No Music(途中)


 一昨年。わたしと同い年のジュニアアイドルが、テレビモニタの向こう側で歌っていた。正真正銘の、お姫さまのようだった。

 きらびやかな椅子に座り、マイクを両手に持って謳いあげる様は美しかった。なによりも、せつなげな表情からこぼれる美声が、きっと痛みを堪えているに違いないと分かり、胸を打たれた。

(わたしも、あんな風になれるのかな…)

 天を仰ぎ見ながら歌う少女の声は、産まれた時から、右足に障害を持つわたしの心に、深く突き刺さったのだった。

「――なにを考えてるんだ。ハル」

 だけど、そんな温かい気持ちは、祖父の一言によって、ロウソクの火を吹き消すように、あっさり途絶えてしまう。

「いつも言っとるだろうが。おまえは自分に合った、分相応な夢を見んといかん」
「おじいちゃん…」
「まがい物を追いかけるのは、やめなさい」

 大嫌いな、祖父の声がした。祖母が亡くなり、わたし達と同居していた老人は、事ある毎に、わたしに向けて小言を繰りかえした。

「見るんだ」

 テレビのリモコンを取り上げる。歌番組を見たいと言いだしたのは自分だったのに、まったく知らない、現代のアイドルが現れるなり、あの日も勝手なことをやりはじめた。

 録画された映像データを読み込む。もう何度見せられたか覚えてない、つまらないドキュメンタリー番組が再生される。

 タイトルが浮かぶ。

 『現代社会の身体障害者の人たちの生きる道』

 ナレーションが始まる。――年号が代わり早6年。多様な価値観が入り乱れた現代社会において、生きる意味とは、一体どこを指し示すのでしょうか。

 誰もが一度は考えた問いかけですが、現実的な意味合いで、その状況に直面している人々は変わらず存在します――。

 つまらない番組だと思うけれど、唯一『プロゲーマー』を目指す高校生の男子が、車椅子に乗りながらも、懸命にゲームに取り組む場面があって、そこだけは好きだった。

 逆に祖父は、そのシーンがまったく気に入らないようで、いつも早送りで飛ばしてくれた。決まって、車椅子に乗った大人たちの場面を再生した。

「この人らは、ハルよりずっと、重たい障害を背負っとる。それでも毎日頑張って生きよる。なんでかわかるな? まずは自分のできること、自分がやらないといけないことを、毎日きちんと積み重ねて生きとるからだ」
「……うん」
「自分の身の上を、きちんと弁えておるんだ」

 祖父は仕事を引退する前、大きな会社の要職を務めていたそうだ。転職もせず、40年近い年月を、ひとつの会社に捧げて生きた。それだけが誇りなのだ。

 退職金を含めた預金を合わせると、資産は一億円を超えていた。わたし達家族が住んでいるマンションも、名義は父だが、その購入資金や維持費に関しては、祖父が大部分を負担していた。

 だからわたしの両親は頭が上がらない。ヘソを曲げられて、遺産が他所に流れたら、一家は今の暮らしを捨てなくてはいけなくなる。

 万が一にも「第二の人生を始める。俺はまだやれる!」とか言いだされたら、困るわけだ。すでに祖父の知人、かつての仕事の同僚は、仕事を引退した祖父に興味など失せていたに違いない。

 お中元や、暑中見舞いといったものは、ほとんど届かない。年賀状さえも、中学生のわたしと同程度の数が、ちらほらと、名残り雪のように届くばかりだった。

 祖父の生涯をかけた、これまでの活動は、会社組織から離れてしまえば、世間一般になんの影響も与えていないことは明らかだ。

 退職金とは、つまり『手切れ金』なんだなと、曲がっていくだけの背中と、変わらないプライドの高さを併せ持った相手を見ながら、現実を学んだ。

 そうして結局、何者にもなれなかった老人は、誰からも相手にされなくなって『終わった』。

 唯一の自制弁で、緩衝役でもあった祖母が亡くなってからは、どこにも、自分を理解してくれる、想いを共有してくれる人もいなくなり。

 その孤独が、同じ屋根の下で暮らす、右足に生涯を持った孫娘であるわたし――『藤原春実』にぶつけられ。

「ハル、おまえは産まれた時から、杖を突いて生きないといけなかった。不憫で可愛そうなことだが、前向きに、分相応に生きないといかんぞ。人生の伴侶を見つけたとしても、その相手には苦労をかけることになるわけだからな」
「…うん…うん…」

 彼はひたすら『迷惑な人』に成り下がり。晩年、わたしが祖父の話を聞く時は、感覚がすっかり麻痺しきっていた。

 不憫で可愛そうなのは、どっちだよ。アンタにだけは言われたくないよ。壊死しかけた心中で、わたしは祖父をせせら笑った。

「おまえは、心配だからな」
「…うん…ごめんね…」

 産まれてきてごめんね。かたわらにおいた松葉杖を、祖父に気取られることなく、強く強く、握りしめた。

 椅子に座って歌うアイドルを見た翌年、祖父は急な心不全で亡くなった。わたしは勿論、父も母も、一切の涙を見せることはなかった。

 *

『――はるるんさぁ、もう一枚脱げない?』
「えぇ、ちょっとなに言ってんの? バカじゃないのー? これ以上脱ぐとブラ丸見えじゃん!」
『自信ないの?』
「そうやって煽ってもムダですぅ~」
『はるるん超カワイー』
「いや褒めても脱ぎませんから! っていうか、手のひら返すの早すぎでしょ!」
『はるるんは、スパチャ導入しないの? 俺マジメに支援しちゃうけどな』
「未成年だから無理だって。アカウント消されるよ」
『そっかー、残念だな。はるるんみたいな可愛い子、最近ほんと見ないのに』
『VTuber流行ってるからなぁ』
『あぁいうのよくないわ。中身ぜってーブスだから。自分に自信ねーから、オタク好みのスキン被せてるわけっしょ』
『言えてる。2、3年したら、即ブーム終わるわ。あんなもん』

 ライブチャットのチャンネルに集まった、冴えない大人たちが、自分以外の存在を仮想敵に仕立てあげ、罵倒することで、一致団結して盛り上がる。

 その後も、キャミを脱ぐか脱がないかの話に終始して、承認欲求を満たす時間は終わった。

『はるるん。脱がないなら、もう来ねぇわ。おまえより可愛くて、素直な子、いくらでもいるからな』



(チャンネル登録者数、増えなくなったなぁ)

 今年から始めたライブチャットは、フォロワー数があっという間に5桁までいった。だけど、そこから伸びなくなった。

 その日の空しさは、いつにも増して大きかった。こんなんじゃ物足りない。欲望の炎がわきあがるのを感じた時、亡くなった祖父の言葉が蘇る。


 ――ハルは、産まれた時から、他人の足を引っ張っている。
 分相応に生きないと、誰にも愛されなくなるぞ。


「っ!」

 右拳を振り上げて、机の上に叩きつけ――かけた。

 何度も、何度も。繰り返し。
 頭の中で、手にした松葉杖で、祖父の顔を殴りつけた。わたしと同じ様に立てなくなったところに、追い打ちで叩きつけた。

 つまらない妄想だ。現実は、勉強机の引き出しの中に眠っている。よくある4桁の番号の鍵をかけた小箱から、なんとなく便せんを取りだして、また眺めた。


 ――ハルへ。

 先立ったばあさんも、言うとったが
 おまえは、じいちゃんと、よく似とった。
 大きな器なんて持っておらんのに
 余計なものばかり、先の先まで、よく視とる。


 いつかもう、どうしようもなく堪えきれなくなった時。両親のことなんて気にも留めず、衆目の集う場所で、大声をあげて叩きのめしてやるつもりだった。


 ――悪かったな。なにもかも、押し付けて。
 信頼できる弁護士さんに言うて
 おまえにだけ、本来よりも多めに金がいくよう手配しとる。
 口座の通帳と印鑑は、弁護士さんから教えてもらえるはずだ。
 他言はもちろん、両親にもできれば内緒にしておけ。

 正直、おまえの両親は凡才だ。
 だがおまえは、少なくとも、じいちゃん程度の見込みはある。
 金の本質は美しいものだ。
 自分の価値や大きさを見誤らずに
 正しく使うに限り、おまえを裏切らん。

 大人になった時。
 両親に愛想が尽きたら、それ使うて
 信用できる相手と、二人で生きていきなさい。
 では達者でな。

 愛する孫娘へ。口うるさいじいちゃんより。
 
 
「…バカジジィ…っ!」

 遺書は、前もって用意されていた。

 さびしがり屋で、どうしようもない、最後はあっけなく死んでしまった、プライドだけは高い、格好つけたがりの、おじいちゃんに言われなくったって。自分がとても器の小さな人間であることなんて、わかってた。


(わたしは、なんで、産まれてきたんだろう…)

 
 わからない。
 ただ単に、産まれてしまったから、生きるしかない。

 それが答えだ。どうしようもないんだ。

 自分よりも底辺の、可愛そうな人たちがいるのを噛みしめて。それを心の支えにして、より惨めな人たちを陰で笑う。そうして支えあって生きていくしか、わたし達、弱虫が生きる術はない。


 死にたい。


 祖父のように、とつぜん、前触れもなく死んでしまいたい。もしもお金を払って安楽死ができるなら、どれだけの人間が幸せになれるんだろうか。毎日、そんなことを考えている。


 ――はるるん。脱がないなら、もう来ねぇわ。
 おまえより可愛くて、素直な子、いくらでもいるからな。


 脱いでしまおうか。誰かの役にたてる、自分を見つけるために。最初から光の指す場所へ行けないのだったら、一度ぐらい、構わないんじゃないか。

 おじいちゃんは、見込み違いが過ぎた。

 わたしは、ただの世間知らずの14歳で、片足が動かないハンデキャップを背負っているものの、必要以上に承認を求めたがる、なんの取り柄も特技もない、ゴミなんだ。

(…実際、配信中に脱いだ子とか、いるのかな…)

 ふらふらと。マウスを操作する。大手動画サイトの中、リアルタイムでライブチャット関連の動画を公開しているカテゴリーに移動する。


 【あなたにオススメ】

 
 検索用の単語を適当に入力すると、画面トップの一覧に、配信中の動画が並びだされた。動画にはそれぞれ、視聴者数と、チャンネル登録数が表示される。そのトップに、


 『絵を描く』
 登録者:kazami
 視聴者数:3 
 チャンネル登録数:10
 2時間45分が経過。


 あまりにも、小規模な配信が表示された。

(…なにこれ? 全然あてにならないじゃん…)

 普段のわたしが見ている類の動画、興味あるチャンネルや、配信内容とは、大きくかけ離れている。なんでこんなのが、よりにもよって最優先で表示されたんだろう。

 ほんのわずかな興味心にそそられて、わたしは、その実況配信をクリックした。
 
* *

//image No Music
//How to make Bubble Tea.

(急がなきゃ。kazamiさんの配信、始まっちゃう…!)

 選り好みすること。他の誰かに言われるまでもなく、自分自身の幸福を見つけだすこと。

 身体の延長線上のように、慣れ親しんだはずの松葉杖の操作が、この時ばかりはおぼつかない。午後8時直前、わたしは自室に駆け込むようにして椅子に座り、PCの電源をつけた。

(良かった。間に合った…!)

 しあわせな時間の一時。むせかえる様な色合いの、情欲と好奇心に満ちた承認欲求は、彼女が配信をおこなう、静謐な時の流れによって、綺麗さっぱり消しとんだ。

「………………」
『………………』

 わたしは、黙って、それを眺めている。

 CGイラストのメイキング動画。ライブ形式で、ほぼピッタリ4時間をかけて、二次元の美少女のイラストが完成される。

 まったく絵心のないわたしでも分かるほど、そのイラストの美麗さは目を惹いた。あと、ちょっと、エッチだ。布地の面積はせまくて、煽情的なポーズで感情をあおる構図が多い。

『………………』

 モニター越しの彼女は、声をもらさない。
 絶え間なく手を動かしていた。

 もしかすると、息をするのも忘れてるんじゃないかと思った頃に、ミント味のキシリトールタブレットを一粒つかんで、さっと口の中に放り込んだ。作業の合間に多くて二回。

 水分は取らない。後から聞いて分かったことだけど、彼女が言うには、水は事前に足りる分だけ補給するのが常らしい。

 途方もない集中力と、持続力。そして4時間という決められた時間を用いて、ちょうど一枚のイラストを完成させる計画性。

 イラストレータとしての彼女の実力を目の当たりにするのは、とても心地がよかった。

 『他人の創作活動を、じっと見ている』

 それを、ともすれば『特技』だとも言いきれる、わたしのような人間は、ちょっと珍しいのだと改めてわかった。

 友達の子に、ゲームの実況動画が好きで、自分でゲームを遊ぶよりも、他の人がやっているのを見るのが面白い。という子がいるけれど、感覚的にはそれが近いんじゃないかと思う。
 
 今まさに仕上げられていく、珠玉の一枚。わたしと同じ様に訪れた人たちが、言葉を打ち込んだ。画面上に「こんにちはー」といったチャットが流れるも、彼女は基本的に返事をしない。

 音声の受信は受け付けてないものの、発信用のデバイスは機能しているので、音声は届くようになっている。電子のペンが液晶の板を叩き、こすれる僅かな音は絶えない。

 通常の配信者なら、モニター上に流れるコメントを見つけると、特定のユーザー名を読みあげて「〇〇さん、こんにちは」といった風に返すのが普通だ。

『ちわ』

 彼女の場合もまた短い返事をする。だけどそれは肉声ではなく、二次元の女の子の肌にペイントしたものだった。デジタルなのですぐに上書きして文字を消し、作業を再開する。

 その一連の所作が、さりげなく自然で格好良い。以来、わたしは彼女の熱心なファンとなった。

 フォローしたアカウントが活動してるのを見つけると、最初に一言「こんにちは」とだけ打ち込んで、4時間前後に及ぶ、無音にも等しい作業配信を、黙って見つめ続けるのだ。



「「雨」」

 週末の日曜日。早朝。
 一度だけ、作業の途中で声をあげ、席を立ったことがあった。主不在になってしまったモニター画面の向こう側を見ながら、わたしはぼんやり考えた。

(…今、雨が降ってるのって、どこだろう…)

 晴れている部屋の窓の外。見慣れた景色をぼんやり眺めたその時に、ふと思った。

「…いま、雨が降ってるのって、どこだろう」

 突発的な豪雨。はずれた天気予報。画面のタブを切り替え、日本全国で、今雨が降っている地域で検索をかけた。

 引っかかったのは、四国の一部。わたしの住んでいる場所は京都だ。いざ行こうと思えば、行けなくはない。そこで我に返る。

「あれ…なんかわたし…ストーカーっぽい?」

 あまりにも自然に、まったく普通に、モニター越しの人物の所在地を追っていた。そんな自分に気づいて、ヤバイかもと思った。節度ある一ファンとして、清く正しく応援しなくては。

 心がけた。戻ってきた彼女は、黙って椅子に座り、キシリトールガムを一粒だけ放り込んで、いつもと変わらず、絵を描くことに集中した。

* *

 『RYO-5』という名義で、イラストレータとして活動する女性がいる。イラスト投稿サイトで多数のフォロワーを得た彼女は、twitterを始めとしたSNSでもファンが多い。

 2022年頃から活動を開始した、現代の人気イラストレータの一人だ。また本人も気さくで、おもしろい呟きをよく発信している。

 思わず「くすっ」と笑えるような内容を、1コマの簡素なイラストと共にツイートしたり、今流行りのゲーム、話題性のあるキャラクタを、現代風にアレンジした絵を定期的にあげている。

 実力も確かで、ファンから『本気モード』と言われる一枚絵は、美少女と呼ばれるジャンルの女の子たちが、そこはかとなく、えっちで、煽情的で、だけど同時に、神秘的な空気感をまとい、見る者の目をくぎ付けにするような魅力さに満ちている。

 プロフィールの性別は女性。日本人。出身は四国。歳は正確には明かせないが成人済み。というところまで、質問に答えている。

 そんな、いわゆる彼女の『本垢《RYO-5》』は、SNS上で多数のフォロワーを抱えているけれど、『イラストメイキング』のライブ放送は『kazami』という別アカウントによって行われている。

『こんにちは。初見です。イラスト、すごく上手ですね』
『……』
『プロですか?』
『……』

 メイキング動画に関しては一切の告知をしない。このライブ上で描かれたイラストのデータも、ネット上には残さない。作業中は、声も一切発さず、音楽もかけず、一粒か、二粒だけキシリトールガムを噛み、黙々と手を動かし続ける。

 自ら名乗らなければ『kazami』は『RYO-5』だと特定されない。彼女の絵は確かに優れていて、サインやクレジットの表記があれば、すぐにそうだと分かるのに、本人が別名義で作業動画をアップロードして、あえて名乗らなければ、不思議と誰も気づかない。

 彼女は、自分の存在感の濃淡を正確無比に読み取っていた。私生活と仮想世界にて活動する狭間において、人々が取得する光の陰影を調整するように、その正体を埋没させていた。

 すると、おとずれた人たちが、なにも言わずに去る。自らに対するレスポンスの一切がないのだ。他にはいくらでも、視聴者に配慮したチャンネルはあるから、そちらへ移ったのだ。

 さらにそういう環境下なら、礼儀を弁えた上での質問には、返事が来るのが当然だ。音楽だって鳴るし、軽い雑談にも発展する。

 イラストレータ『kazami』は、いなくなった人を気に留めない。たとえ視聴者が一人もいなかろうが、変わらずに、黙々と、美しい女の子たちの絵を描き続けた。

『……………………』

 丸4時間。電子のペンが走る。淀みなく進む。
 命が誕生する。

 さながら『神様』のようだった。わたしは熱心な信者として、その活動を見届けている。

 友達から「退屈じゃないの?」と聞かれた事がある。
 
 「ぜんぜん」そんなことはなかった。

 大勢の人たちが「絵をかくことが楽しい」と言うように、わたしもまた黙って、静かにじっと、一枚の絵ができあがる様子を追いかけた。4時間前後。淡々と見届けるのが――強いて言うなら『合っていた』。

 そして「はぁ…」と、ほんの一瞬だけ、人であることの証明のような。ため息をこぼすのを耳にする。

 長く険しい旅路を乗り越えたヒトの声。到達できたことに安堵して、ほっと一息ついている。最後には、そんな旅人の無事を目の当たりにできたような、とても安らいだ気持ちになれるのだった。

「おつかれさまです」

 チャットを打ち込む。

『thanks』

 二次元の美少女の頬に、スッと線が翻る。流麗な筆記体が踊り、それまでは、絵を描くことにしか用いられていなかった手が、内向きにしたピースサインの形で「ちょきちょき」と踊った。

 最後、彼女のPCにだけ保存されたイラストデータのレイヤーが新規に変わる。白紙に戻ったモニタ上で、一際大きく『bye』と3文字だけ記し、内向きに手を振り「サヨウナラ」。


 この動画のライブストリーミングは、終了しました。


「…あぁ、今日も終わっちゃったなぁ…」

 彼女の配信はいつも、大体の日程と時間が決まっている。平日なら『月・水・金の夜8時から日付が変わる頃まで』。土日はやや不定期で、早朝から昼までの間に行われる。

 休日に描かれる絵は、ラフスケッチであったり、彩色の下準備やSNSで発信するための非営利のものが多い。

 時間も不定期なのは、おそらく友人との約束事や、私事の予定が入るからだろう。一度だけ『雨』とつぶやいたのも週末で(おそらく洗濯ものを取り込みに向かったのだと思う)、なんらかの外的要因が発生する可能性があるのを見越して、集中の頻度を下げているのかなと考えた。

 対して、平日に関しては『邪魔が入る』という可能性が低いのだろう。『RYO-5』のアカウントの方で「絵を描く時は、身内以外のスマホの通知をなるべく切っています」と答えていた。

 家族構成、同居者の質問に関しては「プライバシーに接触するため答えられません。ごめんなさい」と丁寧にリプライを返していたけれど、なんとなく――

(…たいせつな人と一緒に暮らしていて、その人に危害が及ぶような真似は、避けたかったんじゃないかな…)

 そんな気がした。もちろん、単なる思い込みだったかもしれないし、自分の理想を型にはめたかっただけかもしれない。

 だけど以来、まぎれもなく。
 わたしは、その人のファンになっていた。信者といっていい。



 平日の『月・水・金』は、夜8時から始まるので、彼女の配信時間に合わせ、生活のリズムを整えるようになった。

 とはいえ、8時というのは、割と早い。だいたい学校が終わって家にまっすぐ帰ってきたら、午後の5時ぐらいになっている。そこから着替えて、大急ぎで予習と復習をすませて、ご飯を食べて、お風呂に入って部屋に戻るだけでも、8時が迫っている。

 あとは夜の8時から、日付が変わるまで、ずっとPCの前に座っていたら、両親から小言を、とまでは行かずとも「ハル、一体なにをしてるの?」と尋ねられることも多かった。

 敬虔な信者として、教祖の生活と重ね併せていく一方で、そうして産まれはじめた差異によって、また少しずつ、彼女のことがわかってきたような気がした。

 もしかして『kazami』さんは、母子家庭のお母さんなんじゃないだろうか。夕方まで仕事をしていて、お子さんを迎えにいって、その子が眠ったあと、日付が変わるまで絵を描いているんじゃないか。

 旦那さんがいたら、こんな風に4時間とか取れないはずだし。専業でイラストレータをしているなら、平日の放送時間が夜中に集中してるのは変だよねとか。だんだんと、私生活を想像するのが癖になっていた。

 だけど、ふと思ったのだ。

 『kazami』さん――『RYO-5』さんって、わたしと同じ、学生だったりしないんだろうか。学校が終わってまっすぐ家に帰り、お母さんの作ってくれたご飯を食べる。

 お母さんの仕事が、夜から始まるとしたら、晩御飯の時間は、わたしの家よりも早くって。それで土日もお仕事してるような人だったら、休みの日が、火曜と木曜。だからその日は配信してない。

 ツイッターでは『成人済み』だって言ってたけれど、本当は私と同じ『中学生』で、未成年に金銭が発生するお仕事をすると、いろいろ面倒なことが起きるし、税金もかかるから、お母さんも合意の上で、お母さんの名義で、イラスト書きの仕事を受注しているんじゃないだろうか――

 いったん、そんな風に考えだすと「可能性はあるかも」と思うようになっていた。

 顔も、本名も、声すらも、知らない相手。画面に映るのは手の一部と作業環境だけ。コミュニケーションも必要最低限しか取ろうとしない。

 わたしの中で、彼女がどんどん神格化されてゆく。同時に、自分と同じ共有する要素があればいいと、毎日想像なんだか、妄想なんだか、自分でも区別を付けづらい段階にまで達していた。

 そんな自分自身にちょっと引く。わたし、このままだと犯罪者になりかねないなと思ってから、だけど現実で接触することなんてないし、良かった良かった。と胸をなでおろした

 彼女はどこまでも単なるわたしの憧れで、教祖で、『神様』みたいな人で十分だ。
 
 でもある日、水曜の深夜。リアルアイムの視聴者がわたし一人しかいなかった日があった。

 『はぁ…』とこぼれたため息。その日もいつもと同じ、配信が終わったのと同時に、良かったなぁという気持ちを込めながら、チャットを打ち込んだ。

「おつかれさまです」

 描かれた美少女のお腹に、線が走る。

『thanks』

 ちょきちょき。内向きのピースサインが躍る。後は配信が終了するのを待つだけだ。名残惜しくて、それから次の配信が楽しみで仕方ない、相反した気持ちが胸の内に去来する。


「「Harumiさん。いつも見に来てくれて、ありがとな」」


 そしてその日は、終わらなかった。さらさらさらと。サインを描くように文字が躍った。軽く片目を瞬きするような気軽さで、メッセージが現れた。一瞬気のせいかと思ったけれど。

「「いつも、なにしながら、配信見てんの?」」
「っ! ……っ! っ!?」

 それは初めて耳にした、かすかにこぼれる、ため息以外の声だった。――若い男の声が耳朶に届いた。

 わたしはモニターを見つめながら、酸素にあえぐ、陸に打ち上げられた小魚のように、口を上下した。

 いっそ「ごめんなさい」と自己完結して、そのままフェードアウトしようかと考えたりもした。その直前、一抹の勇気をしぼって、キーボードを打ち込んだ。

Harumi:いつも、kazamiさんの配信を見ています。

 少しの間。回線を通じて送り届けたメッセージを確認するようにしてから、【彼】はふたたび口を開いた。

「「それはもちろん知ってる。オレが言いたいのはつまり、この配信を見ながら、そっちは普段なにやってんの? ってこと。いつもイラストを描き上げた瞬間には、即レスしてくれっからさ」」

 その声は、気やすい感じの、軽薄で、どことなくチャラそうな印象も受ける感じでもあった。

「「この作業配信、毎回4時間近くはかけてっし。まさかその間、ずっと見てるだけってのは、ないだろ?」」

 あぁ、どうしよう。
 わたしの『神様』が、お声をかけてくれて、いらっしゃる。

 頭の中はもう、パニック一直線だ。顔が熱くて仕方がなくて、心臓がドキドキやかましいのを、懸命におさえこんで、震えはじめた自分の手を重ねるように、慎重にキーを打ち込んだ。

Harumi:特になにもしてません。ずっと、kazamiさんの作業風景をながめてます。

「「…マジ? 飯食いながら見るとか、勉強とか、ゲームしてる片手間に開いて見たりすんじゃねぇの普通?」」

Harumi:してません。本当にただ、いつも拝見させていただいてるだけです。

「「もしかして、そっちもイラスト関係の仕事やってる?」」

Harumi:いえ、とんでもないですっ。わたし、ただの学生です。

「「学生。いくつ?」」

 それは条件反射で問いかけたという感じだった。即座に「いや、答えなくいい。思っただけだから」と付け加えてきたけれど、

Harumi:14歳です。

 こっちも条件反射で答えていた。

「「……中二?」」

Harumi:はい! 私立中学の二年生です!!

 その後はしばらく、本当にもう、まともに口が聞けないほどに、震えていた。

「「じゃあ、明日も学校?」」

Haruka:はい。学校あります。

「「学校から帰ったら、なにしてんの? 部活は?」」

Harumi:帰宅部なんです。基本はまっすぐ家に帰って、着替えたらすぐに宿題して、明日の準備終えて、それからご飯食べてお風呂に入ります。kazamiさんの配信が始まるので、8時までにやること全部終わらせるようになりました。

「「ちょっと待ってよ」」

 あははは。と、モニターの向こうで、笑う声が聞こえた。

「「火曜と木曜は? 配信してないと思うんだけど」」

Harumi:その日も基本は一緒です。ただ、部屋に籠りきりだと、両親が心配するし、なにか言われそうなので、居間で話をしたり、本を読んだりしてます。
 
「「休日は?」」

Haruka:あまり外出しません。わたし、生まれつき、片方の足が悪いんです。杖がないと、上手く歩けなくて。親や友達は、そんなわたしが遠慮してるって思ってるらしいんですけど。本当は違くて、合わないだけなんです。みんなの『楽しい』が分からない。

 ずっと堪えてきた感情の蓋が開くように。
 音にならない声が続いた。

Harumi:kazamiさんの配信は、そんなわたしに、なんていうか、ピッタリだったんです。気が付いたら、最後まで見てるっていうか。見られて良かったなっていうか…キモかったらごめんなさい。

「「あぁそうか…」」

 ぽつりと、つぶやくような声がした。以前『雨』と、たった一言つぶやいた時と同じ。事実を確認するだけのような音がした。

「「オレは、おまえみたいなやつを、探してたのか」」

* *

//image music
//ロキ by みきとP


「19勝1敗か」

 土曜の夜。
 ディスコード越しに、風見さんの声が聞こえてきた。

「ハヤトのチーム、そろそろ対策を取られはじめたな」
「20戦目は、ハヤトさんだけに、的を絞ったバンピックだったみたいですね」
「ここのチームは、残る二人もまぁまぁやるが、あくまでも起点はハヤトだからな。それを分かってる上位の連中は、もちろん、そういう特性を想定した上で仕掛けてくるだろ」

 双方向の通信。あの時から変わらず、わたしは彼女の信者だ。

「となると、これ以上勝ち上がるのは苦しいですかね」
「そうでもねーだろ。ハヤトなら、対策取られたのを想定した上で動き作ってくるだろうしな。3人とも、リアルで同じところにいるみてーだし、連携次第じゃ、まだまだ上にいけるだろ」
「風見さん楽しそうですね」
「まーな。だいたい40勝ぐらいできたら、うちらのチームとも当たるんじゃねーの。そこまで勝ち進んでもらわなくちゃ困るぜ」
「…にしても、このチーム。試合消化数が遅かったですね」
「最初、オレらとやりあった時、完全に一人お荷物だったからな。チームとしての練度をあげるのを優先したんだろ」

 風見さんは、するどい――とかいうレベルではない。

 他人の能力、状態、環境といった事柄を、手に取るように把握して掌握する。その上で、思考を先読みし、裏を取る。

 わたしは、熱心な信者を自認しているけれど、あながち冗談ではなく、彼女は『教祖』の素質があると信じている。

「何年やっても、ヘタクソな奴はヘタクソのままだ。だがコツを掴むか、自分にあった環境見つけたやつは、一気に伸びる」

 ククッと、喉の奥で押し殺したような声がもれる。風見さんの声を聴いていると、わたしは背筋がぞくぞくする。

 今では、あんなに毛嫌いしていた、亡くなった祖父の言葉が身にしみている。彼は正しかった。

(『分相応に』。わたしは、たった一人の御方に尽くしてるよ)

「おいハル、それからロリ。フェスの試合、最終日まで1戦だけ消化せずに取っとくぞ。予定合わせとけ」
「…承知しました」
「構わないけどさぁ、いちお、理由聞いといていーかな? ブザーちんのカワイー信者は、基本全肯定だからさぁ」
「ハハッ、目的なんざ決まってんだろ」

 『たかがゲーム』。けれど2024年の今日。eスポーツという分野が日本でも認知されはじめた。この舞台で実力を示すことは、フィジカルなスポーツよりも、人生の成功者となれる可能性も、けっして低いとは言えなくなっている。

「ハヤトを含めた3人組を、ブッ潰す。そんで、名実ともに、オレらが【最強】だって、知らしめてやる」

 子供じみた思想。

 しかし、わたし達は知っている。現代の大人のほとんどが、現実世界に絶望している。自由なはずだった子供時代に戻って、やりなおしができる機会を、心の底から望んでいる。

 電子の遊びは、ゲームで勝つことは。
 正義の象徴にさえ、なりつつある。

「臆病な大人共が求めているモノを、このオレが与えてやる」
「最高です、風見さん。一生ついていきます」
「…信者ってコワイナー」

 わたしは、彼女の、熱狂的な信者だ。分相応に、彼女を世界の頂に連れていこう。そのために、生きていく。

sage