「ミシュガルド故事成語ことわざ慣用句辞典」作:ハルドゥ・アンローム(7/26 19:38)

頭で使う――――――――【慣】頭脳労働のこと[例]亜人はエルフに頭で使われている。
石橋叩いて渡らない―――【諺】慎重なさま
[例]
 干からびた草が風で転がるミシュガルドの荒野を、砂ぼこりを上げて一台の軍用車両が走り抜けていく。どこまでも続く地平線のかなたに、暗雲が立ちこめ遠雷が鳴っていた。この車の小さな風防とリアバンパーに折りたたまれた幌ではびしょびしょになってしまうだろう。甲皇国の中でも降雨の少ない遺灰の地を走行するために造られた車両なのだから。
 雨が降る前には甲皇国駐屯所に帰りたい。女性士官四人の考えは珍しく一致し、ハンドルを握る日焼けた肌のダスティ・クラムはアクセルを踏みしめた。駆動音が高い音に変わり、速度計の針が大きく右に振れる。
 降下猟兵のラッカは、助手席から立ち上がって涼しい風に浸った。ヘルメットから黒髪ストレートが風になびいている。上空の風はこんなものではないだろう。黒い雲はじきに押し寄せてくる。砂除けで口元を覆ったマフラーから、天候のように不安定な言葉が漏れ出てしまった。
「心が乱れる。拳銃を撃たねば」
 ラッカはホルスターから拳銃を引き抜くと、照準越しに行く先をうかがった。鉄の筒の中に駐屯所のすぐ東を流れる銀の河に架かる橋が見える。拳銃を撃とうとするラッカを後ろの客席からニーナ・ベッカーが中腰になってなだめた。
「もう少しの辛抱っス。あの橋を渡ればお家帰れるっスから」
 ラッカが聞き入れて拳銃をホルスターに戻すと、おかっぱニーナは隣に座る軍人らしく髪の短いアドルファとのおしゃべりを再開した。しゃべる量が違いすぎて、ニーナが一方的にしゃべり倒しているように見える。
「それでですねー、徹子さんのお店のパンがホントおいしんスよー。外はカリッ、中はモチッ。これは私も負けてらんないなー。あ、私、家がパン屋やってんスよー。徹子さんのパン屋に通って、あのパンの秘密を盗んでやるッス。よかったら今度アドルファさんもご一緒しませんか?」
「行く」
 橋の前にさしかかったところで、ダスティは急に車を止めた。立っていたラッカは車外に投げ出されたが、降下猟兵らしくさっそうと足から着地した。車内から「おー」という声と拍手が聞こえる。しゃべりっぱなしのニーナは舌をかんだ。アドルファだけは平然としている。
「いだだだだ。舌かんだじゃん。どうしたッスか、ダスティ?」
「は、橋が……通れなくなってるであります」
 車が立ち往生する目の前には“この橋渡るべからず”と書かれた立て札がある。工兵が作業しているところを見ると橋の補修中のようだ。巨石の橋げたの上に切り出した石の板を乗せただけの簡易な橋だが、きれいなものでひびひとつ入っていない。補修工事はほとんど終わっているのではあるまいか。
 ラッカは車に背を向けて現場監督している肌着の工兵を捕まえて尋ねた。
「そこな工兵、我々はすぐに橋を渡って帰隊しなくてはならない。そこを通してもらおうか」
 工兵はまばらに生えたあごひげをかきながらはねつけた。
「立て札が見えなかったのか? 完璧に補修が済むまで通すわけにはいかない」
「融通が利かないヤツだな。そんなことでは出世できないぞ」
 ラッカが居丈高に言うと、工兵は怒ったようないかつい顔で軍服を羽織った。名札にはアルベルト・アドラーとあり、襟の階級章を見ればラッカよりも上である。まずいことになったなと思ったが、アルベルトは何も言わず車のほうへ近づいて行った。怒ってはないらしい。あの顔は生まれつきのようだ。
 アルベルトは車の周りを一周しながら、仔細に見てダスティに聞いた。
「この車の乾燥重量はいくつだ?」
「カンソウジュウリョウ?」
「積み荷、乗員などのない状態の車の重さのことだ。そんなことも知らないのか」
答えあぐねているダスティを見かねて、アドルファが客席から身を乗り出しさらりと答えた。
「1,5tです」
アルベルトは難しい顔を崩さない。仏頂面のアドルファといい勝負だ。
「それじゃお前たち四人の体重はいくつだ?」
不躾な質問に難しい話かと思って黙っていたニーナがキレた。
「はあ? た、体重は関係ないじゃないッスか。セクハラッスよ!」
「関係ある。車体+人間の総重量が補修中の橋の耐えられる重量か知りたい。苦労して補修した橋を落としたくはないからな」
「ちょ、私たちをどんだけ重いと思ってるんスか。あんな丈夫そうな橋が落ちるわけないじゃないッスか」
「もしも、ということがある。石橋叩いて渡らないという言葉もあるだろ。慎重に越したことはない」
真っ赤にふくれるニーナに代わってダスティが邪な顔で話を引き取った。
「私だったらコレしだいで体重教えてあげるでありますよ」
親指と人差し指で金貨を示す輪っかを作っている。
「いや、なんでこっちが金払うみたいになってんだ。閉鎖中の橋を通してもらうんだから、ワイロ払うとしたらそっちだろ。ああ、もういい! 通してやるから最後に破壊検査だけやらせてくれ」
 だんだん面倒くさくなったアルベルトは話を切り上げて、最後に大がかりな耐久試験をすることにした。ここで話をしていては補修は一向に進まない。
 補修作業をしている工兵たちをいった止め、発破の準備をさせた。安全な川岸に退避させた工兵たちと四人の女性士官に見守られながら、アルベルトは起爆スイッチにつまみに手をかける。
 「発破!」の声とともにつまみが回され、耳を塞いでも爆音が響いてきた。砕け散った石の塊が川の中に沈んでいく。煙が晴れると、苦労して補修した橋は跡形もなかった。
 アルベルトはしかめ面を崩さず言い放つ。
「これしきの火薬で落ちるとは。危ないところだったな。こんな危険な橋通らずにすんで良かったな、お前ら」
 ラッカは天を仰いだ。ヘルメットには赤字で“頭上よりの死”と書かれている。
 爆風による急激な上昇気流によって、たたずむ四人の女性士官の上に大粒の雨が降ってきた。