」

 西木野さんが、鞄を収納ボックスの空いた場所に収めてから、部屋をあとにした。そこで俺もいったん、部屋の中央に用意された、テーブルの前で腰をおろす。

「……落ち着かねー」

 1秒が長い。そわそわした気持ちを落ち着けたくて、俺はためらいながらも立ちあがり、本棚に並ぶ『少女漫画』に注目した。

「あっ、これやっぱ『かるたふる』じゃん」

 緊張をごまかすように、独り言をはく。
 
「西木野さんも『かるたふる』読んでるのかぁ」

 それは、かるたの、百人一首の競技をテーマにした漫画だ。アニメになったし、映画にもなった。

 小学生当時、俺の中でマンガと言えば「少年マンガ」の世界がすべてだった。うちの店にも、散髪屋の定番というか、毎週『ジャンプ』を購入していたから、それを読んで育ったとも言える。

 その価値観を広げてくれたのが、スマホで見られる電子書籍のアプリが普及してからだ。俺が小学生だった頃、違法配信の『マンガ村』の問題なんかが、ニュースでも大きく取沙汰されたのをきっかけに、少しずつ、正規の取り組みがはじまった。

 そのうちの1つが、広告配信という形だ。
 該当するサイトに登録すれば、読者側は、1日1話ぶん、基本無料でマンガが読める。といった形式のサービスが増えていた。

 そういったもので、暇な時なんかに、ちまちまと、人気の高い順から検索して、てきとうに読んでいたら、ものすごく心惹かれるマンガに出会ったのだ。

 それが『かるたふる』だった。
 
 それまで、俺の中で、漠然とした固定観念を植え付けていた「少女マンガは女子が読むものだ。男子が読むなんて恥ずかしい」という認識を改めさせた一冊だった。

 俺が読みはじめた時点で『かるたふる』の単行本は、すでに40巻を超えていた。現在も連載が続いている。

 当時、毎日1話、無料で読むペースに小学生の俺は耐えきれず、ついには正規の電子書籍版を購入して、今も新刊を心待ちにしつつ、スマホで読んでいるという次第だ。

「第25巻の全国大会編の決勝戦が、ほんとアツいんだよな…そんな紙媒体の『かるたふる』が目の前にっ! いっぺん読んでみたかったんだよなぁ…!」

 男子ゆえに。くだらぬプライドが「少女マンガ」をリアル書店で購入し、部屋の本棚に置くという行為に、ためらいがあった。たったそれだけの事が、今日まで出来ずにいた。

「読みたい…っ!」

 俺の指先は、あらがえぬ欲求に屈するように、なかば無意識に、少女漫画の背表紙にふれてしまっていた。だが、そこでふたたび、躊躇する。

 さすがにダメだろう。初めて通された女の子の部屋で、部屋の主がいないのを良い事に、私物に手を伸ばすなんて最低だ。

 せめて言われたとおり、まずはおとなしく座って待ち、了承を得た上で手に取るのが、正しいのは言うまでもない。

 ――そんなことはわかっている。

 もちろん、承知してはいるのだが、


(あああああぁっ!! 落ちつかねえええぇ!!!)

 
 もう俺は完全にテンパっていた。外は微妙に暗くなっていて、レースのカーテンとかも引いて閉ざしてあるし。ベッドが視界に入れば「あぁこの場所で、寝起きしてるんだな」とか「あそこのぬいぐるみを抱えて、寝たりするのかな」とか、そういう、男子たるもの避けられないゲスな妄想が次から次に押しよせてくる。
 
 だったらせめて、綺麗な「少女マンガ」の世界に没頭させてもらった方が、西木野さんにも失礼にあたらないんじゃないか。それに彼女が戻ってきたら、まずは『かるたふる』の話題で、緊張感をほぐすというのも悪くないのではないか?

 そういう、言い訳じみた俺理論が展開された。かつてない強固な檻となって結ばれてしまう。「大丈夫だ。どう転んだところで、そんなに悪い方には進まないさ」と、自らの誘惑に屈してしまう。

 それに、もう一人のオレも言っている。

 【自由にやりたまえよ】と。

 いざとなれば、責任をとらせよう。というわけで、俺は人生で初めて、紙媒体の『かるたふる』を手に取った。正直なところ、結構ワクワクしながら、適当なページを開いた。
 


 『ロン 御無礼。12000点。トビで終了ですね』



「……………………?」


 べつのページをめくる。


 『一発ツモです。御無礼。8000オールです』


「…………………………??????」

 
 あれ、おかしいなぁ。
 一応電子書籍版とはいえ、既刊された最新刊まで、読んでると思ってたんだけどな。お気に入りの巻数は、繰り返し読んでもいた。

「…かるたって『ロン』とか『ツモ』とか、そういう単語が登場したことあったっけ……?」

 しかも妙なことに、絵柄がどう見ても『少女漫画』ではない。ついでに言うと、今時の少年マンガとも言い難く、なんかシブめのおっさんや、強面のオヤジが、床に座っているのではなく、椅子に座って「チー」とか「ポン」とか、心の声で「次は何を切るべきか」とか言ってるんだが。

 これは、つまり、このマンガは、

「――おまたせ、ごめんねー、前川くん」
「どう見ても麻雀マンガじゃねーかっ!!」
「ぴゃあ!?」

 そしてちょうど、ティーセットをのせたトレイを運んできてくれた、西木野さんが帰ってきた。

「わっ、はわわっ、あわわわわっ」

 どうにか態勢を整えた西木野さんは、目をぱちくりさせながら、テーブルの上にトレイをのせた。イチゴのショートケーキが見えた。

「ま、麻雀がどうしたの?」

 とりあえず、気になったらしいところを尋ねてきた。

「…あ、それ…」

 そしてまぁ当然、俺の手元に気付くわけだった。

「……ま、前川くん……っ!」

 そしてみるみる、顔を赤くして、

「勝手に見ちゃダメでしょーーー!!」

 叫んだ。

* * *

 彼女の悲鳴があがってしばらく、何事ですかと、階下から西木野さんのおばあさんも上がってきた。正直に『部屋のマンガを勝手に読んでしまいました』と弁明すると「そらちゃん、それぐらいは許してあげたら?」と、上手く取りなしてくれた。

「……」
「……」

 それで今は改めて、部屋の中央のテーブル前に、二人向き合って座っていた。気まずくて、湯気の香る紅茶の匂いだけが、時間の流れを運んでいった。

「…えっと、ごめん。マンガ、勝手に読もうとして。実は俺『かるたふる』の隠れファンなんだよ」
「そうなの?」
「そう。隠れっていうと違うのかもしれないけど。男子が少女マンガ読んでると、なんか恥ずかしい気がして、電子書籍の方で全巻買って読んでる」
「同じじゃん」
「え?」

 ちょっとすねた顔で、西木野さんが言った。

「理由がいっしょっていったの。わたしも、麻雀マンガ買って読んでるのが、バレたら恥ずかしいから、家族には隠してるの」
「え、でもさ、実物買う時は…」
「前川くん、現代には、インターネット通販というものがございますの。受け取り日時を指定すると、最寄のコンビニで受け取れるサービスもございますのよ?」

 西木野さんが、いかにも『良いとこのお嬢さん』といった感じで、楚々とした振る舞いで、紅茶に口付けた。全身からあふれだす、庶民オーラがすごかった。

「そうなんだ。じゃあ『かるたふる』は、普通の本屋で買うの?」
「買ってないよ」
「…へ? けど、表紙があるってことは、買って付け替えてるんだよね?」
「えーとそれは…」

 西木野さんの目が泳いだ。用意された、イチゴのショートケーキを、専用のフォークでそっと刺し、ぱくりと一口。聞こえるか、そうでないかの声で「甘いなぁ」とささやいた。

「一応ね。今から話すことは、みんなには内緒にして欲しいんだけど」
「? いいけど」
「そのマンガの作者、わたしのお母さんなんだよね」
「………マジで?」

 こくんと、うなずかれた。こっちは思わず「ガタッ」と、中腰になりかける。

「えっ、それ、ほんとすごいじゃん。『かるたふる』って、アニメにも、ドラマにも、映画にもなってるし! 外国人からの評価もすげー高いって聞くし!!」
「みたいだね」

 今日まで、自称「隠れファン」を自認してきた俺にとって、『かるたふる』という作品を愛しながらも、それを公に語ることはできなかった。

 たまに掲示板やSNSを覗き込んで、同じようなファンが「よかった点」を口にしているのを見て「わかる」と満足し、いいね評価を押すのがせいぜいだった。

 そんな、大ファンであるマンガの原作者。その娘さんが、目前にいるのだ。言わずにいられようか。

「西木野さん…っ! お願いですっ! お母さんのサインを、僕にくださいっ!」

 誠心誠意を込めて頭を下げた。

 これは物欲ではない。そう、けっして、やましい想いはない。純粋な、一ファンとしての頼みだ。ククク…貴様の母親の正体をバラされたくなければ、今すぐサインを書いて俺によこすように伝えなァ! というゲスな思想は一切ない。きっとない。

 うそついた。ちょっとある。

「いいよ。お正月ぐらいまで待ってたら、たぶん帰ってくるだろうから」
「……え? お母さん、一緒に住んでないの?」
「うん。東京に仕事場があるから、いつもはそっち。お父さんもだいたい、あっちこっち飛び回ってる人だから、基本おばあちゃんと二人暮らしなんだよね」
「そっか。さびしいね」
「んー、なれたねぇ」
 
 そう口にした彼女の言葉は、甘いケーキの味とは真逆だった。ここに至って、俺は自分の浅はかな発言を後悔した。

「お茶もらうね」
「うん、どうぞ~。おばあちゃんの煎れてくれる紅茶、美味しいんだよー」
「味わかるかなぁ。俺んち基本緑茶で、駄菓子屋の安い菓子で育ってきたからなー」
「えっ、駄菓子屋さんって、今も残ってるの?」
「なん…だと…? やっぱり西木野さんも、竜崎さんレベルのお金持ちだったのか? まさか、うマい棒をご存じでいらっしゃらない…?」
「あ、うマい棒は知ってるよー」
「それなら良かった。このまえ、あかねさんがウチに来た時さ、こう…袋を破くじゃん? そんで出てきた棒を、直接食っていいのかって、聞いてきてさ」
「あはは。あーちゃんなら言いそうだ~。それで? 紅茶のお味は如何かしら、前川くん?」
「いいですね。実にイイ物を使っていらっしゃる」
「わかってないよー、ぜったいわかってないよー。この人~」
「いいや、俺にはわかるね。これは一杯、十万とかするから」
「まさかのティーバックだったらどうするのー?」
「『味わかるマン』を引退して、家で素直にうマい棒食いつつ、安い茶ァ飲んで、だけどやっぱり、これがウメェんだよなぁ。とか一人悦にひたっとく」
「容易に想像できるよ、前川くん」
 
 悲しいかな。しょせん、俺は庶民であった。

* * *

 空気が落ち着いたところで、本題の『LoA』の話に移ることにした。

 まずは、L字型のパソコンデスクの方に移動する。昨日対戦した試合を、動画形式で録画したものを再生する。西木野さんの使っている、パソコンのモニター画面に映して、二人で分析した。

「西木野さん。まずmobaというゲームにおいて、単純に勝率を上げようと思ったら、なにが大事かっていうのは、わかる?」
「うーんと、相手プレイヤーのキルを取る事。逆に自分は死なない。キルを取られないことだよね?」
「正解。基本は多人数のゲームだからね。『LoA』に関しても、3vs3のチーム対戦で行われるわけで、合計6人のプレイヤーが、おたがいに陣地を広げようと攻めて、守るわけだ。こういう例えが適切かはわからないけど、敵プレイヤーの排除に成功すると、相手チームは、場合によっては30秒近く、コートに戻れず、ゲームに貢献できない時間が生まれてしまう。逆にキルを取ることに成功した側のチームは、一人分の守備がいないわけだから、その間にやりたい事が気兼ねなくできてしまう。つまり、1キルが発生すると、実質的には、30秒以上のアドバンテージの差が、両チームに発生することになるんだよね」
「…むむむ。つまり、麻雀でいうところの『ロン』だよね。相手に振り込んでしまって、一気に点数がひっくり返るという…」
「うん。そうだね」
「それで、わたしはまだまだ初心者だから、死なないのが大事。相手の思い通りに振り込んで自滅しちゃダメ。っていうのは分かるんだけど…そこから先が難しいんだよねぇ」

 隙あらば麻雀。というわけではないが、的外れとはけっして言えない。むしろ、西木野さんの『ゲームの知識と経験』から来るセオリーにそった方が、この場合はいいような気もしていた。

「西木野さん。麻雀ってさ、自分が1位の時なんかに、あえて、4位の相手に振り込むことで、自分の順位をキープする戦略もあるよね?」
「えっ、うんうん。あるあるー。局の最後、つまりオーラスの時にね。2位との点数差が微妙で、2位がツモっちゃえば逃げ切れるけど、自分が振り込むと、役によっては逆転されるかもって時だよね。もちろん、自分が上がれば勝ち確だけど、配牌が悪すぎて上がれそうにない時は、じゃあいっそ、3位以下の人に振り込んでしまって、勝ち逃げしちゃえ。っていうのはたまにあるー」

 ちょっと早口になる。麻雀を語る時の西木野さんは、本当に楽しそうだ。

「うん。その状況ってさ、きっと2位の人も分かってるはずだよね。このままいけば2位で落ち着けるかもしれないけど、どうしても1位を取りたい。取る必要があるシーンだったとすれば、ピンポイントで、西木野さんだけに狙いを絞るわけだよね」
「あぁそっかー。じゃあ昨日の試合はそういうのをあらかじめ判断して、もっと下がらなきゃいけなかったんだぁ…」

 昨日は結局、あれからさらに4試合を行った。
 結果は4勝1敗。勝ちは勝ちだったが、結局最初の1試合以外は、相手チームの強さも「そこそこ」だった。

 すでに今朝の昼から開催された『フェス本戦』で、仮にガチ構成のプロ予備軍チームと当たれば、おそらくチームの総合力の差という意味で、敗北するだろうと予測した。

 つまり、現状の俺たち3人では、このまま『フェス』に挑んでも最高称号であるところの【KING】は取れない。それが、俺の判断だった。

「あきらかに、わたしが負担かけてるよね…キルレートの数字がひどいし、5試合で死んだ回数だけ数えると、前川くんと、あーちゃんの数を合わせても、わたし一人の方が多いしなぁ……ヒーロー変えるべき?」
「うーん、そうだなぁ」

 形の良い眉毛をさげて、ちょっと落ち込んでる感の横顔を見つめる。

「一般的な評価、という意味合いを踏まえて言うなら『セイバー』って、あんまり強くはない、ヒーローなんだよね」

 まずは正直な所感を伝える。

「本来はタンク寄りキャラなのに、オバブレの威力がやたら強いから、近接タイプにしては、防御値が低めに判断されてるんだ。それって言っちゃえば、ゲームの決定打を握るJG《ジャングラー》から見れば、やりやすい相手なんだよね」

 続ける。

「あと『3バ』なんかで、リアルに連携が取れる環境だと、タンクはとにかく、ターゲット取って、1秒でも長く耐える。耐えてくれたら、アタッカーとしては嬉しい。って感はある」
「わたしが最初に対面した『アテナ』が、典型的なそれだよね。火力ないけど、スキル1で『スタン』発生させて、スキル3の必殺技で相手の攻撃100%カットして…『2』ってなんだっけ」
「献身系かな。いわゆる『かばう』ってやつ。敵がスキルの範囲内にいたら、自身の防御を上昇してから、ターゲットを強制的に自分の方に向けさせるんだ。あの場面だと距離があったから、いけるって思ったんだけど、オバブレ躊躇なく切って、防がれたね」
「うー…『セイバー』って、全部攻撃系なんだよねぇ…。スキル1が高めの単体攻撃で、2で自分を強くして、3の『エクスカリバー! どーん!!』みたいな」
「だけどその『どーん!!』も、元々のクラスが『タンク』だから、あくまでそのクラス内では威力が高いって話で、もう言っちゃうと、噛み合ってないんだよね」
「うぅ…チームではお荷物です。好きなんだけどなぁ…『セイバー』」
「それは見た目が? それとも性能が?」
「ごめん。えーと、なんていうか…割と全体的に好き。日本語版の声優さんも、わたしの好きな人なんだよね…」

 そう言って、複雑そうに、正直に笑う彼女の横顔を見て、俺は決めた。

「じゃあ『セイバー』でいこう。もちろん、最初のバンピックで『セイバー』を禁止されることはあるかもだけど、西木野さんは基本『セイバー』を使おう」
「いいの?」
「いいよ。俺の今回の仕事は『フェス』で、3人そろって【KING】を取ることではあるけれど、それより大事なのは、西木野さんが楽しくゲームをできること。そして『宵桜スイ』を推してるファンに、ゲームを遊んでる様子や雰囲気を見てもらって、そこに嘘偽りがないんだなって、納得してもらえることだよ」

 これからも応援してもらえる環境を作り上げること。
 それがなによりも、一番たいせつなことだ。

 人気の有無よりも、信用と信頼のないコンテンツに未来はない。視聴者はそこまで愚かじゃない。娯楽は他に山ほどあるなかで、ウチを選んで、遊びにきてもらうのだから。

「前川くん。竜崎プロデューサーみたいなこと言ってる」
「そうなんだ?」
「うん。ふふふ~。やっぱりわたしの目に狂いはなかったね~」

 正面から微笑まれてしまうと、とっさに目をそらしてしまいそうになる。時々忘れそうになるけれど、本来の彼女は、実際にアイドルをしていてもおかしくないぐらい、とても可愛いのだ。

「でもね、だからわたしも『たかがゲーム』だとしても、二人に迷惑をかけるのはいやだなって思うの。ハヤトのリスナーは、やっぱり、ハヤト君が勝って、どや顔してるところを見たいわけでしょ。クロちゃんのリスナーも、クロちゃん自身が、割とガチ勢のゲーマーだって知ってるから、やっぱり、勝つところが見たいはず」
「うん。それは俺も否定しないよ。そこで西木野さんへ朗報です。大好きな『セイバー』を使いつつも、ゲームの腕前が上がる方法を伝授いたします」
「待ってました先生! はやく裏技を教えてくださいっ!」
「裏技になるかは、お主次第じゃよ。ちょいマウス借りれる?」
「どうぞ~」

 謎のキャラ変をして、冗談めかしてから、俺はインターネットに接続した。そして数ある『LoA』の攻略サイトの中から『LoAダメージ計算機』というサイトを開いた。

「さっき。麻雀の話で、自分が勝つためには、3位以下の相手に振り込んで、勝つ戦法もある的な話をしたよね?」
「うんうん。したしたー」
「それって結局はさ、ゲームルール上で定められた条件のもと、正確な数値を取引《トレード》して、最終的に自分の数字が一番大きかったので勝ちました。っていうことだよね?」
「そうだね」
「じゃあここで、とつぜんですが、前川クイズのお時間です」
「おおっ? いいよー、どんどんきちゃってー」
「では問題――麻雀と呼ばれるゲームでは『持ち点』を取引《トレード》して、最終的な勝利の獲得を目指すわけですが、mobaという対戦ゲームおいて、この『点数』にあたるものに、もっとも近い概念はなんでしょうか?」
「ヒントお願いします!」
「A『ライフ』B『ヒットポイント』C『生命』D『HP』」
「…Aの、ライフで、お願いします…」
「本当にAでよろしいんですね?」
「…………Aで!」
「承知しました。それでは、正解は――――」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。

「Dの『HP』で――あっ、痛っ!! 足踏まないでくれるっ!?」
「つまり、キャラクタの『ライフ』を取引《トレード》する。相手よりも早く倒せそうだったら、押して、そうでなければ、素直に引くってことですね?」
「大正解です。さすが西木野さー―ぐふぁっ!?」

 椅子に座ったまま、肘鉄された。

「前川くんは、現代の女子力を侮らない方がいいと思います」
「い、いえすさぁー…」

 ハンパねぇよ。現代の女子力はよ。響くぜぇ。

「…まぁとにかく、mobaには、普通のRPGと同じように、レベルとか、装備とかのオプションがあってさ。あとは各種スキルにも、それぞれに固定の定数値《パラメーター》が割り振られるんだよね」
「うんうん。でもこういうゲームの計算式って『乱数』っていうのが、あるんでしょ?」
「mobaのタイトルにもよるけどね。『LoA』に関しては、確率発生のクリティカルヒットはあるけど、基本、それ以外の微幅であるところの『乱数』は、極小まで抑えられてるんだよ」
「それって、便宜上は『対戦ゲーム』を名乗ってるから?」
「たぶんね。とにかく言えることは、自分のパラメータと、相手のパラメータを、その場、その場で比較すれば、通常攻撃のみならず、スキルを使った時のダメージ量なんかも、かなり正確に把握できるってこと。んでこれが、有志が作ってくれた、そういうお役立ち系のサイトなわけ」

 俺は説明をしながら、適当に、画面の左寄せで用意された空欄の枠に、プレイヤーAを『セイバー』として、『レベル』と『攻撃力』なんかを入力する。
 
 さらに、プレイヤーBを『スカーレット』に設定し、同じ様に『ライフ』と『防御力』を入力する。
 
 条件式には『スキル3』発動後を選び、最後に『計算する』ボタンをクリックすると、あら不思議。

 項目欄の右側。大きく開いた場所に、シンプルな、一次関数的なグラフが表示されるわけだった。

「この青い線が、西木野さんの『セイバー』で。赤い線が”ブザー”の得意な『スカーレット』ね。この線と数値がなにを表してるかっていうと、このゲームでもっとも強力な必殺技《オーバーブレイク》を打った時に、クリティカル無し、かつ、乱数が底値でも、確実に仕留められるHPのボーダーライン。いわゆる【確殺ライン】とか呼ばれるやつ。
 仮に1対1で、他の相手に邪魔されずに、オバブレを発動した時に、確実に倒せます。キル取れます。取られます。っていうのが、この線で示されてるわけ」
「ほぇー、すごいね。こんなのあるんだぁ」
「あるんだよね。ゲーム中だと、リアルタイムでは、ライフの細かい数値までは見えないけど、キャラクタの上に『赤いHPバー』が用意されてる。そんでグラフの下に同時表示されてるSS《スクリーンショット》が、実際こうやって――グラフの方でカーソルを合わせた時に――そのHPになってるキャラクタが、表示されてるわけ」
「えぇ、すごいっ、じゃあ実際の試合でも、このSSと同じぐらいのライフになってたら、必殺技撃っていけば倒せるってこと?」
「そゆこと。逆にこのSSと同じ様な状況になってたら、最優先で前線から下がって、ライフ回復のためにリコール選択しようとか、普段『感覚でやってしまってること』が、自分なりに、具体性を伴う判断材料として、効率的に行えるようになるんだ」

 つまり、こういうことだ。

「――ライフという数値を材用にした取引《トレード》に勝つことで、相手プレイヤーのリソースを奪い、自分のものにする。自分と相手の点差を広げていくことで、結果として全体を見た上でのチーム戦にも貢献し、勝利する。それを何百試合と、正確に繰り返していくことで、自分の勝率そのものを引き上げていく。そういう結果に繋がっていくんだよ」
「わかる~! わかりみが深すぎて、わたし、わかっちゃいました! 前川くんっ! つまりこれって、近代麻雀とおんなじ考え方をしてるわけだよね!」
「せやな。西木野さん。mobaは、近代麻雀だったんだよ」
「はぁ~。やっぱり麻雀は宇宙ですよ~。時を超え、ワープして、現代のeスポーツ界に追いついてしまったんだぁ…ヤバイ…麻雀はヤバイよ…シュゴイよぉ……」
「それな。西木野さん。なにを言ってるか俺には全然わからないけど。キミがそう思うなら、そういうことなんだよ」
 
 いいのだ。前川流moba道場では、生徒を否定しないのだ。
 伸びしろのある子は、どんどん褒めて伸ばしていけ。

「あとさ、このサイトとグラフを使ってたらさ、実際『〇〇っていうキャラの、××って技がヤベェ威力だから早めに下がるわ』ってアバウトにやってた部分が、『スカーレットっていうキャラの、スキル3の基礎攻撃力が80で、自分のキャラの防御力が150の時は、食らうとダメージ5000入るけど、それなら耐えれるから、HP9割以上あるなら『セイバー』のスキル3を打たずに我慢して、奇襲されたらこっちもやり返して、最悪相討ちにして誤魔化せそう。だからもうちょっと居座ろう――みたいな判断が、その場面、場面で、できるようになるんだ」
「すごい。やっぱり上級者のプレイヤーって、みんなそういうこと考えてるんだね」
「たぶんね。ランクマッチの最上位層は、少なからず、感覚的にやってるところを、体系立てて自分の技術にしてるはずだから」
 
 そしてそれは、べつにeスポーツならずとも、麻雀、将棋や囲碁。野球やサッカー。ボクシング。あるいは実生活に至っても同じことだ。

 その道の『上級者』というのは必ず、なにかしら優れているところがある。なにかしら優れているというのは、対象の物事に関して造詣が深い。あるいは、視野を広く持っているということだ。

 縦と横。深さと広さ。そして、まだ見ぬ世界を見通す目。
 それが俺の考える【強さ】の指標になっている。
 
「じゃあ話の続きに戻るけど、このサイトで算出できる情報をもとに、現状で強いヒーロー、バンピック最有力に挙げられる『強キャラ』の名前をあげていくよ」
「うん、わかった」
「それで、できれば、そういったヒーローの各種技の攻撃力とか、スタンダード化してるビルド――つまり、選択するボーナスパラメーターだとか、購入する装備の種類で、広く浸透してるもの。そういった現在の『流行』を抑えたうえで、可能な限り、自分の中での体系に基づいたルール決めをして、それを忠実に守ってプレイしよう。そういった『面倒くさいこと』を、手を抜かずに反復することで、だんだんと勝てるようになっていくはずだけど」
「うん。わかった。やります」

 西木野さんは、即答した。 

「今のチームは、わたしがアキレス腱なんだから、三人で勝つには、まずわたしがリスクを最小限に減らすことが重要なんだよね。自分が絶対に優位に立ってる時じゃないと、前にでない。ライフトレードを仕掛けない。『セイバー』の必殺技のエクスカリバーも、キルが確定で取れるラインを下回ってないと、打たない。振り込まない」

 西木野さんは言いきった。正直「イチイチそんなの覚えきれないよ」と言われることはなくても、ちょっとぐらい、嫌そうな顔をされたり、言葉を濁されても仕方ないなと思ってた。

 嫌がるようなら「今のは全部ナシで。適当に楽しもう」と言っても良かった。
 ただその場しのぎで「じゃあたいへんだけど、やろっかー」とか言われても、それで十分だと思っていた。

「…いいの?」
「え、なにが?」
「偉そうに解説してる俺が言うのもなんだけど…全部覚えようと思ったら、けっこうマジでめんどくさいよ」

 たとえば、滝岡なんかは、細かい数値を覚えるのはめんどくせぇ。その辺りはノリでいく。と言いきった。『たかがゲーム』に、そこまで時間は使えないと。

 べつに滝岡のことを悪く言っているわけではない。
 世間一般の感覚としては、むしろ『それが普通』だと思う。

「うーん…面倒くさいって思う気持ちは、あるにはあるけど…でも前川くんの言ってることをやったら、結果的には勝ちやすくなるわけでしょ?」
「それは保証する。西木野さんが、レーンをしっかりキープしてくれたら、後は俺がどうにでもするから」
「じゃあやろう。今のチームで、一番足を引っ張ってるのわたしなんだし、現状を鑑みても、前川くんの言ってることは間違ってないと思うから」

 けっして、滝岡のことを言ってるわけじゃあないが、こういった『めんどうな事』を、感覚的にやれてしまう【天才】は、実際にいるんだろう。

 大昔の逸話で、どこかの国の王様が「勉強を楽に覚える手段はないかね?」と、専属の家庭教師だか、大臣に問いかけたところ『学問に王道なし』という返事をもらってしまった。というのは、有名な話だ。

 要は【天才】と呼ばれる人たちは、こうした論理的な説明や、グラフ図のようなもの、視覚的な情報として相互理解に至るといったものを、自らの頭の中で整理し、それを状況に応じて反射的に、正確に処理ができるのはもちろんのこと。さらにそこから【新しい概念《ルール》】を生みだせる人たちなのだ。

 事実、俺たちは『アインシュタイン』にはなれないが、その分野に関して知識を深め、膨大な量の情報量を、ひとつずつ分析し、処理して、順を追って理解すれば、最後まであきらめなければ、いつか相対性理論が真実かどうか、わかる人間にはなれるわけだ。

 そして、なによりも、その分岐点となるのが、


「それが【自分の人生で役に立つか】を決めるのは、わたしだもんね」


 俺はうなずいた。深く深く、同意した。

「保障する。西木野さんはすぐに、滝岡よりも、上手くなれるよ」

* * *

 ダメージ計算式に関しては、西木野さんが余裕のある時に覚てもらうことにして、あとは『LoA』のリプレイモードを振り返って、改善すべき点、動き方、状況判断の方法なんかを、情報共有していった。

「ヤベェ、そろそろ帰らないと」
「わっ、もうすぐ六時半だね。ぜんぜん気づかなかった」

 時間が経つのは早く、気づけば午後七時が迫っていた。階段を降りると、西木野さんのおばあさんと会って「おじゃましました」と頭をさげた。

「おばあちゃん。前川くんを、トラムの駅まで送っていくねー」
「はいはい。もう暗いから、二人とも気をつけてね」
「うん。西木野さん、女の子なんだから、べつに無理しなくても」
「ダメですー。いきますー。西木野家のルールなんですー」

 そう言ってさっさと靴をはいて、玄関を開けた。


 俺は来た時と同じ、中学の制服を着て、鞄を持って歩いた。西木野さんも制服を着ているのは同じだったけれど、空いた手を後ろに組んだりしながら、心なしか機嫌よろしく、灯りのともる住宅街の側を歩いていた。

 欠けた月が、やさしげな夜空の中に浮かんで見えた。
 俺もなんだか楽しい気分になって、素直に思ったことを口にした。

「一人で集中してるとさ、時間があっという間に過ぎるってことはあるけど」
「うんうん、ありますねぇ」
「誰かと、こうやって、頭使いながら話してて、気づいたら時間が過ぎてたってのは初めてかもしんない」
「あはは。その感覚もわかるかも。わたしも、あーちゃんと一緒にいる時は、ついていくのに精一杯だから」
「それは、えーと…『演劇』での話?」

 誰が聞いているかはわからないから。一応、VTuberという単語は避けた。西木野さんもすぐに悟ったみたいに、「そうだよ」と言った。

「あーちゃんは元々『歌とかダンスとか』そういうのが本職な人たちの世界で育ったらしくてね。本当にすっごく、すっごく、歌とか踊りが上手いの」
「うん。動画見たよ。『歌ってみた』系ってめっちゃあるけど、なんていうか、あかねさんのは、別格だよね」
「ねー、ほんとすごいんだよ、あーちゃんは。でね、最初に、歌が上手に歌える方法を教えてもらおうとしたら、言ってること、ぜんぜんわかなくて」

 西木野さんが、くすくす笑う。

「わたしねぇ、自分が音痴だと思ってたの。あっ、だからって、今は歌が上手いとか思ってないよ?」
「そうなの? 『桜の歌』、確かにあかねさんは抜群に上手いと思ったけど、西木野さんもすごかったよ。これは『ガチでアイドルやってる奴じゃん』って、思っちゃったぐらいだから」

 秘密の暗号。共有して歩いていく。

「照れます。えっと、それでね。話を戻すんだけど。わたし、なんていうか漠然と、自分って音痴なんだなー。歌とか無理だーって思ってたんだけど、あーちゃんが、ノートに人体図を書いてね、人間の声がでる仕組みを一から解説してくれたの」
「えぇ、マジで…?」
「マジだよ。大マジだよー」

 西木野さんは、スキップするように、少し身体を左右にゆらした。『こっちの姿』がきっと、本来の彼女なんだろうと、そんな風に思えた。

「じゃあ、その説明で歌が上手くなったんだ?」
「ムリムリ。あーちゃんは、ガチめの天才肌なんだもん。ちゃんと専属の先生にね、基礎から教えてもらったよ。だけどね、その先生から、一般的な声の出し方だとか、日本人の耳に、聞こえの良い音楽のテンポを教えてもらってたらね。だんだんと、あーちゃんの言ってることもわかってきたの。真似するのはとても無理だけどね」

 きらきらと、

「それで初めて気がついたんだ。わたしが、本当に音痴かどうかはともかくね。わたし自身が『音痴だってことにしたがってるんだ』って。ちゃんと勉強してなかっただけなんだ、ってね」

 ステップする。
 
「だから、前川くん。今日はいっぱい、いっぱい、ありがとう。本当にたくさんのことが、勉強になりました」

 妖精みたいに。軽やかに。

「わたし、恵まれてるんだなぁって、思っちゃいました。本当のことを言うとね、親が家にあんまり帰ってこなくて、さびしいなーって思ってたりもしたんだけど」

 俺の目の前で踊ってた。

「たくさんのこと、勇気だして、がんばってみて、よかったなぁって」

 常連のじいちゃん達に「ありがとう」と言われた時も、すげぇ嬉しくなるけど、西木野さんはなんていうか、もう――

「前川くん、またよければ、遊びにきてね」
「うん…」
「わたしあんまり空気よめないし、距離取るのも下手だけど、ずっと友達でいてくれたら、本当に嬉しいです」
「……」

 なんていうか、言葉にできない。うなずくことしかできなかった。
 とにかく凄いんだ。すごい、胸がいっぱいになった。


「前川くん。また明日、この世界で、会おうね」


 ――そらが一番、可愛かったから.


 あぁ、確かに、あかねさんは、天才だ。
 天才だからこそ、わかったんだ。


(俺の前に、星が落ちている)


 きらめく流れ星を、最初に掴めるのは、ひとりだけ。


 ――彼女は、わたしの、パートナー。


 その世界を誰よりも深く知り、視野を誰よりも広く持ち、
 最後まで、追い求めることをあきらめかった、その人だけだ。


 ――あきらめなさい。ハヤト。


 夜空に浮かぶ駅の前。
 俺の前に、正真正銘のアイドルが。
 その原石が立っている。
 手の届かないところから、ほほえみかけてくれていた。
sage