Neetel Inside ニートノベル
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異世界人が働かない理由。
第一章

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(一)

 物語は、まさに佳境を迎えていた。
 地球の命運はたったひとりの男に握られていた。
 彼は、昆虫の外殻を模したライダースーツを身に纏い、フルフェイスヘルメットの奥からは決意の眼光をぎらつかせている。装身具のすべては漆黒。その色の深さが、彼の壮絶な生い立ち、使命、苦しみを象徴していた。
「ギ……ギキ……。よくぞ、ここまで生き残ったものだ」
 無言で前を睨む男に立ちふさがっているのは、異形の怪物だった。
 動物の臓物を切り刻み、バラバラにつなぎ合わせたような肉体。それが辛うじて霊長類に似た形を成しているが、顔貌と思しきパーツ群は水月に空いた洞に光っている。
 体長は男のゆうに倍を超える。圧倒的優位を自覚してか、怪物の口元は嘲りに歪んでいた。
「誉めてやろう。家族を殺され、仲間に裏切られ、痛みに悶え。あらゆる困難に遭わせられながら、なおも戦意を失わないとは。人間の域を逸していると言っていい。ぜひ聞かせてもらいたい、貴様はどうしてそこまでして戦えるのだ?」
 怪物が言うと、不動だった男が一歩踏み出した。
 大理石の床には、彼によって葬られた魍魎共の残骸が四散している。連日狂宴に湧いていた魔城も、いまは寒々しい。
「愛のためだ」
 男から発された声は重く低い。怨念じみている。
「家族が殺されようと、仲間に裏切られようと、痛みに悶えようと、俺は諦めるわけにはいかない。この世界に、守るべきたったひとりが生きている限り」
「ギキキ、狂っているな。いいや、むしろ呆れるほどに正常なのか。貴様は恋人を愛するが故にウェロニアの力に魅入られた。伝承によれば、古代ソビラスの戦士たちは強い想念に囚われ、一生を捧げるのが運命さだめだったという。まるで呪いだ。自由のない生ほど愚かなものはないと思わないか。改心するならば、これまでの狼藉はなかったことにしてやってもいいが」
 男は答えない。ただ、ホールに殺気が立ち込めた。
「……ギキ、残念だ」
 怪物の腹部に埋められた眞光炉が脈打ち、蜘蛛の巣のように筋を浮き出させる。男の前腕がウェロニアの赤黒い瘴気に覆われる。
 柱のひび割れる音が、開戦の合図になった――。


「あれ?」
 主人公と悪役の激突と同時に、テレビの画面が真っ暗になった。電源をオフにしたときのジィィンというノイズを残して、部室にわびしさが押し寄せる。
 僕は後ろを振り返った。
「志麻子」
 そこには、電源を切ったらしい犯人がいた。
 栗色のショートボブを後ろに結んだ女の子が、リモコンを握っている。
「見てたんだけど」
「知ってる。だから消したの」
「いいところだったんだよ。安全に保護したはずの恋人が実は敵の配下に捕まってて、拷問されてるあいだに、それを知らない主人公が黒幕との最終決戦に挑んでるんだ。一大事だろ」
「一大事ね。でも、陸人にはもっと優先すべきことがあるでしょ」
「そういえば、志麻子がボードゲーム部の部室に来るのは珍しいな。つまり僕に用事があると?」
 純粋な疑問をぶつけただけだったのだが、元々吊り上がっていた志麻子の眉がさらに不穏な角度になる。
「信じられない。英語の宿題を教えてくれって、陸人から頼んできたんじゃない。教室に行ってもいないから、わざわざここまで来たのよ」
「ああ、そうだったっけ」
 言われてみれば、リモコンと反対の手には英語のノートが握られている。
 記憶を探ってみると確かに午前中、そんなお願いをした。宿題の該当範囲が理解できそうになく、教科担当の教師も厳しい人だったので泣きついたのだ。
「でも、面倒だなぁ」
「だったら早く終わらせればいいでしょ」
 弱音を漏らす僕を無視して、志麻子が隣に座る。問答無用で勉強用具を広げようとするので、机に置いてあったプラモデルを退避させた。まだ作りかけなのだ。
「陸人さ、もっとシャンとしなさいよね」
 宿題を始めるとすぐ、志麻子が言った。
 ノートに落書きしているのがバレたのかと思ったが、別にそれを咎めたかったわけではないらしい。もっと全般的に、生活態度のことを言っているのだ。
「聞いたの。最近、変なやつらと付き合いがあるらしいじゃない」
「心当たりないけど」
「チーマーとかいう連中から報酬を受け取って、武器の横流しをしてるとか」
「ええ、そんな物騒なことしてないって。僕はただ、知り合いを介してちょっとした仕事を請け負ってるだけだよ。いまやってるのはプラモデルの組み立てと塗装。仕事を頼んできた人が不良グループに属してて、その人が弟にするプレゼントなんだってさ。どこで尾ヒレが付いて、そんな噂になったのか知らないけど」
 事情を説明したのに、志麻子はまだ納得のいかない顔をしている。彼女にはどうも、僕がアウトローに足を踏み入れようとしているのだと勘違いしている節がある。
「でも、不良と関係があるのは本当なんでしょ。ほら、髪だってだらしなく伸ばして」
「いや、これは。切るのが面倒で放っておいたら、かえって邪魔にならなくなっちゃって」
「似合わないからやめなさいよね。きちんとしてれば、そこそこ見れる顔してるんだから……」
 志麻子はなぜか、うつむき加減に語尾を濁す。そして、落ち着きなさげに部屋をキョロキョロと見回すと、席を立った。
「なにしてんの?」
「掃除。汚いところにいるとイライラするの」
「あんまり色々いじらないでよ」
「わかってる」
 とは言うものの、プライベートな空間はいわば内臓みたいなもので、触られるのは心穏やかではない。そもそも学校の部室をプライベートに使うなという指摘は置いておいて。
 室内にはボロいソファとローテーブルの他に、僕と優作の私物が散乱している。優作が教師陣と生徒会をたらしこんで手に入れた部室だが、すっかり男の趣味に侵食されたものだ。特に、僕は起きている時間の半分近くをここで過ごしているのだから無理もない。
 本棚の奥には、年頃の女の子には猥褻物と同義であろうあれやこれやがしまわれている。それらが発掘されやしまいかと思うと宿題も手につかない。
 そうして肝を冷やしていると突然、部室の引き戸が開いた。
 中に僕がいるとわかってだろう。入ってきた人物は戸を開き切る前に用件を伝えてきた。
「おい、仕事の進捗はどう――」
 優作が戸を全開にする。そして僕に目をやり、次に志麻子に目をやると、声を途切れさせた。
 優作の容姿を一言で表すなら、昭和の男前だ。長身の屈強な体に加えて、顔からは真っすぐな男気が滲み出している。
 めったなことでは動じない彼だ。額に冷や汗をかいているのを見るのは珍しかった。
 それはともかくとして、僕は問いかけに答えてやる。
「組み立てはもうすぐ終わるよ。ほら、そこにあるだろ。あと、塗装は家に持ち込んでやろうと思ってる。この前、学校の校舎裏でスプレーを使ってたら苦情が入ったんだ」
「そ、そうか、順調ならいいんだが。……じゃあ、俺は失礼する」
「進捗を聞きにきただけ? 遊びに来たんだろ。だったら三人いるし、三麻でもやろうよ」
 横から無形の非難が突き刺さるのを感じながら、僕は言った。
「いや、遠慮しておく。俺はこれから約束があるんでな」
「どうせ男友達とだろ。僕も混ぜてよ」
 立ち上がりかけた僕の肩を掴んで、志麻子が作り笑いを浮かべる。
「ごめんね、陸人は行けないの。悪いけど、他のお友達と楽しんできて」
「あ、ああ、こっちこそ悪かった。それじゃあ」
 何に対してか不明の謝罪を置いて、優作は去っていった。
 思わずため息をついて隣を見ると、志麻子が探るような目つきをしている。
「仕事を回してくる知り合いって優作くんだったのね。陸人って飲食店のバイトもしてるでしょ。そんなにお金が欲しいのって……」
「前にも話しただろ。高校を出たら東京に行くんだ。資金はいくらあっても困らない」
 僕がこの話をすると、志麻子はいつも不満そうな顔をする。
「行って、どうするつもりなの? 勉強だって熱心にしてないのに」
「東京には大学がたくさんあるんだから、選ばなければどこかには入れるに決まってる。なんなら専門学校とかだっていい。とにかく、若いときに日本の中心に住むことが大事なんだよ。だって、日本にある一番素晴らしいものはたいてい、東京に集まってくるんだから」
 両腕を広げて熱弁してみるが、志麻子には熱が伝わらなかったようだ。うぅんと苦しげに唸って、
「東京に行ったってアメリカに行ったって、いるのは同じ、人間よ」
 的外れの正論をぶつけてくるので、僕は唇を尖らせた。
「幼馴染の唯一の目標くらい、素直に応援してくれればいいのにな」
「偏差値の低い大学や専門学校がダメだって言ってるわけじゃないの。ただ、陸人はもう少し将来を身近に考えてもいいんじゃないかと思って。曖昧な期待ばかりしていたら、なんでもないようなことで裏切られたと感じるかもしれないし」
「あーもー、いいってば。自分のことは自分で考えるから。志麻子には迷惑を掛けないようにする。それでいいだろ。さ、勉強、勉強」
 議論が平行線になりそうなので、強引に打ち切る。
 真面目にノートに向かうポーズをとると、志麻子もそれ以上は追及してこなかった。

       

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